浪漫飛行への誘(いざな)い

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今注目の高橋治之氏は、会社の先輩の実兄と判明

2022年09月18日 07時47分02秒 | 人物

 

今マスコミを賑わしている東京五輪のスポンサーがらみの贈収賄事件で逮捕されている元電通の高橋治之氏が、ネットニュースを見て自分の知る会社の先輩の実兄であることが判明しビックリ仰天した。まさかと思っていたが、苗字と名前の最初の文字が一緒なので、妙に納得し、さすが兄弟さもありなんという印象を持った。

自分の知る人は、会社の2年先輩で、本部部門ですぐ隣のセクションで仕事をしていた仲であったが、当時はごく普通の先輩に見えた。ところが、実像は異なっていて、仕事の傍ら、別の実業をやっていたようで、バブル期にホテル・リゾート開発事業を中心に総資産1兆円超の企業グループを構築し、環太平洋のリゾート王と呼ばれるようになった人物である。1976年には会社を辞め、実業家の道を歩み、派手なパフォーマンスで当時随分マスコミを賑わしていたが、金融がらみで裁判争いとなり、最高裁判決を待つ中、2005年に59才の若さで亡くなっている。

その先輩は、当時その名前から「わるのり」と揶揄されていたが、まさか彼の実兄が今マスコミを賑わしている高橋氏であるとは思いもしなかった。二人とも実業家として一世を風靡したが、その結末は惨憺たるものである。東京五輪スポンサー疑獄も今後どうなるかわからないが、一月万冊の佐藤章氏によると関係の逮捕者が50名にもなるような情報もあるというから、今後の検察の動きに目が離せない。パソナの竹中平蔵氏や元首相の森喜朗氏にも何かが及ぶかどうかが焦点となりそうである。怪しさプンプンなので、是非とも検察に頑張ってもらいたいところである。

 

一月万冊の考察(9/16):  https://youtu.be/-7dQxgVDS-E

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ドイツ文学者 小塩節さんの訃報に接する

2022年05月20日 19時27分03秒 | 人物

 

テレビやラジオを通じてドイツ語の魅力や国際交流の大切さを伝えてきたドイツ文学者の小塩節さんが、今月12日に91歳で亡くなったことを18日の新聞の訃報記事で知った。小塩先生は、1967年から1985年まで、NHKラジオの「ドイツ語講座」を担当されていたので、お世話になった人も多いのではないかと思うが、ちょうど自分がドイツに転勤になった頃、ドイツの日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長として、日本との文化の交流に力を尽くされていた(1985〜1988年)。ドイツ文化、ドイツ文学、ドイツ語をかじっている人で小塩先生のことを知らない人はまずいないと思う。自分自身、大学での第二外国語はフランス語だったので、定期的に聴いていたわけではなかったが、素敵な声の持ち主でラジオ講座を通じて少しは存じ上げていた。

小塩先生のエピソードとして、真っ先に浮かぶのが、1985年当時のローレライの一件である。当時、ライン川にあるローレライは観光地として有名で、日本人観光客が多数押し寄せていたが、なんとローレライの岩の下の河岸にカタカナで「ローレライ」と書かれていたのである。場所がわかりにくいので、親切心で設置したのかもしれないが、それを見た小塩先生は日本人として恥ずかしいのですぐにその文字を撤去するよう働きかけ、今ではドイツ語表記のみ残されている。

最初の出会いは、1986年にフランクフルトで、小塩先生の講演会が開催された時であった。次に、ドイツ人CAの採用にあたって、その研修の一環で講演をしてもらったと記憶している。名古屋で勤務中も、たまたま小塩先生の講演会が開催され、再会する機会を得た。その後、東京に戻って1994〜1998年まで、航空券販売の関連会社に出向していたが、その時、小塩先生から頼まれ何回か航空券の手配を行ったこともあった。当時、小塩先生は、フェリス女学院の理事長をされていて、卒業生の就職先企業に学生をPRするパーティに参加して、親しく話をする機会もあった。

2008年には、仕事上の友人が当時文化事業の業務を担当していて、小塩先生に大変お世話になっているとのことで、一緒に食事をするお誘いを受けた。当時、渋谷でドイツ時代の仕事仲間がオーナーをしていたドイツ料理レストランで、フランクフルト時代の支店長と計4人で旧交を温める機会を得た。この時、小塩先生著の「ザルツブルクの小径」という本を持参し、サインをもらい、今でも大事に保管している。このドイツレストランはもうなくなってしまったが、今の天皇陛下と雅子さまがお忍びでドイツ料理を食べに来たことがあったほど雰囲気のあるお店であった。

その後、先生は一時体調を崩されたが、2018年に回復後のお祝いを兼ねて同じメンバーで一緒に食事をする機会があった。遠出は難しいということで、先生のご自宅の近くで会食し、家にもお邪魔させていただいた。ご自宅は経営されている幼稚園に隣接していて、幼稚園とご自宅の両方にお邪魔させていただいた。英文学者の奥様ともお会いし、素晴らしい書斎も見学させてもらった。個人的には残念ながらドイツ語を勉強する機会がなかったが、生活用語だけは今でも覚えている。小塩先生が書かれたドイツ語の本も何冊か持っているが、宝の持ち腐れの感がある。大学の第二外国語としてドイツ語を勉強しておけばよかったと後悔している。その後どうしているかなと気にもなっていたが、今回の訃報に接し、心からお悔やみを申し上げる次第である。

 

写真は、思い出となった4人での会食(手前が小塩先生)

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梓みちよさんの訃報にショック

2020年02月04日 00時12分10秒 | 人物

3日夜に、歌手の梓みちよさんが1月29日に76歳で亡くなられた旨のニュースが流れてビックリした。何年か前に、日本歌手協会の歌謡祭で、生ステージを見た記憶があり、元気に歌手生活を続けていると思っていたので、ショックである。

ほぼ同じ世代であるが、印象深い曲は、やはり「こんにちは赤ちゃん」である。1963年に、NHKの「夢であいましょう」で披露された曲で、「わたしがママよ」と優しく呼びかける歌詞が新鮮な印象を受けた。年を重ねてから、「二人でお酒を」という大人っぽいヒット曲も出したが、個人的に好きだった曲は、「お嫁さん」(1967年)である。テレビドラマの主題歌でよく見ていたし、主題歌も大好きであった。

田辺靖雄さんとマイ・カップル(Michiyo Yasuo)としてのデュエット曲「ヘイ・ポーラ」(1963年)も大好きな曲であった。ここにきて、懐かしい思い出を作ってくれていた人たちがどんどん旅立ってしまっていて、寂しい限りである。青春時代の歌を聴いたり、若い頃の思い出にふける日々も増えたが、もうそんな年になってしまったのかと愕然とする思いである。梓さんのご冥福をお祈りする。

「お嫁さん」主題曲:  

https://youtu.be/nKdIddsJ3qo

「ヘイ・ポーラ」: 

https://youtu.be/4wDNYm-JN7U

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前澤友作氏に群がる愚かな女性たち

2020年01月24日 09時57分38秒 | 人物

あの前澤友作氏が、「人生のパートナー」として、月旅行に同行する女性を募集しているという何ともいえないニュースが流れている。応募条件としては「20歳以上の独身女性」という項目に加え、明るく前向きな性格、宇宙旅行や世界平和への関心などを挙げているらしい。9日に専用ウェブサイトで「寂しさと虚しさ」が込み上げると心境を語り、「一人の女性を愛し続ける」ことに向き合いたいと表明。「人生のパートナー」を見つけて、一緒に「宇宙から愛を叫びたい、世界平和を叫びたい」と訴えたという。とても賛同できるものではない。お金にものを言わせて勝手やり放題の遊びである。

この人は、お金があれば何でもできると勘違いしているのではないかと思うほど、月旅行一番乗りをお金で買ったり、とにかく話題作りで自分が注目されることにのみ生きがいを感じているようである。今回のお見合い相手募集もいかにも彼らしいが、応募した愚かな女性が2万8000人もいるということで、ビックリ。お金に釣られる女性がこんなにもいるとは悲しい話である。マスコミに取り上げられ、行く末どうなるかわかっているのであろうか?見事、合格した女性が幸せな人生を送ることなどあり得ないとみる。あの捨てられた剛力彩芽も馬鹿だったと思うが、早くに別れてよかったと思うべきであろう。どんな人が当選するのか見ものであるが、応募するお金目当ての女性を大体的に取り上げるであろうマスコミもマスコミである。嫌な世の中になったものである。
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お釈迦さまとは?

2019年09月07日 21時42分55秒 | 人物

 

1からわかる仏教講座に集中講座があると知って、虫食いであるが、一部参加してみた。5日に「お釈迦さまとはどんな方?」という興味深い講座があった。


講座のポイントを記してみると、


お釈迦さまは、約2600年前、ヒマラヤ山麓にあるカピラ城の主、浄飯王とマーヤー夫人の長男として4月8日にルンビニという街で生まれ、その太子は「シッタルタ」と名付けられた。王様は、世継ぎ誕生に歓喜し、国一番の師を迎え、英才教育を始めた。太子は、一を聞いて十を知るほど利発で、その卓越した才能に圧倒された師匠たちは辞任を申し出たほどであった。王族として、何不自由ない生活をしていたが、ある時、「四門出遊(しもんしゅつゆう)」といって、王城の東西南北の四つの門から郊外に出かけ、それぞれの門で、老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目の当たりに見て、出家を決意したという。


東門では、あわれな老人の姿を見て、人は誰しもいつか必ず老いていかなければならないと老いの苦しみを痛感。南門では、苦しむ病人を見て、人はいつか病むという病気の苦しみを痛感。西門では、葬式の行列を見て、人は必ず死ぬという死の苦しみの現実を痛感。最後に、北門では、出家したすがすがしい修行者の姿を見て、老いと病と死を超えた幸福を求めることこそ、進むべき道と感じられ、29才で出家して修行者となった。それから6年間激しい苦行に打ち込み、35才の12月8日に大宇宙の真理を覚り、「仏」となったという。


仏教では、「仏の覚(さと)り」に到達するまでに52の階梯があり、その最高位の「仏の覚り」を得たお釈迦さまが80才で亡くなるまで説かれた教えが仏教である。この釈迦一代の教えを書き残したものがお経である。医学の発展で寿命が飛躍的に延び、2600年前とは激変しているが、「老病死」の苦しみは全ての人にやってくるので、それが仏教の出発点である。老病死によっても崩れることのない絶対の幸福を求めることが仏教を聞く目的であり、人生の目的であるという。


仏教とはお釈迦さまが創造したものではなく、発見した真理であり、①全ての人が②絶対の幸福になれる③死後ではなく生きている今なれるとの教えである。この後、「お釈迦さまが教えた絶対の幸福とは?」とか「なぜ生きるとか?」「苦悩の根元とその解決の道」と集中講座は続いていく。とにかく聞いていて面白く、知識として知っている点と点が結びついて線になりつつある。


お釈迦さまが生まれたルンビニ(ネパール)には、2012年3月に旅行する機会に恵まれた。カトマンズから小型飛行機でバイラワまで飛び、そこからルンビニまでバスで移動するほど遠いところにあるが、仏教の聖地だけあって見どころも多い。丹下健三さんが設計したルンビニ聖地公園が着々と整備され、世界各地のお寺が建造されており、各国のお坊さんもいる。最大の見どころは、マーヤー聖堂(お釈迦さまが生まれた場所)とマーヤー夫人が出産前に沐浴したり産湯として使われたというプスカリニ池である。かの有名なアショカ王が紀元前249年にこの地に巡礼したという記念碑も建っている。一度は行ってみたい聖地である。お釈迦さま誕生の話を聞きながら、ルンビニ旅行の思い出が蘇り、より現実的なイメージを描くことができた。


写真は、お釈迦さまが生まれたところ(記念碑も見える)


ルンビニ旅行アルバム(2012年): 

 
https://youtu.be/owK_tzCjs3I  (7分27秒~最後)

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嫌いな有名人

2019年04月12日 22時54分09秒 | 人物

個人的にはあまり好き嫌いはないほうだが、最近は、嫌なところが目立つ嫌いなタレントや政治家や実業家がいる。好き嫌いは個人的なもので、好きだという人もいると思うが、どうも生理的に好きになれない。テレビにでも出てくるようであれば、見るのも嫌なので、チャンネルを変えることも多い。特に嫌いな3人とその他7人(順不同)をリストしてみると。。。

・前澤友作  ZOZOTOWN社長
       目立ちたがり屋 
       お金の亡者 金持ちアピール過多
       生意気 胡散臭い 公私混同 
       これに伴い、剛力彩芽も嫌い 

・上田晋也  お笑いタレント
       (くりぃむしちゅー)
       上から目線 偉そう
       相方の有田哲平は好き

・麻生太郎  財務大臣  
       上から目線 態度でかい 
       横柄 責任取らず 

(その他)

・安倍晋三 ・トランプ大統領 
・市川海老蔵 ・明石家さんま ・和田アキ子
・坂上忍 ・ホリエモン

どういうタイプ゚の人が嫌いか、なるほど納得という人がいれば嬉しいのですが。。。
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