先日の回船問屋の近く、富山市水橋東天神町の天満宮に入っていってみました。
小さな天神さんですが、写真の右側狛犬さんの後ろあたりにその筆塚が隠れるようにありました。
「梅隠先生 筆塚」と刻まれています。
その横に梅隠先生についての説明板がありました。
福島正則(梅隠)は江戸後期の人で、17歳で上京し医術を学び、文化10年(1813年)3月に帰郷して医院を開きました。さらに寺子屋を開いて教育にもあたりました。風流人で梅隠と名のり、医者としては妙薬「薬王樹」を調合しました。
その弟子たちによって慶応2年(1866年)天神町天満宮境内にこの筆塚が建立されたということです。
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小さな天神さんですが、写真の右側狛犬さんの後ろあたりにその筆塚が隠れるようにありました。
「梅隠先生 筆塚」と刻まれています。
その横に梅隠先生についての説明板がありました。
福島正則(梅隠)は江戸後期の人で、17歳で上京し医術を学び、文化10年(1813年)3月に帰郷して医院を開きました。さらに寺子屋を開いて教育にもあたりました。風流人で梅隠と名のり、医者としては妙薬「薬王樹」を調合しました。
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