「プラハの春」にも何度も出てきた、ヴァーツラフ広場の名前。ここで民衆が集まり、大討論会が行われたり、ソ連軍がこの広場に戦車を乗入れ、占拠し、市民は広場に座り込んで抗議をし、そして物語のクライマックスを迎える場所です。
ユーリ先生がこの場所のことを熱っぽく説明してくれたのですが、その時にはきちんと理解できていなかった。
プラハの春(地球の歩き方からの抜粋)
1968年に、旧チェコスロバキアで始まった民主化運動の総称を”プラハの春”という。1960年代に入り、チェコスロバキアではそれまでの共産党一等支配の「スターリン型」政治経済体制への批判が表面化し、より自由な社会を目指すべく改革の気運が高まった。国内の保守派も、改革派の勢いを抑えることはできず、1968年1月に改革派のドゥブチェクが第一書記に就任。一気に言論の自由をはじめとするさまざまな権利と自由の獲得に向かって走り出した。しかし改革の波が自国にも押し寄せることを懸念した旧ソ連以下の旧東欧諸国は、この改革運動を批判し始め、ついに同年8月21日、ワルシャワ条約機構諸国は民主化を阻止するため軍事介入を決行。旧ソ連がヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ占拠。これは「チェコ事件」と呼ばれる。市民は広場に座り込んで抗議をし、さらに、学生ヤンパラフは焼身自殺を図り死をもって抗議した。しかしチェコスロバキアの自由への革命、「プラハの春」は実ることなく鎮圧された。
クラスは一緒じゃなかったけど、訪問した。
岡信は定期の利息がとても低い。資金運用が難しい中、お金を集めても利息を払うのは嫌だ。もっと大きな法人個人サービス(資産運用、遺産、年金等)をめざしている。年が明けたら、支店長の彼にアドバイスを受ける。
荻原博子さんは、投資をしない投資もありと言った。
野球部で思い出したのが、先輩の同級生、原さん。会ったことはない。
原さんの父親と私の父親は知り合いで、彼は小学生の時中学生の勉強をしていたらしい。
思い切って原さんの父親に連絡してみたら、80才を過ぎても仕事をしていた。
私はすごく感激衝撃を受け、私も長く仕事ができる人間になりたいと思った。
でも、私。昨日自動車関係の仕事をすべてやめることにした。緊張したけど、どうなっちゃうの?とは思わなかった。
母が死んだことで、いろんなことを学んだからだ。
原さんという人を思い出せないのですが、そのお父さんはバイタリティがあって面白そうな人ですね。私も会ってみたいです。
塞翁が馬、人生何がよくて何が悪いかは、後にならないと分からないですよね。きっと、あのとき辞めたから今があると思える日が来ると思います。