浪漫飛行への誘(いざな)い

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ついにスマホデビュー

2018年04月28日 18時57分22秒 | スマホ・携帯

 

ついにスマホデビューすることにした。
スマホにつては、家族を含め、周りは皆持っているが、自分としてはスマホを有効に活用するシーンを見出せないとの認識で安価なガラケー(ソフトバンク)を持ち続けていた。

ところが、ある日ソフトバンクからの請求書を何気なくチェックしていたら、ガラケーの料金が妻のスマホより高いことに気付いた。毎月、二人で9000円位の料金だが、なんとガラケーの料金が6000円位でスマホが3000円位であることがわかり、愕然とした。

まさかと思い調べてみたら、ガラケーでは、メールの送受信のたびに、ネット料金が発生しているため、予想以上に高く、妻のスマホの方は、端末を一括払いで購入し、割引料金が適用されていることもあり、逆転現象が起こっていた。9000円の内、自分の携帯は3000円程度であろうと思い違いをしていたことがスマホデビューを急ぐきっかけとなった。

自宅では、パソコンを1日に10時間以上利用している上、基本的に電車やバスに乗ることはなく、移動の大半は自転車と徒歩である。旅先には、ノートパソコンを持っていくし、ゲームも全くやらないし、スマホに変えても使う機会があまりないと認識していたので、スマホデビューはあまり検討していなかったが、通話とメールだけでもガラケーの方が料金が高いとなると話は別である。

当初、安いならスマホでもいいかなと思い、YモバイルとかUQとかいわゆる格安スマホを検討していたが、思っていたほど安くなく、また、メールアドレスも変わってしまうことがわかり、計画が頓挫していた。ところが、最近ソフトバンクで、スマホデビュー割というのがあることを知り、検討が一気に進むこととなった。

今まで、ネット回線はNTT東日本のフレッツ光で、プロバイダーは、ODNであったが、それもソフトバンク光に変更するだけで、スマホ代金(妻の分も含め)が一人当たり1000円割引(おうち割)になるうえ、メールアドレスを変えることなく、プロバイダー料金込みの回線料金となるため、さらに1000円程度や安くなることが判明した。

また、無料で最新のソフトバンクのルーターが送られてきて、今使っている7〜8年前のルーターに代えて使用することが可能であることがわかった。今の古いルーターはウィンドウズ10に対応していないということで、新しいルーターの購入を予定していたので、5000円分位は得をしたことになる。ネットでいろいろ調べ、結果的には、ソフトバンク光の代理店を利用するのが一番得であることが判明し、13000円のキャッシュバックをもらうことになった。

また、従来よりソフトバンクの株主でもあるため、スマホ料金が引き続き、1000円割引になるとともに、インターネット利用料金も950円割引になるという。これだけでも、月額約2000円の割引となり、すべてを合わせると、月額約5000円も安くなることがわかった。

スマホデビューにあたり、家電量販店のソフトバンク担当者に相談したが、スマホ選択の最大のポイントがアイフォーンにするかアンドロイドにするかであった。いろいろ調べてみたら、2017年のデータで、日本では、68%がアイフォーン、30%がアンドロイド、世界では72%がアンドロイド、20%がアイフォーンだという。店員に相談しても、決定打がなかなかない。値段は、スマホデビュー割適用で、アンドロイドの方が1500円位安く、ガラケーよりも安くなる一方、アイフォーンだとガラケーより1000円位高くなる。要するに、高いけれど皆が使っていて人気のあるアイフォーンにこだわる意味があるかということである。操作方法も異なり、アンドロイドだと教えてくれる人が周りにいないというアドバイスもあったが、下記のポイントから、敢えて少数派のアンドロイドにすることにした。

・アンドロイドだとガラケーよりだいぶ安くなる(アイフォーンだと若干高くなる。アイフォーンとアンドロイドの価格差は約1500円)
・電話とメールが主で、スマホを使うシーンがあまりない
・アンドロイドだと充電しながら音楽を聴いたり、テレビ(フルセグ)を見ることができる(アイフォーンでは共に不可)

アイフォーンユーザーからは、馬鹿にされそうであるが、自分としての総合判断はアンドロイドで十分という結論となった。日本のアイフォーン利用率は、世界一みたいだが、敢えて世界的視野に立って、世界では主力のアンドロイドを選択することにした。ちなみに、端末は、SONYのXperia XZs で、5月2日に購入予定。


アイフォーンとアンドロイドのシェア分析資料: 

https://xera.jp/entry/iphone-android-share

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北朝鮮にとってのラッキーナンバーは「9」

2018年04月27日 22時25分09秒 | 政治

 

テレビを見ていたら、北朝鮮にとってのラッキーナンバーは「9」で、様々な出来事が「9」に関係しているという。故金正日(金正恩の父)総書記の誕生日が2月16日(全部足すと9)であったことから、彼は生涯「9」にこだわっていたようである。北朝鮮の建国記念日も9月9日であった。後継者の金正恩もこのラッキーナンバーを継承しているとのことで、金正恩の誕生日も1月8日で9になる。正恩氏が最高司令官に就任したのは、11年12月31日、第一書記に就任したのも、12年4月11日であった。

テレビによると今回、会談にあたって正恩氏が姿を現すのは、北朝鮮時間で、9時ちょうど(韓国時間では9時半)を予定していたという。1月の水爆実験を決断したのは昨年12月15日だという。歴史的南北首脳会談が行われたのは、まさに27日。よく知らなかったが、まさに北朝鮮は縁起を担ぐらしいので、これからも出来事の数字をウォッチしていきたい。

偶然かも知れないが、自分が板門店を訪問したのは、2004年3月でそれも27日で、まさに「9」づくし。ちなみに自分の誕生日も3月6日で「9」。北朝鮮と同じようにこれからは「9」で縁起を担いでいくことにするか??

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板門店での歴史的瞬間

2018年04月27日 19時55分43秒 | ニュース
4月27日、板門店で歴史的な南北首脳会談が行われた。板門店には2004年3月27日にツアーに入って訪問したが、今や、板門店の境界線周辺の映像が頻繁に出てくるので、大変懐かしいし、感慨深いものがある。

境界線上にある印象的なブルーの建物の外側には、韓国兵が建物に半身を隠した状態で常に警備している。ブルーの家に入ると、中にはテーブルが置いてあって、韓国兵が待機している。建物の中央部分には軍事境界線が走っているので、建物内ではあるが、北朝鮮側に足を踏み入れることができる。外にある境界線のところに両首脳が歩み寄り、お互いに境界線を踏み越えるシーンは感動的であった。

北朝鮮側には、板門閣というグレーの建物があり、入口に警備兵が韓国側に向かって立っている。首脳会談が行われる平和の家に入っていないが、建物は目の前にあり、写真にもしっかり写っていた。今回、会談に合わせ、内装を変えたようである。とにかく、自分の行ったことがある場所がテレビの映像に何度も出てくるのを見ると臨場感たっぷりで、そこに旅行で訪問していてよかったと感慨深いものがある。

トップ会談シーンがこんなに早く来るとは想像もしていなかったので、とにかく、いい方向へ早く展開することを期待するものである。

写真は、板門店の軍事境界線周辺
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東京スカイツリーから富士山を臨む

2018年04月27日 00時09分48秒 | 観光

古希の誕生日に東京スカイツリーの目の前のホテルに1円で宿泊したが、視界不良ということで、その日は天望デッキには上らなかった。どうせ高いお金を払って上るなら、富士山が見られる時がいいと決めて、そのチャンスを伺っていたが、本日ついに実現したのである。

何週間か前、東京が透き通るような快晴だった日に見切り発車でスカイツリーまで出かけたが、到着して案内所で訊いたところ、本日富士山は見えませんとのことで、断念した経緯がある。家の近くからは見えてもスカイツリーからは見えないこともよくあるようである。

本日、家の近くから富士山がよく見えるという情報を得て、またもや見切り発車でスカイツリーに向かった。家からは約40分であるが、地下鉄区間が多いため、電話での問い合わせもできないので、行ってみるしかないのである。スカイツリーは8時にオープンするが、電話による問い合わせは、朝9時からのみなので、あまり役に立たない。午前中に見えることが多いとのことなので、 せめてオープンする8時から電話による問い合わせができるようにしてほしいものである。まだまだサービスの改善が必要である。

今日は、9時15分頃にスカイツリーに到着した。修学旅行の団体客もそこそこいたが、個人客の切符売り場では、平日ということもあって5分程度の待ち時間で済んだ。エレベーターもあまり待つこともなく、9時半すぎには展望台に上ることができた。

スカイツリーの天望デッキは初体験であったが、富士山はばっちり見ることができた。それほど混んでいるという状態ではなかったので、写真もゆっくり撮ることができた。スカイツリーが高すぎ、周りの景色が小さくしか見えないので、目印の建物の確認は、地図がってもなかなか大変であった、東京タワー、東京ドーム、富士山等は目立つが、その他は肉眼ではじっくり見ないと確認しにくい印象であった。

スカイツリーから見る富士山は予想通りの雄姿であった。富士山が見られないなら、スカイツリーの展望台に上る意味がないともいえる。折角デッキまで来たので、さらに上の天望回廊まで上ってみた。回廊の方は人数も少なくなるので、富士山の雄姿とともに、ゆっくり落ち着いて東京の街の眺望を楽しむことができた。しかし、富士山は10時15分頃には雲で隠れてしまった。

3月から快晴の日をずうっと狙っていたが、富士山が見えるほど視界が良好という日は非常に少ないと感じた。恐らく月に1~2日ではないかと思う。話によると1月や2月だともっと見える日が多いそうである。夏では雪に覆われた雄姿は見えないので、12月から2月位が狙い目かも知れない。残念ながら、3月はほとんど見られなかったのではないかと思う。
予定がなく朝早く行ける日と富士山が見えるほど快晴の日が重なる確率は極めて少ないとも思えるので、本日はラッキーであったともいえる。天候に左右されるのだから、前もって天望デッキの切符を買うなんて愚の骨頂である。雨の日や視界不良の日に天望デッキに上っても全く意味がない。それにしても、スカイツリーもデッキの案内情報の充実にもっと努めるべきであろう。

写真は、スカイツリーから見た富士山

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その後の一番切符

2018年04月18日 20時16分23秒 | マニア

その後、家の周辺や空港関連で新しい駅ができるたびに、夢よもう一度ということで、眠っていた病が再発していった。1998年11月18日の京浜急行の「羽田空港駅」、2001年3月31日のりんかい線の「天王洲アイル駅」、2002年12月1日の同線の「品川シーサイド駅」、2004年12月1日の東京モノレールの「羽田空港第2ビル駅」、2010年10月21日の「羽田空港国際線ビル駅」のいずれにおいても徹夜して、無事、一番切符を入手した。

何回も徹夜しているといつも一緒になるマニアに出会ったり、仲間うちで連絡を取りながら買い占めているよからぬ連中も見かけた。いつもは一人で徹夜するが、京浜急行の「羽田空港駅」の時は、義理の兄が付き合ってくれ、一番切符を2枚手に入れた。

東京モノレールの「国際線ビル駅」の時は、京浜急行の「羽田空港国際線ターミナル駅」も同時にオープンしたので、両方の一場切符を手に入れた人は誰もいなかった。モノレールについては無事一番切符を手に入れたが、京浜急行の方は、五番切符しか残っていなかった。当時、周辺にトイレがなかったので、苦しい思いをしたものである。寒空の夜中に徹夜をするのは年寄りにはかなりきつかったが、今となっては懐かしい思い出となっている。ターミナルがオープンされると中でテレビカメラが回っていたので、テレビに映る羽目となったが、マスクで顔を隠していたので、まずは気づかれなかったと思われる。

あれからもう8年、今となっては徹夜する元気はあまりないので、新しい駅ができないことを祈っている。


羽田空港駅の一番切符: 


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りんかい線「東京テレポート」駅の一番切符

2018年04月17日 19時27分58秒 | マニア

1996年3月30日にりんかい線(当時、臨海副都心線)の東京テレポート〜新木場間が開業した。これに伴い、臨海副都心エリアに東京テレポート駅が新規にオープンした。「ゆりかもめ」の一番切符の入手失敗の反省から、前日の夜から子供を連れて、徹夜することにした。

1996年といえば、世界都市博覧会がこの臨海エリアで開催されることになっていたが、当時の青島東京都知事の一声で急遽中止になった年である。 りんかい線の開業もそれに合わせたものだと思うが、中止となったため、そのエリアはまだ広い空き地が展開しているだけの状態であった。

徹夜したマニアの人達は何人かいたと思うが、周辺にはトイレもなく、交代で歩いて15分位のところで3月12日にオープンしていたホテル日航東京のトイレを借りに行ったのをよく覚えている。3月末なので、まだかなり寒かったと記憶しているが、二人で並んでいたので、思ったより早く時が過ぎていった。

5時すぎには新駅の扉がオープンし、5時18分には、「0001」の一番切符を2枚ゲットした。自動券売機が何台あったか覚えていないが、券売機の数しか一番切符は発行されないので、待っている時にすでに一番切符が取れるかどうかはわかるのである。あまり覚えていないが、一番切符の後に、何枚か買って、その切符で、一番電車に乗って新木場まで行き、折返して国際展示場駅まで戻った。そこで下車して、やはり新設されたその駅で、6時27分に切符を購入したが、まだ「0002」の二番切符が残っていた。

ゆりかもめでは一番切符は逃したが、リベンジで、やっと一番切符を手に入れることができた。その時の何とも言えない感覚が病として心の片隅に残り、その後徹夜して一番切符を手に入れようというチャレンジが始まった。鉄道マニアというわけではないので、臨海と空港関連だけの一番切符に限ってのチャレンジではあるが、その後、りんかい線の天王洲アイル駅、品川シーサイド駅、京浜急行の羽田空港駅、東京モノレールの羽田空港第2ビル駅、羽田空港国際線ビル駅の一番切符を徹夜して手に入れることになった。

東京テレポート駅の一番切符:  http://romanflight.web.fc2.com/rinkai-teleport.html
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「ゆりかもめ」のニ番切符

2018年04月17日 05時56分59秒 | マニア

1995年11月1日に「ゆりかもめ」の運行が開始された。「ゆりかもめ」は、新橋と臨海副都心の有明を結ぶ無人電車で、沿線に会社関連のホテル(総支配人が元上司)の開業も予定されていたこともあって、思い立ってチャレンジすることになった。

当時、卓球大会でドイツのハンブルクに旅行中であったため、10月31日の夜に帰国し、ほとんど寝ることなく、時差ボケのまま、1日早朝にタクシーを捕まえ、台場駅に向かった。当時、臨海副都心エリアはまだあまり知られていなかったため、お台場に行ってほしいとドライバーに言ったが、どこにあるかわからない状態であった。かなり遠回りして台場駅に5時頃着き、切符を自動券売機で購入したが、切符の番号は、「0002」。係員によるとマニアに頼まれてかガードマン風の人がすでに一番切符を購入し、立ち去ったという。一番切符は入手できなかったが、有明発5時すぎの新橋行の上りの一番電車に台場駅から乗った。一番切符の人は乗らず、後には誰も来なかったので、乗ったのは自分一人で、台場駅の最初の乗客となった。

次に、隣のお台場海浜公園駅で下車し、そこでまた切符を購入したが、それもなんと「0002」番。一番切符はどうも台場駅の一番切符を買った人がこの駅でも購入したものと思われる。この駅で降りた人も、乗車した人も自分以外におらず、これまたお台場海浜公園駅利用の最初の乗客となった。そこから新橋発5時20分の下りの一番電車に乗り、テレコムセンター駅で途中下車し、また切符を購入したが、番号は、「0003」番。そこから次のニ番電車に乗り、青海駅で途中下車し、また切符を購入したところ今度は「0002」の二番切符。次に、隣の国際展示場正門駅で途中下車し、再度切符を購入したが、さすがここでの切符は、「0004」番であった。

今は禁止されているが、よくわからないまま、有明駅の終点では降りず、そのまま折返しで新橋駅まで行った。当時、「ゆりかもめ」は、開業直後ということもあって、安全性確保の観点からか無人電車ではなく運転手も乗っていた。新橋駅で降りた後は、JR新橋駅にあった喫茶店でモーニングの朝食を食べ、その後、当時有楽町にあった会社のオフィスに通常通り出勤した。早起きして、一仕事を終えて、余裕を持って、会社に出勤するという充実した一日であった。当時はまだ40代後半で、元気なものであったが、今思うとぞっとするような強行スケジュールであった。

かくして、「ゆりかもめ」の一番切符の入手に失敗したので、一番切符を手に入れるためには、徹夜することが最低条件との認識に立ち、次のチャレンジを行うことにした。

ゆりかもめの2~4番切符: http://romanflight.web.fc2.com/Yurikamome-ALL.html
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一番切符へのチャレンジ

2018年04月16日 12時56分04秒 | マニア

最初に一番切符を手に入れたのは、1993年9月27日のことであった。この日、羽田空港旅客ターミナルの沖合展開に伴い、新しく東京モノレールが延伸され、羽田空港駅が新設されたのである。当初の計画は、羽田駅から一番電車に乗り、羽田発福岡行の新ターミナル発初便に搭乗することであった。

一番電車で新しい羽田空港駅に降り立つとそこには新しい自動券売機がずらっと並んでいたのに気付いた。10台あったと思うが、試しに切符を買ってみると、なんと切符の番号は、「0001」でまさに一番切符。隣の券売機でも買ってみると、それも「0001」番。最終的には、5台の券売機から、「0001」の一番切符を5枚手に入れた。当時、新しい羽田空港駅には早くからの立ち入りができなかったか、マニアがあまりいなかったのかわからないが、一番電車の到着時点でも、一番切符が残っていたのである、

当時、新ターミナルオープンということで、花の鉢植えのプレゼントがあったが、福岡に持っていくことはできないため、ロッカーを利用しようとした。ところが、ロッカーは電動で作動するタイプのもののようで、電源が入っておらず、使えなかったため、係員に言って、電源を入れてもらい、鉢植えを預けた。ということは、羽田空港ロッカーの記念すべき最初の利用者となったのである。

飛行機は無事福岡に到着し、博多市内にある支店を訪問したが、なんと朝9時から始まる朝ブリーフィングに間に合ったのである。これなら東京から博多にも通勤できるかなと思ったほどである。こんなわけで、偶然に一番切符を手に入れることになったが、これから一番切符へのチャレンジというか、なかなか直らない病が始まったのである。最初のトライアルは1995年の「ゆりかもめ」の一番切符であるが、ちょっぴり悔しい思い出でもあった。(続く)

羽田空港駅の一番切符: 

http://romanflight.web.fc2.com/haneda-monorail.html
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100歳人生を生き抜くヒント

2018年04月14日 16時43分58秒 | 人生
先日、「五木寛之“100歳人生”を生き抜くヒントとは」というテーマのNHKのTV番組(ごごナマ-おしゃべり日和)を見た。

これは、最近、彼が「百歳人生を生きるヒント」というタイトルの本を書かれ、それに関連してのトーク番組であったが、 大変含蓄があって面白く、つい番組に引き込まれた。

85歳になる五木寛之さんの人生の極意が語られていたが、彼によると前半50年は上り坂、後半50年はゆっくりした下り坂であり、登山より下山が大事だという。

50代 下り坂を見据えた事始め、

60代 「リセット再起動」孤独を味わう

70代 「人生の黄金期」下山の途中を楽しむ

80代 「自分ファースト」社会的しがらみから身を引き、自分ファーストで生きる

90代 「想像力より妄想力」培った想像力で時空を超えた楽しみにひたる

詳細は本を読みたいと思うが、やっと人生の黄金期に入ったということで、勇気付けられる想いである。自分ファーストの世界まで行けるかどうかわからないが、これから下山の途中に現れるいろいろな出来事を十分楽しみたいと思う。

書籍: https://books.rakuten.co.jp/rb/15251042/
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音楽の空港シリーズへの思い

2018年04月03日 06時24分45秒 | 音楽
仕事の関係もあり、会社に入ってから、空港、飛行機、航空関連をテーマとした楽曲コレクションを始めた。きっかけとなった曲は、1974年のテレサ・テンの「空港」である。いろいろ調べていたら、「羽田発7時50分」(フランク永井 1958年)や「夜霧の空の終着港(エアターミナル)」(マヒナスターズ 1959年)という古い曲から、「そこは青い空だった」(橋幸夫・吉永小百合 1964年)や「雨のエアポート」(欧陽菲菲 1971年)、「夜間飛行」(ちあきなおみ 1973年)のような比較的新しい曲まで、いろいろあることがわかり、集めてみようと思った次第である。

新しい曲が出るとコレクションに追加していくとともに、レコード屋に行っては、レコードジャケットをチェックし、それらしき古レコードを買い漁ったものである。世の中にはほとんど知られていないが、空港・飛行機関連の楽曲が意外と多くあるのに驚いたものである。それでも仕事を始めてから20年位経った時でも、片手間にやっていたので、20~30曲前後しかコレクションできていなかったと思う。

2004年に自分のホームページを開設したが、その時に、本格的に集めて、自分のホームページ上でリストしてみようと考えた。その頃には、インターネットもかなり普及していて、検索エンジンを使って、様々な楽曲を探し当てることができた。当初は100曲もなかったような気がするが、検索してみると続々と空港・航空関係の楽曲が出てきた。特に、2008年の定年後は、自由な時間も十分できたので、空港、エアポート、飛行機、フライト、最終便、夜間飛行等空港関連の楽曲をはじめ、少し解釈を拡大して飛行機雲、紙飛行機、グライダー、翼、飛行船、気球、海外旅行、エアラインのCMソング、歌詞に空港関連用語が出てくる楽曲等も含めて集めることとし、それに、外国の曲も少しずつ集め始めた。

ホームページ上でコレクションを続けているうちに、ついにその数が850曲を超えるに至った。
日本の楽曲が約700曲、外国の楽曲が約150曲となっている。音源がない曲もあるが、850曲のうち、70~80%位は、ホームページ上で、YouTube を中心に音楽を聴くこともできるようになっている。歌詞についてもわかるものは見られるようになっている。

空港をテーマにした楽曲は、別れとか寂しいイメージの曲が多く、意気揚々と旅行に出かけるようなイメージの曲は少ないことがよくわかる。好きな曲もいっぱいあるが、特に好きなのは、テレサ・テンの「空港」や自分のHPのテーマソングにしている米米CLUBの「浪漫飛行」。850曲ともなると知られていない曲も多いが、その内、自分好みで比較的知られている空港、飛行機をテーマとした曲100選のリストや各空港を歌った楽曲選も載せている。さらに、知られている曲の中で厳選して好きな10曲をピックアップしてみると、

1 「空港」  テレサ・テン
2 「浪漫飛行」 米米CLUB 
3 「夜間飛行」 ちあきなおみ
4 「そこは青い空だった」 橋幸夫・吉永小百合
5 「北空港」 浜圭介・桂銀淑 
6 「青い滑走路」 石原裕次郎
7 「アテンション・プリーズ」 ザ・バーズ
8 「北ウィング」 中森明菜
9 「最終案内」 さだまさし
10「ジェット最終便」 朱里エイコ

これらの850曲については、小生のホームページ「浪漫飛行への誘い」に全曲リストアップ(順不同)しているので、興味ある方は是非覗いてみてください。これからは外国の曲を中心に数を広げ、できれば、1000曲をめざしたいところである。もし、リストされていない曲があれば教えてください。

  HP: 「浪漫飛行への誘い」  http://romanflight.web.fc2.com/

     音楽シリーズ  ⇒  空港シリーズ (1) (2) (3) (4) (5) 「各空港」 「100選」

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