長崎と言われてイメージするのは異国情緒があふれるエキゾチックな雰囲気なのですが、この島は異質です。
長崎港から40分で到着するこの島は、その名の通り要塞なのですが、ここで暮らしていた人たちの当時の生活を想像するには
廃墟すぎるし、暑いし(これは仕方ないです)、明治日本の産業革命の世界遺産を観光として見るというのは、
いつもの観光とは違う視点で見るものなんだな…、と思いつつ、30分ぐらい上陸してきました。
さすがは世界遺産、長崎港のフェリー乗り場は大行列
太陽を遮るものが島には何もないため、フェリー会社が準備した麦わら帽子をかぶって上陸です。
この建物は作業を終えた炭鉱夫が使ったお風呂です。まずは服を着たまま海水風呂に入り、そのあと服を脱いで2番目の海水風呂で汚れを落とし、最後に温水風呂に入ったそうです。
こちらは一番見晴らしのいいところに建つ、幹部社宅だった建物です。ほかのアパートに比べて広さも十分あり、内風呂も完備されていたらしい。「偉くならなきゃだめなんです」と、ガイドに説教?されました。
これは石炭を運んでベルトコンベヤーの土台部分です。
アパートの廃墟の一部。観光客が入れるのはここまでです。せっかく上陸したのに、近くには寄れなくて、遠くから「ふ~ん」と眺めるだけです。安全面の問題はあるだろうけど、これはつまんない。実際に中を歩いて、天井を見たり壁を触ったりできるのかと思ったら、全然できません。これじゃあ、実感わかないんですけど…。
そんな観光客の不満を解消するために、フェリーは島の近くをゆっくり航行してくれるので、一応全体を見ることができます。
命の危険と引き換えにこの島に住んで炭鉱で働いていた人たちの生活はどういうものだったのでしょうか?
海に住んでいながら、ビーチリゾートなぞは皆無ですが、いろいろな娯楽施設(映画館、パチンコホール、プールなど)
はすべて島の中にあり、当時は高級品だったテレビの普及率も高かったようです。島での生活は快適だった(らしい)ことが
協調されていましたが、どうだったんでしょうね…、などと思いながら島を後にしました。
非売品だったが交渉して入手。