雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

川崎航空機工業という会社

2009-09-18 04:19:43 | カワサキ単車の昔話
私が入社した頃の川崎航空機は軍事産業ということで、戦後長く中断があり、定期採用の先輩たちも3年上までしか居ないという若い会社であった。
名前は航空機だが、当然航空機製造などはなく、
ジェットエンジンのオーバーホール、ヘリコプターそれに発動機やバイクエンジンなど、今までに経験のないものばかりを造っていた。

二輪車の一貫生産を始めたのは、私の入社後で、
その末端販売はメイハツやメグロにやってもらっていて、
私が担当した広告宣伝も、レースも、そしてマーケッテングも、
私より上の人で経験者は皆無であった。
海外のアメリカなどの市場開発も同じことで、
素人がみんな見よう見真似で切り拓いていったものである。

レースの外人ライダーの契約書の作り方を教えて貰ったのは上司などではなくて、
MFJの運営委員でご一緒していたホンダの前川さんだった。
そんな状況だから、未経験の分野にも全然物怖じしない、一種独特のカラーと人材の集まりになっていったように思う。

昭和44年に、川重、川航、川車の3社が合併して今の川崎重工業になるのだが、
川崎航空機入社までの連中には何となくそんな気風が残っている。
川崎重工業は、造船重機の中に位置しているが、その中ではやはり異色だし、最近は川崎航空機出身者が経営の中枢に多く座ったこともあって、昔とは様変わりの状況になっている。

何故、急に『川崎航空機工業』を思出だしたかというと、


一昨日は、カワサキのZ1会のゴルフコンペだったのである。
この写真に写っているメンバーは川航の連中ばかりである。
名前やもう少し写真を見たい方はこちらをどうぞ。
バイク雑誌などなら、是非取材をと思うに違いない。

私のパートナーは、カワサキ初のモトクロス青野ヶ原も鈴鹿6時間耐久も走った
飯原武志、
世界の金谷秀夫、そしてkiyoさんこと清原明彦だった。
ゴルフそっちのけで、レースの昔話などに熱中した。

そのうちにキヨさんが、『レースのOB会やりましょう』と言い出したのである。
ちょうど20年前にやったときは、私も現役だったし、ほとんど全部面倒見たのである。
20年経つと、どこからどこまで呼ぶのか範囲が多すぎる。
その辺をどうするかと考えていたときに、
『川航時代までで、絞りましょう』ということになったのである。

今回はキヨさんに任すことにした。
ライダー主体に、キヨさんのメモに上がった名前を見たら、星野一義、金子豊、片山義美、和田将弘、山本隆、金谷秀夫などビッグネームがずらっと20名ばかり並んでいた。
ライダーもみんなカワサキ育ちでみんな個性豊かなのである。

もし実現したら、多分最後になるかも知れない。
みんなもう60代なのである。
久しぶりに聞いた『川崎航空機』という会社の名前であった。

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コメント (4)
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