浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

「アルプスの少女ハイジ」は「楓物語」

2024年06月12日 05時32分34秒 | 旅行
6月11日のテレビ朝日「グッド!モーニング」の林修先生による「ことば検定スマート」は、スイスのヨハンナ・シュピリの児童文学作品「アルプスの少女ハイジ」が日本語に翻訳されたのが、1925年(大正14年)の6月10日であったことに因んでの「ことば検定」で、翻訳された本のタイトルは、何であったかという問題であった。解答は、「楓物語」で、当時の少年少女は外国人の名前に慣れていなかったため、登場人物の名前を日本風に変えて翻訳したそうである。「ハイジ」は「楓」、「ペーター」は「辨太」、「クララ」は「久良子」、「ロッテンマイヤー」は「古井さん」、「デーテおばさん」は「伊達さん」といった具合である。従って、まさに「楓物語」であったのである。

初めて知った話であるが、この作品とはいろいろ因縁があり、以前から興味を持っていた。初めて知ったのは、フジテレビのアニメ番組で、1974年に全話が放映され、よく見ていたことを覚えている。この原作本は、1880/1881年に出版され、アルプスのマイエンフェルトにある小さな村が舞台であるが、1988年8月にそこに旅行する機会を得た。当時、フランクフルトに住んでおり、スイス旅行の一部として立寄ったものであるが、ハイジはマイエンフェルトから一時フランクフルトのゼーゼマン家に預けられていたことから因縁を感じていた。ゼーゼマンの家は、ゲーテハウス(文豪ゲーテの生家)が、モデルという。

スイス旅行では、電車でマイエンフェルト駅に降り立ち、デルフリ村にあるハイジホフというホテルに宿泊し、ハイジの里の雰囲気を味わった。ハイジの泉やハイジの家にも訪れたが、この作品が世界的に知られるようになってから、世界中から観光客が訪れていたようである。子供もまだ小さかったが、家族みんなでまさにアニメの世界を体験でき、忘れられない思い出となった。テレ朝グッド!モーニングのことば検定だけで、一気に当時がよみがえった。

アルプスの少女オープニング主題歌:  https://www.youtube.com/watch?v=h0MreS3bWak



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OB会報の「旅行の思い出」掲載

2024年06月07日 06時31分06秒 | 旅行

会社のOBメンバー(約10000名)宛に毎月1回OB会報のメールマガジンが配布されている。行事等の案内が中心であるが、一番見ているのが訃報の案内である。ここで訃報を初めて知ることも多く、知っている人の名前が載っていると寂しい気持ちになる。また、このメールマガジンでは、「旅行の思い出」を400字程度で投稿してほしいと呼びかけているが、投稿者があまりいないようなので、過去に何回か投稿している。タイトルは、「キーウ旅行の思い出」、「テレサ・テンの名残を訪ねる旅」、「コソボ旅行でヨーロッパ53ヵ国訪問が完結」、「キリストと釈迦の生誕地を訪ねる旅」、「赤毛のアンを訪ねる旅」、「1ヵ月にわたるヨーロッパ旅行」であった。

その後、何人か投稿されたようで、すっかり忘れていたが、1年前に投稿していた「モンゴル旅行の思い出」が6月号に掲載されていた。その時同時に「今や行けない地域への旅行の思い出」も投稿しているので、今後掲載されるかも知れない。ちなみに投稿した「旅行の思い出」は、

「モンゴル旅行の思い出」

2018年7月に成田からモンゴル航空でウランバートル入りし、モンゴルが102か国目(アジアでは31か国目)の訪問国となった。空港で両替をしたが、インフレのため、財布に入らないほど紙幣で溢れかえった。年1回この時期に行われる「ナーダム」という国をあげてのお祭りに合わせ旅行計画を立てたもので、壮大な開会式、射的、弓的及び相撲、それに郊外で子供競馬を見学することができた。開会式は、個人でチケットを取ることが困難なため、HISの観戦ツアーを購入した。開会式は、入場行進、マスゲーム、騎馬隊パレード等感動的なイベントで、人気ぶりがよくわかる。フィールドで行うモンゴル相撲も見応えがあった。滞在中、日帰りで、ジンギスカンの巨大像とテレルジ国立公園にも足を延ばした。街のレストランで唯一の知り合いのモンゴル人(元日本大使)にたまたまお会いするという偶然もあって、思い出深い旅行となった。 

「今や行けない地域への旅行の思い出」

世界には紛争地域がまだたくさんあるが、そういった地域への旅行が思い出される。筆頭格は、ウクライナとベラルーシ(2010年)だが、他にもシリア(2005年)、レバノン(2006年)、ヨルダン(2007年)、イスラエル・パレスチナ(2014年)等へ旅行したことがある。ウクライナもベラルーシも旅行当時は、穏やかであったので、隔世の感がある。シリアは首都ダマスカスだけだが、2011年から内戦に巻き込まれてぃる。レバノンは、旅行直後に首都ベイルートとティールがイスラエルの攻撃を受け震撼した思い出があるが、バールベック(世界遺産)やヒブロス等の観光地への小旅行も楽しめた。ヨルダンやイスラエルは治安が極端に悪いわけではないが、治安には注意を要する。海外旅行に治安問題は付き物だが、今はそれにコロナ問題も加わる。まだ南米に足を踏み入れていないが、治安上問題な国ばかりなので、二の足を踏んでいる。  

コロナ以降、海外に出かける機会が激減しているが、この年になって「旅行の思い出」を振り返ることができることに大変感謝している。 ”DIE WITH ZERO”の本ではないが、まさに《思い出はあなたに配当を与える》である。今までの102ヵ国もの海外旅行の経験は自分の貴重な宝物になっている。

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世界遺産「神々と生きる ヒマラヤの3つの古都」

2024年06月04日 05時02分12秒 | 旅行

6月2日夜6時のTBS世界遺産では、ネパールのカトマンズ盆地にある3つの古都にある世界遺産が紹介されていた。TBS世界遺産の番組は、4月からナビゲーターが「杏」さんから「鈴木亮平」さんに交代していたが、4~5月はあまり興味のある世界遺産ではなかったので、今回はネパールということで初めて最初から最後まで見た。杏さんのナレーションは、2017年から6年半も続いていたので、彼女のナレーションのイメージに慣れ切った感もあった。鈴木さんは、大学の後輩でもあり、以前から応援していたので、新ナビゲーターとして、今後に期待したいところである。

今回は世界遺産として、ヒマラヤ山脈の南側に広がるカトマンズ盆地にある「バクタプル」「カトマンズ」「パタン」という3つの古都の世界遺産を紹介してくれた。カトマンズ盆地には、かつて3つの王国があり、競い合うように王宮や寺院を建造した。この3都市とも、2012年3月にカトマンズに4泊し、すべて見て回ることができた。残念ながら、2015年この地を襲った大地震により、多くの歴史的建造物が損壊してしまい、その後どうなっているか大変気になっていたが、大地震から9年が経った今、木とレンガでできた特有の伝統的建造物が匠の技で見事に修復され、美しくよみがえっていることが確認できて安心した。古都を飾っていた建物は、カトマンズ盆地に古くから住んでいたネワール族が建造したものであるが、今でもその匠の技が引き継がれているようである。

カトマンズでは、世界遺産であるダルバール広場、旧王宮、クマリの館、カスタマンダブ寺院(カトマンズの名前の由来)、スワヤンブナート等が地震前と後の比較映像で復興ぶりがよくわかった。バクタプルは、ネワール族の古都で、世界遺産のダルバール広場や旧王宮やニャタポラ寺院も見事に修復されていた。やはりネワール族が築いたパタンの古都では、世界遺産に指定されているダルバール広場にある寺院も地震前後の映像で復興ぶりが紹介されていた。ネワール族の建物は、レンガと木材の組み合わせで出来ているようで、レンガだけでも600種類もあるというから驚きである。

カトマンズには、日本食レストランも多く、朝からホテル近くの日本食レストランで日本食を食べていた。カトマンズ盆地にある見どころはほとんどすべて見て回ることができたが、4泊の内、2日目には丸1日かけて、小型飛行機に乗り、仏陀(お釈迦さま)が生まれたルンビニという仏教の聖地にも足を運んだ。たった4泊であったが、観光的には大変充実した日々で、ネパール観光を満喫することができた。早いもので、あれからもう12年も経ち、今では、懐かしい思い出となっている。今後も新ナビゲーターによる世界遺産の番組に期待したいところである。

ネパール旅行アルバム(2012年 約10分): https://www.youtube.com/watch?v=owK_tzCjs3I

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50度を超える熱波

2024年05月27日 06時24分33秒 | 旅行

「世界最大」の総選挙が実施されているインドで、北部を中心に熱波が到来し、連日のように日中の気温が40度を超える酷暑が続いており、首都の一部地域では20日に最高気温が47.4度を記録したという。暑さといえば、個人的にすぐに思い出すのが、アラブ首長国連邦のドバイでの経験である。ドバイを訪問したのは、2007年7月末のことで、夜間に空港に到着したが、その時間でさえ空港ビルから外に出たら、熱風にあおられ、その異常な暑さにビックリした。ヨルダンの首都アンマンから帰国する途中にドバイで1泊したものだが、翌日は、猛暑の中、恐る恐る市内観光として、ドバイの街中やジュメイラ・モスクやドバイ博物館等を訪れたが、あまりに暑くて続けて15分も外を歩くことが出来なかったほどである。今までに経験した最も暑い気温であったが、間違いなく50度前後はあったものと思われる。まさにドライヤーの熱風の中を歩くようなもので、暑さに堪えられず、少し歩いては家の中に退避するといった感じであった。

日本での気温の最高記録は、熊谷(2018年)と浜松(2020年)とで41.1度のようであるが、40度前後というのは、暑いといってもイメージは沸くが、50度を超えると15分といえども外を歩くことすらできる状態ではない。日本は、40度前後でも湿気があり蒸し暑いという感覚であるが、ドバイの場合は、ドライヤーから吹き出した乾いた熱風という感覚である。世界記録となると諸説あるようだが、アメリカのデスバレーの56.7度(1913年)が第1位のようである。地球の温暖化はどんどん進んでいるようなので、57度を超える日が来るのも時間の問題かも知れない。7月末というのは、ドバイでは1年で一番暑い時期であったようで、もう二度と行きたくないという印象を持った。


朝日新聞デジタルニュース(5/24 インドの首都で47.4度):https://www.asahi.com/articles/ASS5S256XS5SUHBI01QM.html


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【世界の絶景】死ぬまでに行きたい世界遺産30選(ヨーロッパ編)

2024年05月24日 05時45分45秒 | 旅行

【World Tour】は、いろいろな世界の絶景をアップしており、昨年に「死ぬまでに行きたい世界遺産10選(ヨーロッパ編)」がアップしていたが、今年新たに5月10日に「世界遺産30選(ヨーロッパ編)」を編集してくれた。どの位行ったことがあるか気になって、調べて見たところ、30選の内、23箇所に行ったことがあることがわかった。死ぬまでに行くべきところはまだまだいろいろあるということになる。7つの未踏の世界遺産の内、イタリアが3箇所、後はオーストリア、ギリシャ、ポーランド、アイスランドであった。ちなみに今回ピックアップされた世界遺産は下記の通りであった。映像が大変綺麗なので、見ているだけで旅行した気分になり世界遺産を満喫できる。

ヨーロッパには500件以上の世界遺産があるが、行ったことがあるのは5分の1の100箇所ちょっとである。その中で30箇所を選ぶというのはかなり難しい選択であったと思われる。どんな世界遺産もそれなりの魅力があるので、できるだけ多くの世界遺産に足を運びたいものである。この中でどの世界遺産がお薦めかと訊かれるとどこも魅力があるので答えに窮するが、二度と行きたくないのは、クレムリンと赤の広場であることは間違いない。

1  アマルフィ海岸(イタリア  未)
2  モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ 2010年)
3  シェーンブルン宮殿(オーストリア 1987年)
4  アントニ・ガウディの作品群(スペイン 1987/2012年)
5  バンベルク(ドイツ 1986年)
6  フィレンツェ(イタリア 1988年)
7  アクロポリス(ギリシャ 1978年)
8  セーヌ河岸(フランス 1974/82/88/89/99 2003/03/07年)
9  ドロミーティ(イタリア 未)
10 ドゥブロブニク(クロアチア 2010年)
11 クラクフ(ポーランド 未)
12 バチカン市国(バチカン 1978/2002年)
13 ウエストミンスター宮殿(イギリス 1974/2012年)
14 プリトヴィツェ湖群国立公園(クロアチア 2007年)
15 モンサンミッシェル(フランス 2007年) 
16 ハルシュタット(オーストリア 未)
17 バレッタ(マルタ 2001年)
18 ヴェネツィア(イタリア 1988年)
19 プラハ(チェコ 2006年)
20 メテオラ(ギリシャ 未)
21 ウィーン(オーストリア 1987/89/98 2007年)
22 アルベロベッロ(イタリア 未)
23 ヴェルサイユ宮殿(フランス 1974/2003年)
24 ワルシャワ(ポーランド 2006年)
25 トレド(スペイン 1987年)
26 クレムリンと赤の広場(ロシア 2009年)
27 ブルージュ(ベルギー 1987年)
28 ヴァトナヨークトル国立公園(アイスランド 未)
29 ケルン大聖堂(ドイツ 1986/1988年)
30 ローマ(イタリア 1979/2000/2001/2002年)

【世界の絶景】死ぬまでに行きたい世界遺産30選(ヨーロッパ編):
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デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群の不思議

2024年05月20日 06時02分31秒 | 旅行

5月18日のCNNのニュースで「インドの謎の鉄柱、1600年経った今もさびない理由とは?」という目を引く見出しの話題が報道されていた。 鉄の構造物が、風雨にさらされながら1600年もの間さびることなくそびえ立つことは建造当時の技術不足を考えると、あり得ないことのように思える。世界遺産に登録されている「デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群」の敷地内には、まさにこの謎を証明するような不思議な鉄柱(高7.2m)がある。注目すべき点は、この鉄柱はニューデリーの猛暑や汚染などの環境的な逆境や経年劣化をものともせず、建造当時と同じように原形を保っていることである。

なぜこれほど長い間、腐食に耐えることができたのか?その謎が解明されたのは2003年のことで、インド工科大学カンプール校の研究者らが、答えを学術誌「カレント・サイエンス」に発表した。鉄柱は主に錬鉄でできており、現代の鉄とは異なり、リンの含有量が高く(約1%)、硫黄とマグネシウムが不足していた。さらに、古代の職人は「鍛接」と呼ばれる技法を使用していたことが判明した。つまり鉄を加熱して叩くことで、高いリン含有量をそのまま維持できたという。論文を執筆した考古冶金学者によると、鉄、酸素、水素で形成された化合物「ミサワイト」の薄い層も柱の表面から発見された。この層は、鉄に含まれるリンの含有量が高く、石灰が存在しないことで触媒的に形成され、柱の耐久性をさらに高めるという。彼は、当時の冶金学者たちの創意工夫を称賛し、この柱を「古代インドの冶金技術の生きた証し」と表現し、その耐久性は歴史的な記録によって証明されている。その中には18世紀にこの柱に向けて発射された砲弾が柱を打ち砕けなかったと伝えられた出来事も含まれており、鉄柱の驚くべき強度が示されているという。

このクトゥブ・ミナールには、2004年9月と2006年2月の2回訪れたことがある。1199年に建造されたミナレットは、当初、世界一の高い1000mもあったが、地震や落雷で先端部が崩れ、今は72.5mである。不思議な建物群であるが、特に有名なのがこの腐蝕しない鉄柱である。見た目はなんていうことはないただの鉄柱に見えるが、その起源にまつわる神話や伝説があるというから興味が惹かれる。錆びない鉄柱ということはよく知っていたが、科学的にもいろいろ分析されていることがこのニュースでよくわかった。インドに旅行する機会があったら、是非一度訪れてみては?

CNNニュース~インドの謎の鉄柱:   https://www.cnn.co.jp/fringe/35218778.html

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ゴールデンウィーク始まる

2024年04月28日 08時04分05秒 | 旅行

27日からゴールデンウィークが始まり、ニュースでも新幹線や飛行機の混雑、車の渋滞、観光名所や各地の人出の様子等が流れているが、個人的には昔からほとんど恩恵を受けていないというか、この時期はどこに行っても人人人で混んでいるので、どこにも出かけず、家でのんびりすることが多い。この時期、足代、ホテル代も高くなるので、国内、海外問わず旅行もずうっと避けてきた。家でのんびり見る笑点ではないが、「渋滞情報 密の味」である。今は特に大幅円安なので、海外組はダブルパンチともいえる。今までよく出かけていたヨーロッパへの旅行も、ゴールデンウィーク明けの出発がほとんどである。航空運賃も安いし、新緑で木々が緑に色づくこの季節、ドイツ等では、1年の内、白アスパラガスが食べられる唯一の季節でもある。レストランのメニューもこの時期だけアスパラガスの特別メニューが出回り、メニューのチョイスに迷うことはほとんどない。ヨーロッパ旅行の一番いい季節は、間違いなく5~6月といえる。

今年は、諸事情で旅行に出られないが、2000年以降のこの時期の旅行を振り返ってみると、

2000年5/10~16 スペイン、イタリア
2002年5/24~6/1 イタリア、サンマリノ、ドイツ
2005年5/13~21 ポルトガル、ドイツ
2007年5/18~25 ドイツ
2009年5/9~28 ルーマニア、ブルガリア、マケドニア、ドイツ
2010年5/27~6/9 アイルランド、イギリス、
2012年5/9~6/11 アルバニア、キプロス、ハンガリー、ドイツ、スペイン、アンドラ、アイスランド、ジブラルタル、イギリス
2013年5/21~6/12 アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア、トルコ、ドイツ、イギリス
2017年5/4~5/22 コソヴォ、オーストリア、ドイツ、クロアチア、イギリス

ゴールデンウィークの時期しか大型連休が取れず、海外旅行や国内旅行で高いお金を払ってまで人混みの観光地に行くしか選択肢がない家族連れの人達は可哀そうである。従って、ゴールデンウィークに旅行を楽しむ人達を見ても、嫉妬どころか、むしろ哀れみを感じる。個人的には、2018年から2024年まで6年間もヨーロッパに出かけていないので、そろそろ出かけたい気持ちでいる。今年の5月は、もう間に合わないが、来年まで待てないので、秋の季節に行けるなら行こうかとも思案している。ヨーロッパは53カ国の全てに足を踏み入れているので、新規の国はないが、第一候補は、まだ行ったことがないフランスのロワール河周辺のお城や南フランスでガイドブック等で情報を集めつつある。



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【世界の絶景】一生に一度は行きたい世界の名城15選

2024年04月20日 19時29分24秒 | 旅行

 

World Tourでは、最近、一生に一度は行きたい世界の名城15選を取り上げ、紹介してくれている。世界には、物凄い数のお城と名の付く建物があり、どのお城もそれなりの魅力あるので、その中から15の名城を選ぶのは、至難の業だと思われる。ここで15の名城が取り上げられているが、選者の個人的嗜好によるような気もする。例えば、フランスにはロワール川やローヌ川沿いに多くの名城があるが、ひとつも選ばれていないのは若干疑問でもある。選ばれた15の名城の内、個人的に行ったことがあるのは、8箇所だけであった。自分ではいろいろ行っているかなという思いはあったが、実際は、半分しか行っていないことも判明した。お城というのは、その雄姿はじめ惹きつけられる魅力があるので、可能であれば、新たなお城にも挑戦してみたいところである。

   (国名  訪問年)

  • ハイデルベルク城(ドイツ 1985 他数回)
  • ヴァヴェル城(ポーランド 未)
  • カステル・デル・モンテ(イタリア 未)
  • ペーナ宮殿(ポルトガル 未)
  • アイリーン・ドナン城(イギリス/スコットランド 未)
  • プラハ城(チェコ 2006)
  • ホーエンツォレルン城(ドイツ 1987)
  • エディンバラ城(イギリス/スコットランド 2012) 
  • コンウィ城(イギリス 未)
  • トラカイ城(リトアニア 2010)
  • コッヘム城(ドイツ 2007)
  • クロンボー城(デンマーク 未)
  • ブラン城(ルーマニア 2009) 
  • コルビン城(ルーマニア 未)
  • ノイシュバンシュタイン城(ドイツ 1986)

一生に一度は行きたい世界の名城15選: https://www.youtube.com/watch?v=1Li9ZG_01Zo&t=24s

 

 

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サグラダ・ファミリア大聖堂が2026年ついに完成か?

2024年03月28日 06時52分59秒 | 旅行

 

スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア大聖堂が、着工から140年あまりを経て2026年、ついに完成するとの発表があった。6つの塔のうち最後の塔のメインタワーの建設が完了すれば、サグラダ・ファミリア大聖堂は完成を迎える。聖母被昇天の礼拝堂は2025年に、イエス・キリストの塔は2026年に完成が見込まれるという。イエス・キリストの塔(高さ172.5m)は、最後に高さ17メートルの十字架を設置するので、完成すれば、ドイツのウルム大聖堂(162m)を抜いて世界一高い教会となる。ウルム大聖堂にも1987年10月に行ったことがあるので、感慨深いものがある。

カタルーニャの建築家アントニ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア大聖堂の建設は1882年に始まった。聖堂は、それぞれ聖書の登場人物(12使徒と4人の福音書作家、聖母マリア、イエス)を象徴する18の巨大な尖塔で構成される。ガウディが1926年に死去した時点で建設はまだ10~15%しか進んでいなかった。ただでさえ遅れていた建設は、1930年代のスペイン内戦で中断し、ガウディが手がけた建築物などのほとんどは、この戦争で破壊されたという。1984年にはユネスコの世界遺産に登録され、2010年には当時のローマ教皇ベネディクト16世が正式に教会として認定したが、この聖堂が137年の間、違法建築だったことも分かり、2019年にバルセロナ市が建築許可を出したそうである。

この大聖堂には、2回訪問したことがある。1回目は、1987年9月、2回目が2012年5月であるが、ずうっと建築が進行中であったので、その見た目の外観はまったく異なる印象であった。2012年の時は、礼拝堂が2010年に完成していたので、礼拝堂の中も、塔の上部も博物館も、ライトアップした外観もかなり時間をかけてしっかり見ることができた。2026年は、ガウディ没後100年という節目の年なので、建築作業を急ぎ、そこを目指して完成させようというものである。完成が楽しみである。但し、2026年はあくまでメインタワーの完成で、最終的な完成は、10年後の2034年頃だそうである。

 

テレ朝ニュース(3/27): https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000342505.html

 

          1987年当時の写真

 

          2012年当時の写真

 

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バースデーゴルフ旅行

2024年02月22日 16時19分21秒 | 旅行

 

毎年、この時期に妻のバースデーの記念日旅行を行っているが、希望に従い、今年は伊東温泉にある区の保養施設に2泊し、2日間ゴルフを楽しんできた。2017年は石垣島旅行、2018年は河津桜日帰りバス旅行、2019年は久米島旅行、2020~23年は、場所を変えてゴルフ旅行に出かけてきたが、寒い時期なので、暖かい地域への旅行やゴルフが中心となる。区の保養施設への宿泊は初めてであるが、1泊2食付で一人5500円と格安である。ゴルフは、保養所からタクシーで15分位のところにあるゴルフ場で、プレイ代は昼食付で一人5000円というから、これまた格安といえる。

我が家から伊東までは、横浜からJRの踊り子号を利用し、2時間弱で行くことができるので、便利である。保養所には、卓球台もあるというので、卓球道具も持参した。2泊もするのに観光を全くしないのも癪なので、伊東駅近くにある東海館等の見どころを見学する計画を立てたが、後でよく調べて見たら、10年前に一度行ったことがあることが判明した。自分の記憶がいかにいい加減かを実感したが、せっかく少しの時間を観光に割く計画を立てていたので、予定通り、再度訪問した。また、東郷平八郎が晩年住んでいた旧東郷別荘(伊東東郷記念館)にも足を運んだ。

保養所は、平日にもかかわらずほぼ満室であったが、夕食は「お品書き」付きで、品数も多く、一般の温泉旅館に負けるとも劣らない印象であった。前にも書いたが、同じマンションの友人夫妻もたまたま同じ保養所に宿泊するという偶然もあった。彼らは、保養所の常連のようで、宿泊代を考えるとリピートする価値はありそうである。

2日続けて伊東カントリークラブというゴルフ場でゴルフを楽しんだ。初日は若干雨模様であったが、ほとんど傘はささずにプレイできた。天候のせいか、あまり混んでおらず、スムーズであったが、2日目は、穏やかな天候というか暑いくらいで、ゴルフ場は大変混んでいた。コースは起伏が多く、距離もあるため、初級者にとっては、なかなか厳しいものがあった。ゴルフは昼食付であったが、2日間ともステーキデーで普段なら追加料金1100円が無料であった。それを考えるとプレイ代は3000円程度であったかも知れない。

往復とも踊り子号を利用したが、全席指定席であることは知らなかった。往路は、指定席券をその場で購入できたが、帰路は、ほとんど満席状態で、3号車と8号車とバラバラの席しかあいていなかった。車内の人訊いてみたら、普段はそんなに混んでいないが、今は河津桜の満開見頃となっているので、花見客が殺到しているとのことであった。観光列車なので、伊豆の観光地に立ち寄るようで、河津駅は、河津桜の名所がすぐ近くのところにあるので、利用者が多いという。そういえば、はとバス日帰りツアーで河津桜めぐりをしたのは、2018年2月26日のことでまさにこの時期であった。

 

伊東ゴルフ旅行アルバム: https://www.youtube.com/watch?v=TPN5jEUGLCg

 

 

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