雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

過保護と競争

2007-07-17 05:34:55 | 発想$感想
日曜日の朝日新聞、お読みになった方も多いと思う。

「最先端と思われていたIT業界の携帯電話の端末が、総務省ー通信業界ーメーカーの護送船団方式に守られて国内の日本独特の仕様競争に終始した結果、世界の競争から完全に立ち遅れてしまっている。」 という記事である。

育てるためにはある程度 「保護」も必要な場合もある。
然し、本当に成長するためには、基本的に 「競争」が必要であると思っている。


競争の中からは、育ったものに 「たくましさ」 がある。
保護の中からは、それも過保護の中からは 「ひよわな」 ものしか育たない。

当たり前の話ではあるが、
昨今の小学校の運動会などで見られる 「徒競走」などからの考え方には、「競争」から逃げる姿勢のように思えてならない。


護送船団方式もある意味、戦後の廃墟から立ち上がるためには、必要悪であったのかも知れない。
朝日の記事の中では、今の自動車業界の4社を例に挙げて世界の競争に生き残っているとあった。

然し、自動車業界も、旧通産省の手厚い保護を受けていた時代もあったのである。


その点、本田宗一郎の強烈な個性で常に「世界での競争」を意識して、
お国の保護などは一切受けずに育ってきた二輪業界は、今は4輪と同じ自動車工業会ではあるが、
「小自工」という独自の懐かしい時代もあったのである。

カワサキもそんな熾烈な競争の中で最後尾からだったが、脱落せずに粘って付いて行った。
現役の頃、「せめて4輪並の競争であったなら」と本当に何度もそう思ったことがある。

今、4輪業界の中に,ホンダ、スズキというもともと二輪の2社が独自に生き残っているのは、そんな厳しい競争の世界の体質が身に付いているからだと思う。


「護送船団方式」、今はもう懐かしい名前かと思ったらまだ生きていたのである。
「過保護」 からは、「ひよわなもの」しか育たない典型みたいな話である。


どんな話か、お知りになりたい方はどうぞ。
 
 
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30秒で世界を変えちゃうWeb新聞

2007-07-16 05:26:22 | 発想$感想
先日「市民が動けば」をアップしたらいろいろコメントを頂いたが、久しぶりに「久留米はラーメン」さんからもコメントを頂いた。

ずっと以前に、故岩崎茂樹君のことを書いたら本当に沢山の方からコメントを頂いたが、
その中にZ1000j系のオーナーズクラブJ's-Limeのメンバーの一人の「久留米はラーメン」さんがおられた。

岩崎君と一緒に造ったSPA直入のオープンフェスタにも参加されたり、その後SPAのオフィシャルなどでも手伝って頂いた方でバイク大好きの今は3児のお父さんである。


コメントには、
「先日、ポストにこのような号外が入っておりました。日本人もまだまだ、捨てたものではありません。是非ご覧になって下さい。」とあって、

こんな新聞の紹介がありました。

内容にはいろいろあって、まだ全部を見たわけではありませんが、
全国のいろんな人たちが、いろんな立場で協力して「動くことで」世界を変えていこうというものです


「30秒で世界を変えちゃうWeb新聞」である。

全国ネットなのに、運営団体TEAM GOGOの本部は東京ではなくて香川県のそれも小豆島というのもWeb新聞らしい。

いろんな立場の人が、基本コンセプトに賛同して拡げていっている活動だが、
それぞれの人がそれぞれ「動けることを」それぞれに実践しているようである。

人の善意をベースに、ヨコの広がりで繋いでいこうとする「共感ネットワーキング」の世界がここにある。
一人ひとりが自分の出来ることで「動いている」のである。


タテ型のピラミッド型に組織化し、一様に同じことを押し付ける過去のやり方とは歴然と差別化されている。


まだちゃんと、解っている訳ではないが、
私のできることの一つとして「ブログでご紹介をしている。」のである。
是非、ご覧下さい。

「久留米はラーメン」さんのコメントの最後には、
「地球は未来の世代からの借り物」。アメリカの先住民インディアンの諺です、とありました。
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Dream Plus 神戸体験会

2007-07-14 18:45:18 | カワサキ単車の昔話
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「Dream Plus の体験会を川重本社のあるクリスタルビルでやりますからおいでになりませんか」と

この事業の担当の日野勉さんからお誘いの電話を頂いたので、丁度アメリカから夏休みで帰省している孫たちを連れて、久しぶりに神戸へ出た。

今日、明日と2日間の体験会だが一人の体験時間が40分と時間もかかるので、2台のマシンで予約を取ってやっている。

場所がいいこともあって、何事かと飛び入りのお客さんもあった。


Dream Plus がはじめての方は、ホームページの説明をじっくりどうぞ。

ハンカチ王子や宮里藍など有名スポーツ選手のコンデイショニングトレーナーが絶賛する健康器具である。


午後1時からのオープンに少し早く行って、孫たちのうち二人は実際に体験させて頂いてご満悦であった。



私自身は商品もさることながら、この販売方法には非常に関心がある。
こんな時代の先端を行く新しい商品は、全く新しい方法での販売を試みるべきだと思っている。

健康、スポーツ、などのイメージもいいし、口コミにも乗り易い。

その昔、ジェットスキーの販売を水の商品だからと
「ヤナセや西武」のボート屋さんで売るというのを、「全く新しい商品だから、全く新しい販売網を」とレースを極端にイメージした新しい販売ネットを造ったのを思い出している。



孫たちも喜んでくれました。
アメリカで今独りのお父さんにこの写真を。
アメリカでも同時に見れるのは、ブログの良さだと思います。
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FC2ブログ

2007-07-14 09:09:37 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
どこかのメルマガで「ブログファン」が発表しているアクテイブユーザーの数が出ていた。

ご覧になればお解かりのように、FC2ブログの数が圧倒的に多いのである。
その後、どこかの資料でこの1年余りの推移を見たら、1年前は「中の下」位の位置であった。

他のブログサービスの伸びに比べて圧倒的に急角度で上昇を続け、今も尚伸び続けている。
独り勝ちの状況である。


何故そんなことになるのか? 他のブログサービスとどう違うのか?
それが気になって、6月26日に新規登録しスタートしてみた。

どうも性分で、解らぬままに放置することが出来ないのである。
今後もgooを主力にやることは間違いないのだが、まあマーケッテングの心境である。


約半月経ってみての感想は端的に言って、
新しい電気製品を買ったときのような心境である。

便利なのだろうが、理解できないような機能がいっぱい付いている。
その説明も丁寧でいいのだが、詳しすぎて横文字だらけだし付いて行くのは大変である。

例えば、アクセス解析やアクセスカウンターは、これを設置するのが大変であった。やっとの思いで設置したのに、2日ほどすると消えてしまった。

何のことか解らなかったが、テンプレートが多いのも特徴であるというのでテンプレートを変えたのだが、
それと連動していてセッテングをその都度やり直す必要があったのである。

ずっとお問い合わせのメールを打ち続けている状況である。

ただ、アクセス数は予想以上である。
つい2、3日まえには100に近い数字になった。
goo 以外のぼちぼちやっているブログと比べると格段に多い。やはり絶対的なユーザーの数であろうか。


もう少し経ったらまた違った感想になるかも知れない。
何故「FC] なのか 「2」 なのかネーミングにも興味があるのだが、
まだ何も解っていない 「FC2ブログ」である。

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こども会の資源回収

2007-07-14 05:35:41 | みっきぃふるさとふれあい公園
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もう何年続いているのだろう。

三木市でも有名な、「緑ヶ丘町こども会」の資源回収風景である。
もう完全に定着していて、回収日には毎回このような風景になる。

車が並んでいるのは、資源ごみを車で届けているのである。
渋滞にならぬように一方通行にしてあるが、それでも交通整理をしないと車が込み合ったりする。


集められる量も写真でご覧になればお解かりのように、想像以上である。

こども会が主催だから、みんな協力するのだと思う。
これからも、ずっと続くことだろう。
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廣野と東廣野

2007-07-13 05:58:56 | みっきぃふるさとふれあい公園
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廣野も東廣野もいずれも名門である。
ただ、その歴史で言うと、私よりも1年年長で今年75周年を迎えた廣野が圧倒的である。


廣野でプレーをすることは、ゴルファーの夢のように言われているが、
兵庫県にいたこともあって、意外に多くプレーをする機会にも恵まれた。

会社関係だけでなく、中学校の同窓会のゴルフも一度だけだが廣野でやったこともある。
一度だけに終わってしまっているのは、多分その料金にビックリして、一度でいいとみんな思ったに違いない。

歴史や伝統があるだけに、キャデイはグリーンには上がらない。ショートホールでワンオンしてもむやみに手を叩かない。スタートは好きなときに、などなど廣野独特の不文律のようなのもある。

コースも立地もいろんな点で申し分はないのだが、何故か好きになれない。

少々を通り越した堅苦しい雰囲気からか、スポーツ本来の楽しさや、爽やかな気分が味わえないのである。



東廣野。ここは、好きなコースの一つである。

新しいだけにコースはきれいだし、今流の戦略性がある。
さりげなく落とし穴がいっぱい隠されていて、コースマネージメントをちゃんとやらないと散々な目に遭う。

或る人が、こんなことを言っていた。
「ここはコースもいいし、きれいだし、料理もも旨いし、風呂もいい。
だけど、いつもスコアだけが気に入らない。」

私が特に気に入っているのは練習場エリアである。
広々としていてアメリカのゴルフ場のようである。アプローチも本番さながらに自由に幾らでもやれるのがいい。
ここでプレーする時は、1時間も前に入ってこんな雰囲気を楽しむことにしていた。


東廣野の方は、三木市民だけに開放される市内のゴルフ場のなかの一つになっていて、安い料金でお世話になったこともある。

でも最近は、廣野も東廣野もご縁が薄くなり、外から写真などを撮るだけの存在になりつつある



好きだ、嫌いだと勝手なことを言っているが、廣野も東廣野も三木市民にとっては外に威張れる存在であることは間違いない。

そんな大事な、宝物である。
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市民が動けば

2007-07-12 05:16:06 | 樋渡啓祐さんのこと
先日「武雄は面白い」と書いたら樋渡さんからコメントも頂いたし、武雄物語の中でも取り上げて頂いた。

本当に面白いと思って見ている。

樋渡さんが首長の新風というコラムの中で、
「市長が動けば市民が動く。市民が動けば市役所が動く。」と想いを述べておられる。

確かに市長自らが率先した陣頭指揮振りは、ベースにあるスタンスもタイミングも素晴らしいものがある。

その想い通りに市民は動き出しており、その流れは加速する一方である。


動き出している市民のブログも本当に沢山あって、それぞれの立場から武雄をいい方向に動かしているのである。
その原動力は樋渡さん独特の感性で毎日綴られている 「武雄市長物語」 であることは間違いないが、市民のブログもそれぞれユニークで面白い。



その沢山あるブログの中の一つ「武雄温泉のあるタクシー会社日誌」

昨年の6月にスタートして1年が過ぎている。
タクシー会社日誌と題しているがタクシーのことにも触れてはいるが、全体の印象は 「武雄市の広報誌」 としての役割を果たしている。

武雄市の観光情報や佐賀県のことに触れて綴られているが、ベースにある発想が素晴らしい。
例えば、「情報収集の手段が、数年前とは完全に様変わりしていることを実感。今後更に新しい方向に。」と述べている。

そんな風に思わずに昔のままのスタイルでの広報が続いているところが多い。
そういえば、武雄市にも広報誌はあるのだろうが、余り話題には上らない。

ブログの左側には、いろんな立場から、時々刻々と変る武雄の情報が解るように、武雄市に関する40を越すブログや武雄市関連のHPがリンクされている。

下手な広報誌よりは、ずっと面白い。この頃のユーザーの情報への関心にも十分応えられる質の高さを備えている。

そんな中に「カワサキバイク 雑感日記」とリンクされている。そんな中に入れて頂いて光栄である。
ちょっと場違いだが、その期待を裏切らず武雄のことも忘れずにアップしなければと思っている。


こんな市民の動きは、 「市長の動きでより活性化」 されているのが現実だろう。
「このような市民の動き」は、今後、間違いなく市役所を動かし武雄市全体をいい方向に動かしていくだろう。

他市の市民から見たら羨ましいことだと思うだろう。
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山田錦契約田

2007-07-10 07:13:49 | みっきぃふるさとふれあい公園
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山田錦は有名な酒米である。

三木市はその生産日本一、全国の25%を生産するという。
山田錦では吉川町が有名だが、吉川では自宅で食する以外は全て、山田錦を生産しているという。余川町と合併して日本一になったのだと思う。
コシヒカリと共に山田錦もなかなか作るのは難しいとか。
山間に作られているのも、朝冷たく昼は温度が上がる、朝霧などの発生が作物にいい影響を与える。

昨日、仕入れた知識である。


車で、細川町辺りをドライブしていて,青い田んぼに何本も立っている旗が目についた。「山田錦契約田」までは解ったが、車を降りて確かめると銘酒「剣菱」のマークと文字があった。剣菱が契約して生産を頼んでいる田んぼである。

その辺り一帯にあちこち旗が立っているので、山田錦はどのくらい作られているのか気になって、市役所の農業政策課に電話して聞いてみた。


女性の方が応対に出られたが、もっと詳しい方が吉川に居られると教えて貰って、吉川の課長さんに教えて貰ったのが上述のようなことである。
もっともっと詳しそうだったが、「これで十分と」お礼を言って電話をきった。


三木は新興住宅地など新しいところもあるが、私が気に入っているのは、自然環境と広々とした広さである。
広く見通せるということ、それだけでゆったりとした気分になれる。


Yahooは写真の処理が簡単なので、出来る限り毎日写真をアップしている。
その中の幾つか。ご関心のある方はどうぞ。

雄岡山と雌岡山。
三木山大橋。
呑吐ダム。

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nifty6周年、私とパソコン

2007-07-10 05:38:07 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ニィフテイから、
「2007年7月8日は登録頂いてから6周年になります。」とお礼のメールが届いた。

現役の会社時代、パソコンも携帯電話も何にも持たずに過ごした。

周囲からはいろいろと勧められたりしたが、特にこれといったはっきりした理由はなかったのだが、「なくても十分やれる」ということで覚えぬうちに済んでしまった。




新しいものがキライではなかった。

会社でまだIBMなど誰もやらなかった1958年時代に、
財産の償却計算をIBMのコンピューターにのせるためのシステム構築に1年ほど没頭したことがある。
単に機械化するだけでなく、本社も岐阜も巻き込んだ統一システムとした。

結構面白かったし、その効果としては償却計算をするために10人も居た財産課が人が要らなくなり、お陰で私は単車営業に転籍になった。

その後、40年近く二輪との関係が出来た原因の一つであろう。



後、IBM社の講習のとき、
「10年間違っていませんか。日本でコンピューターがスタートしたのはオリンピック以降です。」 と講師の先生に指摘されたが、間違いなくオリンピック10年前のことであった。

当時の川崎航空機は東洋で唯一、ジェットエンジンのオーバーホールをやっていて米空軍が駐在していてIBMを使った立派なコンピューター室があったのである。

来る日も来る日も、単なる計算のために手動のタイガー計算機を廻し続けるのは、「どう考えても馬鹿げている」 と思ったのがきっかけだった。

その後、手形の処理や、給与計算もIBM化したのだが、世の中よりは何年も進んでいた。
IBMについては先輩たちも知識がなく、入社2年目の若僧であったが、それらの導入の講師モドキのこともやって悦にいっていたりした。


それから約40年、コンピューターにもパソコンにもご無沙汰であったが、
6年前に娘婿が会社で一括購入したパソコンが残っているからと勧めてくれて、
それがきっかけでパソコンとのお付き合いが始まったのである。

二フテイの何たるやも、解らなかったがセッテングを手伝ってくれた方の言うままに、二フテイに登録したのだと思う。
6年前、68歳であるからオクテであることは間違いない。

それからのパソコンで、主として情報集めや囲碁で楽しんでいたが、
昨年9月、ブログに出会ってパソコンの使い方が一変した。
生活も変ったし、今後どんなに進むのか予想も出来ない。

ただ、より面白い方向であることには間違いないと思っている。

二フテイ登録、6周年の感想である。
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参議院選挙

2007-07-09 05:18:49 | 政治
「自民離れ」4人に一人。

今朝の朝日の見出し、朝日と東大の共同調査の結果が出ている。

「郵政解散」の小泉ブームに沸いた05年衆議院で自民党に投票した人のうち、参院選では4人に1人が同党には投票しないというのである。

調査の結果では自民よりも民主に投票すると答えた人のほうが僅かではあるが,上回っているのである。


特に政治に関心がある訳ではないが、
今回の参議院選挙はどうもいつものような気持になれないこともあって、そんな感想を昨日FC2のブログにアップした。

その翌日のこの調査の内容である。
少なくとも私の気持を代弁してくれているような結果である。

必ずしも民主に投票することを決めた訳ではない。
民主党も前原さんのような若い人たちが若し中心なら、多分投票することを決めたと思う。

小沢さんも好きだったし、一時は小沢ファンでもあったのだが、近年あちこちと渡り歩いて今民主の党首だがもう一つすっきりと割り切れない感じが残るのである。


調査の結果を、年金問題を中心とした社会保障政策への不満が「自民離れ」の背景にあるようだと結んでいるが、
私自身は、社会保障政策の不満というよりも、自民党の最近のだらしなさが原因していると思っている。


選挙に、具体的にどんな行動に出るのかまだ決め手はいないが、迷っていることは事実である。
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子どものサッカー教室

2007-07-08 05:40:36 | スポーツ
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毎日、午後犬の散歩も行く協同学苑の運動場である。
幼稚園児から小学生の低学年の子供たちのサッカー教室がよく開かれている。

子供たちも熱心だが、付き添っているお母さん方も子供たちに負けず熱心である。

サッカーに限らず、いろんなスポーツが子どもの頃から、指導者つきで本格的に行われるのが普通になった。
我々のころのように、どんなスポーツも遊びから入った時代とは基本的に違うのである。

こんな教室やクラブもいろいろあって、格の高い名門クラブには遠くから優秀な子供たちが集まるようである。

でも、このところの日本のサッカーの強さの源泉は、このような底辺の広さが支えているのだと思う。
この子供たちの中からひょっとすると将来の全日本やJリーグのスターが生まれる可能性もあるのだろう。



私自身は世の中が野球一辺倒の時代に育って野球をやっていたが、息子がサッカーをするようになってからよくサッカーを観るようになった。

見る限りにおいては、サッカーのほうが断然面白い。
野球はどうも相撲に似て、何を見るのか、いつ真剣に見ればいいのかよく解って、のんびり見るにはいいのだが、一瞬の迫力は遠くサッカーに及ばない。

サッカー選手に求められているのは、一瞬の自分の判断でのプレ-であり次に何が起こるか解らない創造の世界がある。
ゴロを捕ると必ずファーストに投げることが決まっている野球の単純さと比べると全然質の違うスポーツである。
ボールを持たない選手の動きが更に多くの選択肢を造り、プレーが面白くなる。

所謂、運動選手としてのアタマの良さが、野球以上に必要なのである。
このアタマの良さは、勉強は出来なくても優れた運動選手はサッカーに限らず、生まれつき備えている天性のものである。



若し仮に若かったら、サッカーをしてみたいと思ったりもするが、
反面、あの運動量の激しさから来る「シンドサ」を思うと、たとえ若くても自信が持てないような気がする。


子供たちの動きを見ていると、そんな心配はよそに見るからに楽しそうである。
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高校野球

2007-07-06 08:02:21 | スポーツ
大阪桐蔭の強打者中田翔君が高校野球のホームラン記録を更新して87本目の新記録達成のニュースがマスコミを賑わしている。

今年で夏の甲子園は89回を迎える。愈々、夏の大会である。
永い歴史と伝統を誇る高校野球もその様相は、一昔前から見ると一変している。

もう60年近くも前に、10年間野球に熱中した。
我々の時代から見ると、その環境だけでなく野球というスポーツそのものが別世界のようなレベルにあると思う。

昔のOBたちは「俺たちの時代は」と威張りたがるが、こと野球の技術に関しては比べること自体が無理である。



練習方法も、基礎体力も、試合の数も、ピッチャーの投げるボールの種類も、内外野の守備のやり方も、よく基本に忠実にと言われるが、その基本の部分すら変わっていると思われる。

大体ホームランとはランニングホーマーのことだった。
甲子園球場にはラッキーゾーンがあったが、それでも柵越えは難しかった。
外野手が片手でボールを取ることなど考えられなかったし、内野の守備も様変わりしている。

野球に限らず記録で明らかな水泳などでも、昔世界記録で騒がれた、古橋、橋爪の記録など今は普通の人が出すタイムになってしまっている。
水泳といえば、肩が冷えるから水には入るな、は常識であった。


一番違っているのは、やはり練習方法が科学的、技術的に進歩していることだと思う。
基礎体力の重視、一つ一つのプレーのレベルの向上に主眼が置かれて、その積み重ねが現在の高い水準に繋がっている。
全般のレベルが圧倒的に昔に比べて高くなった。それ自体は非常にいいことだと思う。


高校時代、名門と言われる野球部に籍をおき、夏の甲子園にも出場もした。
然し、打撃でも守備でも個人的な技術について詳しく指導を受けた記憶は少ない。
バント守備やバックアップ、ベースカバー、中継の仕方などチームプレーばかりやっていたような気がする。

昔の運動部は野球に限らず、技術もさることながら、チームプレーや精神的な面が必要以上に強調されていた。
野球の技術よりは一種独特の、連帯感や人間形成がそこから生まれたような気がする。


野球でも他のスポーツでもスターになれる、注目を浴びる人は一握りである。
甲子園に出場したからといって、全ての選手が注目される訳ではない。

そんな一般の運動選手たちが、運動部の生活で得た技術以外のもので「一生お世話になる精神的なもの」、この方の分野も野球の技術のように進歩すればいいのだが、
これはよく解らぬが、昔のままか或いはひょっとすると、と思ったりするのである。

ひょっとすると、この分野だけが「俺たちの時代は」と威張れることなのかも知れない。



マスコミのスターへの報道姿勢も、
それを何の疑いもなく受け容れる世の大人たちも,
少し考え直す必要があるのではないだろうか。

中田君の記事を見て、また騒ぎが起こるのかと、思ったりしている。
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競争

2007-07-06 05:27:36 | カワサキ単車の昔話
世の中で生きていく上で、個人でも企業でも競争は避けて通れない。

私が経験した二輪業界は、その企業間競争が極めて激しかったし、面白かった。
戦後、エンジン付き自転車として再スタートを切った時期の二輪メーカーはその数100を越えて幾つあるのか解らぬほどであった。

その殆どが淘汰されて、昭和30年(1960)頃には数えられるほどに減っていた。。
その中には未だ名だたる大企業が入っていたのである。
三菱重工業、新明和、富士重、トーハツ、ブリジストンなどなど。
勿論、ホンダ、スズキ、ヤマハやメグロ、ライラックなどもまだ残っていた。

それが更にH,S,Y,Kの4社に集約されてしまうのだが
その間企業間競争があったと言うべきかどうかは別として、大企業が浜松の企業に負けてしまったのである。
だが、三菱重工業に競争に負けたという意識が果たしてあるであろうか。一度聞いてみたい気もする。



ホンダ、スズキ、ヤマハの浜松を引っ張ったのはホンダであり、本田宗一郎であったと言えるだろう。
直ぐまじかでお会いしたこともあり、話はしたことはないがお話を聞いたことは、業界の会合などで何度もある。

高松の宮様や官庁の偉い方が出席される会合などでも、お上に媚びたりするような所は微塵もなく、常にホンネで、その場の雰囲気を壊さぬ素晴らしい話をされていたのが印象に残っている。

常に世界を意識して、自由に競争するトップメーカーのフェアな姿勢が、二輪業界そのものをフェアな競争の世界に導いたと言えるだろう。

その競争は、常に熾烈であった。
スズキ、ヤマハもそれぞれの企業の個性があって、この3社に付いていくのは大変であった。
当時の川重というような重工業の企業体質とは全然異なる世界の発想や価値観が二輪業界にはあったのである。



40年以上も前から、今現在言われているようなことが全て現実に実行されていたし、それが二輪業界の常識であった。

今頃になって四輪などで問題となっているリコールなどは、もうずっと以前からアメリカでは行われていたし、
日本でもリコールを 「我々が認可したものに欠陥があるというのか」 とお上の担当者がいい顔をしなかった当時から、二輪は日本でもリコールを申請していたのである。

常にフェアな競争が常識で、談合などの日本的な発想は考えられないことであった。
官庁にも強かった。四輪と違ってお国の援助など受けずに自分たちの力で世界に進出したという自負があったからだと思う。
その反面、交通安全面などでは官庁への協力も、特にホンダの安全運転への取り組みは突出して素晴らしいものだった。



常に競争の結果を世に明示する、シェア競争もあったし、レースという技術の競争の世界もあった。
こんな競争の世界で、最後尾ではあったかも知れぬが、脱落せずに走りきっているカワサキも捨てたものではない。

四社のなかでは、特に台数や売上高では敵わぬのだが、ブランドや独特のイメージ、特色ある商品で世界中から数多くのファンを獲得している。

そんな、素晴らしい業界の中を経験できたのは本当によかったと思っている。
川崎重工業の中にも今はこの二輪で得た幾つもの経験が、他の事業にも生かされようとしている


決められた規則、規律のなかでのフェアな競争。

それは世の中の進歩を促すものである。
競争を避けるような姿勢が見られたりするが、そこからは何も生まれない。
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二輪車ファン

2007-07-05 05:45:51 | カワサキ単車の昔話
二輪車の業界やジェットスキーの業界にに40年もいた。
振り返って考えてみると、 「面白かった」 という感想が一番当たっている。

ホンダ、スズキ、ヤマハという競争相手が、大企業でありながら普通一般の大企業と全然違っていたのもよかったが、何にもまして、 「面白かった」源泉は二輪のユーザー、二輪ファンのお陰だと思っている。


二輪のお客さんは、普通のお客さんとは少し違っていて、お客に対していると言うよりは、 「好きな仲間の集まり、ファンの集まり」 のようなところがある。

メーカーも販売店もユーザーも、二輪という商品を通じて知り合った仲間なのである。

40年間売るほうの立場にはいたが、丁寧な言葉は使ったことは当然あるのだが、
お客さんに対しても、販売店に対しても「敬語を使った」という意識は皆無である。
多分、私自身敬語で話し続けたことはないと思う。 思い出せないのである。

特に、若いユーザーの人たちとの会話は、バイクそのもの、レース、遊び、ツーリングなど楽しい話題が圧倒的だし、修理やクレームなどの話しにしてもそれなりに技術的な趣味の範疇の事柄などもあって、それ自体が専門的でありある意味楽しいのである。
そんな中で、敬語が連続したりすると、折角のいい雰囲気が壊れてしまうのである。

二輪という商品もずっと以前通勤や商売だけが主流であった時代もあったが、
中大型のスポーツバイクが中心の二輪ファンがお客の主流になってからは、
売る側の活動も単に商品を売るよりも、商品に付随したいろいろなものを提供することが活動の中心になるべきだと思っていた。

二輪ユーザーもいろいろあって、ツーリングやレースなど本来のライデイングを楽しむ人から、いろんな車を集める人、乗るよりも磨いたり分解したりすること自体を楽しんでいる人たちなど多種多様である。


私の家の直ぐ近くにも、ハーレーを持っている人がいて、休みになるとしょっちゅう車を磨いたり分解をして楽しんでいる。ホントに大事にしている、それ自体を楽しんでいるというのが、ヨコから見ていてもよく解る。

このブログにも何回か登場した、seaz companyの登山さんたちのグループも旧い空冷4気筒を中心に全国的なグループを造っている。

まあ言えば、そんな個人個人の趣味を共通に持っている人たちばかりがいろんなグループを形成して、それらが集まったものが二輪ユーザーだと思っている。

いろんな二輪車ファンの集まりなのである。
四輪も同じ自動車工業会で同じ範疇ではあるが、お客さんは二輪車とは全然違って、売るほうの方は「敬語」はMUST条件である。


私自身の勝手な発想かも知れぬが、正直そんな風に思って40年過ごしてきた。
昨年、9月からブログをはじめて続きが始まった、また新しい二輪のファンの方ともお知り合いになれた。
今後も、ブログをやっている限り新たな出会いがあるだろう。

二輪のそんな世界が私の性にあっているし、心底「面白かった」という感想に通ずるのである。
晩年、熱中したジェットスキーの世界は、JJSBAのレースが中心でこれもまた、たまらぬ「面白さ」の連続であった。
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オールスター戦

2007-07-04 05:51:40 | スポーツ
今年もオールスター戦の時期になった。

海の向こうの大リーグでは、松坂が選ばれることをみんなが期待したと思うのだが、残念ながら監督推薦の枠から外れた。

日本と違って、投手は人気投票ではなく監督推薦だし1試合しかないので人数も少ないのだろうと思う。
残念であるが仕方がない。

日本人では斉藤とイチローが選ばれた。
35歳を越えている斉藤にとっては感無量であろう。
人の生き方は幾つになっても諦めずに挑戦が必要なことがよく解った。

ファン投票で7年連続で選ばれたイチロー。誰もが認める大偉業である。
15チームもある大リーグでファン投票で、確かに日本人の応援投票もあるかも知れぬが、リーデングヒッターでの選出は文句の付けようもないだろう。

足も、守備も、肩も、試合に臨む準備の方法もすべてオーールスターに選ばれるに相応しいレベルである。

でも、何故1試合なのだろう。2試合ぐらいやればいいのに。



日本の球宴のファン投票の結果が出た。
今年は東京と仙台で行われることもあって楽天から最多の8人が選ばれた。

田中将大がダルビッシュを抑えて選ばれた。
捕手の嶋と共に楽天の新人バッテリーがオールスターに先発する。


逆にベテランでは、、指名打者で39歳の山崎武が選ばれた。
3年前にオリックスを解雇されたのに今年のビックリするような活躍で最高の100万台での得票での選出は素晴らしい。

横浜に移籍した仁志が返り咲いたのも、オリックスのローズもみんな昔いたチームを見返す活躍振りである。

放出したチームに見る目がなかったのか、或いは人間心機一転諦めずに頑張ればこうなるのか。
人は気持ちを入れ替えて、環境も変ればこうなる見本みたいなものである。

大リーグの斉藤も桑田も,岡嶋にもベテランの活躍には心から拍手を送りたい。



体力が要るプロ野球の世界でもこんなことがあるのだから、
普通一般の人たちの生き方でも、気持を新しく持って何事にも挑戦すべきだと思う。

そんな勇気を貰ったような、今年の野球界の出来事である。
コメント
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