イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く!!
本格的真理の敷衍(ふえん)の前に、イエスは先の予定を語る。全ては予定の行動であったのだ。あの時、こうなっていたならば、こうしていたならばとは違う。こうなることははじめから分かっていた。『斯くなれば、斯くなるべしと思えども、斯くなり行くを 我は行くべし』。
覚悟の出立である。
こうでなければ、本物とは言えない。覚者と言われる所以は、こうでなくてはならない。
イエスが、十字架に架かったとき、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ.....。』と言葉を発したとされる。その意味は諸説がある。一つは、ヘブライ語で『神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや』という意味だとする説である。とんでもない下司の勘ぐりであろう。
覚者は、そんなことを言うはずがない。人間の感覚で、イエスを貶めようとの悪辣な意図を覚える。
もう一つの説。『エリヤよ、エリヤ、私は行く。迎えに来なさい。』位は、許される範囲だ。おそらく、その実態は誰にも分からないが、少なくともイエスは、成り行きを見通していたことは明らかだ。だれもイエスの心底を分からない中で、一人悠然と旅立ったことは事実である。
< 夕日と空:記事に無関係>
<夕日と海:記事に無関係>
本物語りからすると、イエスはモデル造りとして、教化に起ったとある。世界協会にはまだ人類には早かった。そのモデルを打ち立てんとしたとある。これは納得する。
大多数は、真のイエスの魂の訴えを理解しない。しかし、少数者はモデルによって魂の王国を見いだす。これも正しい。そして極めつけは、『血肉の間柄なるユダの家は....』ほとんど、イエスを理解していない。そして、未だにイエスを攻撃している。まことに言い得て居るではないか。
イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。
七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。
「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。
わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。
わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。
人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。
モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。
そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。
彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。
モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。
そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。
時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。
そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。
平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」
聖賢一同はアーメンと言った。
かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第十二部 世界の七聖賢の評議会
第六十章 イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。
1)七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。
2)「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。
3)これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。
4)わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。
5)しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。
6)わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。
7)人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。
8)わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。
9)モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。
10)そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。
11)血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。
12)彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。
13)しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。
14)モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。
15)そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。
16)時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、
17)また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。
18)そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。
19)平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」
20)聖賢一同はアーメンと言った。
21)かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。
【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling 】
SECTION XII<o:p></o:p>
LAMED<o:p></o:p>
The Council of the Seven Sages of the World<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
CHAPTER 60<o:p></o:p>
Jesus addresses the seven sages. The address. Jesus goes to Galilee.<o:p></o:p>
THE
seven days of silence passed and Jesus, sitting with the sages said:
2) The history of life is well condensed in these immortal
postulates. These are the seven hills on which the holy city shall be built.
3) These are the seven sure foundation stones on which the Universal Church
shall stand.
4) In taking up the work assigned for me to do I am full conscious of the
perils of the way; the cup will be a bitter one to drink and human nature well
might shrink.
5) But I have lost my will in that of Holy Breath, and so I go my way to speak
and act as I am moved to speak and act by Holy Breath.
6) The words I speak are not my own; they are the words of him whose will I do.
7) Man is not far enough advanced in sacred thought to comprehend the Universal
Church, and so the work that God has given me to do is not the building of that
Church.
8) I am a model maker, sent to make a pattern of the Church that is to be ? a
pattern that the age may comprehend.
9) My task as model builder lies within my native land, and there, upon the
postulate that Love is son of God, that I am come to manifest that Love, the
Model Church will stand.
10) And from the men of low estate I will select twelve men, who represent the
twelve immortal thoughts; and these will be the Model Church.
11) The house of Judah, my own kindred in the flesh, will comprehend but little
of my mission to the world.
12) And they will spurn me, scorn my work, accuse me falsely, bind me, take me
to the judgment seat of carnal men who will convict and slay me on the cross.
13) But men can never slay the truth; though banished it will come again in
greater power; for truth will subjugate the world.
14) The Model Church will live. Though carnal man will prostitute its sacred
laws, symbolic rites and forms, for selfish ends, and make it but an outward
show, the few will find through it the kingdom of the soul.
15) And when the better age shall come the Universal Church will stand upon the
seven postulates, and will be built according to the pattern given.
16) The time has come; I go my way unto Jerusalem, and by the power of living
faith, and by the strength that you have given.
17) And in the name of God, our Father-God, the kingdom of the soul shall be
established on the seven hills.
18) And all the peoples, tribes and tongues of earth shall enter in.
19) The Prince of Peace will take his seat upon the throne of power; the Triune
God will then be All in All.
20) And all the sages said,
Amen.
21) And Jesus went his way, and after many days, he reached Jerusalem; and then
he sought his home in Galilee.
【続く】