徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

郡上おどり ~かわさき~

2022-08-14 21:27:40 | 伝統芸能
 先週木曜日(11日)、BSプレミアムで新日本風土記「郡上八幡」を放送していた。初回放送は10年前だそうだが、たしか見るのは今回が2回目だ。岐阜県郡上市八幡町。毎年、三十三夜にわたり盆踊りが開催され、なかでもお盆の4日間は、朝4時まで徹夜で踊り明かすことで知られている。参加者のエネルギーには感心させられるが、その徹夜おどりのクライマックスで踊られる曲の一つが「かわさき」。「かわさき」というのは、三重県伊勢市の勢田川に沿った商人町河崎で江戸中期の頃から謡われていた俚謡。全国各地からやって来るお伊勢参りの人々によって各地に伝えられた。郡上八幡にも伝わり、題名もそのまま「かわさき」として謡い継がれているという。そしてこの「かわさき」がもとになって「伊勢音頭」が出来上がったという。
 さて、その徹夜おどりが昨日から始まっているはずだが、コロナ禍の中、どんなまつりになっているのだろう。

   ▼東海風流プロジェクトによる「かわさき」



   ▼「かわさき」から発展した「伊勢音頭」

アイドル

2022-08-13 21:40:02 | ドラマ
 一昨日、NHKで特集ドラマ「アイドル」という番組を放送していた。昭和初期から戦後間もない頃までの20年弱、新宿角筈に存在し、軽演劇やレビューで一世を風靡した「ムーランルージュ新宿座」のトップアイドルとして活躍した明日待子の半生を描いたドラマだった。見ながら僕は11年前の思い出を振り返っていた。
 それは2017年に他界された「評伝 海達公子」の著者規工川祐輔先生に、公子物語の映像化を提案し、いろいろアドバイスをいただきながらスライドムービー化したことがある。脚本作成に当たっては規工川先生の著書のほかいろんな資料を調べたり関係者に聴き取りしたりした。特に興味を持ったのは、著書の中に、公子が昭和7年に、大牟田に巡業に来たムーランルージュの舞台を観に行ったという記述があり、ムーランルージュの舞台を見たことが公子に少なからぬ影響を与えたと記されていたことだ。天才詩人と謳われた公子は体育面でも能力を発揮していて、同級生の話ではダンスの腕前は際立っていたという。僕は公子が何を感受したのかを確かめるべく、ムーランルージュ大牟田公演の開催日や開催場所、演目、出演者などを調べたことがある。大牟田の劇場関係の方の話では、昭和7年といえば、大牟田は炭鉱景気で栄えていた頃で、劇場もたしか三つくらいあったはずだと言っておられた。しかし、それ以上のことはわからなかった。
 ともかく、公子物語のムービーは完成し、友人知人にご案内をして試写会を開くことになり、熊日新聞も取材に来ていただいた。
 僕がそんなことをやっていたちょうどその頃、記録映画「ムーランルージュの青春」が公開された。熊本でも電気館さんあたりがやってくれないかと期待していたが、結局見るチャンスを逃した。それっきり、この記録映画のことは忘れていたが、今回のテレビドラマをきっかけに一度見ておきたいと思った。レンタルビデオが出ているはずなので近いうちに探してみよう。


【特集ドラマ】アイドル

上江津湖散策

2022-08-12 22:06:24 | 
 県立図書館の貸出カードが期限切れになっていたのでその更新と、図書館の裏を流れる加勢川(上江津湖)の映像を撮りたいと思い、午後から4年ぶりに県立図書館を訪れた。
 映像は昨日アップした「水と花と夢と」がインストバージョンだったので、今日はボーカル入りバージョンを作るためその背景にしようと思いついたものだ。夏休み真っ最中の子どもたちが泳いでいた。こんなきれいな川で泳げる子どもは幸せだなぁと思う。
 帰宅してから断片的に撮った映像をつなげてみたが、音源に対してとても尺が足りない。そこで今回もNHKクリエイティブ・ライブラリーの中から「白川水源」の映像をお借りすることにした。出来上がった映像がこれだ。


水と花と夢と

2022-08-11 20:07:11 | 音楽芸能
 今年の4月23・24日、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の記念ソング「水と花と夢と」は、玉名女子高3年の古賀鈴さん作詞、天水中2年の麻生朱里さん作曲の歌が選ばれ、サミット当日やプレイベントなどで使われました。麻生朱里さんは舞踊団花童で花童あかりとしても活躍しています。
 下の映像は5月21日に城彩苑わくわく座で行われた舞踊団花童の「わくわく座 春の特別舞台」で披露されたものですが、熊本の豊かな水の流れを布晒舞で表現しています。


   ▼水と花と夢と(インストバージョン)

2022.5.21 城彩苑わくわく座
作詞:古賀鈴 作曲:麻生朱里 編曲:藤川いずみ・志娥慶香
振付:はつ喜流月花
舞踊:はつ喜流月蘇女・花童かな・花童あい・花童あかり
   花童あおば・花童はるか・花童ことね・花童もえ


お盆と五木の子守唄

2022-08-10 20:41:40 | 音楽芸能
 旧暦では今日10日から12日がお盆だそうだ。(2022年の場合)
 お盆と聞くとなぜか「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと」という「五木の子守唄」の歌詞が頭に浮かぶ。
 父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方だった。家が貧しいために「口減らし」として子守奉公に出された少女たちの中には遠く五木村まで出かけた娘もいるという。自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めていたという「五木の子守唄」は天草の「福連木の子守唄」がもとになったという説もあるらしい。
 昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となったが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですら、まだあまり知られていない。
 ところでお盆になったら家へ帰るという子守奉公の娘たちの中には天草へ帰る娘もいたであろう。五木村から小鶴原女木線を歩いて八代で渡船に乗ったのだろうか。悲哀の日々の中でもわが家へ帰るのはさぞや嬉しかったことだろう。




水前寺球場の思い出

2022-08-09 21:20:19 | スポーツ一般
 日曜日の熊日新聞に、日本野球機構(NPB)は全国各地の「日本野球聖地・名所150選」を選定し、熊本県内からは藤崎台球場と水前寺野球場が選ばれたというニュースが載っていた。
 僕にとって1回目の熊本国体があった昭和35年(1960)にできた藤崎台球場よりも、水前寺野球場の方が断然愛着が強い。現在は硬式野球の規格を満たしていないので軟式野球の球場として使われているが、かつては熊本の野球のメッカだった。水前寺野球場は昭和3年(1928)に開場し、94年の歴史を有する。わが父が高校野球の審判員として、叔父は九州学院および社会人野球の選手として活躍した思い出の球場でもある。
 僕は小・中学生の頃、母が作った弁当を持って上熊本から電車を乗り継ぎ水前寺球場までよく高校野球を見に行った。当時の熊本の高校野球は強かった。昭和33年(1958)の選抜高校野球で優勝した済々黌チームを始め、熊工、熊商、九学、熊高などどこも強かった。下の新聞記事は済々黌対熊工の対戦スコアだが、これは熊本県大会ではない。甲子園の選抜大会の準決勝である。僕にとってのヒーローは済々黌のエース城戸博さんだった。城戸さんのことは彼が京陵中学校の時から練習を見に行っていたので知っていた。左腕から繰り出す速球とドロップ、そしてバッティングセンスは野球好きの小学生に過ぎなかった僕にもひときわ光って見えた。済々黌に進んだ城戸さんはすぐに中心選手になり、水前寺球場でその雄姿を見るのが楽しみだった。そしてあの昭和33年春の選抜大会の優勝。甲子園から凱旋した済々黌チームを迎えるため、数万人の市民で埋まった熊本駅前の光景を僕は決して忘れない。


小京都って!?

2022-08-07 20:15:45 | 日本文化
 Yahoo!ニュースに京都新聞の「“小京都”を名乗る自治体が減り続けている」という興味深いニュースが載っていた。京都に似た街並みや文化を持つ市町が集う「全国京都会議」という組織があり、ここに加盟すると公的に「小京都」を名乗ることができるそうだが、かつて最盛期には60を超えた加盟市町が激減しているのだそうだ。
 熊本県の「小京都」といえば、まず人吉市を思い浮かべたものだが、実は2020年の豪雨災害を機に退会したという。全然知らなかった。甚大な被害からの復興を最優先することが理由だという。
 他の退会した市町は「小京都」と称するメリットがあまりなかったり、町の成り立ちが京都とは異なり独自性を出したいといった理由が主のようである。
 というわけで、熊本県の残る「小京都」は山鹿市だけとなった。1960年代後半、仕事で山鹿の町の中を数日間歩いて回った時の、かつて温泉街として栄えた面影はどこにもない、八千代座は閉鎖同然、さくら湯は解体寸前だった寒々とした街の風景を想い出すと、よくぞここまで復興したなと官民の地道な努力の積み重ねに敬意を表したい。「小京都」を今後も称するかどうかは山鹿市民の皆様がきっと適切に判断されるだろう。
 「小京都」の風情を感じさせる写真と動画を添付してみた。 


八千代座と舞妓さん


さくら湯池の間での花童舞踊

わが父と謡曲「田村」

2022-08-06 22:50:47 | 伝統芸能
 相次ぐ夏イベントの中止のなかでも、僕が最も残念だったのは今夜行われる予定だった「出水神社薪能」の中止。3年ぶりということもあったが、事前に発表されていた今回の演能が「田村」だったからである。今年は2000年に他界した父の二十三回忌の年。その父の思い出の謡曲が「田村」だったので供養にはちょうどよかったのだが。
 父はまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺に住んでおられた長岡家に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手としてだったが、お屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れなかった。

▼「田村」あらすじ
 東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿[田村丸]が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。
 残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。(the能ドットコムより)


出水神社薪能・火入れ式

2016.8.6 水前寺成趣園能楽殿 第57回出水神社薪能における金春流能「田村」(シテ 田中秀美)


夏イベントの中止相次ぐ

2022-08-05 19:51:46 | イベント
 このところ熊本は新型コロナ感染者が4000名のレベルで推移している。ひと月ほど前と比べて1ケタ違い。3年ぶり開催の文字が踊っていた夏イベントも中止が相次いでいる。未だかつてない感染数だから無理もない。今年の夏こそは、と期待が大きかっただけに余計残念感が強い。特に個人的には「出水神社薪能」は6年ぶりにわが父思い出の曲「田村」が演能される予定だったのでなおさらだ。また来年の夏を期待して待とう。

▼中止になった主なイベント


出水神社薪能


山鹿灯籠まつり


火の国まつり

徳島インターハイを見ながら

2022-08-04 21:17:57 | スポーツ一般
 今日の午後はEテレで放送された徳島インターハイの陸上競技を見て過ごした。注目は熊本期待の女子100㍍ 山形愛羽選手(熊本中央)。午前中の予選は第4組1位で難なく通過。準決勝では第2組で3位と無条件通過の2位以内に入れず、+2のタイムで拾われ決勝へ進出した。決勝では番狂わせの上位進出を期待したがスタートの出遅れを挽回できず7位でゴール。それでもファイナリストに残り入賞できたことが素晴しい。健闘に拍手!

 思えば、野林祐実さん(九州学院)が新潟インターハイで100㍍・200㍍を制覇してからちょうど10年。今回優勝した藏重みう選手(中京大中京)のタイムが奇しくも野林さんが優勝した時のタイムと同じ11秒85。このタイムは山形選手も十分出せるタイム。明後日の200㍍はもっとチャンスがあるかもしれない。また、今2年生の山形選手は来年も大いに期待が持てる。ただ、3年生になってケガなどで力を発揮できなかった選手は過去に何人もいるので、ケガや体調維持には細心の注意を払ってトレーニングに励んでほしいものだ。


山形愛羽選手


女子100㍍決勝


リザルト


10年前の野林祐実選手の走り

僕の夏うた ~Mr.サマータイム~

2022-08-03 18:03:37 | 音楽芸能
 僕にとっての「夏うた」ナンバーワンはコーラスグループ「サーカス」が歌う「Mr.サマータイム」である。そうなった出来事があった。あれは44年も前の夏だった。当時僕は新工場を建設したばかりの防府に勤務していた。毎年、防府市では夏に「防府まつり」があり、市民総踊りなどのイベントが行われる。会社として、地域社会にとけ込み、市民に認知してもらうため、「防府まつり」の多くのイベントに参加することが工場方針だった。その推進担当の役割を担っていた僕は、総踊りへの参加準備に大わらわだったが、もう一つ頭を悩ませたのが「職場対抗のど自慢大会」への参加だった。防府市内の多くの企業から3人ずつ出場し、その合計得点で順位を決めるというものだが、わが工場は立ち上がったばかりで人数も少なく、参加を募っても出場してくれる人がいなかった。多少はのどに自信がある人もいるにはいたが、2000人近く入る防府市公会堂で歌うのは尻込みするのが当たり前だ。それでも何とかムリヤリ2人にお願いし、しかたがないので担当である僕自身が出ることにしてなんとか3人揃えた。そしてリハーサルの日。そこで某企業のOLさんが歌った「Mr.サマータイム」に僕らは衝撃を受けた。ちょうどこの歌が大ヒットしていた頃だったが、このOLさん、プロかと思うほどおそろしく上手い人で僕らは戦意喪失した。案の定、本番ではその「Mr.サマータイム」が最高得点をマークし、その企業が優勝した。その企業というのが鐘紡だった。この歌はその年のカネボウ夏のキャンペーンソングだった。
 「Mr.サマータイム」はフランスのミシェル・フュガンという人が歌ったシャンソン「Une belle histoire」という原曲があり、だいぶ異なる曲のように聞こえるが、ひと夏の恋の思い出を歌っていることは同じのようだ。
 ちなみに、カネボウキャンペーンガールを務めた服部まこ(服部真湖)さんは現在もマルチに活躍しておられるが日本舞踊山村流の名取でもあるそうだ。

        ▼Mr.サマータイム


        ▼Une belle histoire

サマー・イン・ザ・シティ

2022-08-02 17:36:23 | 
 今日は、先日受けた大腸内視鏡検査時に切除したポリープの生検の結果を聞きに新町の病院へ。バスで行ったが、バス待ちやバス停と病院間の歩きの暑さには参った。テレビで盛んに「今日は命に危険を及ぼす猛暑」と言っていたことを実感する。ふと、学生時代に流行ったラビン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」のメロディが頭の中でグルグル回り始めた。行き交う人々も暑さにゲンナリという感じ。まさに歌詞の中の
「all around people looking half dead」だなと苦笑。


新町バス停



The Lovin' Spoonful - Summer In The City (1966)
Hot town summer in the city
back of my neck getting dirty and gritty
I been down isn't it a pity
doesn't seem to be a shadow in the city
all around people looking half dead
walking on the sidewalk hotter than a match-head

八朔祭のはなし。

2022-08-01 20:58:32 | 日本文化
 今日は「八朔(はっさく)」。八朔とは「八月朔日(さくじつ/ついたち)」の略で、旧暦の8月1日のことです。
 明治6年(1873)以降、新暦に変わりましたが、「八朔」の行事は新暦の8月1日に行われる地方と旧暦の8月1日に近い9月上旬に行われる地方とに分かれているようです。
 旧暦の8月1日にあたる9月上旬頃は、ちょうど稲穂が実り始める時期。そこで収穫を前にした予祝儀礼として豊作祈願の「八朔祭」を行うようになったといわれます。田の実りを願うので「田の実の節供」と呼ばれるようになりました。農村ではユイ(結い)と呼ばれる協同労働において日ごろ恩恵を受けている人に贈答品を贈る「八朔憑(たのみ)」(田の実⇒頼み)という風習が生まれ、中世の頃から武家や公家の社会にも広がったといわれます。
 京都祇園では8月1日に芸妓や舞妓が盛装して芸事の師匠やお茶屋などに挨拶まわりをする風習が今も続いていますが、今年はあまりの暑さに芸舞妓も軽装で回ったとニュースで紹介されていました。
 9月上旬に行われる熊本県山都町の八朔祭は大造り物が町内を練り歩くことで知られていますが、約250年の歴史を持つこの祭は、町の商家の人々が産物を卸す農家をねぎらい手厚くもてなす愉しみの一つとして始めたのが起源だといわれています。
※参考文献 和歌森太郎「八朔考」 服部比呂美「八朔の馬節供」


熊本県山都町の八朔祭・大造り物(写真提供:熊本県観光連盟)



京都祇園の八朔挨拶まわり