浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

今日は父の命日

2019年02月28日 22時19分14秒 | 人生

父が突然亡くなってからちょうど20年が経った。20年前の早朝、実家から、自宅で父が倒れて亡くなったという電話入った。突然のことでビックリしたが、突然死の場合、警察が検視を行うということで、すぐに実家のある警察に駆け付けた。準備がゼロであったので、それから葬儀、後始末も大変であったが、後妻がいたので遺産相続協議も家庭裁判まで発展し、大変な思いをした。

当日は、姪っ子と観劇に行く予定であったほど元気であったが、虚血性心不全と診断された。85才であったが、まさにピンピンコロリであった。もう少し長生きしてほしかったが、理想的な逝き方であった。あれから早いもので20年。自分もだんだん父の年に近づいてきている。長患いせずピンピンコロリと逝きたいものであるが、なかなかそうは行かないであろう。せめて、家族に迷惑をかけないように、終活準備は始めている。

お墓代わりに永代供養納骨堂も買ったし、戒名、遺影写真、葬儀方法等の希望も書いているし、ホームページ上で自分史も出来上がっている。連絡してほしい人のリスト、預貯金リスト、保険加入リスト(連絡先)、銀行口座リスト、各種パスワードリストも出来ている。皆に見てほしいのは、自分が作成したYouTubeの旅行アルバム、人生アルバム、聴いてほしい音楽は、テレサ・テンの楽曲、特に「問わず語り」、竹内まりやの「人生の扉」、チューリップの「青春の影」、H2Oの「想い出がいっぱい」、バッハの「G線上のアリア」等々。遺書を書く予定はないが、終活準備は着々と進んでいる。終活準備は楽しいものでもある。お墓参りは後日になってしまうが、仏前に手を合わせて、感謝の気持ちを伝えた。
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ハノイの思い出

2019年02月27日 00時12分20秒 | 旅行

今、二度目の米朝首脳会談がベトナムのハノイで開催されるということで、テレビでも連日のようにハノイの様子を伝えている。金正恩委員長とトランプ大統領の二度目の会談がどうなるのか大変興味深いところだが、テレビでハノイからの映像を見ているとハノイ旅行のことが懐かしく思い出される。ハノイへ旅行したのは、2005年2月のことなので、あれからもう14年も経っているが、季節的には同じ時期なので、大体の様子は想像できる。

ホーチミンの永久保存された遺体が拝めるホーチミン廟、ホーチミンの住んでいた家、大亀で有名なホアンキエム湖等ハノイ市内の観光スポットに加え、世界遺産のハロン湾、近郊のバチャン村(陶器の村)、ドンホー村(版画の村)まで足をのばし、有名なハノイの伝統芸能である水上人形劇も鑑賞したので、3泊5日でハノイ観光の見どころはほぼすべても網羅したことになる。街の印象としては、オートバイが物凄く多かったような記憶があるが、観光地としては、ホーチミンよりハノイの方が魅力的だったという印象を持っている。

ハノイ旅行のアルバムはYouTubeで作成しているが、サウンドトラックで採用しているのが、「美しい昔」という曲である。「サイゴンから来た妻と娘」というNHKドラマ(1979年)の挿入歌だったのが、この「美しい昔」という曲で、カーン・リーというベトナム人歌手が歌っている。この曲を聴いて感動した天童よしみもカバーしている。とても切ない曲であるが、ベトナムというとこの曲が思い出される。是非一度聴いてみてほしい。

米朝首脳会談の結果がどうなるか気になるところであるが、会談の場所として、ベトナムを選び、その中でもハノイといういい都市を選んだものだと感じている。日本からもそんなに遠くないので、まだ行ったことのない人は是非ハノイ旅行をお薦めする。

写真は、金正恩も訪ねるというホーチミン廟

YouTubeは、「美しい昔」カーン・リー

https://www.youtube.com/watch?v=hx0rH2X9EzQ

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高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?

2019年02月25日 08時36分33秒 | TV番組

毎週日曜夜10時からBS-TBSで「高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?」という番組があるが、お宝への興味から何となく見ることが多い。この番組は、彼女が日本全国の「蔵」を訪ねて、「家宝」を拝見していくものだが、チーム高島の専門家として、いろいろな鑑定士が同行する。先日、何気なく見ていたら、浮世絵の鑑定士として、知り合いのSさんが出演していてビックリ。昨日も、北斎の作品の鑑定とのことでSさんが大活躍していた。

Sさんは、松本にある日本浮世絵博物館の館長を長らくやっていて、今は、有楽町の帝国ホテル前で浮世絵ショップをやっている方であるが、彼のお父様と縁があって、ドイツのフランクフルトに勤務していた頃、協力して浮世絵展を開催したのである。1988年11月のことなので、あれからもう30年も経っており、その方はすでに亡くなられているが、Sさんは彼の長男で、その後も何回かお会いしている。

松本の日本浮世絵博物館で有名なSコレクションは、S家六代目が1800年頃から浮世絵収集を始め、小生がドイツで知り合った方は、十代目の方で、海外で50回以上も浮世絵展を開催し、フランクフルト展もその一つであった。Sコレクションは、約10万点の収蔵品を誇り、世界でも有数の浮世絵博物館となっている。フランクフルトでの浮世絵展では、一点で数百万以上もする江戸時代に印刷された作品も展示し、保険をかけたほどであった。展覧会に合わせ、ドイツ初の浮世絵の摺りの実演を行ったり、サービスとして浮世絵の無料鑑定を行ったりもした。ドイツの新聞や地元のテレビでも取り上げてくれた。

この展覧会をきっかけに、浮世絵の魅力に取りつかれているが、我が家の部屋にも近代に摺られたものであるが、美人画や風景画が何枚か飾ってある。これは、展覧会のお礼として、一点1万円位で販売していたものの一部をSさんのお父様からいただいたものである。浮世絵は日本人が生み出した最高傑作の芸術品であると思うし、ゴッホはじめ海外の画家がその魅力の虜になったのも頷ける。

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飛行機内でのインターネット

2019年02月24日 13時48分03秒 | 飛行機

久しぶりにJAL国内線の飛行機に搭乗したが、機内でインターネットが利用できるようになっていた。機内Wi-Fiサービスを利用して、インターネットを使うのは初めての経験であったが、便利になった時代になったものである。簡単な登録が必要だが、もちろん無料で、すぐに利用できるようになる。

機内では、音楽を聴く位で、時間を持て余すことも多かったが、スマホやパソコンでインターネットができるようになると何でもすることができるので、あっという間に時間が過ぎてしまう。今回のフライトでは、ネット証券での株の売買も行うことができた。Wi-Fiを利用して、機内でビデオプログラムを見ることもできるようになっているので、エンターテインメントの幅が広がる。とにかく便利になったものだ。
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2泊3日の久米島旅行

2019年02月23日 14時57分35秒 | 旅行

妻の誕生日旅行として2月19日から2泊3日で沖縄の久米島へ行ってきました。離島も石垣、宮古は行っているので、今回は那覇にも立ち寄らず、久米島だけとなった。那覇まではマイレージ、ホテルも三ツ星レベルなので、コスト的には安く済んだ。観光オフシーズンの平日にもかかわらず、飛行機は往復とも満席であった。久米島は観光デスティネーションとしてはまだまだの感があるので、観光客はあまりおらず、島の自然風景は独占状態であった。

20日は、1日レンタカーを借りて、島の名所を巡った。まず最初に2月16日のテレビ「世界ふしぎ発見!」で沖縄が取り上げられて、首里城の2貝の窓にある連子という部分に久米島の赤土が使われているという解説があり、久米島のやちむん土炎房が紹介されていたので、そこを訪問した。そこは、奥武島、「はての浜」をはじめ久米島が一望できる絶好のビュースポットにもなっていたが、周辺の畑はまさに赤土であった。

当初「はての浜」へのボートツアーに入る予定をしていたが、妻が急に体調が悪くなり、船は無理とのことでキャンセルした。当日のキャンセルなので、手数料は当然発生するが、特別配慮をいただき、手数料なしで対応してくれた。普段パン食なのにホテルの朝食が和食でそれが合わなかったようだが、ホテルの休憩コーナーで休んでいたら、少しよくなったので、島内ドライブは続行した。船をキャンセルした分、島内の見どころスポットはゆっくりと見て回ることができた。

最後の方だけ少し雨に降られたが、天気は何とか持ちこたえることができた。レンタカー料金はガソリン代含め5000円であった。夜は最寄りの洒落たリゾートホテルで誕生日ディナーを計画していたが、ホテルのレストランが団体で予約が取れず、やむを得ず、近くの居酒屋での夕食となった。思いがけず地元料理となったが、当初の予算の半分以下で済んでしまった。

21日は飛行機が15時発だったので、昨日予約できなかったリゾートホテルのレストランでランチを取ることにした。久米島名産の車海老のどんぶりを味わうことができた。ホテル前には白い砂浜があるが、ほとんど観光客がいないため、ほぼリゾート風景を独占しながら、優雅なランチを楽しんだ。まだ泳げるほどではないが、気温は20度以上あり、まさに避寒の旅であった。

写真は、久米島の赤土

旅行アルバム: https://www.youtube.com/watch?v=B_7XmyqP9IM
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今年の誕生日も1円ホテル宿泊計画

2019年02月22日 23時15分14秒 | イベント

昨年の誕生日は東京スカイツリーのあるソラマチで記念日ディナーを祝い、目の前にあるホテルに1円で宿泊したが、すっかり味をしめ、今年も横浜の元町にあるホテルに1円で宿泊する計画を立てている。昨年は素泊まりであったが、今年は、1泊朝食付で1円なので、嬉しい誕生日プレゼントとなる。昨年、クレジット会社から1円が引き落とされているのを見て、1円宿泊を実感したものである。

当日は、妻と横浜で誕生日ディナーを祝い、自分だけは、近くにあるホテルに宿泊することになっている。翌日は無料の朝食をいただいた後、久しぶりに横浜の港界隈を散策する予定である。新聞屋さんから横浜港を航行しているシーバスの招待券をもらったので、これを利用して、山下公園から横浜駅方面までクルージングを楽しみ、駅近くのハーバーに面した洒落たレストランで、現役時代お世話になった会社の先輩と何十年ぶりにランチを共にする予定である。

先輩とは年賀状のやりとりはあったが、ひょんなことで久しぶりに会おうということになったもの。先輩は会社卒業後、大学で教鞭をとっていたが、そこも卒業されたようで、いろいろな話が聞けるのではないかと楽しみにしている。

あと何回誕生日を迎えることができるか不透明な年齢になっているので、できるだけ思い出に残る記念日イベントをやりたいと思っている。このホテルは全国チェーンの有名なホテルであるが、70才以上で誕生日当日なら1円で宿泊できるサービスを提供している。1円ホテルは病みつきになりそうだが、年寄りへのご褒美と考え、ありがたく利用させてもらうことにしている。割引人生本領発揮であるが、皆さんも一度利用してみては?
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最近の日韓関係を憂う

2019年02月18日 17時10分43秒 | ニュース

最近のマスコミでは、日本と韓国の険悪な関係のニュースがテレビ、新聞等を賑わせているが、極めて残念というか憂慮すべきことである。慰安婦問題、レーダー照射問題、徴用工問題、天皇謝罪要求発言とあげたらきりがないほどである。ここのところ特にひどいのが文喜相国会議長の発言で、18日も日本に対し「謝罪すべき側がせず、私に謝罪を求めているのは盗っ人たけだけしい」とまで言い放ち、エスカレートしてきている。安倍政権の弱腰もひどく、情けない限りである。

韓国へは何回も旅行しているし、知り合いの韓国人も何人かいるが、日本に対し、ネガティブな主張をする人は誰もいない。個人的な韓国人と国として韓国とは大分隔たりがあるような気がするが、どっちが本質なのであろうか?韓国の大統領が変わった頃くらいから韓国の日本に対する対応が妙におかしくなってきた気がする。

自分の経験から、韓国は日本を見習うと言いながらライバル意識が強く、追いつきかかった現在、一気にライバルを蹴落とそうという悪意を感じる。北朝鮮を味方につけたからかもしれない。しかし、こんな韓国の姿勢は国際的にも認められるはずもなく、遠くない時期にトップの交代があるような気がする。韓国の歴代トップは皆、ネガティブなトラブルや問題に絡んで辞任に追い込まれており、今の大統領も例外ではなさそうである。

一般の韓国人の日本に対するイメージは別かも知れないが、国として高圧的な態度を取り続ける限り、日本ももっと毅然とした対応をすべきである。まだまだ弱腰であるし、なめられていると言える。我々も、韓国旅行は控え、韓国製品は買わない位のささやかな抵抗をすべきではないか。
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WOFIAインターライン卓球大会-回顧録(後編)

2019年02月17日 19時56分17秒 | スポーツ

(前編の項目ごとにどんな作業を行ったかの続き)

15  IDカード及びゼッケンの作製

大会の参加者は、選手であろうと役員であろうとサポーターであろうと全員IDカードの携帯が必要となる。IDカードは、参加者であることの証明であり、様々な会場への立ち入り許可証となる。全員に交付する必要があるため、エアライン名、タイトル(選手、役員、サポーター等)、氏名をプリントした約250枚のIDカードを作製した。個人名をプリントすることになるため、ミスプリントのないよう慎重な作業が必要であった。IDカードを入れるケース及び紐の調達も必要であった。また、選手については、ゼッケンを用意し、試合はユニフォームにゼッケンを付けてもらった。大会プログラム上に、前もって選手毎にゼッケンの番号を付した。

16 参加記念品の作製

参加者全員に参加賞を交付するのが習慣であるが、東京大会では、個人名をプリントしたプラスチック製のバゲッジタグを参加賞として用意した。個人名が彫られているため、ミスプリントは許されない状況にあった。予想通り、何人かはミスプリントが発生し、後日正しい物に交換するという余計な作業が発生してしまった。実際にもらった参加者からは世界に一つしかないオリジナル製品となるため、評判はよかったが、個人名を入れるような参加賞は、トラブルの元であるので、個人を特定しないごく普通の参加賞にすべきであったと反省される。

17 トロフィーの作製

男女の優勝、準優勝及びベスト・パフォーマンス賞(男女1名ずつ)のトロフィーを用意した。予算内でどんな種類のトロフィーにするか、また、銘板を用意する必要から、作製の担当者を決め、豪華なトロフィーを用意した。

18 大会資金の確保、予算管理

大会の運営にあたって、最重要項目の一つが大会資金の確保とその予算管理であった。大会規模を想定し、大会への補助金を前提に、運営に必要な経費を算出し、その差額を参加者から、パッケージ・ディール(参加費)として徴収するという予算策定方法を取った。過去の大会では、この参加費はかなり低く押えられていたが、東京での開催の場合、ホテル代や物価が高いこともあって、主催を引き受ける時点から、参加費はかなり高くなる恐れがあるがそれでもいいかということを皆に了解を取った。そうは言っても、あまりに高くすれば、参加人数も減ってしまうので、参加費をできるだけ低く押えるために、いかに収入を確保し、経費を節約することが最重要課題であった。最終的には、参加費は、ホテルのツインベースを基準に、一人当たり8万円とした。参加費には、6泊3食付ホテル代、パーティ代、輸送費、観光代等すべてを含んでいる。参加費の提示はほぼ1年前の大会案内時には必要になるので、かなり前広に予算を策定する必要があり、その作業はなかなか大変であった。経理担当者を指名し、予算を一括管理したが、参加者が250人(海外から200人)にもなると、参加費だけでも2000万円近くの高額になるため、組織的に本格的取り組みが必要であった。

19 英語のできるスタッフの確保

大会運営の基本言語は、共通語である英語であり、大会プログラム、会議の運営、パーティの進行、試合の進行を始め、すべての運営は基本的に英語を使う必要がある。従って、大会の運営にあたって、英語のできるスタッフの確保は大変であった。組織委員会のメンバーは、JAL/ANAともに、英語ができるスタッフは限られていて、我々だけでは対処不能と考え、当社ホノルル支店の卓球部のメンバーでバイリンガルのスタッフの応援を求めた。当時は、ホノルル支店にも卓球部があって、日本地区の卓球部との親善試合も定期的に行われていたが、本大会の開催にあたって、彼らの方からお手伝いしてもよいとの申し出があり、出張に近い形で、大会期間中、1名のヘルプを得ることができたのは幸いであった。当時、彼は支店の広報担当でもあったので、式典等での挨拶にも慣れており、開会式、閉会式、ウェルカムパーティ、フェアウェルパーティ、マネジャー会議から試合の進行まですべてにおいて、彼の助けを借りた。

20 マスコミへの広報活動

世界各国のエアラインスタッフが一堂に会し、親善の卓球大会を行うというユニークな大会であること、中国と韓国の間に国交がない時であったので、両国のスポーツ交流は画期的であること等話題性もあったので、各マスコミに本大会が開催されるというプレスレリースを行った。 特に、中国と韓国のスポーツ交流は、当時、ナショナルチームレベルでバスケットボールとソフトボールで2回あっただけで、民間レベルでのスポーツ交流は初めてであったと記憶する。実際、両チームともセキュリティスタッフが同行していた。女子は、中国と韓国の決勝対決が実現したこともあり、一部のスポーツ紙に大会結果が掲載された。両チームの選手が握手を交わし、肩を並べて交流するシーンは、大変、感動的であった。

21 自社チームの選手編成

大会運営にほとんどマンパワーを取られたが、主催社の方も大会でいい成績をあげるために、選手を選抜し、練習に励んでもらう必要もあった。選手自身も自分の練習だけでなく、開催にあたって、何らかの業務を担当していたので、選手への負担も相当厳しかったものと思われる。選手は、男子7名 女子6名として、自分がTeam Managerを務めた。

22 試合用の交換記念品の手配

試合は、リーグ戦形式で、男子は最低7試合,女子は最低5試合行うことになるが、試合毎に両チームの間で記念品の交換を行うのが慣例となっている。各社とも工夫を凝らした記念品を用意しているが、自分達のチームも、対戦相手の人数分の記念品を用意しておく必要がある。基本的には、会社のロゴマークの入ったキブアウェイを用意したが、男女別に内容を変える工夫もした。決勝トーナメントまで行くと仮定し、予備も含め、相当数の記念品を用意したが、値段的にもばかにならないので、安くても気に入ってもらえそうなアイテムを選定した。

23 初参加の中国民航に対する特別ケア(ビザ身元保証、特別歓迎パーティの手配)

今回の大会は、250人という大規模な大会になったことで、運営上の負荷も大きかったが、その他に、中国(中国民航)が初参加したことによる特別ケアも大変であった。同じ年の5月にJAL代表チームが中国の北京、杭州、上海に遠征し、中国民航チームと親善試合を行なったが、その交流を踏まえて、嬉しいことに中国民航が初めて本大会に参加した。卓球といえば中国というほど世界的にも有名な国からの参加を得たことは、組織委員会としての快挙ともいえる。初めての受け入れなので、新しいことばかりで、それなりに苦労したが、いろいろ勉強できたことも事実である。中国チームは、団長以下14名が参加したが、通訳(兼)マネジャーの女性以外は全員、国外に出るのは初めてで、新規にパスポートを取得したとのことであった。中国人は日本入国に際し、ビザが必要なので、ビザ申請のための身元保証の手続きも行った。初めての経験であったが、社内の関係者に身元保証書の書き方を教わり、外務省にも何回が足を運んだ。要するに日本での行動スケジュールを明確にして、滞在にかかる費用は全て保証するという文書を提出しないと彼等のビザは発行されないのである。

また、1982年が日中国交正常化10周年という節目の時で、エアライン間でも、1982年から83年にかけて記念行事がいろいろ行われていた。1983年には、当時の高木社長ご夫妻が李樹藩中国民航社長(兼)航空局長の招待を受けて、中国各地を旅行したが、その時通訳として、同行していた民航社長秘書の女性が、今回の代表団のマネジャーであったことから、社長夫人から、お世話になったお礼として、是非とも代表団の歓迎パーティを行いたいという強い要望があった。他国のチームの受け入れで大変な時期であったが、民航代表団に対してのみ特別に、高輪プリンスホテルにて社長夫人主催歓迎パーティを行った。民航日本支社のスタッフも加わり、この大会の機会に日中の友好交流がいっそう深められたともいえる。社長夫人は、大会期間中、試合を見に体育館にも応援に来られた。この通訳の女性は現在日本に住んでおり、今でも交流が続いている。

(その後の状況)

第4回大会以降、毎年、世界各地で各社の持ち回りで大会が開催されたが、圧巻は1996年に中国南方航空(1988年に中国民航が分割・民営化されたが、WOFIA大会は、中国南方航空に引き継がれた)の主催により広州近くの中山市で開催された第17回大会であった。卓球の本場中国での初めての開催とあって、会社の総力をあげての大会運営が行われた。開会式には、有名な広州雑技団のパフォーマンスも披露され、地元の学生が招待されたこともあり、観客数は、4000人にも達した。
持ち回り開催で、主要な航空会社は2度目の開催を行う時期が巡ってきて、1998年の第19回大会を日本航空の主催により10月10~16日に東京で開催することになった。大会規定に従い、主催は日本航空単独としたが、日本からは日本エアシステムも参加したので、全面的協力を得て共同で実施した。 第4回の東京大会をピークに参加人数も減少傾向にあったが、その流れに沿って、第19囘大会は、11社、約90人の参加というこじんまりとした大会となった。また、2度目の大会運営で、ある程度慣れていたことと人数規模が小さかったことで、第4回大会ほどの大変さはなかったものの、基本的には、上記に述べた作業をすべて行なう必要があるので、それなりの苦労はあった。
会場は、第4回大会同様、羽田にある健保体育館で、ホテルは、羽田東急ホテルを利用したので、ホテルと会場間は徒歩での移動となった。朝と夜はホテルで食事を取り、昼は、体育館にある生協で特別食を手配した。参加人数が少ない分、試合の運営も極めてスムーズであった。大会プログラム表紙の図案は、知人にお願いし、相撲の土俵の上で、関取と卓球をするというユニークなデザインとなった。バイリンガルスタッフの応援を求めなかったので、すべての運営を自分たちだけで行なった。 開会式のパフォーマンスは、獅子舞及びJALのエアロビクスチーム「JALJETS」の踊りと津軽三味線の演奏を披露し、プラカード持ちは、獅子舞を演じた子供たちにお願いした。ウェルカムパーティでは、日本舞踊も披露した。今回は、大会の中日に行う観光は実施しなかった。人数が少ない分、和気あいあいとした雰囲気で大会が実施された。

(あとがき)

WOFIAインターライン卓球大会は、その後も世界各地で開催され、2001年の第22回バンクーバー大会まで開催されたが、2002年に予定していたデルタ航空主催によるアメリカでの大会が2001年9月11日の同時多発テロの影響で中止となり。その後、世界の各航空会社が不況に見舞われたこともあり、復活はならなかった。現時点でも世界の航空会社を取り巻く環境は依然厳しいものがあり、大会の復活は夢のまた夢といえる。

写真は、第19回大会のプログラム
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親鸞聖人の映画と文化講座に行ってきました

2019年02月16日 20時20分16秒 | 人生

マンションの郵便受けに「親鸞聖人と浄土真宗」というタイトルで、親鸞聖人物語の映画と解説及び1から学べる文化講座という1枚ゲラ刷りのチラシが投げ込まれていた。2月16日に若干怪しい感もあったが、会場も近くて、大変興味ある内容であったので、出かけてきた。また、午後の時間帯は同じ建物(部屋は別)で、「終活セミナー」というチラシも新聞広告といっしょに入っていたので、興味ある話題が重なるという事態となったが、両方とも顔を出すことにした。

午前中は、親鸞聖人の映画と解説であった。映画といっても、スクリーンは小さくDVDの鑑賞であった。このDVDは6巻から成る親鸞聖人の激動の生涯を描いたアニメーション映画で、今日はその第1巻を解説付きで鑑賞したものである。親鸞は1173年に京都で生まれたが、4才で父、8才で母を亡くし、前途を悲観して、9才で比叡山の法華経の修行に入ったところから始まる。法然上人のもと20年間修行(苦行)を積んだが、法華経の限界を知り、29才の時に下山し、その後、悟りを開いていくようである。親鸞の名前は有名だが、よく知らないことが多いので、引き込まれるようにDVDに見入ってしまった。その後、彼は浄土真宗の宗祖として、90才まで釈迦の教えを民衆に説いたようである。

午後の部は、はじめは終活セミナーに参加していたが、家族葬等の説明だけで大したことがなかったので、早々に退席して、途中から午後の文化講座に出席した。これまた親鸞聖人の教えの一部を講師がわかりやすく説明してくれたもので、大変勉強になった。『難度の海を度する大船』に乗ることができれば幸せな人生が送れるのだという。我々はやがて必ず死ななければならないのに、難度の海(=人生)の中でどう泳げばよいか、泳ぎ方しか考えていない。いつか必ず溺れ死ぬのに、その先がどうなるかを考えていないのはおかしいというのである。なるほど。。。

2016年5月に、「なぜ生きるー蓮如上人と吉崎炎上」というアニメーション映画が公開されたようであるが、この映画は、浄土真宗の宗祖、親鸞の教えに根ざす生きる意味と蓮如時代の歴史を、ベストセラー「なぜ生きる」を基に描いたアニメと紹介されていた。蓮如とは、親鸞の浄土真宗の教えを全国的に広めた8代目の上人であり、映画ではその声を里見浩太朗が担当している。見損なっているが、今でも細々と上映されているようなので、どこかで是非とも見たいと思う。

仏教やお釈迦様のことは我々の日常生活の中で大変身近でありながら、わからないことが多すぎる。興味はあるが、ちゃんと教えてくれる人がいないので、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ」と言われるのは必至である。お釈迦様の生誕地、ルンビニ(ネパール)にも行ったことがあるし、興味もあるので、折角の機会を得た今、少しは、親鸞のことや仏教・お釈迦様のことも勉強してみようかと考えている。

画像は、アニメの親鸞聖人

YouTubeは、「世界の光・親鸞聖人」のアニメ第1巻予告編


https://www.youtube.com/watch?v=C6zY4KwWgqQ
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マンション管理組合の元理事長の死に思う

2019年02月15日 09時57分37秒 | 住まい

今年になって、マンションの管理組合の元理事長が亡くなったという情報が入った。この情報は我々にとって大変重要な意味を持つ。というのも、この元理事長は、長い間、理事長職に就いていたが、その間にマンションの管理費を数千万単位で横領するという事件を起こした。話し合いの結果、かならず返済するということで、警察には被害届を出さず、数十年にわたって、返済を続けさせてきたが、会計監査の重要性を再認識した事件であった。横領事件は時々ニュースでも話題になるが、まさか自分のマンションで起こるとは皆想像だにしなかった。

当時、法律専門家、警察はじめ、いろいろ相談したが、被害届を出して告訴すれば、彼は犯罪者として社会的制裁を受けるが、横領された管理費は戻ってこない可能性が強いということで、管理組合としては告訴せず、返済させる道を選んだものである。会計処理を理事長一人に任せていたことが原因だが、彼の会社の運営資金として、一時的に借用していたものが常習化して深みにはまったものと思われる。

返済の公正証書も作成し、返済計画に基づき、返済を続けていたが、途中から、商売が厳しくなって、返済が滞ることが多くなり、未だに完済していないこのタイミングで亡くなってしまったのである。奥様が保証人になっているので、今後は奥様に返済を求めることになるが、高齢で収入があるはずもなく、まず返済は無理と思える。残債は無理としても、横領額の8割位は戻ってきたので、当時の管理組合の選択は間違ってはいなかったと言える。可哀そうなことであるが、返済に追われた彼の晩年の人生は最悪のものであったといえる
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