浪漫飛行への誘(いざな)い

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11月11日で思い出す一番切符や初便搭乗

2023年11月11日 19時40分15秒 | マニア

 

また、1のゾロ目となる11月11日を迎えたが、この日になるといつも電車の一番切符や1が並ぶ縁起のいいゾロ目のことを思い出す。1111のゾロ目については、個人的には、平成11年11月11日の2345番という貴重な切符を持っている。11月11日に購入した切符であるが、偶然にも番号が2345という信じられない数字が並んでいた。まさにレアものであるが、他にも1へのこだわりがあるので、電車の一番切符や飛行機の初便搭乗にも興味を持って、いろいろ実践してきた。電車の一番切符については、りんかい線の「東京テレポート」駅、「天王洲アイル」駅、「品川シーサイド」駅及び東京モノレールの「羽田空港」駅、「羽田空港第2ビル」駅、「羽田空港国際線ビル」駅及び京浜急行の「羽田空港」駅の一番切符を所蔵している。いずれも徹夜して券売機の前に並んで購入したものである。お台場エリアにある「ゆりかもめ」の「台場」駅と「お台場海浜公園」駅については、ともにその駅から最初に乗車した一番乗りの乗客となったが、切符だけは、「0002」と2番切符であった。というのも駅員の話によると1番切符は両駅ともマニアから頼まれたガードマン風の男が買っていったという。

飛行機の初便搭乗については、スカイマーク航空から始まった国内線新規参入航空会社、11社すべて(LCCも含む)の初便に搭乗してきた。スカイマークの他に、エア・ドゥ、スカイネットアジア航空(現ソラシドエア)、スターフライヤー、フジドリームエアランイズ、ピーチ航空、ジェットスター、エアアジア、バニラ航空、春秋航空、(新生)エア・アジアである。初便はプレスが多数取材で搭乗するため、販売席数が限定され、予約の確保に随分苦労したものである。いま、新規の航空会社として新潟をベースとする「トキエア」が新規参入をめざしているが、大幅に就航が遅れている。就航するようであれば、新潟―丘珠(札幌)の初便に搭乗したい気持ちはあるが、小型機なので、予約が取れない可能性が強い気もする。トラブルが心配されるが、この冬に就航するのであろうか?

 

画像は、平成11年11月11日の2345切符

一番切符コレクション: https://youtu.be/fqq4oYfAYEI?si=iAYLfh3VZ9-la-7j

初便搭乗コレクション: https://youtu.be/jKn0cSBT7wE?si=tIGQX1G13dinoZIH

 

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目黒寄生虫館~ビル・ゲイツも訪問

2022年09月24日 05時58分28秒 | マニア

 

あのマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏が今夏、目黒にある寄生虫館を訪れ話題になっている旨のニュースが流れていた。彼は、8月に旭日大綬章の受章のため来日し。この博物館に立ち寄ったもので、人間に感染する寄生虫の展示に興味を持ち、「世界一長いとされるサナダムシを見た」などとツイッターに投稿し、世界中に話題を振りまいた。それがきっかけで、博物館のHPへのアクセス数が跳ね上がり、寄附も急増しているとのことである。

この寄生虫館には、定年後しばらく東京フリーガイドでボランティアガイドをやっていた時、ゲストの要望で一度訪れたことがある。目黒駅から徒歩12分位のところにあるが、特殊感満載なので、行ったことがある人は少ないかとも思う。それでもマニアックな人達には人気があるようで、その時世界でも知られていることを初めて知った。イスラエル人であったような気がするが、博物館見学の後、我が家にも遊びに来た。ボランティアガイドを通じての面白い国際交流である。この世界一長い寄生虫も展示の目玉なのでしっかりと見た記憶がある。コロナ禍で入場者数も減っていたようであるが、これをきっかけに入場者数も増えているようなので、結構なことである。入場無料なので、一度訪れてみてはどうでしょうか?

 

写真は、8.8mのサナダムシとビル・ゲイツ氏

読売新聞オンライン記事(9/17): https://www.yomiuri.co.jp/science/20220917-OYT1T50027/

目黒寄生虫館のHP: https://www.kiseichu.org/

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その後の一番切符

2018年04月18日 20時16分23秒 | マニア

その後、家の周辺や空港関連で新しい駅ができるたびに、夢よもう一度ということで、眠っていた病が再発していった。1998年11月18日の京浜急行の「羽田空港駅」、2001年3月31日のりんかい線の「天王洲アイル駅」、2002年12月1日の同線の「品川シーサイド駅」、2004年12月1日の東京モノレールの「羽田空港第2ビル駅」、2010年10月21日の「羽田空港国際線ビル駅」のいずれにおいても徹夜して、無事、一番切符を入手した。

何回も徹夜しているといつも一緒になるマニアに出会ったり、仲間うちで連絡を取りながら買い占めているよからぬ連中も見かけた。いつもは一人で徹夜するが、京浜急行の「羽田空港駅」の時は、義理の兄が付き合ってくれ、一番切符を2枚手に入れた。

東京モノレールの「国際線ビル駅」の時は、京浜急行の「羽田空港国際線ターミナル駅」も同時にオープンしたので、両方の一場切符を手に入れた人は誰もいなかった。モノレールについては無事一番切符を手に入れたが、京浜急行の方は、五番切符しか残っていなかった。当時、周辺にトイレがなかったので、苦しい思いをしたものである。寒空の夜中に徹夜をするのは年寄りにはかなりきつかったが、今となっては懐かしい思い出となっている。ターミナルがオープンされると中でテレビカメラが回っていたので、テレビに映る羽目となったが、マスクで顔を隠していたので、まずは気づかれなかったと思われる。

あれからもう8年、今となっては徹夜する元気はあまりないので、新しい駅ができないことを祈っている。


羽田空港駅の一番切符: 


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りんかい線「東京テレポート」駅の一番切符

2018年04月17日 19時27分58秒 | マニア

1996年3月30日にりんかい線(当時、臨海副都心線)の東京テレポート〜新木場間が開業した。これに伴い、臨海副都心エリアに東京テレポート駅が新規にオープンした。「ゆりかもめ」の一番切符の入手失敗の反省から、前日の夜から子供を連れて、徹夜することにした。

1996年といえば、世界都市博覧会がこの臨海エリアで開催されることになっていたが、当時の青島東京都知事の一声で急遽中止になった年である。 りんかい線の開業もそれに合わせたものだと思うが、中止となったため、そのエリアはまだ広い空き地が展開しているだけの状態であった。

徹夜したマニアの人達は何人かいたと思うが、周辺にはトイレもなく、交代で歩いて15分位のところで3月12日にオープンしていたホテル日航東京のトイレを借りに行ったのをよく覚えている。3月末なので、まだかなり寒かったと記憶しているが、二人で並んでいたので、思ったより早く時が過ぎていった。

5時すぎには新駅の扉がオープンし、5時18分には、「0001」の一番切符を2枚ゲットした。自動券売機が何台あったか覚えていないが、券売機の数しか一番切符は発行されないので、待っている時にすでに一番切符が取れるかどうかはわかるのである。あまり覚えていないが、一番切符の後に、何枚か買って、その切符で、一番電車に乗って新木場まで行き、折返して国際展示場駅まで戻った。そこで下車して、やはり新設されたその駅で、6時27分に切符を購入したが、まだ「0002」の二番切符が残っていた。

ゆりかもめでは一番切符は逃したが、リベンジで、やっと一番切符を手に入れることができた。その時の何とも言えない感覚が病として心の片隅に残り、その後徹夜して一番切符を手に入れようというチャレンジが始まった。鉄道マニアというわけではないので、臨海と空港関連だけの一番切符に限ってのチャレンジではあるが、その後、りんかい線の天王洲アイル駅、品川シーサイド駅、京浜急行の羽田空港駅、東京モノレールの羽田空港第2ビル駅、羽田空港国際線ビル駅の一番切符を徹夜して手に入れることになった。

東京テレポート駅の一番切符:  http://romanflight.web.fc2.com/rinkai-teleport.html
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「ゆりかもめ」のニ番切符

2018年04月17日 05時56分59秒 | マニア

1995年11月1日に「ゆりかもめ」の運行が開始された。「ゆりかもめ」は、新橋と臨海副都心の有明を結ぶ無人電車で、沿線に会社関連のホテル(総支配人が元上司)の開業も予定されていたこともあって、思い立ってチャレンジすることになった。

当時、卓球大会でドイツのハンブルクに旅行中であったため、10月31日の夜に帰国し、ほとんど寝ることなく、時差ボケのまま、1日早朝にタクシーを捕まえ、台場駅に向かった。当時、臨海副都心エリアはまだあまり知られていなかったため、お台場に行ってほしいとドライバーに言ったが、どこにあるかわからない状態であった。かなり遠回りして台場駅に5時頃着き、切符を自動券売機で購入したが、切符の番号は、「0002」。係員によるとマニアに頼まれてかガードマン風の人がすでに一番切符を購入し、立ち去ったという。一番切符は入手できなかったが、有明発5時すぎの新橋行の上りの一番電車に台場駅から乗った。一番切符の人は乗らず、後には誰も来なかったので、乗ったのは自分一人で、台場駅の最初の乗客となった。

次に、隣のお台場海浜公園駅で下車し、そこでまた切符を購入したが、それもなんと「0002」番。一番切符はどうも台場駅の一番切符を買った人がこの駅でも購入したものと思われる。この駅で降りた人も、乗車した人も自分以外におらず、これまたお台場海浜公園駅利用の最初の乗客となった。そこから新橋発5時20分の下りの一番電車に乗り、テレコムセンター駅で途中下車し、また切符を購入したが、番号は、「0003」番。そこから次のニ番電車に乗り、青海駅で途中下車し、また切符を購入したところ今度は「0002」の二番切符。次に、隣の国際展示場正門駅で途中下車し、再度切符を購入したが、さすがここでの切符は、「0004」番であった。

今は禁止されているが、よくわからないまま、有明駅の終点では降りず、そのまま折返しで新橋駅まで行った。当時、「ゆりかもめ」は、開業直後ということもあって、安全性確保の観点からか無人電車ではなく運転手も乗っていた。新橋駅で降りた後は、JR新橋駅にあった喫茶店でモーニングの朝食を食べ、その後、当時有楽町にあった会社のオフィスに通常通り出勤した。早起きして、一仕事を終えて、余裕を持って、会社に出勤するという充実した一日であった。当時はまだ40代後半で、元気なものであったが、今思うとぞっとするような強行スケジュールであった。

かくして、「ゆりかもめ」の一番切符の入手に失敗したので、一番切符を手に入れるためには、徹夜することが最低条件との認識に立ち、次のチャレンジを行うことにした。

ゆりかもめの2~4番切符: http://romanflight.web.fc2.com/Yurikamome-ALL.html
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一番切符へのチャレンジ

2018年04月16日 12時56分04秒 | マニア

最初に一番切符を手に入れたのは、1993年9月27日のことであった。この日、羽田空港旅客ターミナルの沖合展開に伴い、新しく東京モノレールが延伸され、羽田空港駅が新設されたのである。当初の計画は、羽田駅から一番電車に乗り、羽田発福岡行の新ターミナル発初便に搭乗することであった。

一番電車で新しい羽田空港駅に降り立つとそこには新しい自動券売機がずらっと並んでいたのに気付いた。10台あったと思うが、試しに切符を買ってみると、なんと切符の番号は、「0001」でまさに一番切符。隣の券売機でも買ってみると、それも「0001」番。最終的には、5台の券売機から、「0001」の一番切符を5枚手に入れた。当時、新しい羽田空港駅には早くからの立ち入りができなかったか、マニアがあまりいなかったのかわからないが、一番電車の到着時点でも、一番切符が残っていたのである、

当時、新ターミナルオープンということで、花の鉢植えのプレゼントがあったが、福岡に持っていくことはできないため、ロッカーを利用しようとした。ところが、ロッカーは電動で作動するタイプのもののようで、電源が入っておらず、使えなかったため、係員に言って、電源を入れてもらい、鉢植えを預けた。ということは、羽田空港ロッカーの記念すべき最初の利用者となったのである。

飛行機は無事福岡に到着し、博多市内にある支店を訪問したが、なんと朝9時から始まる朝ブリーフィングに間に合ったのである。これなら東京から博多にも通勤できるかなと思ったほどである。こんなわけで、偶然に一番切符を手に入れることになったが、これから一番切符へのチャレンジというか、なかなか直らない病が始まったのである。最初のトライアルは1995年の「ゆりかもめ」の一番切符であるが、ちょっぴり悔しい思い出でもあった。(続く)

羽田空港駅の一番切符: 

http://romanflight.web.fc2.com/haneda-monorail.html
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