大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

八ヶ岳南部縦走 1995年8月

2010年05月23日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
会社の同僚4人と渋の湯から入り、小淵沢へ抜けた。
山やり始めで結構ツルンで歩いている。
初めての八つで赤岳と阿弥陀が格好良かった。

1995年8月18日-20日(営業小屋泊り)(同僚4人同行)

1.初日
渋の湯からこまくさ荘(現:夏沢ヒュッテ)
11:00-17:00

2.二日目
こまくさ荘から赤岳を越えて青年小屋
6:15-7:15硫黄岳7:30-11:20赤岳12:00-13:30キレット小屋
-15:10権現分岐-16:10

3.三日目
青年小屋から編笠山を越えて小淵沢


初日は大した登りは無いが、いつものように歩き始めはペースがつかめずスロー。
道は大きな岩の上を歩くので結構楽しいのだが。
黒百合ヒュッテはなかなか風格のある小屋だ。中山峠からは結構登るが左右の眺望が開けて
楽しみができた。
東天狗から西天狗へはパスして先を急いだ。
根石岳付近にはコマクサが残っていたが、植えつけたのが増えたらしい。
樹林帯を少し歩いて夏沢峠に飛び出した。道は二つの小屋の間を抜けている。
今日の宿は右側の「こまくさ荘」だ。
左はやまねで有名な「やまびこ荘」。2軒隣り合っているとは驚いた。
小屋の客は我々の他は3組と超静かだ。小屋番によれば学校の集団登山が多いらしい。
涸沢ヒュッテで働いていた30前後の小屋番でキビキビしていた。

二日目は硫黄への登りがハイライト。それほど急ではないが朝一番なのが辛い。
しかし右手に北アルプスが見えているぞー。素晴らしい大展望だ。槍がはっきり見えている。
中央アルプス、木曽の御嶽、浅間山まで見えている。
この大展望に慰められてゆっくりと登る。
登りついたらだだっ広くてケルンがあちこちに立っている。東側は爆裂火口の跡で切れ落ちている。
本田勝一の友人が誤って滑落して死んだとか読んだことがある。
しかし赤岳から中岳、阿弥陀岳の姿はなかなかのもんだなあ。本当に絵になってるぜ。
横岳の岩場は結構難儀するとか書いていたが、なんと言うことも無いじゃないか。
しかし岩に慣れていないといやかもなあ。
頂上には小屋があって驚く。あんまりじゃないか。丹沢の塔の岳とは違うぜ。
こんな狭い所に小屋はないだろうに。なんで許可がおりたんだろうか。
眺めは富士と南アルプスが加わって又豪華になったぞ。
うーん、いつまでも見ていたい景色だがそうもいかない。
キレットめがけて岩くずの降りだ。ここは下手な奴から降りさせないと落石でえらいことになる。
やたらとヘリが飛んでいたが、あとで15日に滑落死亡事故があり、その遺体がこの日に発見され
その回収の為だったとわかった。
そういえばキレットからの道は結構崩れやすい岩のヘツリが多かった。
途中に垂直の長い鉄梯子まで出てきてウンザリかつビビル。
とにかく半端じゃない長さで下をみたら落ちたら一発即死。ビビルなあ。
おまけに支柱が外れているのまであるぞ。ちゃんと整備しといてほしいなあ。
なんとかやっつけて権現分岐までたどり着いた。何故か権現岳には行かずに、青年小屋に急いだ。
そうとうに疲れていたんだろう。普通は権現のピークは踏むよなあ。
青年小屋は相当に古い建物だったがゆったりと寝られた。
晩飯のアジフライが絶品だった。夜は小屋主の竹内氏と一緒に酒を飲んだり歌ったりして楽しんだ。

最終日の編笠山は甲斐駒、北岳、鳳凰三山が正面で距離が近くて迫力があるが少し霞んでいる。
この時は気づかなかったが北アルプスや中央アルプスも見えるらしい。
単調な降りを終えて長い林道を駅目指して歩いている途中で、頂上で一緒になったオジサン
グループが乗せてくれた。

近くて案外といい山だった。小屋の多いのには驚いたが。
コメント
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