徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

名君 細川重賢公と九曜紋

2012-09-21 21:05:07 | 歴史
 今朝、早朝に小用を催して目が覚め、電燈替わりにテレビをつけた。するとNHKでちょうど「視点・論点」が始まったところで、「武士の家計簿」などの著書でも知られる歴史学者の磯田道史さんが「時代が求めたリーダー」というテーマで、肥後熊本藩六代藩主・細川重賢公の話をしているところだった。思わず小用も忘れて聞き入った。細川重賢公といえば、延享四年(1747)江戸城内での刃傷事件に巻き込まれて不慮の死を遂げた兄の宗孝公のピンチヒッターとして図らずも藩主となったが、危機に瀕していた藩の財政を立て直した財政改革の他、行政改革、教育改革、司法改革など、いずれも後の世の手本となる「宝暦の改革」を行なった名君として名高い。たしかに今の日本こそこんなリーダーが求められているのだろう。
 さて、そんな朝があり、昼から歩いて交通センターへ出かけた。その途中、行幸坂のところで中学生と思しき一団が、中年男性のボランティアガイドに引率されて坂を登って来た。これから天守閣に登るのだろう。すれ違う時、一人の男の子がガイドに質問した。「あの旗のマークは何を意味しているのですか?」と、坂に沿って立てられているのぼり旗に染め抜かれた細川九曜紋を指して言った。ガイドは「あれは太陽を中心にまわりを惑星が・・・」。通り過ぎたので最後までは聞こえなかったが、そこで僕はハッと思い出した。細川重賢公が図らずも六代藩主となった刃傷事件もあの九曜紋が原因だったことを。しかも、事件の再発防止のため現在のデザインに変更したのも重賢公の時だった。朝のテレビとの妙な符合に不思議な気分になった。