栃木のB級グルメとして名高い、スープ入り焼きそばにチャレンジしてきました。
ラーメンじゃないです、味も麺も焼きそばです。そしてスープも焼きそば味。
写真からだと味の濃〜い焼きそば食べているように思うかもしれないですが、スープはあっさりしています。ここにひと工夫ありそうです。
ありそうでなかった、スープ入り焼きそば。完食しました。
栃木にお出かけの方は、ぜひチャレンジしてください。
栃木のB級グルメとして名高い、スープ入り焼きそばにチャレンジしてきました。
ラーメンじゃないです、味も麺も焼きそばです。そしてスープも焼きそば味。
写真からだと味の濃〜い焼きそば食べているように思うかもしれないですが、スープはあっさりしています。ここにひと工夫ありそうです。
ありそうでなかった、スープ入り焼きそば。完食しました。
栃木にお出かけの方は、ぜひチャレンジしてください。
母は16日に死亡し、通夜葬儀は基本、母方の兄弟だけ。火葬、初七日は家族だけという式を営みました。
こういうやり方が、いいかどうかありますが、母方の親戚だけで行ったので、落ち着いて楽しくおくることができました。遠方や体の不自由な方には、都合がいいときに来ていただきたい旨、伝えました。
母が「家族だけで」という意向で私の家族だけで営む予定でしたが、母方のおばと雑談しているうち、本当は自分の兄弟は呼んでほしいんじゃないだろうか?と思うようになりました。
家族という定義は狭くて広いことを知りました。
旦那寺のつながりも学びましたが、金額負担が大きいので、やり方やお寺が淘汰されるかもしれません。
おおみさん、おかあさまのことお悔やみ申し上げます。おかあさまの意思を尊重されて見送られたことはきっとおかあさまにとどいているんじゃないかなぁ。
変なこと言う様ですが亡くなっても暫くはなんか近くにいる様な気がしたことありません?いる様な、見られている様な、、そんな気が良くしていました。
おばが父を病院に連れてきてくれた日、私は納品の帰りの昼過ぎ、病院へ見舞いへ行き、15時ごろ、帰ろうとしたら容体が急変し、夕方、77才で亡くなりました。
母の具合が悪くなるにつれ、パソコン、プリンター、自動車等。いろんなものが壊れました。偶然の出来事ですが、死が近いことを感じていました。諦めも学びました。
一番の思い出は、自分で動けなくなった母を抱っこして車に乗せ、病院へ連れていったこと。母の兄弟に生前、よく会って頂いたことです。
会社へ戻ったらすぐ連絡がありました。看取れなかったけど、悔いはないです。最後は父と長女が看取りました。
たった月1度の通院だけど、そのためにほとんど土日、仕事をしていました。
病院で死なせたくはなかったけれど、諦めたし、母にも諦めてもらいました。
次女は今月、3回も鳥取から来てくれました。週末是非鳥取へ行って、恩返ししたいがまだ準備ができていいないです。