大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

八甲田縦走 2000年 10月

2010年05月30日 | 東北
吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞を作った蔦温泉旅館に
からめて縦走した。
まず南八甲田をやり、酢ケ湯温泉と北八甲田をやった後で
蔦温泉へ。
殆ど人に会わない静かな山だった。

2000年 9月30日-10月2日(2泊3日、テント、避難小屋)(単独)

1.初日
猿倉温泉口から旧道幕営地
12:30-15:45

前夜東京駅発の夜行バスで青森に入り、またJRバスにゆられてやっと猿倉温泉口に着いた。
なんで歩き出しが12:30にもなったのかよくわからん。もっと早い筈なのだが。
猿倉温泉は鄙びたよさそうな旅館で、コテージを4棟ほど新築中だった。
旧車道跡の広くて単調な平坦な道を延々と歩かされた。もちろんダートの道だ。
それにしても歩いても歩いても高度が上がらないというのは精神衛生上良くない。
山歩きでフラストレーションが溜まるなんて最低だ。
途中でV字型に折れた橋を渡る。
乗鞍岳への道を左に分けてから右手に展望が開ける。山側にはシラタマノキの白い実が
目立つ。紅葉はまだ早かったみたいでイマイチだ。
3時間近くかけてやっと幕営地に着いた。当然一人だろうと思っていたら単独のオジサンが
横にテントを張った。地元の山岳会員のN氏といってここらを刈り払ってくれていたらしいが、
環境庁から自然破壊につき止めろとクレームを受けたらしい。そのうちに藪に戻ってしまうだろう。

2.2日目
仙人岱避難小屋まで
5:10-櫛ケ峰ピストン-8:10テント場10:10-12:30猿倉温泉
14:10酢ケ湯-15:50仙人岱避難小屋

翌朝、櫛ケ峰をピストンして猿倉温泉へ戻った。朝露がひどくてズボンがビショビショ。
雨具を着て歩くべきだった。
この途中でメガネを落としたらしくガックリ。この夜の宿の小屋で気づき愕然。
幸いに読書用のだったので歩きに支障なくて良かった。
バスで酢ケ湯へ移動して仙人岱避難小屋を目指した。
途中草木の無い地獄っぽい所のトラバースがあって八甲田清水の水場に着いた。
四角い浅い井戸風の綺麗な水場だった。小屋はわずかに入った所に建っていたが、さすがに
月曜で独占した。星の観察に夜中に出ても気兼ねしないで済んだ。
トイレも綺麗に使われていて感心した。東北の避難小屋は全体に綺麗だし、トイレもあって
すこぶる良い。
地元の人達が定期的に清掃してくれているからで頭が下がる。

3.3日目
仙人岱避難小屋から酢ケ湯
6:10-7:00大岳-7:20大岳避難小屋8:00-10:00

仙人岱から大岳の登りはそれほどキツクなかった。途中の小さな池にクロサンショウウオ、
メススジゲンゴロウがいた。道の両サイドはナナカマドが続いており、赤い実だらけだ。
大岳避難小屋は新築されたばかりのログハウス調の素晴らしい小屋だった。
よく整備するなあ、よっぽど山好きな役人でもいるんだろうか。
これからは降るだけだ。植生を守る為の木道が長い。途中で下毛無岱を見下ろす長い階段が出た。
見下ろすと茶の絨毯に黄色や緑の塊があちこちにのっかているが、あまり感動する風景ではないな。
下毛無岱から下部のブナは黄色に色づいていてまあまあ。
しかしブナの黄葉にドンピシャで遭遇するのは至難の技だ。今までまだ透き通るようなブナの
黄葉に出会ったことがない。今後も無理かもなあ。
酢ケ湯の千人風呂は広いばかり、かつ混浴といっても婆さん、オバサンばかりでさっさと退散。
次に行った蔦温泉は素晴らしかった。
古い「久安の湯」が高い天井、どでかいヒバの梁と抜群の雰囲気。おまけに無色透明のお湯が
足元から湧き出しており、蔦沼巡りをした後にまた入ってしまった。
従業員もなかなかで、もし愛人でもいれば絶対に来たい温泉宿だぜ。
「浴衣の君はススキのかんざし、熱燗トックリの首つまんで......」という歌詞もすんなり出てきたんでないか。
最後に今までで雰囲気最高の温泉に入り、幸せな気持ちでバスに乗り込んだ。
コメント (1)
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