徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

藤崎八旛宮秋季例大祭と“不適切表現”

2012-09-16 15:44:16 | 熊本
 小雨まじりの中、朝6時に出発した藤崎八旛宮秋季大祭の随兵行列と飾り馬追いを参道で眺めながら、昨夜の熊本城本丸御殿の「秋夜の宴」を思い出していた。昨夜の演目の中には、ちょうどお祭りの最中ということで、昭和30年代だったか、「月の法善寺横丁」などのヒット曲で知られる藤島桓夫が歌ったレコード「ボシタ囃子」という曲でザ・わらべ&こわらべが踊った。この演目の開始に当っては、イベントの事務局から「歌詞の中に不適切な表現がありますが、作られた時代背景を考慮し、そのまま・・・」というお断りのアナウンスがあった。古い映画をテレビで放送する時などによく見かける例のアレだ。実はこの歌のバックコーラスが歌の最初から最後までずっと「ボシタ!ボシタ!」を連呼するのである。この言葉は現在は使ってはいけないとされている。もし、この言葉を祭りの参加者が使ったら、その団体は重いペナルティが課せられるという。このことについては言いたいことは山ほどあるのだが、ここではあえてそれは言わない。「ボシタ囃子」の曲自体はとてもいい曲なので、できればYouTubeでご紹介したかったのだが、「秋夜の宴」の関係者にご迷惑がかかるといけないのでやめた。
 ラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)は明治25年(1892)11月24日に、松江時代からの親友・西田千太郎に宛てた書簡の中で、藤崎八旛宮秋季大祭の飾り馬について「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声のことに触れている。また、翌年9月23日に友人チェンバレンに宛てた書簡の中では、「藤崎八旛宮の秋季大祭。それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念すべき掛け声だとのこと。」と述べている。
 この祭のもととなった藤崎八旛宮の放生会は1000年、加藤清正の時代以降の飾り馬追いも400年の歴史があるわけだが、その間に祭の有様も随分と変わったのだろうけれど、変わらず熊本人の魂を揺さぶり続けるのは何なんだろう、と考えながら帰路に着いた。


「松の緑」と「うさぎの餅つき」 ~ 秋夜の宴・第三夜 ~

2012-09-16 00:14:13 | 音楽芸能
 今夜の「熊本城・本丸御殿 秋夜の宴」は僕にとってとても興味深い演目が演じられた。一つは長唄について疎かった僕ですら題名を知っていた「長唄 松の緑」。いわゆる祝儀曲で、もともと廓(くるわ)において禿(かむろ)がいずれは太夫(たゆう)に出世することを願い、松の木の成長になぞらえて前途を祝した唄だそうだ。日本舞踊の定番にもなっているこの曲を、ザ・わらべがいつ踊ってくれるかと期待していた。
 もう一つは、ザ・わらべのメンバーがまだ小学生の頃の演目だった「うさぎの餅つき」。僕はこれを映像では何度も見たが実はナマで見たことがない。たまたま今夜これを久しぶりに踊ってくれたのでさっそく5年前の映像と見比べてみた。この5年間の彼女らの成長がよくわかって実に面白い。


≪歌詞≫
今年より千度迎ふる春ごとに なほも深めに松の緑か 禿の名ある双葉の色に
大夫の風の吹き通ふ 松の位の外八文字 派手を見せたる 蹴出し褄 よふ似た松の根上りも
一つ囲ひの籬にもるる 廓は根曳の別世界 世々の誠と裏表 比べごしなる筒井筒
振分け髪もいつしかに 老となる迄末廣を 開き初めたる 名こそ祝せめ


▼うさぎの餅つき(Click to Movies
左:2007年12月24日/右:2012年9月15日