荊州市街図です。中央南北に高速道路があり、東半分が沙市(さし)といい、西半分が荊州です。元々別々の都市で、どちらかというと沙市の方が大きいのですが、両市が統合して、古くからの都市である荊州を統合した都市の名前にしました。沙市は荊州市沙市区として地名が残っています。
その荊州に今回何故再度行ったかと言いますと、それは荊州博物館にある西漢時代の男性の古屍です。先日湖南省博物館の馬王堆展示を紹介しましたが、そこには女性の遺体がありました。湖南省に女性の遺体あれば、湖北省荊州博物館に男性の遺体の展示があることを思い出し、それを皆様に紹介したいと思い、再度荊州に行った訳です。
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その荊州に今回何故再度行ったかと言いますと、それは荊州博物館にある西漢時代の男性の古屍です。先日湖南省博物館の馬王堆展示を紹介しましたが、そこには女性の遺体がありました。湖南省に女性の遺体あれば、湖北省荊州博物館に男性の遺体の展示があることを思い出し、それを皆様に紹介したいと思い、再度荊州に行った訳です。
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今日の上海は雲が多目の晴れです。予報も雲が多目の晴れ、最高気温は34度、最低は27度です。
今日から湖北省荊州(けいしゅう)を始めます。最初の地図は湖北省の中央部です。中央右(東)よりに武漢があります。武漢は湖北省の省都です。その武漢からまっすぐ西方向に宜昌があります。宜昌は長江三峡の出口です。武漢と宜昌の間に幾つかの都市があり、宜昌よりに荊州という文字が見えると思います。荊州の南側を長江が流れます。
荊州には以前行ったことがあります。1996年頃国務院僑務弁公室主催のツアーに参加して行きました。僑務弁公室は名前の通り華僑対策(そして香港、台湾対策)の部局ですが、参加者が少ないのか、華僑以外の外国人も参加してよいというツアーがあり、それに潜り混みました。ツアーの主旨は湖北省の都市を華僑に紹介して投資を促すということでしたが、当時建設中の三峡ダムの見学がコースに入っていて、それにつられて参加しまた。そのツアー行程に荊州が入っていて、荊州に行きました。
荊州でも、投資を望む企業があり、参加者の業種に応じて企業が寄ってきましたが、私が勤務していた会社の業種では投資に値するような企業は無く、観光に専念できました。荊州はそれまで名前すら知らなかったのですが、古くからの都市で観光スポットが幾つもありました。
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今日から湖北省荊州(けいしゅう)を始めます。最初の地図は湖北省の中央部です。中央右(東)よりに武漢があります。武漢は湖北省の省都です。その武漢からまっすぐ西方向に宜昌があります。宜昌は長江三峡の出口です。武漢と宜昌の間に幾つかの都市があり、宜昌よりに荊州という文字が見えると思います。荊州の南側を長江が流れます。
荊州には以前行ったことがあります。1996年頃国務院僑務弁公室主催のツアーに参加して行きました。僑務弁公室は名前の通り華僑対策(そして香港、台湾対策)の部局ですが、参加者が少ないのか、華僑以外の外国人も参加してよいというツアーがあり、それに潜り混みました。ツアーの主旨は湖北省の都市を華僑に紹介して投資を促すということでしたが、当時建設中の三峡ダムの見学がコースに入っていて、それにつられて参加しまた。そのツアー行程に荊州が入っていて、荊州に行きました。
荊州でも、投資を望む企業があり、参加者の業種に応じて企業が寄ってきましたが、私が勤務していた会社の業種では投資に値するような企業は無く、観光に専念できました。荊州はそれまで名前すら知らなかったのですが、古くからの都市で観光スポットが幾つもありました。
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