大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

平ケ岳 1998年7月

2010年05月14日 | 関東周辺
T氏とのテント山行だったが、いやー本当に鷹ノ巣からは長かった。こんな山を日帰りでは
きつ過ぎるので、どっかの民宿のオヤジが林道利用のお手軽ルートでぼろ儲けして山を
壊しているわけだ。
皇太子が登った際に整備したらしいが、罪なことをしたもんだ。
テント場が少なくて困るが、木道の上とか利用しないと花を潰してしまう。
我々は池ノ岳の端の裸地に何とか張った。
早朝4時か5時に出発して日帰りするしかなかろうが、マジに厳しいので覚悟して登ること。

1998年7月18日-19日(山中1泊2日、テント泊)(T氏同行)

1.初日
鷹ノ巣登山口から池ノ岳まで
8:10-9:15前坂9:45-11:25下台倉山-16:45

下台倉山までは前坂からやせ尾根、ザレの嫌らしい道が続く。この部分で結構疲れて登りきって
遥か彼方に平ケ岳とおぼしき山を見た時にはガックリときてしまった。
「なんだ、まだあんなに遠いのかよー」左手に燧ケ岳が格好いいのだが、何の慰めにもならない。
おまけに道が泥田状態の所が多くて歩き辛いったらないのだ。
台倉清水はチョロチョロとか細い水が流れているが、8月には涸れるかもしれない。
そうすると水は最低3Lは必要だろうから、日帰りでも相当に重い荷になるぞ。
白沢清水は全くの溜まり水がほんの少しと使い物にならない。
この先で中休止して池ノ岳の登りに備えてガスを補充した。
しかしそれからの登りのきつかったこと。思い出してもウンザリの登りだった。
最後の100Mの直登に完璧に打ちのめされてしまった。
やっとこ登りついた池ノ岳の端の裸地にどうにか設営した。木道の小広い所には先客がいた。
後で若い2人組が隣に張った。
T氏も疲れたらしく二人ともメシを食ってさっさと寝た。

2.二日目
平ケ岳ピストンして下山
10:45下山開始16:45車着

平ケ岳山頂をやった後に玉子石を見てテントに戻った。
山頂は小広い所で何の感激も無い。まあピークが売りの山じゃないから仕方が無い。
本当に広い湿地帯の別天地だぞ。木道が長く途切れた先に中ノ岳や越後駒ケ岳がでかい。
その右手に荒沢岳が美しい。この山が百名山でなくてよかったなあ。そのうち絶対登ろう。
(といいながらまだやれずじまいのままだ)
玉子石の途中に水場やテン場があったが狭くて4-5張りしか張れない。
1張りは何と花畑の中に立ってる!
何という奴らだろうか。おもわずナイフで切り裂いてやろうかと思ったくらいだ。
玉子石は本当に奇妙な石だったが、どうしても玉子には見えないんだがなあ。
タテヤマリンドウが湿原のあちこちに大群落をつくっており、一番目立った。
帰りも6時間もかけてやっと降り着いている。
訪れるのに本当に苦労させられた別天地だった。

花の記録

ゴゼンタチバナ コメツツジ タテヤマリンドウ キンコウカ イワイチョウ ワタスゲ ウラジロヨウラク
 ハクサンフウロ カラマツソウ モミジカラマツ コバイケソウ ニッコウキスゲ 
ミヤマキンポウゲ オトギリソウ ヤマツツジ ハクサンシャクナゲ ウサギギク ヤマハハコ
コゴメグサ ミヤマホツツジ マイヅルソウ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至仏山 1998年7月 

2010年05月14日 | 関東周辺
群馬の渋川に単身赴任中の山をアップしてみよう。
やった山は
至仏山 燧ケ岳 平ケ岳 苗場山 四阿山 日光白根山 巻機山 平標山 谷川岳 袈裟丸山
赤城山 裏妙義 武尊山 他 
そのうちの記録が残っている 至仏山 平ケ岳 日光白根山 谷川岳 袈裟丸山 位でよかろう。
他のは記録が無かったり大したことなかったので割愛。
どういうわけか97年は記録が全く残っていない。

ただ平標山では夜に大流星群が現れて楽しませてくれた(98.06.27)。
シシ座流星群とかいろいろとあったがこれほどの流星は見たことがない。
爆発して一瞬昼みたいに明るくなったり、北斗七星を東から西に横切る彗星状の物など
大小30ケほどの流星だったが、縦横無尽に飛び交ってまるで光のショーだった。
ネットで調べてみたところ「ポン・ウイネッケ流星群」の突発出現らしくて、あまり見た人が
いなかったらしい。超ラッキーだったわけだ。

1998年7月5日(日帰り)(I氏同行)
鳩待峠から至仏山周遊

7:20-8:50笠ケ岳分岐-11:00至仏山頂11:10-14:10山の鼻-15:00

前年の同じ日にM氏と登っていて2回目。よっぽど花を見たかったらしい。この頃は確か
ホソバヒナウスユキソウに熱を上げていたのだった。まあ小振りで結構いい花ではあるが。
最初は樹林帯だが途中から見晴らしがよくなった。燧ケ岳が姿が良くて最初の頃は至仏山
よりも好きだったのだが、いつの頃からか至仏の方が好きになってしまった。
この時はメチャクチャな登山客で道も山頂もごったがえしていた。特に新潟からのJR関係の
150人の大団体にはまいった。
誰かが花に名前を書いたテープを巻きつけていたため名前の同定ができたが、テープはちゃんと
外したんだろうか。多分このグループだろうがちょっと人数多すぎだろう。
そんなわけで山頂もほぼ素通りして途中で食事した。
しかし急下降で足に来るので下りには不向き。前年から山の鼻ルートが再開されたがまたすぐに
荒れてしまうんでないか。
尾瀬の場合はオーバーユースをどう抑えるかが重要だろうが、自治体は入山規制し辛かろうし、
なかなか無理だろうなあ。
さすがに花の山でお目当てのホソバヒナウスユキソウやハクサンフウロなど百花繚乱だった。

花の記録

ヒオウギアヤメ ミヤマキンポウゲ ハクサンチドリ オオバギボウシ ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ ゴゼンタチバナ ヨツバシオガメ タテヤマリンドウ タカネニガナ
オゼソウ ウサギギク イワイチョウ ダイモンジソウ ハクサンフウロ マイヅルソウ
ジョウシュウアズマギク ホソバヒナウスユキソウ タカネシュロソウ マルバシモツケ
タカネバラ アズマシャクナゲ イブキジャコウソウ ヒオウギアヤメ 他多数

燧ケ岳は前年に至仏から入り、下田代で幕営して登頂し大清水へ抜けた。
案外と厳しい登りで、見晴新道とは名ばかりの眺めのよくないルートだった。
水前寺清子の「365歩のマーチ」を口ずさみながら黙々と歩いたのを思い出す。
温泉小屋からのルートとの合流点から見晴らしも花も多くなった。
たしかトウヤクリンドウが目立っていたと思う。
双子峰の俎クラで食事をしてナデッ窪を尾瀬沼めがけて降りた。岩っぽくて涸れ沢状の道で
大好きなのだが同行の同僚達は難儀していた。
バス停のある大清水まで時間に追われて必死で歩いた。
百名山狂いで無い人なら至仏山だけ登り、尾瀬ヶ原やら尾瀬沼の散歩をした方がいいだろう。
まあしかしやっぱり燧ケ岳を残すのは山屋としたら許せないかな。

武尊山は剣ヶ峰の岩峰上の歩きがスリルあった。幅は結構あったが両サイドが切れ落ちて
おり、かつ高度感があるので結構ビビルかも。
山頂近くの道は泥田状で歩き辛かった。花はあんまり目立たなかった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする