資本主義経済の本質!
誰も書かない単純な疑問、その問題点!!
架空の富、マネー、そして、崩壊!!
資本主義とは、経済の本質を現す言葉ではない。主義であるから、一つの概念である。資本(キャピタル)をマネーというものに置き換え、マネーを信用という権威を与え、物の生産やサービスの仲立ちを取り持つシステムである。システムであるから、そのこと自体は手段として悪いことは少しもない。
信用はどうして生まれるか。マネーといっても、仮に私製マネーであっては信用もまちまちであろう。そこで、国家なり支配者がその裏付けをするわけであるが、それとて完全な信用とはならない。そこで、貴金属といわれる希少価値の有用の金だとか銀がそのマネーを代用する。ここまではそれ自体、普遍的な価値を持つ物であるからごく自然である。
ところが、希少であるが故に生産・流通の拡大には不便である。そこでそれに替わる紙幣が考え出される。勿論、紙幣は絵に描いた餅であるから、貴金属が担保される。兌換紙幣である。それもよし。しかし、問題はこの後にある。
人間の欲望は際限がない。欲望に際限がない人間に『利益欲望の精神』を第一義とする思想を振りまき、洗脳する。そして、その精神は互いの相克により、均衡を保つ。それは見えざる神の御手だという。これが嘘っぱちである。欲望の相克で、均衡を保つなどあり得ない。欲望の相克が神の御手だというのは、大嘘である。
そもそも資本主義とか、社会主義とか共産主義でも同じだが、主義などというモノは愚かな人間が自己主張しているに過ぎない恣意的な企みである。
システムとして、機能として活用する分には問題とは言えないが、そこに人間の恣意的な欲望に基づいた魂胆が入ると、活用ではなく、悪用が始まる。自動車は便利なモノであるが、時として殺人マシーンに変わるようなモノである。
さて、現今の資本主義経済は、マネーを権威を持たせる手段に、貴金属でも、国家でも無くして、マネーそのものがマネーを生む投機的神話を創りだした事による。覚えがあるだろうが、賭け麻雀でも熱くなると、スティックが本当に価値があるように見えてくる。パチンコの鉄の玉が、足の元に転がっていると思わず失敬して、得したような気分になる。それが富であるかのような錯覚に陥るのである。
マネーがマネーを生む原理、それは一つは利息であり、もう一つは投機である。投機といえば聞こえが良い。投資といえば、もっと耳障りが良い。ズバリ言えば、博打である。
利息は、『しもじも』の者(当然、投稿者を含めての話である)には、普通預金か定期預金の金利ぐらいに思っている。少し長じて、住宅ローンかクレジット金利ぐらいに思っている。そうではないのである。銀行が手にする利息収入は、その数十倍を言う。
例えば、住宅ローン3%で貸し出しをするとする。銀行は元金は預金原資(銀行から言うと負債)と資本金であるが、なんとその100倍以上貸し出しが可能である。これを準備率制度という。自己資本率制限を加味しても10倍以上であるから、単純計算、自己資本から比較すると30%もしくはそれ以上の利益を銀行は得ることが出来る。これは本当の話である。
この事は、誰も公には語らない。少なくとも投稿者は聞いたことがない。銀行は自分の金を貸しているのでもなければ、預金原資を貸し出しているのでもない。架空の創造マネーを貸し出しているから、そういうことになる。これは中央銀行制度にそのマジックは秘められている。
ともかく、金が金を産み出すと言うことは、資本主義経済の根幹であり、欲望の歯車はそこから回り出し、物質文明を斯くも豊かにした。しかし、見よ!摩天楼を!
東京で言えば、港区新橋あたりのオフィスビル街を、六本木でも良いだろう。その華麗なビル群は、そうして創造されたマネーの虚像である。それらは、すでに産み出された実在の富ではない。これから支払っていく将来の富である。事業試算上、バランスシートを満足するバーチャルマネーによって、煌びやかに輝いている。(次号に続く)
金融大量破壊兵器 CDSの恐怖?!
http://jp.youtube.com/watch?v=KbGciDHwVOQ
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