浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

18歳と81歳の違い

2019年01月30日 21時59分55秒 | 日常
すでにご存知の方もいると思うが、今、「18歳と81歳の違い」が話題になっている。元ネタは「笑点」のお題のようだが、違いを絶妙に、的確に表しており、つい笑ってしまうほどである。つい卓球クラブの81歳の方にコピーを差し上げてしまった。


<18歳と81歳の違い>


1 道路を暴走するのが18歳、道路を逆走するのが81歳

2 心がもろいのが18歳、骨がもろいのは81歳

3 偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳

4 受験戦争を戦っているのが18歳、アメリカと闘っているのが81歳

5 恋に溺れるのが18歳、風呂に溺れるのが81歳

6 まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳

7 東京オリンピックに出たいというのが18歳、東京オリンピックまで生きていたいというのが81歳

8 自分捜しの旅をしているのが18歳、出掛けたまま分からなくなって皆が捜しているのが81歳

9 「嵐」というと松本純と言うのが18歳、鞍馬天狗の嵐勘寿郎を思い出すのが81歳

ネットで調べていたら、こんなのもあった。


<イチローと一浪の違い>  (一部省略)


一年間棒を振るのがイチロー 、一年間を棒に振るのが一浪

鈴木はイチロー、代々木は一浪

点を取れるのがイチロー、点を取れないのが一浪

隙あらば本塁を狙うのがイチロー、隙だらけなのに本命を狙うのが一浪

塁を盗んでチャンスを広げるのがイチロー、類とつるんでチャンスを潰すのが一浪

狙った所に落とせるのがイチロー、狙った所に落ちるのが一浪

侍なのがイチロー、浪人なのが一浪

札を稼ぐのがイチロー、札がかかるのが一浪、札になったのは一葉

クリーンアップで打つのがイチロー、ギブアップで欝なのが一浪

また出塁するのがイチロー、また出願するのか…一浪

妻子持ちはイチロー、再試待ちは一浪

大人気なのがイチロー、大人気ないのが一浪

WBCの参加に迷わなかったのがイチロー、ABCの三択で迷うのが一浪

補欠にならないのがイチロー、補欠にすらなれないのが一浪

敬遠されるのがイチロー、敬遠されるのが一浪


どれもうまいですね。
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医療費控除の確定申告に行ってきました

2019年01月29日 12時47分55秒 | マネー
毎年、医療費が10万円を超えることが多いので、医療費控除の申告手続きを行っている。1月中でも書類が整えば、手続きをしてくれるということを何年か前に知ったので、混んでいない早い時期をめざし、今年は1月29日に手続きに行ってきた。

予想通り、数人しか待っておらず、10分位で手続きに入ることができた。昨年より、収入は大幅に減っているが、医療費は増えているので、高額の還付を期待していたが、期待通り、10万円を超す還付金を得ることができた。年金生活者にとっては、ありがたい収入なので、一か月後、夫婦でささやかなボーナスを山分けすることを楽しみにしている。

パソコンによる申請手続きは、係員が手伝ってくれるので問題ないものの、昨年から領収書の提出は不要となったが、今年は、受け取りもしてくれなくなった。(昨年はどちらでもよかったが。。。) また、発生日ごとに医療費明細をリストにしていたが、係員から、日付別の詳細は不要で、医療機関ごとの総額だけでいいと忠告された。要するに、xx病院でいくら、xx薬局でいくらという合計数字だけを提出すればいいとのことである。領収書も添付しないのであるから、不正を助長するのではないかとますます心配になった。

領収書は5年保存で、後に抜き打ち検査があるというが、詳細なリストもなくどうやってチェックするというのか疑問である。一桁間違っても、検査の時に間違ってましたといえば、還付金の訂正があるだけだと思うし、検査を受ける確立は宝くじの高額当選する確率位低いとも思われるので、申告した者勝ちになる恐れがある。性善説もいいところだが、事後検査や還付金の訂正作業等の人件費は莫大なものになるので、そんなに数多くやるとは思えない。明細書類を出させたり、領収書の提出を義務付けるほうがはるかに不正の抑止効果があるのではないかと思う。国税庁のトップになるような役人が平気でデータの廃棄や改ざんをする時代なので、庶民も右ならえでいいのかも知れない。
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WOFIAインターライン卓球大会 ー 回顧録(前編)

2019年01月27日 20時30分50秒 | スポーツ

WOFIA(Wings Of Friendship Inter-Airlines)インターライン卓球大会は、1980年にマレーシア航空の提唱により、第1回大会がマレーシアのゲンティンハイランドで開催され、1981年に第2回大会がルフトハンザ主催でハンブルグにて、1982年に第3回大会がエールフランス主催でパリにて開催された後、第4回大会が1983年11月にJAL/ANA共催で東京にて開催されることになった。インターライン大会は、技術レベルは総じてさほど高くはないが、いわば民間レベルのミニオリンピックのような国際大会で、競技力を競うものの、友好親善の色彩が強く、とにかく参加して大変楽しい大会である。毎年どこかのエアラインが持ち回りで主催する必要があるが、参加し続ける限りは、いつかは自分達が主催しなければならない代物である。日本は参加国の中でも大国と一つとみなされていたため、回りからの強い要請もあって、第4回大会を引き受けることになった。

第4回大会は、1983年11月21日から27日まで東京で開催されたが、16か国から17の航空会社が参加し、チーム数は、男子16チーム、女子12チーム、参加人数は、全部で約250名にも達した。大会は、その後第19回大会(2001年)まで続いたが、参加国数、人数とも、第4回大会が最大規模であった。


参加航空会社(アルファベット順) 17社

アイルランド航空  エア・フランス  ニュージーランド航空  エア・パシフィック
バハマ航空   中国民航  キャセイ・パシフィック航空  大韓航空
ルフトハンザドイツ航空  マレーシア航空  カンタス航空  サベナ・ベルギー航空
スカンジナヴィア航空  シンガポール航空  スイス航空  全日空  日本航空 


第4回大会の特徴は、まず中国が初めて参加したこと、また、当時中国と韓国は国交がなく、スポーツ交流もほとんどなかったため、東京での両国の交流が注目されたことである。男子は、準決勝が中国民航 対 シンガポール航空、ルフトハンザ 対 日本航空の組合せとなったが、それぞれ、中国民航と日本航空が勝ち、決勝で対決。しかし、実力の差が歴然で、中国民航が4対0で勝利し、初参加で初優勝を遂げた。一方、女子は、中国民航と大韓航空の決勝戦となったが、ナショナルチームメンバーを擁する大韓航空が、4対1で勝利し、大会4連覇を果たした。この女子の決勝戦は、国交のない両国の対決となったため、注目を浴びた。中国の選手は、全中国から集められ、中国遠征時に対戦したメンバーであったが、大韓航空は、韓国ナショナルリーグ、第3位の強豪チームで、韓国のトップ選手が含まれていたので、中国といえども、かなわなかった。男子は、中国遠征時のメンバーの他に、もっと強い選手が1名補強されていたので、なんなく優勝することができたが、女子は同じメンバーで臨んだことが敗因であったともいえる。

ちなみに、1991年に千葉で開かれた世界選手権に韓国と北朝鮮が初めて統一チームとして参加したが、その時の南北統一チームの女子コ-チは、この時の大韓航空のコーチであった。また、大韓航空のエース、李鎮淑選手は、大会後、ルフトハンザのトップ選手と結婚し、ドイツのブンデスリーガのフランクフルトチームの選手として活躍し、1985年にはフランクフルトチームを優勝に導いたほどの実力の持ち主である。一方、フィージーからのエア・パシフィックの選手達は温泉卓球レベルなので、ナショナルプレーヤーレベルと温泉卓球レベルの選手が混在しているという何ともユニークな大会がこのWOFIAの魅力であるともいえる。

WOFIAの魅力は、

1 トップ選手ではなく、趣味レベルでの卓球愛好家同士が国際交流をすることができる
2 大会なので勝敗は競うものの、親善も大きな目的なので、年一回再会して親しい交流ができる。
3 開会式や閉会式のセレモニーを楽しむことができる。
4 歓迎パーティ、フェアウェルパーティに必ずオールナイトダンスパーティもあるので、さらに交流を深めることができる。
5 フェアウェルパーティでは、各社ともその国独自の歌や踊りやコント等の出し物・パフォーマンスを披露するショーがあり、  楽しむことができる。
6 観光が手配してもらえる等

WOFIAは参加するかぎりは楽しさ満載で、一度参加したら病みつきになるほど魅力あふれるスポーツ大会といえる。現にWOFIAで親しくなって国際結婚したカップルが何組も出ている。
大会セレモニーでは、毎回主催側が工夫を凝らしたショーを企画してくれるので、参加する楽しみが増す。ちなみに、東京大会での開会式は、元世界チャンピオンによる模範試合・挑戦試合に和服を着たキャビンアテンダントによる琴の演奏を行った。第17回の広州大会では、広州雑技団によるサーカスが披露された。第19回の2回目の東京大会では、エアロビクスダンス、獅子舞、津軽三味線の演奏等を行った。

WOFIA は、まさに参加して楽しいイベントであるが、いざ大会を主催するとなると話は全く別で、想像を絶するほど莫大なワークロードがかかることは必至で、仕事後のアフターファイブで片手間にできるような代物ではない。従って、主催を決意するのも大変であったが、正式に開催が決まってから、準備期間は約2年しかなかったので、現実的には限られた人数で莫大な量の作業をこなす必要があった。大会の規模こそ小さいが、オリンピックを主催するのと同じような項目の作業を自分達だけでやらなければならないのである。やらなければならない項目をピックアップしてみるとその大変さが容易に想像つく。


1 参加社、参加者の登録
2 開催場所(体育館、宿泊ホテル)の確保
3 ホテルと体育館との輸送手段の確保
4 食事の手配(朝、昼、晩)
5 組織委員会の形成
6 開会式・閉会式の企画(音楽、行進、プラカード、出し物、式進行)
7 試合の運営企画及び当日の進行(組み合せ、英語による進行)
8 大会プログラムの作成
9 観光の手配(観光バス、観光場所)
10 ウェルカム・パーティ(出し物を含む)の企画
11 フェアウェル・パーティ(ダンスタイムを含む)の企画
12 マネジャー会議の運営
13 協賛スポンサーの確保
14 卓球メーカーへの協力要請
15 IDカードの作製
16 参加記念品の作製
17 トロフィーの作製
18 大会資金の確保、予算管理
19 英語のできるスタッフの確保
20 マスコミへの広報活動
21 自社チームの選手編成
22 試合用の交換記念品の手配
23 初参加の中国民航に対する特別ケア(ビザ身元保証、特別歓迎パーティの手配)

次に、項目ごとにどんな作業を行ったかは、中編・後編で述べる。

インターライン大会スライドショー・:  https://www.youtube.com/watch?v=293dzn0DEUU&feature=youtu.be


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最高齢スプリンターを偲ぶ

2019年01月25日 22時29分05秒 | スポーツ

1月25日の新聞で最高齢スプリンターの宮崎秀吉さんが108才で亡くなったという訃報記事が目に留まった。宮崎さんは、マスターズ陸上【105-109歳の部】の100mと砲丸投で世界記録を樹立し、「世界最高齢のスプリンター」としてギネス世界記録に認定されている。

記事によると死因は脳出血とあったので、その日まで元気であったようである。まさにピンピンコロリで、理想的な逝き方ともいえる。

宮崎さんは、なんと90歳を過ぎてから本格的に陸上に取り組み、2010年に100mの100-104歳の部の世界新記録を樹立し、2015年には、100m(105-109歳の部)で42秒22、砲丸投で3m25の世界記録をマークし、あのウサイン・ボルト氏がツイッターで敬意を表する投稿をしたことでも話題になった。

2014年の9月に岩手県の北上市で開かれたアジアマスターズ陸上で世界マスターズ役員のお世話を手伝ったが、その時に宮崎さんとお会いする機会を得た。当時、宮崎さんは、104歳であったが、100mを34秒61で激走する姿を目の前で見て感動を覚えた。その日はちょうど104歳の誕生日であったこともあって、マスコミも大きく取り上げていた。

マスターズ陸上は、5歳刻みで競うが、ゼッケンに年齢カテゴリ―が表示されているので、選手の年齢がすぐわかり、人間ウォッチングとしては大変面白い。若く見える人,老けて見える人それぞれ。。。 どの選手も年齢を感じさせないほど素晴らしいパフォーマンスを見せるので、いつも感心・感動するばかりである。100歳を超えたら、歩くだけでもすごいのにそれが走るのであるから、驚くばかりである。日本人は長寿国であるから、高年齢カテゴリーでは、世界記録保持者も多い。陸上競技は無理だが、せめて卓球だけでも高齢になっても続けたいものである。


写真は、宮崎さんと記念撮影(2014年9月22日)









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中国民航との卓球友好交流(回顧録-後編)

2019年01月22日 20時12分23秒 | 卓球

1983年6月19日、中国遠征という初めての経験に期待と不安が入り混じる中、我々を乗せた飛行機が北京空港に到着した。到着後、赤じゅうたんを通り、直接VIP用の貴賓室に招かれた。このようなVIP待遇は受けたこともなく、皆感激していたが、緊張で身が引き締まる思いであった。そこでは、中国民航の社長はじめ、幹部の人達が我々を歓迎してくれた。選手団のメンバーも、合宿所から駆けつけてくれ、初顔合わせをすることになったが、彼らの輝く目と素朴な笑顔が実に印象的であった。

友好試合は、6月21日の中国民航本社での正式な試合に加え、北京管理局チームとの空港での友好試合、杭州では、運航乗務員と友好試合、上海では、上海チームとの友好試合も行った。民航本社での友好試合は、最上階の大ホールのようなところで行ったが、「熱烈歓迎日航卓球代表団」の横断幕が掲げられ、掲示板にも多数のポスターが張られていた。中国側は、社長はじめ幹部の役員に加え、職場で行われたためか、観客席は数百人の民航スタッフでぎっしり。こちらも、我々12人に代表団の他に、北京支店長はじめ支店のスタッフ、家族、ステイ中の乗務員、香港から広報担当課長も取材で加わった。 緊張の内に、開会式が行われ、いよいよ試合開始。責任を背負い自分自身が一番バッター役を務めた。

1球目から中国独特の投げ上げサービスにビックリ。今では、一流選手も時々行うが、当時はTVで見たことはあっても、日本では珍しく、もちろんそんなサービスは受けたこともなかった。もともと上手なのに強化合宿をやってきた民航チームと普通の会社同好会チームとでは実力の差は歴然で、結果は、シングルスが男子1勝8敗、女子0勝5敗、混合ダブルスが1勝3敗であった。(この2勝は友好の印?)民航の圧倒的勝利に終わった友好試合であったが、我々は決して落ち込んではいなかった。むしろ、そこには清々しささえあった。負けても全力を出し切った充実感があった。言葉は通じなくても、卓球を通じて同じ苦しみ、喜びのわかりあえる仲間として、同じ汗を流した意義は大きい。

夜は、歓迎宴、答礼宴とパーティの連続。中国のパーティは、マオタイの乾杯(かんぺい)で始まり、マオタイの乾杯(かんぺい)で終わる。とにかく、しつこいほど酒を勧められる。夜の方は、日頃鍛えたお酒の腕で、ほぼ互角の勝負。言葉の壁なんか何のそので、あちこちで筆談が始まる。とにかく漢字で書けば、びっくりするほど通じる。民航の女性は多くは客室乗務員ということもあって、カタコトの英語もOK。服装は、全体的には地味だが、女性のほとんどはスカートで、中国でも進んでいる印象。お化粧をしていなくても、とても美人が多い。我が女性軍も、和服姿を披露して、民航の男性にモテモテであった。 びっくりしたのは、当時、中国では独身の女性と独身の男性とのツーショット写真は、タブーということ。既婚男性とならツーショットもOKとのことで、中年組がニンマリ。乾杯が進むにつれて、大芸能大会が始まる。日本側による当時中国で大流行していた「北国の春」「四季の歌」に「鉄腕アトム」「めだかの学校」と皆バカウケ。民航側も女性陣が美しい中国の歌を聞かせてくれた。

最初の友好試合が終った翌22日に民航の客室乗務員がアテンドしてくれて、明の十三陵と万里の長城への一日観光をさせてもらった。車の手配から観光、食事まですべて民航側のアレンジなので、安心して最高の気分で中国の壮大な歴史を垣間見ることができた。中国への観光客はまだ限られており、北京の街並みもお世辞にも綺麗とは言えず、行き交う人達の服装も人民服のようなものが多かったが、まさに変わりつつある時代であったようで、センスがあるとはとても言えないが、若い女性の原色の派手なスカート姿もちらちらと目についた。

ここで言い忘れていたが、民航には日本語ができる通訳の女性がいて、空港到着時から杭州、上海までずうっと同行してくれた。彼女は、元客室乗務員で、その当時は民航の社長の秘書兼通訳を務め、今回の遠征にあたって、最初から最後までお世話をしてもらった。現地での民航側とのやりとりはすべて彼女を通して行い、何のトラブルもなく、スムーズに遠征を遂行することができたのはまさに彼女のお蔭である。彼女は、その後、日本での勤務も経験され、いまだにお付き合いをさせてもらっている。

23日は、北京から杭州に飛行機で移動することになっていたが、出発前に空港にて、北京管理局のチームと友好試合を行った。21日の正式な友好試合は全中国から選りすぐりのメンバーであったが、その日は、空港で働いているメンバーとの友好試合であり、結果も男子は2勝3敗、女子は1勝4敗と負けたものの実力は接近していた。飛行機が見えるところでの卓球の試合も貴重な体験となった。北京から杭州まで民航の飛行機に初めて搭乗したが、なかなか快適なフライトを楽しむことができた。なぜ杭州が選ばれたかというと西湖という有名な観光地を我々に楽しんでもらいたいという民航側の配慮とそこに大きな民航のパイロットの保養施設があったからと思われる。杭州では、保養に来ていたパイロット達とまさに友好の試合をすることができた。試合は全てダブルスで行ったが、さすがこれは当方が8勝2敗で勝利をおさめることができた。彼らは卓球をスポーツとしてやっているわけではなく、まさに温泉卓球のレベルであるが、それでもそれなりの実力があるのには驚くばかりである。一応何とか勝つことができたので、翌日は気分よく、西湖の観光も楽しませてもらった。

杭州で2泊した後、25日に民航の飛行機で上海に移動した。上海空港でも到着時、貴賓室に案内され、熱烈な歓迎を受けた。その日の夜は、民航の歓迎宴に招待され、民航の上海の幹部の人達も多数参加していた。普段、当社の上海支店が窓口としている上海管理局のお堅いある役員が、楽しい雰囲気に酔いしれ、歌って踊り出すハプニングもあり、支店長もビックリしていた。最後には、「レッツキス」のジェンカを全員で踊るなど、盛りに盛り上がり、双方の選手、関係者がともに語らい、友好を深め合っている姿は、非常に印象的であった。支店長によれば、それまで管理局のトップの人達と飲む機会など全く持てなかったが、この友好試合のお蔭で初めて一緒にお酒を飲み、交流を深めることができたと物凄く感謝されたことを今でも鮮明に覚えている。

26日に上海チームとの友好試合を行ったが、領事館はじめ、日本人学校の子供達や在上海の日本人の方も多数応援に駆けつけてくれた。民航側は、北京での試合にも参加したメンバーが上海に戻り、何人かの新しいメンバーが加わっていた。結果は、男子が3勝4敗、女子が2勝3敗で惜敗した。混合ダブルスは、中国選手と日本選手がペアを組んで、和気あいあいの雰囲気の中、最後の友好試合に花を添えた。試合当日の夜は、お礼と感謝の気持ちを込めて、こちらが答礼宴を主催し、9日間にわたる日中友好の親善試合の名残を惜しんだ。毎日、朝から晩までスケジュールがきちんと決まっていたが、民航側の万全のサポート体制のもと、何のトラブルもなく、あっという間に過ぎた充実した9日間であった。

27日、北京から杭州、上海と長いようで短かった中国遠征も最後の日を迎えた。上海の空港まで、選手、関係者が総出で見送りに来てくれた。我々も感謝の気持を込めて、ピンポン玉に名前の寄せ書きをして、皆にプレゼントした。一人一人惜別の握手、さようなら、ありがとう。再見、謝謝。。。お互いに最後の最後まで手を振り続けた。

今振り返れば、我々のような一般の卓球愛好家が中国の人達との夢のような友好交流を体験できたというのは、時代がそうさせてくれた奇跡的なことであり、大変ラッキーであった。卓球を続けていてよかったという思いが今でも頭をよぎる。今回の友好交流を経て、中国民航は1983年のWOFIAインターライン卓球大会に初参加し、1987年の分割民営化以降は、中国南方航空がそれを引き継ぎ、2001年にバンクーバーで行われた最後の大会まで友好交流を旗印に毎年参加し続けてくれた。あの時、自分が中国に声をかけていなければ、その後20年間も続いた中国も入った航空会社間の友好交流はありえなかったことを考えると感慨深いものがある。今回の卓球交流は、日中友好の小さな架け橋にすぎないかも知れないが、この小さな輪からいっそう大きな輪ができたことは忘れられない思い出となっている。

写真は、上海チームとの記念撮影 

友好交流アルバム(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=p1R5zBrHe_E

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テニスのテレビ中継を見ての雑感

2019年01月16日 17時31分25秒 | スポーツ
テニス歴50年で、今でも週1回は楽しんでいるが、テニスのテレビ中継を見ているとルールやテレビ放映についていつも疑問が沸く。自分がやっている卓球はじめ、その他のスポーツは、適宜ルールを変えたり、試合時間を短縮する工夫をしたり、公平感のあるよりエキサイティングなスポーツに進化しているが、テニスだけはどうも進化していない気がする。

まず、トップ選手の試合が見ていてあまり面白くない。というのも、サービスエースが多く、ラリー戦があまりないのである。特に、背の高い男子のトップ選手のサービスは時速200㎞を軽く超えており、サービスだけで決まることも多い。サービス側が圧倒的に有利であるが、その原因は、昔に比べて、身長が大きくなって、早いボールを打てるようになったのに、ネットの高さが昔のままなので、ネットにかかることなく超高速なサービスが幅をきかせているのである。例えば、ネットの高さを10㎝高くするだけでも、サービスエースは減り、ラリー戦となって、試合が見ていて面白くなると思う。ラリーが続く、女子の方が男子の試合より面白いのは、このポイントにある。男子でも、錦織選手の場合は、ラリー戦が多いのでまだ見応えがあるが、サービスが武器の選手の試合なんて見ていてもちっとも面白くないのである。

卓球の場合は、ラケットの表裏の色を変えさせたり、ボールを少し大きくしたり、ラリー戦が続くようなルール改正が適宜実施されている。ラケットの表裏は、どっちの面で打ったかによって、ボールの質が全く異なることがあるので、判別できないと試合にならないのである。バドミントンもサービスはアンダーハンドしか認めていないのは、試合を面白くするためであろう。バスケットボールでダンクシュートより、遠くから入れた方が得点が増えるようにルールを変えたりしている。背が高くなって、投げないで上から押し込むなんて見ていて面白くない。

また、テニスは1試合の時間が長すぎる。他の多くのスポーツは、テレビ放映を意識して、また観客を集中して引き付けるため、試合の時間短縮の方向で様々なルール改正が実施されている。陸上や水泳のフライング一発失格もそうだし、卓球の1ゲームの点数が21点から11点に変更されたり、短時間でゲームが楽しめるような工夫がされている。
一方、テニスは、1試合の時間が2時間(5セットマッチでは4時間)を超すことも少なくなく、見ていて間延びがするのである。選手も体力的に大変だし、時間が制限されるテレビ放映の観点からも問題が多い。今回、全豪オープンで錦織選手の対戦相手が手足のけいれんで途中棄権となったが、見ていて気の毒になってしまった。もっと時間短縮されるようなルール改正が望まれる。何時間も戦わせられる選手が可哀そうである。

また、テニスのテレビ中継が非常に少ないのも残念である。今の全豪オープンはNHKが放映してくれているが、多くは、有料のWOWOWの独占中継になっている。本当にテニスを見たい人は、有料でもOKかも知れないが、一般の人は、そこまではしないので、テニスのテレビ露出が昔に比べて極端に減っているのは残念である。たまたま錦織選手と大阪選手の人気のおかげで何とかもっているが、一般のテレビ放映が減っているツケがいつか来るような気がする。
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東京五輪招致を巡る贈収賄疑惑

2019年01月12日 09時37分07秒 | ニュース

フランスのルモンド紙等は11日、2020年の東京五輪招致を巡る贈収賄疑惑で、フランス捜査当局が日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を贈賄の容疑者とする捜査開始を決定したと報じた。

本件は2-3年前にマスコミで大きく取り上げられたニュースで、てっきり一件落着していると思っていたが、何で今突然にという感がある。ゴーンの報復かという議論が飛び交っているが、まさにそんなタイミングでの発表である。

議論の争点は、当時JOCが払った2億2000万が、正当なコンサルタント料か賄賂かという点だと思うが、グレーゾーンである。JOCとしては、当然正当なコンサルタント料であるという認識だと思うが、このコンサルタント会社がいかにも胡散臭い。何でそんな会社と契約したのかという疑問が残る。

コンサルタント会社からお金が渡ったのではないかというパパマッサタ・ディアク(セネガル)という人物は。仕事の関係で、話しをしたこともあるが、とても胡散臭い人物であった。もう15年以上も前の話であるが、父親のラミン・ディアク氏(前国際陸連会長)の影の秘書みたいなことをやっていて、当時も裏の世界で暗躍する怪しい人物と認識していた。JOCはそんな人物が絡んでいるということを承知した上で、その会社と契約したのであろうか?身体検査が甘かったともいえる。

スポーツ界では、票の買収みたいなものは少なからず行われていると想像する。お金を渡すという直接的な買収は表沙汰にはならないが、高価な手土産を渡すというようなことは普通に行われているものと思われる。JOCは正当なコンサルタント料という認識に間違いないと思うが、相手が悪すぎたとも言える。裏金として闇の世界に引き込まれた可能性は否定できない。今後、ゴーンの裁判とともに、この一件もウォッチしていきたい。
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兼高かおるさんを偲ぶ

2019年01月09日 20時33分14秒 | TV番組

本日、「兼高かおる世界の旅」で有名な兼高かおるさんが90才で亡くなったというニュースが飛び込んできた。この番組は、1959年から1990年まで約31年も続いた長寿の紀行番組で、毎週日曜の朝ということもあって、よく見ていた。今は亡きパンナムが協賛していて、芥川隆行との掛け合いも大変面白かった。彼女のナレ-ションは気品があり、番組の主題曲も今でも強く印象に残っている。

海外旅行なんて、まだほんの一部の人だけが行っていた時代に、この番組を通じて海外旅行の疑似体験をしていたような気がする。自分が海外旅行に興味を持ち始めたのも、この番組が少ながらず影響していたかも知れない。 ニュースによると、31年間で世界の150か国を見て回ったという。スポンサーあっての海外紀行なので、我々一般人が旅行で経験する世界とは雲泥の差があるが、自分自身も102か国を訪問することができた。今の若者は、留学志向や海外旅行熱も昔に比べると低くなっているという話も聞くが、残念である。バーチャルではなく、やはり異文化というか異なる世界の実体験をしてほしいものである。

テーマ曲:  https://www.youtube.com/watch?v=VcdXqivhrIk



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いだてん(韋駄天)

2019年01月09日 19時37分48秒 | TV番組
NHKの新しい大河ドラマ「いだてん」が始まった。NHKも力を入れているのか、番宣がやたら多く、始まる前からだいぶ詳しくなった。チコちゃんから「ご馳走」が「韋駄天」から来ていることも知ったし、ボーっと生きてはいない今日この頃である。

韋駄天とは、増長天の八大将軍の一つで仏法の守護神。もとバラモン教の神で、シバまたはアグニ神の子。俗説に、仏舎利を盗んで逃げた捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて取り戻したことから、韋駄天は 足の速い神とされる。足の速い人を「韋駄天」と称して紹介しているのはよく耳にする。

来年にオリンピックを控えているので、大変いいタイミングでの大河ドラマであるとともに、9年間も陸上競技の国際関係の仕事をやってきた者にとっては、興味津々、楽しみな番組である。特に、金栗四三というマラソンランナーに焦点を当てた内容になっているので、ますます引き込まれる。

オリンピックを見にいったことはないが、選手派遣等関連する業務はいろいろ経験したので、オリンピックへの関心は高い。仕事上知り合った人には、オリンピックに出場経験のある人も少なくなかった。オリンピックまではいかないが、世界陸上というビッグイベントには、5度ほど役員として参加した経験があるので、東京オリンピックには是非とも競技を観戦したいし、ボランティアにも応募している。世界陸上ですら開会式は見ごたえがあるので、チケットの値段が高くてもオリンピックの開会式は是非とも見てみたいところである。今まであまり真面目に大河ドラマを見ていなかったが、「いだてん」だけは必ず見ようと思っており、日曜の楽しみが一つ増えた。

画像は、韋駄天
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中国民航との卓球友好交流(回顧録-前編)

2019年01月05日 20時19分41秒 | 卓球

卓球をやっている者にとって、中国の卓球というのはあこがれであり、誰しも一度でいいから中国の人と卓球をやってみたいという夢がある。トップ選手なら国際大会等で中国選手と試合をする機会も数多くあると思うが、一般の卓球愛好家にとっては夢のまた夢の世界で、そんなチャンスはほとんどないといえる。自分自身も卓球は大学で初めてラケットを握り、会社に入っても卓球クラブに所属して細々と卓球を楽しむ程度のレベルであったが、幸運にも、インターライン卓球大会という国際大会があって、外国人と卓球をやる機会には恵まれていた。
このインターライン卓球大会というのは、愛称はWOFIA(Wings of Friendship Inter-Airlines)といって、世界各国の航空会社間で親善を目的として行われている卓球大会のことである。1980年にマレーシア航空の提唱によって第1回大会がマレーシアのゲンチンハイランドで開催され、第2回はルフトハンザ主催でハンブルク、第3回はエアフランス主催でパリにて開催された後、第4回大会が1983年11月にJAL/ANA共同主催で東京にて開催されることになっていた。

当時、東京大会組織委員会のマネジャーを担当していたが、東京大会を盛り上げるために、開催にあたって、中国唯一の国際航空会社である中国民航に対して参加を呼び掛けてはどうかとのアイデアが浮かんできた。早速、どうやって声をかけていったらよいか検討した結果、当時、日中の航空会社間で頻繁に行われていた航空交渉の宴席の場を借りることにした。日本側代表団の一人(当時の自分の職場の上司)に1983年11月の開催が決まっていたWOFIA大会への参加の勧誘をお願いしたのは、1年前の1982年11月のことであった。代表団が交渉から戻った時、中国側は強い関心を持っている旨の報告があった。それから1か月もしないうちに、中国民航の李樹藩社長から当社社長宛に親書が届いた。その内容は、参加勧誘のお礼と参加してみたい旨の意思表示、また、それに先立ち当社の卓球チームを中国に招待したいというものであった。当時の中国民航の社長は航空局長を兼ねていたので、まさに中国航空界のトップであり、その親書は極めて重要な意味を持っていた。中国民航がこのようなスポーツ交流を行うのは全く初めてのことで、開放政策に舵を切ろうとしていたタイミングにうまく合ったものと思われる。

中国側が当社チームの中国招待を提案した背景は、一般的に中国の卓球レベルが高いといっても、彼らにとって、WOFIAの卓球レベルが不明であったため、当社チームのレベルをチェックしたかったものと思われる。オリンピックでもよく言われるが、中国にとって勝ち負けは重要な意味を持ち、参加するかぎりお家芸の卓球で負けるわけにはいかないのである。 関係者と協議の結果、中国への遠征は行うが、招待自体は断ることとした。招待するということは、飛行機代、ホテル代、飲食代等すべての経費を中国側が丸抱えするということを意味しており、逆に、この招待を受けたら、必ずお返しの招待をしなければならないということである。そんなことはとても無理な相談であり、飛行機代、ホテル代等基本的な費用は自前で賄うこととした。但し、中国の国内線の飛行機は、日本では手配できないこともあって、北京→杭州→上海の2便について、彼らのお世話になった。

中国への遠征を正式に決めたのは、12月下旬だったと思うが、それからの詳細な詰めがなかなか大変であった。まず、いつ、どの都市に訪問するか、何人規模か、飛行機やホテルの手配をどうするか、相手がある話なので、一つ一つ詰めていく作業は想像を絶するものがあった。今であれば、メールや電話でいくらでもコミュニケーションが取れるが、当時は、便利なe-mailもなければ、国際電話もすべて中国側に盗聴されていた時代で、基本的には、当社のペキン支店経由と当時航空会社間でのやりとりに使っていたテレタイプによるコミュニケーションだけであった。当時、自分自身本社の国際旅客部、インターライングループに所属しており、インターラインとのやりとりに慣れていたことは幸いであった。

中国側は、訪問先として、北京・上海・杭州か北京・旅順・大連の2案を提案してきたが、結果的には、当時上海線もあったので、馴染みのある北京・上海・杭州を訪問することにした。1月以降も航空交渉の日中協議は継続的に行われていたが、交渉の場でも、いつも友好試合のことが話題になっていたようである。代表団が帰国するたびに、進捗状況について、「航空交渉はなかなか先に進まないが、友好試合の件はとんとん拍子に話が進む」という報告を受けていた。 北京支店の総務責任者の話では、中国民航の本社に航空交渉の件で訪問する時は、1階の接客の部屋が決まっており、それより中に入れないし、入ったこともなかったが、こと友好試合の件の打ち合わせで来たと言うと上階の別室に案内されたとのことである。中国では、各担当の責任分担が明確であり、打ち合わせに行っても交渉の件は上にあげてあるという一点張りで拉致があかないのが普通だそうであるが、友好試合の話になると全く別扱いであったようである。

遠征時期については、中国側からとにかく早くしてほしいとの要請が航空交渉のたびにあった。いろいろなことを煮詰める必要があるので、どうしても遅れがちであったが、中国側の要請を受けて、最終的には、1983年6月19日からとなり、最初に話を持ち出してから、約7か月で実現したことになる。後でわかったことであるが、中国側が早い実施にこだわったのは、友好試合に備えて、2月頃から、中国全土の民航社員のなかで、卓球の上手な人15人をピックアップし、職場から離れさせ、コーチを付けて北京で合宿生活を始めたからであった。彼らをそんなに長く職場から離れさせるわけにはいかない事情があったようである。各選手とも、職場を離れて合宿生活に入り、もともと上手な上に、専任のコーチが付いて、毎日卓球の練習をしていたのだから、結果は火を見るよりも明らかであった。

我がチームは、仕事を終えてから、週に1回の練習を行うというよくある普通の会社のクラブであるので、実力はたかが知れているが、遠征にあたって、卓球部の部長を団長、会社の勤労部厚生担当課長を副団長とし、選手として男6人、女4人の合計12人から成る代表団を作った。女性4人は全員客室乗務員として、花を添えた。このようなスポーツ交流は会社にとっても初めてのことであったが、副団長として人を出してもらい、出張扱いに近い形で、飛行機搭乗の便宜もはかってもらえたのは、大変ラッキーであった。

写真は、熱烈歓迎の記念撮影 (中国民航本社にて)

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