大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

袈裟丸山 1998年5月

2010年05月16日 | 関東周辺
そんなに知られていない山だと思っていたが何と300名山だった。
ここの特色は林相の美しさだろう。若い木が多かったがスックと直立した幹が若々しくて気持ちが良い。
塔の沢登山口からピストンした。

1998年5月23日(日帰り)(単独)
7:20-8:30寝釈迦-9:40賽の河原-11:40前袈裟丸山-12:30後袈裟丸山13:00-17:00

先週行った篭ノ登山は大展望が売りの山だったが、この山は林相や鳥の鳴き声、シャクナゲなど
山そのものが魅力的だった。おまけに避難小屋が二つもあり泊りもできる。
寝釈迦からの上の林の美しさは特筆もの。特に頂上直下のダケカンバの若木群の新緑は絶品だった。
若い為に全てが直立しており、なんかキリリとした感じで非常に好ましかったのだ。
大木の芸術的によじれた物は良く見かけるがこんなのは滅多に見られない。
賽の河原はよくあるように石の山があちこちにある小広い場所だった。
山頂近くのドーム型の避難小屋のそばにヌタ場らしきのがあったのにビックリ。
鳥の鳴き声も多くて、自然がよく残っている山だ。
シャクナゲも山頂付近は真っ盛りだったし、シロヤシオの咲き残りもあった。
降る途中で会った若くて綺麗な娘さんに避難小屋に人は居ましたかと聞かれて驚く。
まあ何と勇気のある女性なんだ。泊りの装備で無くて少し残念。
歩きの途中で皇海山、鋸岳、庚申山、日光白根山、男体山、武尊山などが見えた。
300名山狙いでなくても充分楽しめる山だ。
やっぱり5月のツツジやシャクナゲの時が最適だろう。

これで群馬周辺の山は一応終了。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お坊山東峰南稜から米沢山北稜  2010年5月15日

2010年05月16日 | 中央線沿線
久し振りにライブ版の記録。
天気が良く空気も冷たくて眺望がよさそうな昨日、K氏、Y氏と歩いてきた。
事前に結構勉強していた南稜への取り付きで間違ったりしてガックリだったが楽しい歩きだった。
打ち上げはいつもの「角屋」ではなく高尾駅北口の「あさかわ食堂」で盛りあがった。

2010年5月15日 (日帰り、K氏とY氏同行)
7:40笹子駅-10:40西峰11:50-14:50甲斐大和駅

取り付きは立派な堰堤手前の土に埋まってしまっている黒い階段から入るのだが、ちょっと先まで
行ってしまい少しロスした。
あとは鉄塔まで一本道で迷いようが無い。
フワフワの斜面なので拾った檜の枝が無かったら厄介だったろう。ストック必携ですよ。
朝はいつもの通りペースが上がらずに二人に置いて行かれる。電車の中で食べるべきだったが
あまりの人の多さに躊躇われて出来なかったのだ。
しかし6:35八王子始発の松本行きは山屋が多くて先頭車両は敬遠した方がよさそう。
立ち木と杖に援けられて何とか高度を稼ぐがなかなか富士の頭が見えてこない。
やっとでてきたら結構クリアに見えていて南アルプスが楽しみだ。頂上近くで北岳から農鳥岳が
見えたが予想通りのクリアさだ。5月にこんなに綺麗な姿を見られて時ならぬ寒気に感謝。
西峰には奥秩父から富士までの大展望が待っていた。
ニセ八つの金ケ岳と八ヶ岳の間に北アルプスも見えているが山を同定できない。
甲斐駒は殆ど雪がついていないが、北岳から南の巨峰達はしっかり雪化粧している。
店を広げてK氏持参のワインを飲んだりしてノンビリしていると、単独行が「特等席でいいですね」と
言って通り過ぎた。皮肉だったのだろうがシカトして続けた。
米沢山からの北稜の降りはY氏の読図に助けられて予測どおりの吊橋近くにドンピシャだった。
さすがのもんだ。K氏と2人なら確実に道を間違っていた。
現在地点の同定が確実にやれる事と歩く方向の正確さが無いと即道迷い遭難だ。
登りは少々道を外れても大丈夫だが降りは絶対に外せないので難しい。
登りはバリエーション、降りは一般ルートが身の丈にあった歩きだ。
今日は東峰から米沢山までの間で10人位に会っただけだった。
それから新緑が特別に素晴らしかった。瑞々しい緑が本当に目に眩しくて嬉しくなってしまった。
年とると紅葉よりも新緑が好まく感じられるのかもしれないなあ。
最後の「あさかわ食堂」はやたらとメニューが多く、売れないフォークシンガーみたいな
中年オヤジと奥さん風の女性、若い女性の3人で切り盛りしていた。
モツ煮を食べたが今までで一番の味だった。
来月から恒例のスイス行脚にでかけるK氏の話でY氏も来年は行くかもしれないことになったが
残念ながら当方は息子どもに脛を齧られるのでしっかり稼がねばならず参加不可能。
久し振りのメンバー3人の山で楽しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳剛新道から谷川岳 1998年8月

2010年05月16日 | 関東周辺
最初は馬蹄形縦走をやる予定だったが、小雨とガスの為諦めて土樽へ降りた。
馬蹄形は一度はやってみたい縦走だったが今となってはちと難しいだろう。
若い時に体力の要る山を重点的にやるべきだったが、やっぱり楽しい山から片付けるのは
仕様が無いか。
登りに使った厳剛新道は沢沿いなので涼しく、眺めも良くて楽しい道だった。

1998年8月8日 (日帰り)(単独)
厳剛新道から谷川岳、茂倉岳から土樽へ

6:20マチガ沢出合-8:40ガレ沢のコル-11:00トマの耳-11:20オキの耳-
12:50一の倉岳-14:00茂倉岳14:40-15:40矢場の頭-18:00土樽駅

マチガ沢に車を置き、初めての谷川岳登山の開始だ。大岩壁群と世界一の遭難者で名を轟かしているが、
花が多くて一般ルートは楽しい山だ。
右手に少しばかり残った雪を見ながら岩っぽい道をグングンと高度を稼ぐ。
ザレていないので岩好きの山屋にとっては嬉しいルートだぜ。
丹沢なんかとは違ってスケールがでかくてウキウキするが、天気がイマイチなのがちと寂しい。
登りついた西黒尾根との合流点には3組ほどが休んでいる。
一休みして上を目指すが、「氷河の跡」は何かよくわからなかったし、「ザンゲ岩」とは何を懺悔するんだろうか。
蛇紋岩なので小雨で濡れて滑りやすい。おまけに沢山の登山者の靴でツルツルになっているのでなおさらだ。
いやに足の速いオジンに追い抜かれたと思ったら、ザックに「目指せ谷川岳2000回登頂」と貼ってある。
あの有名な森氏だったが今日で1485回目だそうだ。呆れるやら、感心するやら。
同じ山に毎日登って面白いはずがないのだが、彼にとっては食事みたいなもので楽しみでも無く、
ただの日常のひとコマなんだろう。
我々一般登山者とは次元が違うのでただケガせぬように注意して頑張ってと言うだけだ。
たどりついたトマの耳は人だらけでさっさとオキの耳へ。稜線には規模は小さいが結構な種類の花が咲いていて
楽しませてくれる。
一の倉の大岩壁が楽しみだったがガスで何も見えない。
一の倉岳へのツメでガス欠状態になってきたが茂倉岳まで頑張り食事した。
茂倉岳避難小屋はウッディーで立派。下手な営業小屋は真っ青だ。
土樽までは長かった。途中の檜の廊下は根が邪魔で歩きにくかった。
最後の車の回収を入れると11時間の歩きだった。

花の記録

ヒメシャジン ガクアジサイ ジョウシュウオニアザミ シモツケソウニガナ ミヤマシシウド 
オヤマノリンドウ タテヤマウツボグサ ウメバチソウ ハクサンフウロ トリカブト シブツアサツキ
ツリガネニンジン ミヤマシャジン ミヤマオダマキ オオカサモチ 

もっといろいろとあった筈だが勉強不足だったのだろう。
谷川岳は他のコースも歩くつもりだったが、やる山が目白押しだったので結局この1回きりだった。
西黒尾根から平標への縦走なんて面白そうなんだがなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光白根山 1998年6月

2010年05月15日 | 関東周辺
T氏夫妻との山。
楽な菅沼コースから登った。五色沼避難小屋には他には5組ほどで静かな夜だった。
シラネアオイは鹿に食い荒らされてほぼ壊滅状態という惨状だったのが悲しい。
眺めは尾瀬の燧ケ岳と至仏山、武尊山、平ケ岳、男体山などが大きい。
ダケカンバの新緑が特筆物の山だった。

1998年6月20日-21日(1泊2日、避難小屋泊)(T氏夫妻同行)

1.初日
菅沼登山口から五色沼避難小屋まで

菅沼コースは本当に歩きやすかった。急登もなく、危険な所もなくて一番のお勧めかも。
五色沼からはアルペン的な風景となって面白い。沼もなかなかいい雰囲気。
途中にシラネアオイの保護柵があったが今更無理だろう。まあ他ではいくらでも見られるので
あまり悲観することも無いが、この山の名前が入った花としてはちと寂しいか。
沼を廻って避難小屋に入った。
夜は満天の星で光のグラデーションが素晴らしく、シュラフの中で目を閉じると残像が見える程鮮烈。
人工衛星の飛ぶ(東から西へ)のも見えた。
この夜はW杯で日本がクロアチアに負けたゲームをラジオでやっており、皆でガックリしたのを思い出す。

2.二日目
山頂ピストン後金精峠から菅沼登山口
6:00-7:00山頂-10:30前白根山11:30-14:20

ザレた道を登って山頂を目指したが、荒々しい岩塊が火山らしさを際立たせている。
登りきると岩だらけの広場でその片隅が山頂部だった。
眺めは抜群で、北アルプスの槍ヶ岳や穂高、白馬から鹿島槍も見える。
先々週の浅草岳と隣の守門、荒沢岳も意外と大きく見え、近くの尾瀬の山、日光連山、
武尊山が迫力あり、遠く筑波山や当然ながら富士も頭を雲海の上に出していた。
前白根山からの眺めは眼下に五色沼、目の前に白根山でなかなか絵になる。
五色山を経て金精峠への道は豆桜だらけで、1週間前なら花見ができた。
花はゴゼンタチバナ、イワカガミ、ミツバオーレン、ベニサラサドウダンくらいと少ない。
ダケカンバの新緑が素晴らしく秋の黄葉も見ごたえありそう。
男性的な中に静かな沼をかかえる個性的ないい山だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平ケ岳 1998年7月

2010年05月14日 | 関東周辺
T氏とのテント山行だったが、いやー本当に鷹ノ巣からは長かった。こんな山を日帰りでは
きつ過ぎるので、どっかの民宿のオヤジが林道利用のお手軽ルートでぼろ儲けして山を
壊しているわけだ。
皇太子が登った際に整備したらしいが、罪なことをしたもんだ。
テント場が少なくて困るが、木道の上とか利用しないと花を潰してしまう。
我々は池ノ岳の端の裸地に何とか張った。
早朝4時か5時に出発して日帰りするしかなかろうが、マジに厳しいので覚悟して登ること。

1998年7月18日-19日(山中1泊2日、テント泊)(T氏同行)

1.初日
鷹ノ巣登山口から池ノ岳まで
8:10-9:15前坂9:45-11:25下台倉山-16:45

下台倉山までは前坂からやせ尾根、ザレの嫌らしい道が続く。この部分で結構疲れて登りきって
遥か彼方に平ケ岳とおぼしき山を見た時にはガックリときてしまった。
「なんだ、まだあんなに遠いのかよー」左手に燧ケ岳が格好いいのだが、何の慰めにもならない。
おまけに道が泥田状態の所が多くて歩き辛いったらないのだ。
台倉清水はチョロチョロとか細い水が流れているが、8月には涸れるかもしれない。
そうすると水は最低3Lは必要だろうから、日帰りでも相当に重い荷になるぞ。
白沢清水は全くの溜まり水がほんの少しと使い物にならない。
この先で中休止して池ノ岳の登りに備えてガスを補充した。
しかしそれからの登りのきつかったこと。思い出してもウンザリの登りだった。
最後の100Mの直登に完璧に打ちのめされてしまった。
やっとこ登りついた池ノ岳の端の裸地にどうにか設営した。木道の小広い所には先客がいた。
後で若い2人組が隣に張った。
T氏も疲れたらしく二人ともメシを食ってさっさと寝た。

2.二日目
平ケ岳ピストンして下山
10:45下山開始16:45車着

平ケ岳山頂をやった後に玉子石を見てテントに戻った。
山頂は小広い所で何の感激も無い。まあピークが売りの山じゃないから仕方が無い。
本当に広い湿地帯の別天地だぞ。木道が長く途切れた先に中ノ岳や越後駒ケ岳がでかい。
その右手に荒沢岳が美しい。この山が百名山でなくてよかったなあ。そのうち絶対登ろう。
(といいながらまだやれずじまいのままだ)
玉子石の途中に水場やテン場があったが狭くて4-5張りしか張れない。
1張りは何と花畑の中に立ってる!
何という奴らだろうか。おもわずナイフで切り裂いてやろうかと思ったくらいだ。
玉子石は本当に奇妙な石だったが、どうしても玉子には見えないんだがなあ。
タテヤマリンドウが湿原のあちこちに大群落をつくっており、一番目立った。
帰りも6時間もかけてやっと降り着いている。
訪れるのに本当に苦労させられた別天地だった。

花の記録

ゴゼンタチバナ コメツツジ タテヤマリンドウ キンコウカ イワイチョウ ワタスゲ ウラジロヨウラク
 ハクサンフウロ カラマツソウ モミジカラマツ コバイケソウ ニッコウキスゲ 
ミヤマキンポウゲ オトギリソウ ヤマツツジ ハクサンシャクナゲ ウサギギク ヤマハハコ
コゴメグサ ミヤマホツツジ マイヅルソウ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至仏山 1998年7月 

2010年05月14日 | 関東周辺
群馬の渋川に単身赴任中の山をアップしてみよう。
やった山は
至仏山 燧ケ岳 平ケ岳 苗場山 四阿山 日光白根山 巻機山 平標山 谷川岳 袈裟丸山
赤城山 裏妙義 武尊山 他 
そのうちの記録が残っている 至仏山 平ケ岳 日光白根山 谷川岳 袈裟丸山 位でよかろう。
他のは記録が無かったり大したことなかったので割愛。
どういうわけか97年は記録が全く残っていない。

ただ平標山では夜に大流星群が現れて楽しませてくれた(98.06.27)。
シシ座流星群とかいろいろとあったがこれほどの流星は見たことがない。
爆発して一瞬昼みたいに明るくなったり、北斗七星を東から西に横切る彗星状の物など
大小30ケほどの流星だったが、縦横無尽に飛び交ってまるで光のショーだった。
ネットで調べてみたところ「ポン・ウイネッケ流星群」の突発出現らしくて、あまり見た人が
いなかったらしい。超ラッキーだったわけだ。

1998年7月5日(日帰り)(I氏同行)
鳩待峠から至仏山周遊

7:20-8:50笠ケ岳分岐-11:00至仏山頂11:10-14:10山の鼻-15:00

前年の同じ日にM氏と登っていて2回目。よっぽど花を見たかったらしい。この頃は確か
ホソバヒナウスユキソウに熱を上げていたのだった。まあ小振りで結構いい花ではあるが。
最初は樹林帯だが途中から見晴らしがよくなった。燧ケ岳が姿が良くて最初の頃は至仏山
よりも好きだったのだが、いつの頃からか至仏の方が好きになってしまった。
この時はメチャクチャな登山客で道も山頂もごったがえしていた。特に新潟からのJR関係の
150人の大団体にはまいった。
誰かが花に名前を書いたテープを巻きつけていたため名前の同定ができたが、テープはちゃんと
外したんだろうか。多分このグループだろうがちょっと人数多すぎだろう。
そんなわけで山頂もほぼ素通りして途中で食事した。
しかし急下降で足に来るので下りには不向き。前年から山の鼻ルートが再開されたがまたすぐに
荒れてしまうんでないか。
尾瀬の場合はオーバーユースをどう抑えるかが重要だろうが、自治体は入山規制し辛かろうし、
なかなか無理だろうなあ。
さすがに花の山でお目当てのホソバヒナウスユキソウやハクサンフウロなど百花繚乱だった。

花の記録

ヒオウギアヤメ ミヤマキンポウゲ ハクサンチドリ オオバギボウシ ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ ゴゼンタチバナ ヨツバシオガメ タテヤマリンドウ タカネニガナ
オゼソウ ウサギギク イワイチョウ ダイモンジソウ ハクサンフウロ マイヅルソウ
ジョウシュウアズマギク ホソバヒナウスユキソウ タカネシュロソウ マルバシモツケ
タカネバラ アズマシャクナゲ イブキジャコウソウ ヒオウギアヤメ 他多数

燧ケ岳は前年に至仏から入り、下田代で幕営して登頂し大清水へ抜けた。
案外と厳しい登りで、見晴新道とは名ばかりの眺めのよくないルートだった。
水前寺清子の「365歩のマーチ」を口ずさみながら黙々と歩いたのを思い出す。
温泉小屋からのルートとの合流点から見晴らしも花も多くなった。
たしかトウヤクリンドウが目立っていたと思う。
双子峰の俎クラで食事をしてナデッ窪を尾瀬沼めがけて降りた。岩っぽくて涸れ沢状の道で
大好きなのだが同行の同僚達は難儀していた。
バス停のある大清水まで時間に追われて必死で歩いた。
百名山狂いで無い人なら至仏山だけ登り、尾瀬ヶ原やら尾瀬沼の散歩をした方がいいだろう。
まあしかしやっぱり燧ケ岳を残すのは山屋としたら許せないかな。

武尊山は剣ヶ峰の岩峰上の歩きがスリルあった。幅は結構あったが両サイドが切れ落ちて
おり、かつ高度感があるので結構ビビルかも。
山頂近くの道は泥田状で歩き辛かった。花はあんまり目立たなかった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙丈ケ岳から甲斐駒ケ岳 1995年7月

2010年05月11日 | 南アルプス
山を本格的にやりだした翌年にM氏と娘の3人でやった。
天候にめぐまれたことと、3人の足が揃っていたこと(あのM氏が合わせてくれたらしい)
などで楽しい山行になった。
また初日に泊った大平山荘が家庭的で食事もよくて大満足。2日目の仙水小屋はイマイチだった。

1995年7月22日-24日(2泊3日、小屋泊まり)(娘、M氏同行)

1.初日
大平山荘から仙丈ケ岳を経て仙水小屋まで
4:10-5:20大滝上6:00-7:45馬の背ヒュッテ8:10-10:45
仙丈ケ岳11:10-小仙丈ケ岳12:15 以下記録無し

前日型どおり広河原から北沢峠に入り、大平山荘に向かったといってもバス停から5分程度。
お婆ちゃんが迎えてくれて、お茶と漬物を出してくれた。
まあいくら下にあるとはいえ何か嬉しくなるよなあ、よさそうな小屋じゃないか。
若主人も感じがいいし、奥さんがえらい美人でビックリ(15年前ですよ、今はどうか分からない)
夕食は手作りのカレ-ライスに冷やっことサラダ、味噌汁付でお替わり自由!
といっても、2回もお替りしたM氏の胃袋はどうなってんだ。山の後ならともかくまだ登る前だぜ。
幸せな気持ちで増築したての2階で案外とゆったりと寝れた。
朝早い出発なので朝食は弁当にしてもらった。
4:10に出て、藪沢新道を黙々と歩く。なにか調子が出ないぞ。途中雪渓が残っていて
ひんやりとして気持ちがいい。大滝上で朝食にしたが滝の記憶が全く無い。
馬の背ヒュッテ前で雨が落ちてきて雨具を着た。今なら多分折りたたみ傘だろう。
ヒュッテはどんな食事か知らないが、場所がいいので土日はメチャ混みだろう。
もし再度行くとしても下の大平山荘に泊りたい。
さて雨で唯一の楽しみだった山岳展望が望めず、何か物足りない山になってしまった。
仙丈小屋前で昼食。今は立派な小屋になった換わりに幕営禁止らしい。ちょっと納得いかないなあ。
少しでも早く建築資金を回収したいのだろうが貧乏山屋としては野宿の手があるから問題なし。
オバサマ達は雨の中あちこちに咲いている花を楽しんでいる。
ハクサンイチゲやらシナノキンバイやらイワカガミやらが咲いているらしい。
今なら一緒になって楽しんでいたろうに。
仙丈でも小仙丈でも結局晴れる気配は無く、仕方が無いので次の宿の仙水小屋を目指した。
小屋は結構な客で埋まっており、昨夜とは違いちと窮屈だった。
ここの食事はいいと殆どのガイドブックが書いていたがとんでもなかった。
ちまちました食事は山屋には物足りない。旨ければカレーで充分ですよ。
オバサマ達や老山屋には受けが良いだろうが、俺みたいな貧乏山屋には不向きだった。
そんなことよりこの小屋の水の旨かったのには感動。
今結構売れている「南アルプスの水」などより上で湧出してるんだから旨くて当然?
メシはXだったが水は◎でした。

2.二日目
仙水小屋から甲斐駒ケ岳を経て北沢峠
5:00-5:40仙水峠-8:00駒津峰8:40-10:00甲斐駒ケ岳11:00-
11:25六方石-11:50駒津峰12:00-14:20

峠までは水成岩の巨岩がゴロゴロした面白い道をひたすら飛び歩く。岩道の歩きのポイントは
なるべく上下しないように水平に岩を飛んで歩くこと(岩慣れしていないと危険です)。
これができれば本当に楽ですぜ。
着いた峠には絶景が待っていた。素晴らしい雲海だ!
金峰、奥秩父、丹沢などが大海に浮かぶ島そのものだ。朝早く出た褒美かな。
駒津峰までの登りは例によって大倉尾根よりは楽だった。
六方石からは直登ルートをとったが、出だし付近でエイヤーと力づくで上がるところがあったが
全体的にそんなに難しくは無い。ツメはザレタ道を歩いて待望の山頂だ!
もうとんでもない眺望が待っていた。
遠くは北アルプス、中央アルプス、当然富士、至近距離の北岳、仙丈ケ岳、オベリスクが
クッキリ見える鳳凰三山、おまけに正面に八ヶ岳だ!!
もうこれ以上は無い山岳展望だ。かてて加えて空がとんでもなく澄んだ青なんだから素晴らしい。
3人とも大満足、腹一杯。
食事やら黒戸尾根の急なのにビックリしたりと1時間も長居してしまった。
下りはザレの道を降りたが魔利支天は寄らずに駒津峰に戻った。
双児山経由で北沢峠に出たが長いのにウンザリしてしまった。
あの樹林帯の単調な歩きにウンザリしたのだが、このあと何度もこれ以上の辛い目に会わされるとは
知る由も無かった。
94年に山をやりだして初めての小屋泊まりの縦走だったが甲斐駒での大展望で満足したが、
仙丈ケ岳でのガスがなければ百点満点だった。

南アルプスの記録もこれで一応終了。
この後は中央アルプスや上信越の山やら思いつくままに書いてみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒川三山から赤石岳縦走 1996年8月

2010年05月09日 | 南アルプス
当時の会社の同僚のI氏との山行。当初は聖岳まで歩く予定だったが、彼が体調を崩して
赤石からエスケープ。結局、聖岳は今現在までやれずに残ってしまった。
この当時は花にまったく興味が無かったので何の記録も無い。味気ない山をやってたもんだが
山岳展望だけで充分楽しんでいたらしい。
そういうわけであんまり面白くない記録だと思いますが辛抱お願いします。

1996年8月15日-17日(山中2泊3日、小屋泊り)(I氏同行)

実際は前夜と下山後も椹島ロッジに寝たので4泊5日もかかった。

1.初日
椹島ロッジから千枚小屋まで
9:00-10:45小石下-11:00昼食11:30-12:10清水平-12:50蕨段-15:30

前日は静岡駅からロッジまでバスを乗り継いでなんと6時間もかかっている。
恐ろしいほどの山の深さでないか。南アルプス恐るべし。ロッジに食事付きで寝たが
下山後は素泊まりにして経費を節減した。ロッジまでのマイクロバスは東海フォレストの
経営する小屋を食事付きで利用しないと乗れないので注意が必要。
テントの場合は百間洞山の家とか千枚小屋とか自分の都合のよいところで利用すればよかろう。
ひょっとすると食事だけでもバスがOKか聞いてみる価値はある。
もうひとつは千枚小屋は昨年焼失してプレハブで営業が今年も続くと思う。要確認です。

当日は台風が通過して明け方は荒れており停滞を覚悟していたのだが、8時半には雨があがり、
急遽出発する事にした。
コースはだらだら登りで歩きやすい。樹林帯の単調で面白くない歩きは仕方が無い。
駒鳥池は小さな薄汚い池だったし、その先にあると94年版のエアリアに載っている、千枚岳への
直登ルート入り口は確認できなかった。地図には小屋は93年に焼失してプレハブで営業中と
書いてある。2回も焼けるとはちょと不可思議だ。ひょっとすると放火でないか?
利用した時は立派なこぎれいな小屋だった。
食事は案外と旨くて、スタッフに外人さんがいて、寝袋がフトン代わりだった。
小屋前から富士がドーンと見えた。

2.二日目
千枚小屋から荒川小屋まで
5:40-6:20千枚岳-8:20悪沢岳8:50ー10:00中岳避難小屋-10:45分岐-12:20

千枚岳は強烈な風だった。赤石岳がかっこいい。途中は結構な花畑だったらしいが
何にも記録していない。興味が無かったのだから仕様が無いがちょっと勿体無かった。
中岳から荒川小屋への途中の大花畑と合わせてもう一度行く手もあるがなかなか難しい。
悪沢岳は360度の大展望。意外なのは塩見岳が姿が悪く、間ノ岳がどでかい。
それとあの女性的な仙丈ケ岳が意外と男性的な姿をしているのが面白い。
ここで驚愕の事態が発生。
I氏が体調が悪くて赤石岳までは歩けないと言い出した。何とまいったなあ。
しかしまあ仕様が無いから赤石から降りるしかなかろう。残念だが荒川小屋で停滞だ。
悪沢からは岩っぽくて楽しいのだが、風が強くてバランスを崩すので気を抜けない。
中岳の小屋はこじんまりした小屋で2,3人いた。
下りは結構急でとても登る気はおきないが、案外と歩きやすいかも。
ガイドブックでは南アルプス1,2の花畑と書いてあるが素通りしている。
12:20に小屋に着いてやることも無くダラダラしてすごしたみたいだが全く情けなかった。
花に興味があったら花畑で半日でも楽しんだろうになあ。
この時の小屋はまだ大鹿村の経営でカレーだったし、ひどいあばらや風の歴史的な姿だった。
今は東海フォレストが経営しており、新しい小屋を造って、この古い小屋は自炊用に使っているらしい。

3.三日目
荒川小屋から椹島ロッジまで
4:50-5:45大聖寺平-7:50赤石岳-8:20分岐で食事9:10-10:50富士見平11:20
-11:40赤石小屋-15:00

大聖寺平までは緩やかな登りで随分と歩きやすかったが、小赤石への登りは斜度が増した。
といっても音を上げるほどでもない。
登りついた稜線上に結構な花が咲いていたのが不思議だった。
赤石岳の頂上はガスでなんの眺望も無い最低のピ-クだったがいかんともしがたい。
百間洞への下りは長くて大変そうだった。聖への縦走は手強そう。
分岐に戻って食事をして下山を開始した。この北沢源頭のお花畑は見ごたえがあった。
それから辛いトラバース道が延々と1時間以上も続いてやっと富士見平だった。
この歩きはこたえた。とにかく歩けど歩けど高度が下がらないのだからウンザリしてくるのだ。
下山途中でのトラバースでこんなに歩かされたのはここが最初で最後だったろう。
それこそ「何で高度が下がらないんだよ。まったくいい加減にしろよなあ」と毒づきながら
歩くのも当然の長さだったのだ。
戦時中に陸軍の飛行機が墜落したとか言う富士見平で中休止してから下りだした。
赤石小屋で小休止の後はひたすら下るのみだったが、これがまた半端でない長さだった。
ロッジまで4時間もかかっている!
この小赤石の稜線からロッジまでの下りが今までの下山の最長所要時間だ。
途中から一緒に歩いた清水山岳会のSさん夫妻にゴゼンタチバナを教えてもらったが、
これが記念すべき初めての花名の記憶となった。しかし本格的に憶え出したのは98年の
浅草岳からなのだからノンビリしている。
ロッジの自炊小屋で寝て翌日また長いバス移動をして帰った。

次回の仙丈と甲斐駒で一応南アルプスは打ち止めとしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白根三山縦走 1999年8月

2010年05月08日 | 南アルプス
丹沢の尊仏山荘で知り合い浅草岳や平ケ岳など一緒に歩いたT氏との山行。
広河原、肩の小屋、大門沢下降点で幕営。
北岳から先は花も少なくてどうってことなかった。
北岳周辺で遊べば充分です。
あの農鳥小屋のオヤジは噂どおりのアホだった。

1999年8月8日-10日(山中2泊3日、テント泊)(T氏同行)

1.初日
広河原山荘から北岳肩の小屋
5:40-9:00二俣10:00-12:50小太郎尾根-14:00

前日T氏の奥さんと娘さんに広河原まで送ってもらい広河原山荘で幕営した。
二俣までは沢沿いなので涼しいが、右俣に入ると途端に暑くなった。
荷が重くてあの法則どおりの牛歩だ。
この二俣から小太郎尾根分岐までがお花畑で、いろんな種類の花が虔を競っている。
初心者なら雪の無い大樺沢ルートで八本歯へ上がり、北岳から右俣を降りれば
花と展望が楽しめる。広河原山荘泊りで何とか日帰りも可能だが、北岳山荘や肩の小屋に寝るのが
一般的だろう。小太郎尾根分岐からは甲斐駒ケ岳が目の前だ。右手には鳳凰三山が大きい。
テント設営してT氏が水場を往復してくれた。案外と降るらしい。
夕焼けが素晴らしくてT氏は写真を撮りまくっている。
星などはあまりに多くてどれが一等星やら同定が難しいくらいだ。
アンドロメダ大星雲も確認できたし、夏の大三角近くのいるか座、矢座、さそり座の
アンタレスもわかった。
3時頃にはオリオンが東に昇ってきている。

2.二日目
肩の小屋から大門沢下降点まで
4:40-6:00北岳-7:25分岐-8:10北岳山荘9:15-13:30農鳥小屋-16:10

モルゲンロートに染まる甲斐駒を見たかったがあんまり赤くならなかった。
なかなか足が上がらないでメチャクチャに時間がかかってやっと頂上だ。
まあしかし破天荒な大パノラマが待っていてくれた。
南は聖岳の先まで、中央アルプス、御嶽、乗鞍、笠ケ岳から穂高、槍、立山、剣岳の先は
白馬までも見えている。右手に目をやれば八ヶ岳、浅間山や遠くに日光連山、尾瀬の山まで
見えている。
当然あの富士はくっきりと雲海の上に飛び出ていて、その前衛に鳳凰三山。
目の前には仙丈ケ岳と甲斐駒ケ岳ともう疲れるくらいの山岳風景だ。
久し振りの第一級の絶景を楽しみながら、仙丈とバックの乗鞍から剣までをスケッチした。
北岳山荘への下りにイブキジャコウソウの大きな株があった。
分岐からは花が楽しめるトラバース道を歩いたが、キンロバイの大群落が圧巻だった。
山荘で大休止して中白根へ向かったが何か呼吸器の調子が悪い。軽い高山病だったのかも。
途中にチョウノスケソウが残っていてくれて久し振りに対面した。
中白根を越えて着いた間ノ岳は岩くずの頂上で殺風景極まりない。
岩くずを蹴散らして下り、農鳥を目指すが花も殆ど無く、展望だけが楽しみの稜線歩きが続く。
農鳥の小屋で水を汲んでいると中年の夫婦がオヤジに明日の天候はどんなもんだろうかと聞いた。
するとなんと、「そんな事は自分で調べて来い!」とわめいた。
聞きしに勝る馬鹿オヤジでないか!
お前は登山客の落とす金で生きているんだろうがよ。ボランティアならまだしも、ふざけんじゃねーよ。
まったくふざけた野郎だぜ。こんな奴には遭難しても助けてもらいたくはないぜ。
あーあ気分が悪い。さっさと出かけよう。
西農鳥への岩壁をジグザグで登り、大門沢への下降点にたどり着いた。
周囲を見回すとテント一張り分の場所がある。設営して夕食を済ませ疲れを癒す。
何か楽しみのない歩きの上にあの馬鹿オヤジなんだからまいったまいった。
おまけに夜はとんでもない風で、テントが吹き飛ばされるんじゃないかと一睡もできなかった。
(注意:原則幕営は禁止です。成り行きとはいえ規則破りは申し訳なかった)

3.最終日
幕営地から奈良田 4:40-10:30

なんと6時間近くも下山に要するとは。今までで最高の下山時間かもと思ったが小赤石からがあった。
南アルプスは山が深いのが実感できるが、ちと度が過ぎるんだがなあ。
大門沢まで降りついて少しは涼しくなったが先はまだまだ長い。人気のない大門沢小屋を
横目に見て先を急ぐ。長い歩きを終えて奈良田林道に着いた時にはヤッターと叫びたいくらいだった。
温泉で汗を流してからバスに乗り込み、身延へ出てJRと小田急で帰った。
後半は楽しみも無く、辛い山だったが前半の北岳で楽しめたので良しとしとこう。

花の記録

ミヤマミミナグサ ミヤマコウゾリナ クルマユリ ハハコヨモギ タカネグンナイフウロ
ハクサンフウロ キタダケトリカブト カイタカラコウ アカバナシモツケソウ キンロバイ
ミヤマアキノキリンソウ ツリガネニンジン ヤマハハコ ミヤマシャジン クガイソウ
ホタルブクロ マルバダケブキ タカネナデシコ ミヤマキンポウゲ タカネニガナ 
ウメバチソウ ミヤマダイコンソウ タカネツメクサ イワギキョウ トウヤクリンドウ 
ヨツバシオガマ イワベンケイ ウサギギク チシマギキョウ シラネアザミ チョウノスケソウ 
イブキジャコウソウ ミヤママンネングサ ミヤマオダマキ オトギリソウ ハクサンイチゲ
ミヤマウイキョウ コバノコゴメグサ ミネウスユキソウ ヤツガタケタンポポ

さすがに花の山といわれるだけあって8月というのにすごい種類だ。
花を見るなら7月中旬位が一番いいのでないか。

次は荒川三山から赤石岳縦走。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キタダケソウの北岳 2002年6月

2010年05月08日 | 南アルプス
やっと念願の花に会いに行った。
行こう行こうと思っていたが梅雨時でもあり、うまくタイミングが合わずやれてなかったのだ。
土日に晴れるとの予報で急遽行くことにした。
大樺沢にはタップリと雪渓が残っていて、梯子まで雪の上を歩いた。

2002年6月22日-23日(1泊2日、小屋素泊まり)(単独)

1.初日
広河原から八本歯経由北岳山荘
11:10-14:30二俣-16:30梯子-18:10分岐-19:10

甲府9:00発のバスのため歩き始めが11時過ぎてしまった。
いくら雪があっても18:00までには小屋に着くだろうと思ったのが大甘だった。
いつもの通りにつり橋を渡り、歩きなれた道を二俣目指して歩くが、沢沿いなので涼しい。
二俣遥か手前から雪渓が出てきた。見上げると雪がベッタリとついていて黒い所が無い。
結構降りてくるが、長靴で軽快に降りてくる若者がいて感心する。
さっさと6本爪の軽アイゼンを着けて歩き出すがペースが上がらない。
斜度が増した梯子取り付き付近から後ろを振り返ると、何とまだ4グループほどが登ってきている。
もうだいぶ時間が押しているのに大丈夫かよと余計な心配をする。
やっとアイゼンを脱いで梯子を登り、分岐に着いたらもう18:00過ぎだ!
こりゃちと遅いぞと思ってもどうにもならず、トラバース道を小屋へ向かう。
おおキタダケソウがあちこちに咲いているぞ!!
しかし明日ゆっくり観察する事にして先を急ぐ。
小屋に着いたらノンビリくつろいでいるツアー客とおぼしきオヤジが「着くのが遅すぎだ」と
ぬかした。
頭にきたがまあごもっともではあり、完璧にシカトして小屋に入った。
クソー、情けないなあ。あんなオヤジに意見されるなんて。
自炊部屋では3組だったが案外と狭い。その後どうやって寝たか記憶が無い。

2.二日目
北岳山荘から北岳を越えて下山
4:00-6:10山頂-7:05小太郎尾根分岐-9:35二俣-11:30

さすがに明るくなるのが早い。4時にはヘッドランプ無しで普通に歩ける。
待望のキタダケソウとの面会だぞ。
トラバース道のあちこちに群生している。
案外と小振りな花で、何となくはかなげだ。
ハクサンイチゲを二周りほど小さくした花だがシベの緑がポイント。
花弁が多くて菊っぽいが清楚さというか気品がある。
充分に堪能して山頂を目指す。別にピークハントではなく、雪渓を下りたくないだけ。
分岐から辛い登りをこなしてやっと頂上だ。
超一級の大展望だ。いつ見てもといっても四度目だが、最初はガスだったので三度目だ。
ぐるりと360度。北岳以外の殆どの山が見えるんだから苦労して登る甲斐は充分にある。
下の広河原山荘か御池小屋に寝れば日帰りできるので初心者でも何とかやれる。
頑張って登ってみてください。7月中旬からはキタダケソウには遅いけどそれこそ百花繚乱です。
稜線ではハクサンイチゲとオヤマノエンドウ、ミヤマキンバイが目立った。
小太郎尾根分岐で食事をゆっくりとり、目の前の甲斐駒に見惚れてマッタリする。
二俣も時期が早いのと雪が多くて、ハクサンフウロなどはまだみたいだ。
2時間かけて広河原に戻り、身体を拭いてバスに乗った。

花の記録

キタダケソウ ハクサンイチゲ オヤマノエンドウ ミヤマキンバイ キバシャクナゲ
ミヤマミミナグサ カラマツソウ ミヤマハナシノブ オドリコソウ ミツバオーレン サンカヨウ 
マルバキスミレ チシマアマナ ヤツガタケタンポポ

期待通りのキタダケソウで大満足。
あのオヤジのダメだしは余計だったが。

次回はT氏と歩いた白根三山縦走。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜叉神峠から鳳凰三山 2003年9月

2010年05月07日 | 南アルプス
南アルプス縦走の入門編とでも言っていいこのコースを何でこんな時まで残していたんだろうか?
よく分からないが山をやりだしてほぼ10年後とは、ちとノンビリし過ぎだろう。
いろんな奴から聞いた小屋の不評がちょっとは影響してるのかも。
この年の夏は雨が多くて9月に入った最初の土日のこの山行日が初の夏らしい空と暑さだった。
夜叉神から入り、南御室小屋で幕営、ドンドコを青木鉱泉へ降りた。

2003年9月6日-7日(1泊2日 テント泊)(単独)

1.初日
夜叉神峠登山口から南御室小屋まで
9:45-10:55夜叉神峠11:20-11:45昼食12:15-13:30杖立峠-16:00

1994年版のエアリアのコースタイム通りの所要時間だが、相当にスローなペースだったので
コースタイムが大甘だったのだろう。
13K程度の荷だったにもかかわらず休みまくっての歩きだった。
特に杖立峠までの登りが、斜度がゆるい割にはしんどくて苦労させられた。
おそらくシャリバテと思うが、途中でラーメンを食って何とか凌いだ。
基本的には樹林帯の歩きだったが所々で北岳方面が見えたように記憶する。
苺平はあまり明るくない場所だった気がするが、すぐに南御室の小屋だった。
テント場はそう混んでいなくてよかった。
不思議とうるさい団体どもがいなくて静かな夜だった。

2.二日目
南御室小屋から青木鉱泉
4:45-8:10観音岳-9:20鳳凰小屋-15:15

食事は薬師岳とドンドコの途中で食べたが記録していない。
この稜線歩きがこのコースのハイライトだが薬師までが辛かった。おまけに途中で鈴を鳴らして
歩く馬鹿ジジイがいて、思わず「熊なんかいねーだろうが!」と叫んでしまった。
まったくいい加減にしろよな。
しかし噂どおりの素晴らしい景色だぜ。
左手にはあの北岳や間ノ岳、正面には甲斐駒、右手に八つとまあこれ以上は無い
役者が勢ぞろいだ。
それも目の前と言ってもいいくらいの近距離なので迫力があり過ぎるほどだ。
うーん、素晴らしい!!
白砂と巨岩、這い松、それにホウオウシャジンやタカネビランジなどの華麗な花もあるんだから
もう百点満点だ。
あーあ、もっと早く来れば良かったよなー。
地蔵のオベリスクは眺めるだけにして鳳凰小屋からさっさとドンドコへ。
噂ではドンドコは道が荒れているから御座石へ降りろと勧誘するとの話だったが何にも無い。
ちょっと拍子抜けだが、噂が広がりすぎて自粛しだしたのかな。
それともこのクソオヤジには言っても無駄と思ったか。
降り出してすぐの涸れ沢にオオタカネビランジの見事な一株があって見惚れてしまった。
ドンドコは長かったが滝を見ながら歩いたので退屈しなかった。
出てくる滝を全部見たが、ガスの為クリアに見れたのは南精進ケ滝のみだった。
鳳凰の滝は左右から落ち込んでいるが右の方は殆ど見えなかった。
この下りは滝を見る時に身体を冷せるので気持ちがいい。
普通の山屋はいくら勧誘されても御座石へは行こうとは思わないわなあー。
15:00のバスを諦め、涼しい沢でラーメンを食べ、着いたら15:15だった。
あまり大きくない風呂で疲れをとって帰った。規模から見て掛け流しの筈なんだが何か
よく分からなかった。

次はキタダケソウに会いに行った2002年6月の北岳。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒戸尾根から甲斐駒ケ岳 2005年9月

2010年05月06日 | 南アルプス
標高差2300M程もある本邦屈指の登りに挑戦だ!
さすがにテントは自重して小屋素泊まりで荷を軽くした。
昔参加した沢登りの講習会でここを日帰りした奴がいたがさぞ辛かったろう。
さすがにそれじゃあ山を楽しむというわけにはいかないだろうし、とてもじゃないが考えも
しないがなあ。
バスで横手まで入り、七丈小屋に寝て頂上をピストン。帰りは竹宇へ降りた。
このルートをテントで歩くのが結構いて感心したし、案外とやる奴が多くて静かなブームらしい。

2005年9月3日-4日(1泊2日 小屋素泊まり)(単独)

1.初日
横手から七丈小屋まで
9:20-12:00笹ノ平13:00-14:20刃渡り-14:50刀利天狗-17:00

笹ノ平までが案外と長かった。途中で咲き残りのレンゲショウマ2輪があった。
薄赤紫の何とも上品な花だ。奥多摩に群生地があるらしいが、一度見てみたいもんだ。
この横手から笹ノ平まで登り、竹宇に降りると駒ケ岳神社の里宮巡りになる。
一度仲間と歩いた時は途中から珍しく雨になったが全く泥道が出てこず、終始ふわふわの枯葉の
上を歩いたのには感激した。
それと植林が全くないというのが今時珍しいが、さすが昔から崇拝された山だけのことはある。
刃渡りは何ということも無い短い岩場でクサリもあるし、なんで滑落するのか不思議。
その先の刀利天狗は何とも陰気な場所だったが一休みした。
五合目の小屋にはきのこ採りの男が一人いたが、寝ようとおもえば寝れるらしい。
ここからがこのコースのハイライト「梯子と鎖」の連続だ。これでもか、これでもかと次から
次に出てくる。いくつあるか数えてみればよかったなあ。
こんな所をデカザック背負って登るのは辛いだけだが、案外とやる奴が多いんだよなあ。
七丈小屋のオヤジが「そのうち梯子と鎖を取っ払いたい」といってたが本当かよ。
ちょっと無理な気がするけどなあ。
小屋は泊り客が8人程度でテントが3張りだった。
トイレがちょっと変わっていて、風呂のシャワーみたいな物で流すようになっていた。

2.二日目
七丈小屋から甲斐駒ピストンして竹宇へ
5:20-駒ケ岳-9:15小屋10:45-12:00刀利天狗12:15-15:00

朝から快晴で気持ちのいい歩きができる。左手に地蔵のオベリスク、正面が甲斐駒頂上だ。
石の鳥居は台風で倒れていた。大岩に剣が2本突き刺さっていて富士をバックにいい写真が
撮れたのに、ハードディスクが壊れて消えてしまったのが何とも悔やまれる。
この大岩から上は岩壁に緑が映えて紅葉時期は素晴らしいだろう。坊主尾根も伸びやかで美しい。
北沢峠からの道とは随分と雰囲気が違っているから本当はピストンでなく、あちらへ抜けた方が楽しめる。
頂上は相変わらず人だらけだったが、眺めはさすがに絶品だ!!
目の前に八ケ岳、仙丈、北岳、鳳凰三山、遥かに中アや富士も見える。
空気が澄んでれば北アルプスも見えるんだからもう言うことなしだろう。
黒戸尾根から甲斐駒を越えて早川尾根へ登り返し、鳳凰三山を抜けて夜叉神峠なんて、体力があれば
もう最高の縦走なんだがなあ。
下り途中で這い松の中で見つけたキノコを丁度小屋にいてキノコの話をしている人物に食えるか
聞いたがよく解らないという。
まあ、たまたま会ったオヤジに食えると言って死なれでもしたら後味悪いもんなあー。
自己責任で食っちゃうことにしたが、結構旨かった。
キノコも3種類位なら充分憶えられるから少しは勉強しよう。それ以外には手を出さなければ安全だ。
歩いていて結構な数のキノコが目に付いたのにたった一つだけ食べたのはもったいなかった。
帰りもあの暗い刀利天狗で一休みして、ながーい道を黙々とこなして竹宇駒ケ岳神社へ降り着いた。
さすがに充実感はありすぎるほどあって、これが静かで深い黒戸尾根ブームの魅力なんだろう。
バス停まで歩いていると若い人が乗せてくれた。長野の人だったが小淵沢まで送ってくれて感謝、感謝。

次は夜叉神峠からの鳳凰三山。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早川尾根からアサヨ峰 2008年10月

2010年05月05日 | 南アルプス
一度歩いてみたかった早川尾根に小屋素泊まりで行ってみた。小屋番の夫婦がとても感じが良く、
いろんなサイトの評判通りでとてもアットホームでいいのだが、いかんせん客が少ない。
場所的に非常に不利だし仕方が無いがもう少し多くないと遣り甲斐がなかろう。まあしかし
本当に山の好きな連中しか来ないからこそ二人のもてなしが手厚いのかも。
この山域での数少ない営業小屋経験からの感想では、北沢峠の大平山荘とここがお勧めです。
大平山荘の手作りのカレーライスと冷奴と味噌汁は旨かった。あのM氏が2杯もおかわりしたのには
あきれてしまったが。15年も前に使ったが今でも同じだと思う。
可愛らしい名物お婆ちゃんがいたがまだ元気だろうか。


2008年10月11日-12日(1泊2日 小屋素泊まり)(単独)


1.初日
登山口から早川尾根小屋まで
11:30-14:10広河原峠14:35-15:15

登りだすと結構な斜度があり、ノンビリ、マッタリというか、スローペースでしか登れない。
先行するデカザックの男性も同様のスローなのは当然だろう。日暮れまでに小屋に着けばいいのだから、
まああせる必要は無い。
しかし樹林帯というのは直射日光が射さないのはいいのだが陰気だし単調なのが辛い。
頭を空っぽにして機械のように足を上下させるだけだ。
そうこうしている内に稜線に飛び出した。休み35分とったのに3時間かかってない!
コースタイム大甘でないか。あまり眺めはよくない。
小屋方面へ少し歩いたところに眺めのいい所があった。
小屋に着くとテントが4-5張りあった。案外多い。泊り客は20人もいない。
静かな夜になりそうだ。夕食を作っていると味噌汁を分けてくれた。親切な小屋番だ。
期間外はトイレと水がOKで小屋も開放してくれるらしい。

2.二日目
早川尾根小屋から北沢峠 
5:35-8:50アサヨ峰9:25-10:10栗沢山10:35-11:55


野呂川と富士



栗沢山からの甲斐駒


朝食を外で作っていたら味噌汁をまた持ってきてくれた。感謝!
今日もノンビリ歩きだ。稜線上は北岳やら甲斐駒やら眺めがいい。穴場のコースだぞ。
テントで連泊してボケーとするのにもってこいだぜ。何といっても人がいないのが最高だ!
アサヨ峰からは当然ながら摩利支天を従えた甲斐駒がでかいし、北岳が案外と鋭い。
まあこの風景が静けさとセットのこのコースの売りだ。
栗沢の頭からは目の前の甲斐駒が迫力満点だ。仙水峠へのまるで垂直に落ち込んでいるような
急下降が恐ろしいほどだ。
しかしこんな所は当然ながらジグザグに道を切っているから案外と歩きやすいのだ。
バスの時刻を考慮して栗沢山から降りることにした。降り出したら休憩中のオジン・オバン
グループと遭遇した。もうちょっと小広いところで店を広げろよな。
紅葉は予想通りにあんまり良くない。紅葉が目当てで無いのでどうと言うことも無い。
降りついて色とりどりのテントが埋め尽くすテント場を横目に見て、バス停に着いたら
仙水峠周りでも充分間に合う時間があってガックリ。
あの旨い仙水小屋前の水を汲んでこれたじゃないか。いろんなところの山水を飲んだが
ここほどの旨い水は飲んだことが無い。残念至極。
バスとJRを乗り継いで17:00に八王子に着いた。北アルプスと違ってさすがに早い。

次回は黒戸尾根からの甲斐駒ケ岳










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩見岳から広河原 2009年8月

2010年05月04日 | 南アルプス

思いでの山として書いてきたが、面倒くさいのと検索し易いので個別の山名表示とする。
時系列的には一番新しいが昔ほど結構記録しているのでこれから順に遡ることにする。
7月が雨が多くて梅雨もいつ明けたかはっきりしないほどで、ほぼ2ケ月ぶりの山となり
足が上がらずしんどい山となった。さすがにテントは無理と判断して、初日の三伏峠小屋で
素泊まりし、2泊目の熊ノ平小屋で1泊2食弁当付きとした。
貧乏山屋としては破格の山となったが、今まででも3本の指に入るタフなコースだった。
この縦走は遅くとも50代でやっておくべきだったと反省しても後の祭り。
残っている聖岳もこのコースよりタフそうで、縦走ではきついかもしれない。

2009年8月12日-14日(山中2泊3日)(単独、小屋泊まり)

1.初日 
鳥倉登山口から三伏峠小屋まで 14:00-17:40

伊那大島からは男女ペアP.2組との相乗りで入山したが、2,380円もかかった。
おまけに登山口まで入れず、1時間近く余分に歩かされ踏んだり蹴ったり。
峠までの道はそんなに急な登りも無く、楽なコースなんだがとにかく足が上がらない。
文字通りの牛歩でなんとも情けない。当初は三伏峠の先まで歩いてビバーグの予定で
道具を持参したが、早々と小屋の素泊まりに変更してノンビリ歩いた。樹林帯のため
クソ面白くない歩きでただ黙々と歩くのみ。
小屋の素泊まり客は先着の3人組のオヤジグループと後から来た二人組だけだった。
この先着組からサトウノゴハンを前夜に煮ておけば温めるだけで済み、ガスが節約できる
のを教わった。

2.二日目
三伏峠小屋から塩見岳を越えて熊ノ平小屋まで

6:00-7:20本谷山-9:10新道分岐9:30-12:00塩見岳12:30
-13:00蝙蝠分岐-14:40北荒川岳-18:30


塩見の登り

12時間30分の行動時間だが、疲れがひどく後半の樹林帯の歩きではホトホトいやになり、
何度もビバーグしてしまえと思ったが何とか旨い飯にありつこうと頑張った。しかし予想に反し
大した食事でもなく、小屋番もアメリカからの夫婦から換わっており、期待はずれでこれも
タクシー同様だった。おまけに翌日の弁当でダメだしを食らうのだが。
歩き出してから新道分岐まで樹林帯の単調な道が続く。時々展望がひらけて塩見岳が見える。
案外と近く感じるのだが、これがなかなかに遠いのだ。遠いなあと思った山が案外と早く
到着したりするから山はなんとも不思議なもんだ。
見晴らしのよい分岐の岩場で軽く食べてガスを充填していると小柄なオジイが来た。
聞くと74歳というではないか。おまけに熊ノ平まで行きたいなどと言っている。
ちと?だが結構歩いてるみたいで感心する。74でこのコースを歩く気力も体力もまったく
自信がない。というかこんなハードなコースを歩くわけがない。このオジイとは途中まで一緒に歩いた。
塩見小屋は本当に小さな小屋だったが朝早くから歩き出さないと着かないのが難点だ。
昔は夜行の電車で行く手があったが、今はJRの接続がなくて大島に泊らなくてはならない。
さてここから急登となり、好きな岩場なのだがピッチが上がらない。なんとか西峰に着いたが、
ガスで何にも見えない最低の頂上になってしまった。随分昔の赤石岳の時と同じだ。
これほど苦労が報われない結果はないが、運だから嘆いても始まらない。
相当疲れているがここまででまだ半分しか歩いてないのだから先は遠い。
結構な花が咲く岩っぽい道を蝙蝠の分岐まで行くと先行していたオジイがここでリタイアした。
塩見小屋へ引き返すというがまあ妥当な判断だろう。元気で長生きしてください。
一人で歩き出してすぐに雪投げ沢の頭だ。大型のアライのテントが1張りあった。
ダケカンバとマルバダケブキの道が続くが、タカネコウリンカとイブキジャコウソウの群落が
あった。


タカネツメクサ


タカネコウリンカ


マルバダケブキの道

北荒川岳手前で写真どおりのマルバダケブキの大群落の中を歩いてびっくりする。
単体で見ると何ということも無いのだが、これほどの規模になるとさすがにすごい!
そのあと道の真ん中にタカネビランジがあったが植えつけたんだと思う。あまりに不自然過ぎる。
その後は本当に単調な樹林帯の歩きで、あの奥秩父縦走を思い出した。歩けど歩けど樹林帯で
先が見えないので気分が滅入るし、明るくないし、南アルプスの奥深さを感じるなどと書いてる
ノー天気なガイドがあるが糞食らえだ!
あまりの消耗で途中で帽子を置き忘れる始末で何ともしまらない。おまけに小屋番には着くのが
遅すぎると説教はされるは、ありついた飯も大したことも無く(食事できただけでもありがたかったが)
何ともみっともない小屋泊まりではあった。

2.二日目
熊ノ平小屋から北岳をかすめて広河原

5:00-7:40三峰岳-9:10間ノ岳9:30-11:30北岳山荘-12:45八本歯ノコル
-14:10二俣-16:40

歩き出して今日も昨日同様牛歩を覚悟する。相当に時間がかかりそうな予感がする。
三国平まで案外とキツイ登りだ。振り返ると赤い屋根の熊ノ平の小屋が見える。
登り着いたら塩見岳、仙丈ケ岳、甲斐駒ケ岳が勢ぞろいだ。


塩見遠望

三峰岳までは岩で案外手強い。たどり着いたら間ノ岳が馬鹿でかく気力が萎えた。
先着していた人が案外と早く着きますよと慰めてくれる。
先が長いのでさっさと登りだすが、仙塩尾根を歩いてきた30前後の男性の「南は樹林帯の
歩きが短いといいのになあ」の一言に全く同感。
元同僚のK氏が毎年スイスに行くのもちょっとは分かる気もする。苦労しないで絶景が見れれば
それに越したことはない。
間ノ岳への登りは本当に案外と歩き易かった。頂上で弁当を開いて唖然。握り飯3ケと塩漬けハム
みたいな肉が一切れ。もっとまともな弁当が作れないのかと呆れた。
北岳山荘までが意外と長くて途中の中白根で小休止する有様。
八本歯へのトラバース道は全くショートカットしていなくて距離的には得はしないが、キンロバイなどの
花が多くて楽しめるのが取り柄だろう。


キンロバイ

6月の中旬から下旬にはあのキタダケソウに出会える。
コルからノンストップで二俣まで駆け下りたがコースタイム通りだった。
バットレスをやった岩屋が三人トカゲしているのと今から北岳へという変な親子がいた。
ここはミヤマハナシノブやらハクサンフウロやら花が多い。
途中で足を引きずる若者がいて聞いてみると膝を痛めたらしい。仕方が無いのでサポートして歩く。
結局最終バスにギリギリ間に合ったが危なかった。
北岳は花が多くて歩くのが楽しい山のトップクラスだろう。南アルプスをまだ歩いてない人は
まずここからやってください。きっと病みつきになりますよ。人が多いのが難点ですが。

花の記録は残していないが、特に印象に残ったのは
塩見岳のタカネツメクサ、北荒川岳のマルバダケブキ、タカネコウリンカ
八本歯へのトラバース道のキンロバイの大群落
花はいろいろと出てきたがまじめに記録する気力もなかったらしい。
本当にタフなルートなので少しでも若いうちに歩くことをお奨めします。

次回は2008年秋の早川尾根からアサヨ峰

この時に撮った山岳風景の追加

     
 
左から 中央アルプス 塩見岳西峰 蝙蝠岳 熊ノ平小屋と塩見岳 北岳・甲斐駒ケ岳 仙丈ケ岳

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いでの山 北アルプス編 ⑧ 徳本峠越え

2010年05月04日 | 北アルプス
北アルプスの記録も一応最終回となったが、それがウェストンと同じルートを歩く
徳本峠越えとなったのが面白い。
ここ数年Y氏と行こう行こうといいながら、なかなか都合や日程が合わなかったり、道が
崩れたりして延び延びになっていたのだ。
やっと行ける事になり楽しみに歩いたのだが期待通りだった。
最初は行ける所まで行って、寝袋もなしでビバーグしようというY氏の提案を面白いと思ったが、
やっぱり還暦を過ぎたオジン2人がやるのはちと無謀と幕営に変更した。
道はさすがに先人が歩いただけあって足に優しいコースどりで、静かな歩きが楽しめた。

2009年8月22日-23日(山中1泊2日)(Y氏同行)

いつもの6:14高尾発松本行きでノンビリ各駅停車の旅だ。18キップは貧乏山屋には
最高の移動手段だが、Y氏にはちと迷惑かも。
タクシーで新島々から行ける所まで行こうと思ったが大して中に入らない。
Y氏によるとドル箱の上高地があるのでガツガツしてないのだろうとのことだが、こちらとしては
ちょっとでも無駄な歩きを省きたかったのに思惑がはずれて残念。

1.初日 島々から岩魚留小屋 11:00-16:00 

退屈な歩きもまとわりつくオオムラサキがまぎらわせてくれたり、サンダルで雨傘をザックに
さした若者と行き会ったり、戦国期の悲劇というか当時は常識的な出来事の石碑を見たりして
どうにか小屋までたどり着く。
あの若者は素人ではなかろう。小屋のスタッフの休暇下山だろうが峠の小屋だと時間的にちと?
あとは釣りの若い男女1組と単独の中年釣師一人と会ったきりの静かな歩きだ。
道は二俣からの右岸沿いの道が崩壊地4箇所ほどあり、うち一箇所がちょっといやらしい。
行政もこの道の保全はちと難しいだろうから、そのうち沢の中を歩いてしか行けなくなるんでないか。
沢沿いなので涼しく夏向きのルートで、道さえよければ人気コースになるのだがそうすると
五月蝿くなるのでこのままがいいか。
それにしても峠道などと同じで、昔の人のコースどりが本当に上手なのには感心する。
一回ポッキリでなく日常的に使うんだから当然といえば当然なのだが。
桟道が結構出てくるが古くてちょっと危なっかしいのもあった。
おまけにご丁寧に一人づつ渡れと書いてあるのがあったりして笑った。
小屋は誰もいない。今年は営業しなかったらしい。来年は土日祝祭日はやるみたいだが相当に
荒れているし、経営は非常に困難だろう。残念だがそのうち廃業になるかも。
傍らにカツラの大木があり、その横にテントを張った。
沢沿いで見上げる空が狭いのが残念だが、静かな夜だ。軽いので羽毛シュラフで寝たが、
Y氏はあまりの寒さにエマージェンシーシートを被って寝たらしい。寝袋なしでは8月末でも
ちと厳しかったか。

2.二日目
小屋から徳本峠を越えて上高地
6:15-8:15力水-10:00徳本峠10:15-12:00明神-13:00

左岸沿いの道だが結構岩が道を覆っていて歩き辛いところがある。大雨が降るとあちこちで
危険箇所が発生するから尾根ルートと違い沢沿いの道はリスクが大きい。
カツラの大木があちこちにあり、気分の好い歩きなのだが足が上がらず、Y氏に置いていかれる。
Y氏はドンドン先行するM氏と違って待ってくれるので不安が無い。一旦右岸に換わって
最後にもう一度左岸に渡り返してちょっとで力水だった。ここで2人とも500のペット1本を冷たい水で
満たして峠を目指した。ここからが案外と長く、いつもの通り、「まだかよー、長いなー」と
毒づきながら歩いた。もうちょっと気の利いたセリフを考えたがいいかも。
やっと峠が近づいてきたが雲がかかってないように祈る。苦労して登りついて山が見えなかったら
ガックリだ。
どうにか登りきったら小屋は古いのを一部残して建て替え中だった。全部建て替えているのかと
思っていたが、さすがにあの売りのつっかえ棒は残したらしい。
小屋の横に出てみると、おおー明神が正面だ!あの長い道の終わりにこんな風景が展開すれば
誰でも感激するだろう。ウェストンの喜びようは並みでなかったろう。
沢筋には細いが残雪があり、ちょっとしたアクセントになっている。
これは上高地からの逆ルートはとんでもないお馬鹿。歩くのが案外と多いのがよく分からない。
鯛の尾頭つきの無い祝い膳を食べてるようなもんだ。
山慣れしたオヤジが逆ルートで島々へ降りるというので水はあちこちで汲める、いざとなれば
営業してない岩魚留小屋の軒下で寝られると教える。
観光で来た大阪からの若者にY氏が山の解説をしてやっている。
写真を撮りましょうと言ってくれたが、二人して断る。写真では感動は写せない。
先行した若者の後を追って我々も上高地目指して下山したが、明神からバスターミナルまでが
何か一番きつかった気がする。観光客でごったがえする道をトボトボと歩き、ビールで乾杯して
宿題の山を終えた。

次回からは当分のあいだ南アルプスの記録だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする