浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

「アルプスの少女ハイジ」は「楓物語」

2024年06月12日 05時32分34秒 | 旅行
6月11日のテレビ朝日「グッド!モーニング」の林修先生による「ことば検定スマート」は、スイスのヨハンナ・シュピリの児童文学作品「アルプスの少女ハイジ」が日本語に翻訳されたのが、1925年(大正14年)の6月10日であったことに因んでの「ことば検定」で、翻訳された本のタイトルは、何であったかという問題であった。解答は、「楓物語」で、当時の少年少女は外国人の名前に慣れていなかったため、登場人物の名前を日本風に変えて翻訳したそうである。「ハイジ」は「楓」、「ペーター」は「辨太」、「クララ」は「久良子」、「ロッテンマイヤー」は「古井さん」、「デーテおばさん」は「伊達さん」といった具合である。従って、まさに「楓物語」であったのである。

初めて知った話であるが、この作品とはいろいろ因縁があり、以前から興味を持っていた。初めて知ったのは、フジテレビのアニメ番組で、1974年に全話が放映され、よく見ていたことを覚えている。この原作本は、1880/1881年に出版され、アルプスのマイエンフェルトにある小さな村が舞台であるが、1988年8月にそこに旅行する機会を得た。当時、フランクフルトに住んでおり、スイス旅行の一部として立寄ったものであるが、ハイジはマイエンフェルトから一時フランクフルトのゼーゼマン家に預けられていたことから因縁を感じていた。ゼーゼマンの家は、ゲーテハウス(文豪ゲーテの生家)が、モデルという。

スイス旅行では、電車でマイエンフェルト駅に降り立ち、デルフリ村にあるハイジホフというホテルに宿泊し、ハイジの里の雰囲気を味わった。ハイジの泉やハイジの家にも訪れたが、この作品が世界的に知られるようになってから、世界中から観光客が訪れていたようである。子供もまだ小さかったが、家族みんなでまさにアニメの世界を体験でき、忘れられない思い出となった。テレ朝グッド!モーニングのことば検定だけで、一気に当時がよみがえった。

アルプスの少女オープニング主題歌:  https://www.youtube.com/watch?v=h0MreS3bWak



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世界はブラボー・in・インド

2024年06月11日 06時03分31秒 | TV番組

6月10日のNHK「あさイチ」は、「世界はブラボー・in・インド」というタイトルで、人口世界一!あふれる人とモノのインドを取り上げていた。インドは、つい最近大掛かりな総選挙が実施され、与党・インド人民党を中心とする与党連合が過半数を維持し、モディ首相が3期連続で政権を握ることが確実となった。事前には与党側の大勝も予想されたが、実際は大接戦となり、モディ首相は連立を組んで政権を掌握する見込みであるという。番組では、早朝のインドから生中継も行われていた。インドといえば、2023年に人口が約14億3000万人に達し、中国を抜いて世界一になったことが注目されたが、国民総生産GDPも2025年には日本を抜き、米国、中国、ドイツに次いで第4位になるほどの大国となっている。

インドには、6回ほど旅行したことがあるが、全て出張旅行で、ニューデリー 3回、ハイデラバード 1回、ムンバイ・プーナ 1回、バンガロール・チェンナイ 1回である。ニューデリー滞在中、世界遺産としても有名な「タージマハル」(アグラ)まで足を運んだこともある。旅行したのは2001~2006年とだいぶ前のことであるが、インドの個人的印象は、まず街が汚いこと、ニューデリーはまだいいが、デリー地区はひどかった。また、道路に信号機が整備されておらず、歩いて道路の反対側に渡ることが至難の業となっていた。走る車の合間をねらって渡ろうとするが、1時間以上渡れなかったこともあったほどである。しかし、タージマハルはじめ、世界遺産も色々あるし、長い歴史を反映した観光資源はいっぱいあるような印象である。ハイデラバードは、IT産業が盛んで、映画産業の街としても有名なところで、ムンバイは昔のボンベイ、チェンナイは昔のマドラスで、ともに歴史ある街で見どころも多い。

仕事上で接していたインド人は、エリート階級の人が多く、イギリスはじめ海外留学経験があったりするので、英語も比較的わかりやすかったが、一般のインド人が話す英語は訛りもあり、聴き取りずらいこともよくあった。当時インドオリンピック委員会の会長(元鉄道大臣)のお宅に会議でお邪魔したことがあったが、豪邸にお住まいで、貧富の差を肌で感じたこともあった。当時、インドは、オリンピックを誘致したいという野望があったが、当時の個人的印象では、まだ、10年は早いという印象であった。しかし、その後、インドは人口も増え、経済力も国力も付いてきているので、日本もうかうかしていられない状況になりつつある。

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TBS世界遺産~鈴木亮平と学ぶ世界遺産

2024年06月10日 05時30分01秒 | TV番組

6月9日のTBS世界遺産は、「鈴木亮平と学ぶ世界遺産」として特別編が放送された。世界遺産は、現在1199件が登録されているが、世界遺産になるための条件は、なんであるかを詳しく解説してくれた。まず、動かせないものであること、即ち、「不動産」であること。その意味で、ミラノのドメニコ会修道院の食堂の壁に描かれているレオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」は、世界遺産として登録されているが、ルーブル美術館にある「モナリザ」の絵画は、小さくて動かせる絵画なので、世界遺産にはなり得ないという。東大寺の大仏は、大きくて不動産とみなされるので、世界遺産として登録されている。

次に、世界遺産は、「顕著な普遍的価値を持つ」ものとされる。エクアドルにあるサンガイ山は、標高が約5300mもある富士山によく似た円錐形の山であるが、山を含むサンガイ国立公園には、複雑な生態系、長期的な火山活動、絶滅危惧種のヤマバクが生息している等により自然遺産として登録されているが、富士山の方は、古くから絵や歌になっていて、①芸術作品を生んできた ②聖なる山として信仰の対象となっていたことから、文化遺産として登録されている。また、「負の遺産」として登録されている世界遺産もある。例えば、ビキニ環礁核実験場や広島の原爆ドームやアウシュビッツ強制収容所(ポーランド)やゴレ島の奴隷貿易港(セネガル)等、過ちを繰り返さないという意味合いの世界遺産もある。また、最後に、珍しい世界遺産として、地球の測量を行った「シュトルーヴェの測地弧」としてフィンランドにある小さな穴他10ヵ国にわたる34箇所の測量点も世界遺産として登録されていることが紹介された。このような価値はあるが、見栄えがいがない世界遺産もあるという。いろいろな世界遺産があることがよくわかった。

世界遺産は、観光地のリストではないと最後に締めくくっていたが、我々にとっては、やはり、一度は行って見たい場所としての意味合いも強い。個人的には、1199件の内、200箇所のみ訪問したことがあるが、とてもすべてを見て回ることなどは不可能である。今回紹介された世界遺産の中では、ダ・ビンチの「最後の晩餐」と「原爆ドーム」「富士山」「東大寺の大仏」しか行ったことがないが、世界遺産はやはりそれなりに魅力があることも事実である。


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ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス

2024年06月09日 06時49分04秒 | TV番組

8日のNHKEテレの「地球ドラマチック」では、「ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス」というタイトルで、なぜネアンデルタール人は絶滅し、我々ホモ・サピエンスは生き残ったかについて、興味深い謎解きをしてくれていた。フランスの番組を取り上げたようであるが、4万年前までヨーロッパに暮らしていたネアンデルタール人が我々ホモ・サピエンスと遜色のない能力を持っていたにも関わらず、なぜ彼らは絶滅したかを科学的に分析して、その謎に迫っていたが、大変興味深く見ることができた。

4万年前に絶滅したネアンデルタール人。かつてはホモ・サピエンスよりも原始的で劣った存在とされてきたが、近年の研究により彼らの意外な能力が次々と明らかになってきた。筋力や寒冷地への適応能力、そして脳の大きさではホモ・サピエンスを上回り、狩りの能力も高かったとされるネアンデルタール人。なぜ彼らは絶滅し、ホモ・サピエンスは生き残ったのか…?である。ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に、ホモ・サピエンスはアフリカを中心に繁栄し、両者は、数千年間は、共存していたようである。近年のDNA解析の結果、今のホモ・サピエンスは、1~4%はネアンデルタール人のDNAを受け継いでいることがわかったという。これは、両者が交配していたことを意味するという。ネアンデルタール人は、最大でも7万人しかおらず近親交配がやむなく発生し、集団孤立となり、それが絶滅した原因であると分析されているようである。ホモ・サピエンスは、人口の広がりとともに、集団的に協力する能力がすぐれていたことが、絶滅せず世界中に広がって行ったものと思われる。

ネアンデルタール人に個人的に興味を持ったのは、ドイツ駐在中、1988年10月にデュッセルドルフの近くにあるネアンデルタール谷を訪れたことがあるからである。1856年にこの谷でネアンデルタール人の人骨が発見され、この谷の名前からネアンデルタール人という名称がつけられたものと思われる。現地に、博物館もあって、見学したことを覚えている。人類の歴史には興味があるが、昔は、ネアンデルタール人 → クロマニヨン人 → 現在の人類と習ったような記憶があるが、今の解釈は大分異なるようである。今のホモ・サピエンス人類のルーツはアフリカ大陸から来ているようであるが、肌の色からするとあまりピンと来ない気もする。

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不整脈入院3泊4日ひとり旅

2024年06月08日 18時50分22秒 | 健康

1年半ほど前、不整脈の心房細動の診断を受け、薬物治療を続けていたが、担当医師や周りの友人から、早い時期のカテーテル・アブレーション手術を薦められ、ついに5日から3泊4日で入院し、手術を受けた。入退院もすべて一人でやったので、まさに3泊4日の一人旅に出かけた感じである。手術日は、揃目で、令和6年6月6日となり、8日に無事退院した。手術自体は3時間弱で全身麻酔なので、痛みを感じることなく、心配していたより順調であった。アブレーション手術は、薬による治療に加え、昨今心房細動の治療法としてポピュラーになってきている。高齢化社会になって患者も増えているようで、周りにも経験者が結構いる。自分の場合、3泊4日だったが、別の病院で受けた友人の場合は、1泊2日であったというから、どれが標準なのか疑問がある。施術の方法が違うのであろうか?10数年ぶりの入院であったが、食事は量も少なく美味しくなかったので、毎日の食事がいかに恵まれていたかを再認識してあらためて感謝する次第である。

この手術は、股の付け根から血管にカテーテルを入れて心臓まで持って行き心房細動を引き起こしている原因部位を高周波で焼き切り、活動を停止させるという治療法である。効果があると言われてもその治療法を聞くだけでも怖くなるので、二の足を踏み、手術に踏み切るには勇気がいる。心房細動は、加齢と高血圧が原因とされ、薬では頻脈や動悸等の症状をある程度抑えられても、治すことはできないが、カテーテル治療では、80%位は完治することが期待されるという。手術後、2週間位は運動を控え、暫くの間は引き続き薬の服用も必要で、心拍数が上がったり、動悸が出るようなことがなくなり、症状が安定するようになれば、やっと薬から卒業することができるようである。人によるので、何とも言えないが、早く薬から解放される日をが来ることを願っている。



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OB会報の「旅行の思い出」掲載

2024年06月07日 06時31分06秒 | 旅行

会社のOBメンバー(約10000名)宛に毎月1回OB会報のメールマガジンが配布されている。行事等の案内が中心であるが、一番見ているのが訃報の案内である。ここで訃報を初めて知ることも多く、知っている人の名前が載っていると寂しい気持ちになる。また、このメールマガジンでは、「旅行の思い出」を400字程度で投稿してほしいと呼びかけているが、投稿者があまりいないようなので、過去に何回か投稿している。タイトルは、「キーウ旅行の思い出」、「テレサ・テンの名残を訪ねる旅」、「コソボ旅行でヨーロッパ53ヵ国訪問が完結」、「キリストと釈迦の生誕地を訪ねる旅」、「赤毛のアンを訪ねる旅」、「1ヵ月にわたるヨーロッパ旅行」であった。

その後、何人か投稿されたようで、すっかり忘れていたが、1年前に投稿していた「モンゴル旅行の思い出」が6月号に掲載されていた。その時同時に「今や行けない地域への旅行の思い出」も投稿しているので、今後掲載されるかも知れない。ちなみに投稿した「旅行の思い出」は、

「モンゴル旅行の思い出」

2018年7月に成田からモンゴル航空でウランバートル入りし、モンゴルが102か国目(アジアでは31か国目)の訪問国となった。空港で両替をしたが、インフレのため、財布に入らないほど紙幣で溢れかえった。年1回この時期に行われる「ナーダム」という国をあげてのお祭りに合わせ旅行計画を立てたもので、壮大な開会式、射的、弓的及び相撲、それに郊外で子供競馬を見学することができた。開会式は、個人でチケットを取ることが困難なため、HISの観戦ツアーを購入した。開会式は、入場行進、マスゲーム、騎馬隊パレード等感動的なイベントで、人気ぶりがよくわかる。フィールドで行うモンゴル相撲も見応えがあった。滞在中、日帰りで、ジンギスカンの巨大像とテレルジ国立公園にも足を延ばした。街のレストランで唯一の知り合いのモンゴル人(元日本大使)にたまたまお会いするという偶然もあって、思い出深い旅行となった。 

「今や行けない地域への旅行の思い出」

世界には紛争地域がまだたくさんあるが、そういった地域への旅行が思い出される。筆頭格は、ウクライナとベラルーシ(2010年)だが、他にもシリア(2005年)、レバノン(2006年)、ヨルダン(2007年)、イスラエル・パレスチナ(2014年)等へ旅行したことがある。ウクライナもベラルーシも旅行当時は、穏やかであったので、隔世の感がある。シリアは首都ダマスカスだけだが、2011年から内戦に巻き込まれてぃる。レバノンは、旅行直後に首都ベイルートとティールがイスラエルの攻撃を受け震撼した思い出があるが、バールベック(世界遺産)やヒブロス等の観光地への小旅行も楽しめた。ヨルダンやイスラエルは治安が極端に悪いわけではないが、治安には注意を要する。海外旅行に治安問題は付き物だが、今はそれにコロナ問題も加わる。まだ南米に足を踏み入れていないが、治安上問題な国ばかりなので、二の足を踏んでいる。  

コロナ以降、海外に出かける機会が激減しているが、この年になって「旅行の思い出」を振り返ることができることに大変感謝している。 ”DIE WITH ZERO”の本ではないが、まさに《思い出はあなたに配当を与える》である。今までの102ヵ国もの海外旅行の経験は自分の貴重な宝物になっている。

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ピッという謎の音の正体

2024年06月06日 04時52分39秒 | 住まい

6月1日の夜、 部屋の机の横当たりからピーという謎の音が聞こえ、調べて見たら約50秒ごとにピッと鳴っている。机の横には、子供の昔の物が入っているダンボール箱が山積みになっており、ハードディスクやスピーカー他自分自身の細々とした雑品が置いてあるが、どこから音が鳴っているのか全く特定できない。妻にも手伝ってらい、音源あたりの物品を他に移動し、50秒毎鳴る音を頼りに、音の正体を突き止めようとしたが、物を移動させても、相変らず同じあたりから音が聞こえてきて、不気味で気持ち悪くなるほどであった。

当初、オキシメーターで心拍数を測っていたので、それかスマートウォッチからピッと鳴っていると思ったが、関係なかった。物品を片付けているとあるダンボール箱の中に使っていない目覚まし時計が見つかり、犯人を突き止めたかと思いきやそれを動かしてもピッという音は鳴り続けた。そして音の鳴るあたりからすべての物品を取り除いたが、それでもピッという音は止まず、怪奇現象かと思ったほどであった。すべてを片付けたのにと諦めかかったが、壁の上部に目をやったら、そこに住宅用火災警報器が取りつけてあるのに気が付いた。よく聞いてみたらピッという音はそこから出ていることがわかった。それにしても我々の耳は、音がどこから来ているかを正確に把握することができないようである。何回もピッという音を聞いたが、まさか壁の上の方で鳴っているとは全くわからなかった。

とんだ謎の音のおかげで、片付けが進み、一件落着となったが、翌日は大掃除と相成った。ネットで調べて見たら、火災警報器は電池切れが原因で警報音が鳴る場合があると解説されていた。電池の寿命は約10年ということで、電池切れを知らせる警告音が犯人であったことがわかり、一安心した。住宅用火災警報器の設置が完全義務化されたのは、2011年6月のことで、ほぼその少し後に設置したので、ほぼ10年経っている。仕様書通り、まさに電池切れの警告音であったようであるが、想像もしていなかったので、我が家では大騒動になってしまった。この設置義務はその後どうなっているのであろうか?
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メダカの赤ちゃん誕生

2024年06月05日 05時37分30秒 | 趣味

ここ十数年メダカをテラスの水槽で飼っているが、雨ざらしで、ろ過装置を付けているわけではないので、特に冬場は、水槽の清掃や水の取り換えはほとんどやっておらず、ほぼほったらかしとなっている。昨年は20匹前後いたと思うが、春を迎え、水槽の掃除をやってみて初めて越冬して生き延びたメダカはたった5匹であったことがわかった。生き延びたのがオスかメスかもよくわからなかったが、新たなメダカは買わず、ホテイという浮草を購入して水槽に入れたところ、数週間経って草に卵が付いているのを発見した。幸運にもオスもメスもいたということになる。

卵が産み付けられたホテイの浮草をそのままにしておくと、大人のメダカが食べてしまう恐れがあるので、別の水槽に移すことが必須である。卵に気が付いたので、ホテイそのものを別の水槽に移しておいたところ、5月末に卵から生まれたばかりの体長2~3㎜位のちっちゃな赤ちゃんメダカが4~5匹程度泳いでいるのに気が付いた。その後も産み付けられた卵をいくつか発見したので、10匹以上孵化するものと期待される。あまりに小さいので見過ごしがちであるが、何かが泳いでいるというか動いている感じである。メダカの繁殖力は大変強いので、浮草さえ入れておけば、水温等の条件さえ整えば、経験からも赤ちゃんメダカを比較的簡単に作ることが可能である。全部で何匹の稚魚が誕生するかわからないが、その後も増え続けており、20匹くらいは行きそうな気配である。綺麗な水槽で赤ちゃんメダカが泳いでいる様を見ていると癒し効果抜群である。これからは、定期的に水槽の掃除と水の交換が必要となるが、問題は真夏の水温上昇である。水温がお湯のように高くなるとメダカには悪い影響を与えるようなので、水温を低くおさえることも必要である。暑い夏を迎えようとしているが、20匹位は真夏に堪えられるように面倒を見たい。



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世界遺産「神々と生きる ヒマラヤの3つの古都」

2024年06月04日 05時02分12秒 | 旅行

6月2日夜6時のTBS世界遺産では、ネパールのカトマンズ盆地にある3つの古都にある世界遺産が紹介されていた。TBS世界遺産の番組は、4月からナビゲーターが「杏」さんから「鈴木亮平」さんに交代していたが、4~5月はあまり興味のある世界遺産ではなかったので、今回はネパールということで初めて最初から最後まで見た。杏さんのナレーションは、2017年から6年半も続いていたので、彼女のナレーションのイメージに慣れ切った感もあった。鈴木さんは、大学の後輩でもあり、以前から応援していたので、新ナビゲーターとして、今後に期待したいところである。

今回は世界遺産として、ヒマラヤ山脈の南側に広がるカトマンズ盆地にある「バクタプル」「カトマンズ」「パタン」という3つの古都の世界遺産を紹介してくれた。カトマンズ盆地には、かつて3つの王国があり、競い合うように王宮や寺院を建造した。この3都市とも、2012年3月にカトマンズに4泊し、すべて見て回ることができた。残念ながら、2015年この地を襲った大地震により、多くの歴史的建造物が損壊してしまい、その後どうなっているか大変気になっていたが、大地震から9年が経った今、木とレンガでできた特有の伝統的建造物が匠の技で見事に修復され、美しくよみがえっていることが確認できて安心した。古都を飾っていた建物は、カトマンズ盆地に古くから住んでいたネワール族が建造したものであるが、今でもその匠の技が引き継がれているようである。

カトマンズでは、世界遺産であるダルバール広場、旧王宮、クマリの館、カスタマンダブ寺院(カトマンズの名前の由来)、スワヤンブナート等が地震前と後の比較映像で復興ぶりがよくわかった。バクタプルは、ネワール族の古都で、世界遺産のダルバール広場や旧王宮やニャタポラ寺院も見事に修復されていた。やはりネワール族が築いたパタンの古都では、世界遺産に指定されているダルバール広場にある寺院も地震前後の映像で復興ぶりが紹介されていた。ネワール族の建物は、レンガと木材の組み合わせで出来ているようで、レンガだけでも600種類もあるというから驚きである。

カトマンズには、日本食レストランも多く、朝からホテル近くの日本食レストランで日本食を食べていた。カトマンズ盆地にある見どころはほとんどすべて見て回ることができたが、4泊の内、2日目には丸1日かけて、小型飛行機に乗り、仏陀(お釈迦さま)が生まれたルンビニという仏教の聖地にも足を運んだ。たった4泊であったが、観光的には大変充実した日々で、ネパール観光を満喫することができた。早いもので、あれからもう12年も経ち、今では、懐かしい思い出となっている。今後も新ナビゲーターによる世界遺産の番組に期待したいところである。

ネパール旅行アルバム(2012年 約10分): https://www.youtube.com/watch?v=owK_tzCjs3I

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カスハラとうるさい常顧客とは紙一重?

2024年06月03日 07時04分08秒 | ニュース

東京都は5月22日、顧客らから理不尽な要求を突きつけられる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の防止条例制定に向けた基本方針を取りまとめた。民間事業所だけでなく、役所や学校などあらゆる職場でカスハラを禁じ、防止に向けた都や顧客、事業者の責務を明示し、この方針を基に条例案を策定し、今年秋の都議会での成立を目指すという。

最近よく「カスハラ」という言葉を耳にするが、これはあくまで顧客が理不尽な要求を突きつける場合に限定していると思うが、サービス業においては、顧客からのサービス向上に資する改善提案や建設的な意見がなされることが多々あるので、その線引きが大変難しいと思われる。自分の現役時代の会社では、お客様からの苦情、要望、意見を賜る組織があり、当初は、「顧客サービス業務室」とかいっていたが、後に、「サービス推進部」さらに「お客さま相談室」とか「お客さまサポート室」とかの名称に変わっていったと記憶する。要するに、お客さまの声を大事にして、ご要望や、ご意見を聞く組織を整備し、お客さまの視点で発想、行動し、サービスの改善や向上を目指そうという趣旨である。お客さまからクレイムを受ける組織でもあるが、ネガティブではなく、前向きにポジティブのとらえ、サービスの向上に結び付けようとするものである。

よく利用してくれている常顧客の場合は、線引きが極めて微妙である。業界内の隠語で、今は、死語になっているかも知れないが、昔「UUU」という言葉があった。「うるさい、うるさい、うるさい」の頭文字を取ったものであるが、頻繁に利用してくれている「常顧客」でもあることから、サービスの内情をよく知っていて、いろいろな要望や改善提案をあげてくることも多い。お客さまの声を形にして、サービス向上を図った事例も少なくない。

個人的には、ドイツに勤務中、よく利用してくれていたあるUUUというか常顧客と親しくさせてもらっていた。フリークエント・トラベラーであるがゆえに、いろいろなサービスについて、いろいろ注文や要望や意見を述べてくるが、理不尽というより、建設的なものが多かったような気がする。本人は、過去に会社側の対応が悪かった時、土下座させたことがあるとかの武勇伝を語ることもあったが、我々には、そういう振る舞いはほとんどなかった。

昔は、機内に新聞が搭載されていて、機内で新聞が読めるという新聞サービスがあった。日本発については、最新の新聞の搭載が可能であったが、帰路便については、日本から搭載していった新聞を提供するので、どうしても2~3日遅れの古い新聞となってしまう。1985年頃、ヨーロッパで衛星版の新聞が現地で発行されるようになり、現地でも日本と同じ日付の新聞が読めるようになったが、暫くの間、欧州発便の機内では日本からの相変わらず古い日付の新聞だけがサービスされていた。親しくしていたUUUは、それに気づき、最新の新聞を搭載すべきと強い要望を本社に上げ、それに基づき、古い新聞に加え、最新の衛星版の新聞も搭載されるようになったことがある。古い新聞しか載せていないとクレイムをつけるだけなら、カスハラかも知れないが、衛星版の新聞も載せるべきと要望をあげるのは、サービスへの改善提案であるから、なんとも難しいところである。

また、1996年、成田発フランクフルト行の飛行機が離陸滑走中にトラブルを起こし、成田で乗客がシューターを使って機外に緊急脱出するという事故があり、シューターで機外に滑り降りた乗客の何人かが降りた時に尻もちをついて怪我をするという出来事が発生した。当時、緊急脱出のデモ用ビデオでは、シューターの下で客室乗務員が待機していて、尻もちをつかないように補助していたのである。ところが、安全規程に従い、乗務員は最後に降りなければならないので、 現実には、シューターの下には誰もいないのである。下に乗務員が待機して補助してくれると思って、思い切って滑り降りたが、誰もおらず尻もちをついて怪我をしてしまったわけである。その場にいた彼は、機内の安全ビデオの内容がおかしいとクレイムを付けたが、これがきっかけで、緊急脱出規定が変更され、機内のデモビデオも変更(下での補助要員が客室乗務員から一般の乗客に変更)されたのである。理不尽な要求だけに終始する「カスハラ」ついては、対策が必要かも知れないが、クレイムはネガティブな処理だけととらえず、前向きにポジティブな形で対応していくことも必要ではないかと感じる。

読売新聞オンライン(5/22): https://www.yomiuri.co.jp/news/national/20240522-OYT1T50156/

東洋経済ONLINE(5/24): https://toyokeizai.net/articles/-/755957



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