大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

荒川三山から赤石岳縦走 1996年8月

2010年05月09日 | 南アルプス
当時の会社の同僚のI氏との山行。当初は聖岳まで歩く予定だったが、彼が体調を崩して
赤石からエスケープ。結局、聖岳は今現在までやれずに残ってしまった。
この当時は花にまったく興味が無かったので何の記録も無い。味気ない山をやってたもんだが
山岳展望だけで充分楽しんでいたらしい。
そういうわけであんまり面白くない記録だと思いますが辛抱お願いします。

1996年8月15日-17日(山中2泊3日、小屋泊り)(I氏同行)

実際は前夜と下山後も椹島ロッジに寝たので4泊5日もかかった。

1.初日
椹島ロッジから千枚小屋まで
9:00-10:45小石下-11:00昼食11:30-12:10清水平-12:50蕨段-15:30

前日は静岡駅からロッジまでバスを乗り継いでなんと6時間もかかっている。
恐ろしいほどの山の深さでないか。南アルプス恐るべし。ロッジに食事付きで寝たが
下山後は素泊まりにして経費を節減した。ロッジまでのマイクロバスは東海フォレストの
経営する小屋を食事付きで利用しないと乗れないので注意が必要。
テントの場合は百間洞山の家とか千枚小屋とか自分の都合のよいところで利用すればよかろう。
ひょっとすると食事だけでもバスがOKか聞いてみる価値はある。
もうひとつは千枚小屋は昨年焼失してプレハブで営業が今年も続くと思う。要確認です。

当日は台風が通過して明け方は荒れており停滞を覚悟していたのだが、8時半には雨があがり、
急遽出発する事にした。
コースはだらだら登りで歩きやすい。樹林帯の単調で面白くない歩きは仕方が無い。
駒鳥池は小さな薄汚い池だったし、その先にあると94年版のエアリアに載っている、千枚岳への
直登ルート入り口は確認できなかった。地図には小屋は93年に焼失してプレハブで営業中と
書いてある。2回も焼けるとはちょと不可思議だ。ひょっとすると放火でないか?
利用した時は立派なこぎれいな小屋だった。
食事は案外と旨くて、スタッフに外人さんがいて、寝袋がフトン代わりだった。
小屋前から富士がドーンと見えた。

2.二日目
千枚小屋から荒川小屋まで
5:40-6:20千枚岳-8:20悪沢岳8:50ー10:00中岳避難小屋-10:45分岐-12:20

千枚岳は強烈な風だった。赤石岳がかっこいい。途中は結構な花畑だったらしいが
何にも記録していない。興味が無かったのだから仕様が無いがちょっと勿体無かった。
中岳から荒川小屋への途中の大花畑と合わせてもう一度行く手もあるがなかなか難しい。
悪沢岳は360度の大展望。意外なのは塩見岳が姿が悪く、間ノ岳がどでかい。
それとあの女性的な仙丈ケ岳が意外と男性的な姿をしているのが面白い。
ここで驚愕の事態が発生。
I氏が体調が悪くて赤石岳までは歩けないと言い出した。何とまいったなあ。
しかしまあ仕様が無いから赤石から降りるしかなかろう。残念だが荒川小屋で停滞だ。
悪沢からは岩っぽくて楽しいのだが、風が強くてバランスを崩すので気を抜けない。
中岳の小屋はこじんまりした小屋で2,3人いた。
下りは結構急でとても登る気はおきないが、案外と歩きやすいかも。
ガイドブックでは南アルプス1,2の花畑と書いてあるが素通りしている。
12:20に小屋に着いてやることも無くダラダラしてすごしたみたいだが全く情けなかった。
花に興味があったら花畑で半日でも楽しんだろうになあ。
この時の小屋はまだ大鹿村の経営でカレーだったし、ひどいあばらや風の歴史的な姿だった。
今は東海フォレストが経営しており、新しい小屋を造って、この古い小屋は自炊用に使っているらしい。

3.三日目
荒川小屋から椹島ロッジまで
4:50-5:45大聖寺平-7:50赤石岳-8:20分岐で食事9:10-10:50富士見平11:20
-11:40赤石小屋-15:00

大聖寺平までは緩やかな登りで随分と歩きやすかったが、小赤石への登りは斜度が増した。
といっても音を上げるほどでもない。
登りついた稜線上に結構な花が咲いていたのが不思議だった。
赤石岳の頂上はガスでなんの眺望も無い最低のピ-クだったがいかんともしがたい。
百間洞への下りは長くて大変そうだった。聖への縦走は手強そう。
分岐に戻って食事をして下山を開始した。この北沢源頭のお花畑は見ごたえがあった。
それから辛いトラバース道が延々と1時間以上も続いてやっと富士見平だった。
この歩きはこたえた。とにかく歩けど歩けど高度が下がらないのだからウンザリしてくるのだ。
下山途中でのトラバースでこんなに歩かされたのはここが最初で最後だったろう。
それこそ「何で高度が下がらないんだよ。まったくいい加減にしろよなあ」と毒づきながら
歩くのも当然の長さだったのだ。
戦時中に陸軍の飛行機が墜落したとか言う富士見平で中休止してから下りだした。
赤石小屋で小休止の後はひたすら下るのみだったが、これがまた半端でない長さだった。
ロッジまで4時間もかかっている!
この小赤石の稜線からロッジまでの下りが今までの下山の最長所要時間だ。
途中から一緒に歩いた清水山岳会のSさん夫妻にゴゼンタチバナを教えてもらったが、
これが記念すべき初めての花名の記憶となった。しかし本格的に憶え出したのは98年の
浅草岳からなのだからノンビリしている。
ロッジの自炊小屋で寝て翌日また長いバス移動をして帰った。

次回の仙丈と甲斐駒で一応南アルプスは打ち止めとしよう。
コメント
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