浪漫飛行への誘(いざな)い

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懐かしいコンプライアンスという言葉

2024年03月25日 08時20分37秒 | ビジネス

 

最近、マスコミでもコンプライアンスという言葉が出てくることがある。コンプライアンス(compliance)とは、「法令遵守」を指し、企業や個人が法令や社会的ルールを守ることを意味する。コンプライアンスに求められるのは「法令を守れば良い」というわけではなく、企業倫理や社会規範などに従い、公正・公平に業務を行うという意味も含まれるという。個人的には、40年以上も前、本社でインターラインの国際関係の仕事を担当していた時、よく使っていた言葉なので、この言葉を耳にすると大変懐かしい思いになる。

我々が業務上よく使っていたのは、PCCC、LMCC、 OAAという用語である。何の省略か確実ではないが、PCCCは、太平洋線運航エアライン Pacific Carriers Compliance Committee、LMCCは、欧州線運航エアラインLocal Managers Compliance Committee、OAAは、Orient Airlines Associationの略で、東南アジア線運航エアラインで構成される委員会のことである。当時、航空運賃の値下げ競争が激化していて、各社の収益を圧迫する事態が発生していたため、各社の話し合いを通じて、コンプライアンス活動を通じ法定の運賃を遵守し、利益を確保しようという集まりである。自分は、PCCCとOAAを担当していて、各社との話し合いを頻繁に行っていたが、PCCCの会議はすべて英語だったので、苦労したことを覚えている。印象に残っていることは、いっぱいあるが、PCCCでは、米国には談合を禁じる厳しい独占禁止法があり、当時、パンナム、ノースウエスト等米国社がそれを理由に会議場から席を立つということもよくあった。新聞に掲載された安売りのツアー広告を取り締まったり、エアオンという格安航空券のテストバイ(試買)を行って摘発したりもしていたが、今や、安売りも市民権を得るような時代になっているので、時の流れを感じる。

また、OAAに参加していたのは、日本の他に、大韓航空、中華航空、フィリピン航空、キャセイ航空、シンガポール航空、マレーシア航空、タイ国際航空等であった。OAAでは、安売り防止のためには、本音での話合いができるように、懇親活動に力を入れていた。仲良くなれば、人を裏切るような抜けがけの安売りはできなくなるであろうという日本的というかアジア的な発想からであった。各社の営業担当者との会議や飲み会も頻繁に行われ、オフショア・ミーティングとして、札幌や韓国のプサンや済州島(懇親ゴルフ)への懇親ツアーに出かけたこともあった。皆、仲良くなって、変な安売りもなくなり、販売業務もスムーズに運んでいたと記憶する。その時キャセイの販売トップの英国人は、その後、英国航空の社長にもなったほどの優秀な人材であった。インターライン関係の仕事は大変面白かったが、3年程度でお役目御免となり、ドイツのフランクフルトに異動することになった。振り返ると古き良き時代であった。

 

 

 

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日経平均株価がバブル絶頂期の最高値にせまる

2024年02月20日 23時05分24秒 | ビジネス

 

2月に入り、日経平均株価がどんどん上昇し、1989年12月につけた史上最高値、3万8957円に44年振りにせまってきた。アメリカの株高に加え、国内の企業業績への期待感などから買い注文が膨らみ、東京市場でも株価が押し上げられてきた結果である。株式売買歴は、20数年にわたるが、株価が史上最高値をつけたという印象はあまりない。株の売買は二つの名義でやっているが、自分名義では、今年に入って株の高騰のおかげで、すでに売買額ベースで利益が60万円を超えているが、もう一つの名義では、過去に売買で少しは利益を出しているが、現在、保有している15種の株式のすべてが購入価格を下回っており、損をしている状況にある。日経平均では、史上最高といっても、それはあくまで平均であり、個別の銘柄では、相当バラツキがあり、過去の最高値に比べるとかなり下がっている株も少なくない。平均値でみると大型株が株価を押し上げるため、史上最高値となるのかも知れないが、実態は全く異なる。

利益がでたら、確定売りを行っているので、売買益はあっても、保有している株自体が下っていて、売りに売れない状況はあまり変わっていない。20日現在のマイナス額は、全部で約40万円でもう一つの名義では約90万円と合計約130万円となっている。何とかプラマイゼロに持って行きたいが、そのためにはもう一段階、株価が上昇してくれないと駄目である。さらなる上昇を待ちたい。

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日本の国内総生産(GDP)がドイツに抜かれ世界4位に転落

2024年02月17日 05時58分49秒 | ビジネス

 

2023年の名目国内総生産(GDP)がおよそ591兆4820億円となり、ドル換算では4兆2106億ドルで、ドイツの4兆4561億ドルを下回り、世界4位に転落した旨のニュースが読売新聞15日夕刊の一面トップ記事になっていた。1968年から2009年までは1位のアメリカに次いで2位であったが、2010年に中国に抜かれ、今回さらにドイツに抜かれ4位となったものである。日独逆転は1968年に国民総生産(GNP)で日本が旧西ドイツを抜いて以来55年ぶりという。ドル高が進み、ドルに換算した時の総額が目減りしたことやドイツのGDPが物価高により引き上げられたことが大きな要因というが、中長期的な要因も無視できないという。日本はバブル崩壊後、企業が稼いだお金を賃金や投資に回さず、ため込んできたり、安価な労働力を求めて工場を海外に移転し、国内産業の空洞化が進んだことも影響しているという。このままだと2026年にはインドにも抜かれ、5位に後退する可能性が高いという。

日本の経済が自民党の長期独裁政権のつけで、賃金は上がらず、物価は高くなる一方なので、消費が増えるはずもないし、日本の経済・金融政策の失敗の帰結ともいえる。ドイツで生活したことがある経験からすると、経済環境、労働環境はじめいろいろな面でドイツは日本より上回っていることを実感していたので、転落も当然という印象である。ほとんどの労働者は、休暇をしっかり取るし、仕事も集中して行う。インフラがしっかりしている印象である。残業代は、お金ではなく、休暇に代えるので、1年で2~3週間連続の休暇を2~3回取るのが普通である。それでも企業は十分に回っていくので、羨ましいかぎりである。

 

読売新聞オンライン(2/15): https://www.yomiuri.co.jp/economy/20240215-OYT1T50056/

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経団連会長って大丈夫?

2024年01月23日 06時06分46秒 | ビジネス

 

最近、いろいろなニュースの場面で十倉雅和経団連会長の名前が出てくるが、どれもすこぶる評判が悪い印象である。大幅赤字で最悪の決算を迎えている住友化学出身で、会長を務めているようであるが、出身母体の経営状況が悪いのも何となく頷ける感じがする。

まず、大阪万博がらみで、十倉氏は、大阪万博協会の会長を務めているが、夢洲や大屋根リングを視察した際、駆け込みはあっても、開幕までに間に合わせるし、延期や中止はあり得ないと述べ、建設関係者から顰蹙を買っていたようである。能登半島大地震がらみの復旧で、建設資源は、北陸に集中投下すべきなのに、建設しても半年で壊す予定の万博の建設を推し進めると公言する。能登半島の大地震の惨状を目の当たりにしても、万博は「復興万博」とサラッと言う感覚に背筋が凍る思いである。大阪万博については、ネットメディアは言うまでもなく、最近はマスメディアでさえ、中止や延期をすべきとの論調が主流になっているのに、失敗に向けての突っ走りを止められないのは、このKY会長のせいかもしれない。建設が間に合わないだけでなく、莫大な税金を無駄遣いすることは火を見るよりあきらかであるのに、止まらないのは、なぜであろうか?

また、今回、大地震の震源地近くに志賀原発があり、様々な被害を受けているようだが、詳細があまり報告されていない。東日本大震災以降、志賀原発は運転休止をしていたことが不幸中の幸いであった。原子力委員会は、志賀原発の敷地内には、活断層は存在しないという北陸電力の主張を妥当だとし、再稼働は問題ないとし、昨年、11月に十倉会長も原発を視察し、一刻も早く再稼働すべきと主張していたようであるが、再稼働してなくて本当よかった。もし万一稼働していたら想像を絶する被害が出ていたものと思われる。

また、志賀原発の前に、能登半島大地震で深刻な被害を受けた珠洲に原子炉の建設が予定されていたが、住民の強い反対運動により、計画が中止となった経緯があるようである。もし、そこに原発を建設していたらと思うとぞっとする。原発を推進する人達によって、日本が滅ぼされる危険性すらある。とにかく経団連というのは経済活動というかお金儲けだけを考えている視野の狭い集まりなのであろうか?自分達、企業さえよければという視点で、一般の国民の考えとは大分かけ離れた印象がある。日本のためには、早い機会にトップの交代が望まれる。

 

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JALの次期社長はキャビンアテンダント出身の女性

2024年01月18日 12時18分47秒 | ビジネス

 

1月17日にJALに次期社長としてキャビンアテンダント(CA)出身の鳥取三津子さんが内定したというニュースが流れ、大手の航空会社としては女性初ということで少し驚いたが、大変画期的なことで大いに応援したい。彼女は、1985年にJAS(当時、東亜国内航空)に入社したというから素晴らしい昇進である。女性社長としては、ジェットスタージャパンというLCC航空会社の初代社長を務めた鈴木みゆきさんを思い出す。2012年7月3日の初便に搭乗したが、鈴木社長は、セレモニーで挨拶した後、一緒に初便に搭乗した。また、2004年に江村林香さんという人が「エアトランセ」という小さな航空会社の女性初の社長として話題になったようであるが、今は、定期便の運航からは撤退し、チャーター便だけを扱っているようである。世界では、べトナムのLCCである「ベトジェット」の社長は、グエン・ティ・フォン・タオという有名な女性で2017~2019年の「世界で最も影響力のある女性100人」にも選ばれており、億万長者でもあるようである。

世界中には物凄い数の航空会社が存在するが、女性がトップを務める会社は他にあるであろうか?ベトジェットの社長モジェットスターの社長も、女性だが、CA出身となると鳥取さんが初めてではないかと思われる。ANAも女性の役員はいるが、歴代社長は全員男性なので、今回の人事はすごいことで、極めて話題性があるといえる。すでに発表された17日には、早速、テレビ各局、大手新聞社でも大きく取り上げていることからもその話題性がいかに大きいかを物語っている。女性初とかCA初とかマスコミの取り上げ方を見るに、まだまだ日本は遅れているともいえる。女性が多い職場なので、社長が女性でも全くおかしいことではない。二代前の社長であった植木氏は、パイロット出身であったし、今回の新社長は、CA出身ということで、優秀であれば当然ありうる人事だと思われる。

JALはもともと接客サービスでは一定の評価があるが、ますます、それもきめ細かいサービスの向上、イメージアップを期待したいところである。テレビ、新聞、雑誌等の大手マスメディアは、その話題性からも、今後、かなりいろいろな形で取り上げるもの思われる。流石といわれるように新社長には、早くANAに追いつけるよう頑張ってほしいものである。

 

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ジャニーズ事務所幹部の児童福祉法共犯の可能性

2023年10月11日 05時59分33秒 | ビジネス

 

10月2日のジャニーズ事務所の2回目の記者会見で 東山社長に事務所幹部の児童福祉法の共犯の可能性について 質問が及ぶと 木目田裕顧問弁護士は「児童福祉法違反は違う。 そもそも、気付いていなかったが行為はないので共犯、 ほう助は一切、成立しない」と質問を否定。 この時の対応や発言は大問題だと元検事の若狭勝氏はニュース塾の中で解説している。特に、ジャニー氏を最も知る人物である元副社長の白波瀬傑氏は、副社長を退任したが、記者会見にも一切姿を見せず、真相を全く語っていない。長い間、側近であったわけであるから、性加害を知らないわけはなく、問題を放置、隠ぺいに協力していた疑いが強い。若狭氏によれば、人類史上最悪の性加害事件を引き起こした事務所幹部が刑事責任を問われる可能性があると断言する。

9月7日の第1回記者会見では報道陣から「なぜ、白波瀬氏はここにいないのか」と問われたが、東山氏は「退任したので」と釈明した。一方で、今月2日の第2回会見では終了間際に「白波瀬さんにはやはり、説明責任があると思う」と言った。それに、現在も嘱託として勤務を続けていることも判明したため、今後の白波瀬氏の対応が注目される。人類史上最悪の事件が発生しているのに、今の時点で、日本の警察や検察が捜査に動いていないのも不思議な話である。過去に最高裁で犯罪性が認定されたのに、大手メディアが取り上げず、見て見ぬふりをして被害を拡大させたのだから、ジャニー本人だけでなく、事務所幹部や大手メディアも犯罪幇助として共犯者であるといっても過言ではない気がする。

東山氏も井ノ原氏も、犯罪事務所の責任者を引き受けたのだから、現在の責任者として罪が問われてもおかしくない。二人は、新会社を設立して、そこの責任者として、居座ろうとしているが、もってのほかである。1回目の会見で東山氏が素性がばれて沈没し、2回目の会見で、井ノ原氏が裏の顔が暴露され沈没した感がある。タレントを前面に出して難局を乗り切ろうとした事務所の画策は失敗に終わりそうな気がする。二人とも役員を引き受けたなら、病気持ちのジュリー氏とともに被害者救済に専念すべきであり、新会社の役員は降りるべきである。「二兎を追う者は一兎をも得ず」という格言があるが、二人にピタリである。新会社を作って、そこの役員におさまり、不正に得たジャニーズ事務所の資産やタレントを引き継ごうという魂胆は絶対認められない。犯罪の重大性を棚にあげ、名前さえ変えればいいというような安易な考えが見え隠れしてならない。    

 

若狭勝のニュース塾: https://youtu.be/3Rj8GPkXusU?si=DP7aDQUjyIMlXAxd

 

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パートタイマーの雇い止め問題で思い出す

2023年05月12日 05時34分57秒 | ビジネス

『世界的なアウトドア用品メーカー「パタゴニア」(米国)の日本支社が、支社の労働組合代表を務めるパート従業員の女性に対し、年内での雇い止めを通告したことがわかった。労組はパートの雇用期間を「最大5年未満」に制限する会社側への抗議を目的に、代表の女性が中心となって結成された。労組は「不当な雇い止めだ」として、団体交渉などを通じて撤回を求めていく方針だ。』という記事が目に留まった。

というのは、30年近く前、関連会社に業務部長として出向していた時、雇い入れていた契約社員の雇用形態について、かなり突っ込んで議論を重ね、運用していたので、関心が強かったからである。当時、出向者と派遣社員を除くプロパー社員は、経費削減を主目的に全員1年契約の契約社員で、1年毎に契約更新し、4回更新(最長5年)を限度として運用していた。自分の理解では、契約は、期間の定めのない契約(当時60才)か1年契約しかなく(5年契約などは不可)、有期の場合は、1年毎に更新するか雇い止めするかを決める。但し、判例から、5年以上更新していると雇い止めができず、終身雇用せざるを得なくなるので、4回更新を限度とする運用をしていたのである(裁判で会社側が負けている)。しかし、関連会社の業務内容からして、業務に精通するには、ある程度長い期間が必要とするので、5年で雇い止めをした場合、スキルの伝承ができなくなる恐れがあった。接客部門なので、終身は困るが、10年程度は働いてもらいたいという会社側の強い希望もあり、着地点を模索していたのである。

我々が生み出したスキームは、1~5年までは、時給扱いの1年更新として、5年目以降は、それまでの契約との継続性を断ち切り、新たに月給扱いの1年更新という一からの契約を新たに結ぶというものであった。人事評価制度の整備を前提とし、優秀でない者は、契約を終了させ、優秀な者だけを次の契約に進めるスキームである。1年更新を何となく5年も続けていると雇用問題が発生するため、契約の継続性を断ち切るため、年休その他厚生制度もすべて一旦白紙に戻し、新たな契約をスタートさせることにした。その新契約も5年を最長とすることとし、10年の時点でどうしても優秀で継続して雇用したい場合は、無期の正社員として雇用する方針を打ち出したのである。また、10年目で雇い止めをしても裁判では勝てるものとの判断である。最終的には、雇用問題が発生する前に関連会社の再編が発生し、当初のスキームは最終ステージまで実施されなかった。

当時、航空業界では、キャビンアテンダントを正社員ではなく1年契約の契約社員として採用するスキームが実施されようとしていた。人件費削減が主目的だが、60才前後のキャビンアテンダントによる接客サ-ビスなど想像するだけでぞっとするイメージだったので、説得性があった。キャビンアテンダントは、最初の3年間(安全策で5年を3年に短縮)は、1年更新の契約社員として雇用し、3年後に、正社員として雇用を継続するかを決める段取りであったようである。しかし、当時、亀井静香運輸大臣が、キャビンアテンダントは安全を担う大事な任務があるので、契約社員など認めず、正社員雇用すべきと強く主張し、すったもんだした経緯があった。

シンガポール航空のようなアジアの航空会社の多くは、キャビンアテンダントに年齢制限を設けていて、常に若い乗務員がサービスをしていたが、欧米や日本の各社は、正社員雇用をしていたので、高年齢の乗務員をいっぱい抱えていたのである。今やLCCなるローコストキャリアがたくさん生まれ、様相がだいぶ異なってきた感がある。安い人件費で若くて優秀な社員を揃えたい会社側と高齢になっても安定して雇用してもらおうとする従業員との間の仁義なき戦いがいまでも続いているといえよう。今でも正規雇用、非正規雇用の格差が大きな社会問題になっているが、このようなニュースを見ると複雑というか胸が痛む思いである。

朝日新聞デジタル記事(5/8):https://www.asahi.com/articles/ASR584CDKR58IIPE001.html

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ANAの中国への思い入れ

2023年02月26日 06時33分39秒 | ビジネス

ANAと中国との親しい関係を築いたのは、ANAの第二代社長の岡崎嘉平太氏である。日本銀行の上海に長く駐在し、日中友好の大切さを身を持って体験し、ANAの社長に就任後、訪中回数は100回を超え、日中貿易交流に尽力し、日中友好関係の促進に寄与した。1972年の日中正常化の際、周恩来総理自ら『わが国には「水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れない」という言葉がある』と岡崎氏の労をねぎらったという有名な逸話があるほどである。岡崎氏のご子息は、ライバルであるJALに勤務し、貨物関係の仕事をしていたのも面白い関係である。

そんなANAは、1972年に日本の航空会社として初めて羽田=上海のチャーター便を運航し、中国の大歓迎を受けた。1987年には定期便の運航を開始し、20路線まで路線網も拡大し、中国便にかける思い入れは大変強いものがある。現在のANAホールディングスの社長は、東京外語大学の中国科出身で中国のスペシャリストでもあるので、さらに力を入れていくものと思われる。ANAの中国への思い入れは、個人的にもいろいろな場面で感じる。

まず、卓球といえば中国が世界一であるが、ANAは、いち早く日本卓球協会のスポンサーとして協力し、卓球日本代表のユニフォームには中央に大きくANAのロゴがプリントされている。卓球の世界では、JALは出る幕がまったくないといえる。中国と卓球といえば、個人的には、1983年に北京、杭州、上海に日中友好卓球試合で遠征するという稀有な経験を持っているが、その時に知り合った女性(当時の中国民航の社長秘書)から、ANAの中国への思い入れの話しを何度も聞いたことがある。

また、ANAは、北京で毎年開催される北京国際マラソンの冠スポンサーとしても長年サポートしてきた。中国での認知度アップにも貢献している。2006年にこの北京マラソンを現地で見たことがあるが、ANAの会長も現地入りし、力の入れぶりを身近に感じた。ANAは、卓球に限らず、スポーツ競技へのスポンサーに力を入れている。フィギュアスケートの羽生結弦もANA所属であったし、テニスの大坂なおみ、ゴルフの松山英樹、池田勇太とスポンサー契約を結んでいる。水泳、スキー、スケート、バドミントン、バレーボール協会とのスポンサー契約もあり、サポートの範囲は広い。エアラインの場合、通常のスポンサー料とは別に、国際試合に伴う海外遠征のチケットを提供できるというメリットがあるので、スポンサーになりやすい面もある。ANAのセールスマンはいくら使ってもいいから、スポーツ競技団体のスポンサー契約を取るように言われているという話を聞いたことがあるほど、力を入れているのである。こういったスポーツ支援はANAの知名度、好感度アップに貢献していると思われる。サッカーと陸上競技だけは、JALがスポンサーを死守しており、ANAはまだ入り込めていないようである。

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インボイス制度って何?~わかりやすい解説~

2023年01月26日 05時25分52秒 | ビジネス

 最近、やたらに「インボイス制度」という言葉を耳にするが、どんな制度なのかさっぱりわかっていなかった。2023年10月から導入されると報道されているが、そのための手続きは3月頃までに行う必要があるということなので、差し迫った話のようである。テレビでも大きく取り上げず、あまりきちんと説明されていないのは、消費税のルール変更といえども、事業者に大きな影響を与える制度変更で、消費者にはほとんど影響がないからのようにみえる。しかし、マスコミでもこの名前をぼちぼち聞くようになり、インボイス制度というものがどういうものか気になり始め、辿りついたのが、昨年6月とちょっと古いものであるが中田敦彦(オリエンタルラジオ-タレント)のYouTube大学の解説である。

 解説によると、売上1000万円以下の事業者が得ていた益税(消費税を徴収していても納税しなくて済んでいたもの)をなくすことを目的として、全ての事業者に国が認める適格請求書(インボイス)の使用を義務付ける制度変更とのことである。但し、売上1000万円以下の事業者には、非登録も認める一方、登録させても、簡易課税制度を適用するようである。

 このユーチューブでは、後編で、益税存在の理由、消費税導入の必要性・経緯等がわかりやすく解説されており、インボイス制度の概要を十分理解することができた。我々消費者にとっては、直接関係ない制度変更であるが、今後消費税率がどうなるについて、影響も大いにありそうなので、しっかりとウォッチする必要がありそうである。

 また、郷原信郎の「日本の権力を斬る!」で、安藤裕元衆院議員と語るとして、「消費税は『預り金』ではない、“インボイス制度”はおかしい!」と主張している。このユーチューブも消費税とは何かという本質を理解するのに大変参考になる。郷原氏も安藤氏も、もともと消費税は、「預り金」ではないので、インボイス制度の導入で弱い者いじめをするのはおかしいと指摘している。中田氏の解説は、消費税は預り金という前提で説明しているので、財務省側に立った解説ともいえるが、やむを得ないところでもある。いずれにせよ、我々はしっかりとウォッチする必要がありそうである。

中田敦彦によるインボイス制度の解説(前編): https://youtu.be/IT7gW1-uAoE

 中田敦彦によるインボイス制度の解説(後編): https://youtu.be/iItEoF-MKzw

郷原信郎の「日本の権力を斬る!」: https://youtu.be/TJ4Gd2udDMw



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親しかったUUUの訃報

2023年01月21日 05時43分13秒 | ビジネス

UUUとは、業界の隠語で、「うるさい うるさい うるさい」の頭文字をとったもので、よくクレームを付けるお客様のことをさす。いろいろ注文を付けるが、言い換えれば、頻繁に利用してくれる常顧客ともいえる存在、いわゆるPRO-XXXでもある。

現役時代に大変インパクトのあるUUUとのおつきあいがあり、退職後も続いていたが、今年喪中のハガキが家族から届いた。92歳であったという。彼は、ある化学メーカーの機械部門のトップで、ビジネスクラスの出張で年6〜7回は日本とドイツを往復していたが、座席の件でよくトラブルを起こしていた。Next Seat Vacantサービスに関するトラブルであるが、ドイツでファーストクラスのチケットをビジネス料金+ α 程度で販売(海外では販促の割引チケットの販売も可能)することにしてからトラブルはほぼなくなった。

彼の会社には、インハウスの旅行会社があったが、彼の事業部だけは、別の旅行会社を使っていた。そのワンマンぶりは、サラリーマンの域を超えており、取引銀行も彼の事業部だけ別であった聞く。彼の部屋は、社長室よりも広いと言われ、出張規定も、役員以外はエコノミークラス利用であったが、彼だけは、例外的にビジネスクラスを利用していた。まさに、昔、映画やテレビドラマ(1963年)にもなった「図々しい奴」(原作 柴田錬三郎)を地でいったような人物で、社内では怖いものなしで、よく武勇伝を聞いていた。彼は、浮気をしないタイプだったので、スケジュールがうまく合わない時でも、無理して当社を利用してくれていた。東京から1泊でドイツに来ることもあり、往復とも同じ乗務員となったことも何度かあったようである。

ファーストクラス利用になってからは、自分が絡むトラブルはほとんどなくなり、一緒に食事をしたりするほど親しい関係になり、我が家に遊びに来たこともあった。あくまで、お客様とスタッフという関係であるが、フランクフルト郊外にある有名なイタリアンレストランに何回か招待を受けることもあった。

彼に絡んだトラブルで、緊急時の取扱要領が変更されるという出来事もあった。1996年に成田発フランクフルト行の飛行機が離陸滑走中にトラブルを起こし、成田で乗客がシューターを使って機外に緊急脱出するという事故があった。その時、シューターで機外に滑り降りた乗客の何人かが降りた時に尻もちをついて怪我をするという出来事が発生した。

というのも、当時、緊急脱出のデモ用ビデオでは、シューターの下で客室乗務員が待機していて、尻もちをつかないように補助していたのである。ところが、安全規程に従い、乗務員は最後に降りなければならないことになっているので、 現実には、シューターの下には誰もいないのである。その場にいた彼は、機内の安全ビデオの内容がおかしいとクレームを付け、これがきっかけで、緊急脱出規定が変更され、機内のデモビデオも変更(下での補助要員が客室乗務員から一般の乗客に変更)されたのである。それ以降、非常口付近に着席する乗客は、緊急時に真っ先にシューターを使って機外に出て、他の乗客がシューターを使って滑り降りる時に下で補助する任務を負うことになったのである。

彼とは、退職後もおつきあいを続け、年1回はいっしょに食事をして、彼の武勇伝を拝聴する機会を持っていた。ここ数年、背骨や腰を痛め、車椅子生活をしていたことは知っていたが、92歳とはいえ残念な訃報であった。柔道家でもあったので、いつも元気な様子で勇気付けられていたが、今となっては、懐かしい思い出となっている。
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