飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その61

2009-10-14 19:55:15 | 物語

イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く


 本格的真理の敷衍(ふえん)の前に、イエスは先の予定を語る。全ては予定の行動であったのだ。あの時、こうなっていたならば、こうしていたならばとは違う。こうなることははじめから分かっていた。『斯くなれば、斯くなるべしと思えども、斯くなり行くを 我は行くべし』。


 覚悟の出立である。


 こうでなければ、本物とは言えない。覚者と言われる所以は、こうでなくてはならない。


 イエスが、十字架に架かったとき、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ.....。』と言葉を発したとされる。その意味は諸説がある。一つは、ヘブライ語で『神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや』という意味だとする説である。とんでもない下司の勘ぐりであろう。

 

 覚者は、そんなことを言うはずがない。人間の感覚で、イエスを貶めようとの悪辣な意図を覚える。


 もう一つの説。『エリヤよ、エリヤ、私は行く。迎えに来なさい。』位は、許される範囲だ。おそらく、その実態は誰にも分からないが、少なくともイエスは、成り行きを見通していたことは明らかだ。だれもイエスの心底を分からない中で、一人悠然と旅立ったことは事実である。

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 夕日と空:記事に無関係>

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<夕日と海:記事に無関係


 本物語りからすると、イエスはモデル造りとして、教化に起ったとある。世界協会にはまだ人類には早かった。そのモデルを打ち立てんとしたとある。これは納得する。


 大多数は、真のイエスの魂の訴えを理解しない。しかし、少数者はモデルによって魂の王国を見いだす。これも正しい。そして極めつけは、『血肉の間柄なるユダの家は....』ほとんど、イエスを理解していない。そして、未だにイエスを攻撃している。まことに言い得て居るではないか。


 

イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。


 

 七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。


 「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。


 わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。


 わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。


 人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。


 モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。


 そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。


 彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。


 モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。


 そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。


 時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。


 そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。


 平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」


 聖賢一同はアーメンと言った。


 かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】  

            

  第十二部 世界の七聖賢の評議会 

 

第六十章 イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。

1)七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。

2)「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。

3)これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。

4)わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。

5)しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。

6)わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。

7)人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。

8)わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。

9)モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。

10)そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。

11)血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。

12)彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。

13)しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。

14)モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。

15)そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。

16)時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、

17)また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。

18)そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。

19)平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」

20)聖賢一同はアーメンと言った。

21)かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

SECTION XII<o:p></o:p>

LAMED<o:p></o:p>

The Council of the Seven Sages of the World<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

CHAPTER 60<o:p></o:p>

Jesus addresses the seven sages. The address. Jesus goes to Galilee.<o:p></o:p>

THE seven days of silence passed and Jesus, sitting with the sages said:
2) The history of life is well condensed in these immortal postulates. These are the seven hills on which the holy city shall be built.
3) These are the seven sure foundation stones on which the Universal Church shall stand.
4) In taking up the work assigned for me to do I am full conscious of the perils of the way; the cup will be a bitter one to drink and human nature well might shrink.
5) But I have lost my will in that of Holy Breath, and so I go my way to speak and act as I am moved to speak and act by Holy Breath.
6) The words I speak are not my own; they are the words of him whose will I do.
7) Man is not far enough advanced in sacred thought to comprehend the Universal Church, and so the work that God has given me to do is not the building of that Church.
8) I am a model maker, sent to make a pattern of the Church that is to be ? a pattern that the age may comprehend.
9) My task as model builder lies within my native land, and there, upon the postulate that Love is son of God, that I am come to manifest that Love, the Model Church will stand.
10) And from the men of low estate I will select twelve men, who represent the twelve immortal thoughts; and these will be the Model Church.
11) The house of Judah, my own kindred in the flesh, will comprehend but little of my mission to the world.
12) And they will spurn me, scorn my work, accuse me falsely, bind me, take me to the judgment seat of carnal men who will convict and slay me on the cross.
13) But men can never slay the truth; though banished it will come again in greater power; for truth will subjugate the world.
14) The Model Church will live. Though carnal man will prostitute its sacred laws, symbolic rites and forms, for selfish ends, and make it but an outward show, the few will find through it the kingdom of the soul.
15) And when the better age shall come the Universal Church will stand upon the seven postulates, and will be built according to the pattern given.
16) The time has come; I go my way unto Jerusalem, and by the power of living faith, and by the strength that you have given.
17) And in the name of God, our Father-God, the kingdom of the soul shall be established on the seven hills.
18) And all the peoples, tribes and tongues of earth shall enter in.
19) The Prince of Peace will take his seat upon the throne of power; the Triune God will then be All in All.
20) And all the sages said,
Amen.
21) And Jesus went his way, and after many days, he reached Jerusalem; and then he sought his home in Galilee.

【続く】


暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!③

2009-10-14 10:15:29 | 123

謎が多い日本航空123機墜落事故
しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。
渾身の情報が発信されつつある!! 第3弾



 何故、今頃、『日航機123便墜落事故』の謎を追う必要があるのか? 真実に時効はないからである。『真実は、汝を安らかにする。』 これは座右の銘だ。『Truth will set you free』とも言うらしい。好漢コメント氏のHNでもある。

198508121pd1500

Auroras

Mysterys


 だから転載する。


 真実を追究すると言うことは、時には、危険が伴う。真実が明らかにされないと言うことは、必ず、隠された事情がある。何で隠す? 都合が悪いからに他ならない。明かされては都合が悪い。さらに隠す必要があるときは、真実追究者に何らかの危害が及ぶことが考えられる。


 だから拡散する。


 拡散してしまえば、危害の可能性は低くなる。意味が無くなるからである。全て真実が明白になると、起きたことは取り返しは付かないが、同じ手口を封鎖できる。手口はいろいろでも、企みを阻止できる。企みがあるから隠している訳で、企みを読み解く事が企みの阻止に繋がる。


 極めて、単純明快な理屈に他ならない。


 企みは未だ解らない。推理は出来ているが、解明は先だ。推理では意味がない。誰もが納得をしないからだ。誰もが納得できる解明が為されたとき、企みが阻止できる。


 斯く考える。


 では、引き続きどうぞ!!


【転載開始】JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(3)
(2009-09-08 22:19:29 | 日記)

■アントヌッチ証言の背景

前回掲載した「アントヌッチ証言(闇夜に蠢くもの(2))」 について検証します。まず検証に当たって心構えとして、この証言が掲載されたメディアはの特性は何かをよく理解しておくことです。スターズ・アンド・スト ライプ紙は事実上、世界中に展開する米軍の機関紙・プロパガンダ紙であることを理解しておかなければなりません。ですから基本的に米軍の存在を否定したり するような記事を掲載するはずがありません。もちろん、全体の体制に影響がない範囲においての批評・批判は許されているでしょう。何といっても自由の国の 新聞ですから。

次に、証言者のアントヌッチ氏がどのような立場の軍人であったかにも注意が必要です。証言[3]および「御巣鷹の謎を追う」によると、当時は中尉(退役時 は大尉)で輸送機の航空機関士だったとのことです。アントヌッチ氏には大変失礼ですが、階級は中尉という下級仕官、任務は米空軍の中でも地位が低いとされ る輸送部隊に所属しており、米軍人社会の中では、どちらかといえば取るに足らない人 物として扱われる立場です。そのような下っ端が何を言っても、米軍全体に何ら影響がない、「何か勘違いしているのだろう」と片付けられても仕方がない立場 の人なのです。これは、証言の掲載によって、米軍にとって不利な批判が内外から生じても、逃げ切れるだけの保険を初めからかけていたと読むことができま す。

■横田管制レーダーは何を捉えたのか?

証言[7]でアントヌッチ氏は「管制では123便がレーダーから消えた場所をよく分かっていなかった」と語っていますが、これはアントヌッチ氏が状況をそ う推測したのだと言えばそれまでの話ですが、何故か、そのよく分からない場所にC130機は進路を取り、結果的に事故現場を目視するに至ります。それも、 自衛隊など他の航空機に先駆けてです。横田管制のレーダーは当時、国内最高精度を誇っていたレーダーです。千葉県にある自衛隊の峯岡山レーダーが、 3.8kmの誤差で墜落地点を割り出していたのに、横田管制レーダーがよく分からなかったなどという説明では、あまりに間の抜けた回答とは言えないでしょうか?

常識的に考えれば、横田管制レーダーは当初からかなり正確な位置を掴んでおり、現場確認のためにC130輸送機を回したのだと考えられます。そして、この レーダーを共用していた自衛隊はどこまでこの情報を掴んでいたのか?証言の中からはその状況を図りかねますが、この時に情報を得ていたのならば、何か別の 意図で救助を遅らせた、もしも、米軍から情報提供されていなかったのならば、米空軍の意図は何かが改めて疑われます。そして、第3の仮定として、米空軍と自衛隊が何か示し合わせて行動したという状況すらも考えられるのです。

■なぜ「海兵隊」なのか?

証言[8]で「厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてることを聞いた」と、海兵隊のヘリコプターが最初に救助出動の体制に入ったとの報告があり ます。これについては米田氏が事実誤認の訂正2で「厚木基地に海兵隊は常駐していない。米陸軍座間基地のUH-1ヘリが正しい」としていますが、どちらに せよ、これはかなりおかしな話なのです。国際軍事評論家B氏によると、「海兵隊は確かに沖縄に常駐しているが、常時10人くらいは御殿場に詰めている。そ れが厚木基地経由で飛んできてもおかしくない。しかし、空軍が管制し、最初に情報を得ているのだから、事故現場に最も近い、空軍管轄の横田基地から常設の 救難部隊を派遣するはずだ。」と、米空軍が初めに救難活動へ向かわなかったことに疑問を呈しています。

また、これは資料を確認できていないのですが、1990年頃の「航空情報」誌に、横田基地の救難部隊の隊長の手記が掲載され、そこで、「ヘリで現場に向か い降下を開始したが、命令により引き返した」と、アントヌッチ氏の証言や米田氏の調査とは異なる証言が載っていたのを覚えています。

(図:米空軍の H-43B 救難ヘリ。古い設計だが、1985年当時、まだ横田基地の救難救助部隊で数機使われていたとの証言もある)

「航空情報」誌の記事はとりあえず不問としても(資料が確認できたらご報告します)、米空軍の救助活動に全く触れられていないのは確かに不思議です。米軍 の中にも明らかに縦割りのテリトリー意識が存在し、民間人の救助が名誉ある行為と考えるなら、米空軍が海軍系列の海兵隊を差し置いて行動するのが普通の考 えです。なお、情報収集活動を専門とする座間基地の米陸軍部隊が、本格的な装備を持って救難活動に向かえたかどうかは極めて疑問が残るところです。

私の推測では、アントヌッチ氏は米空軍における「何か」を知っており、次のように事実を曲げて証言したと考えられます。
1.横田救難部隊のことを海兵隊と言い換えている。
2.横田救難部隊のことは黙秘し、本当にあった海兵隊の事実を伝えている。
どちらにせよ、米空軍のことに触れてはならないということなのでしょう。しかし、全体的な証言のトーンから眺めれば、「米軍の何がしの部隊が救難に向かっ たが、命令により引き返した」という点は事実と認めてもよさそうです。問題なのは、「米空軍は何故救難部隊を引き返させたのか」という点に絞られます。

■自衛隊(日本側)への配慮は本当か?

「御巣鷹の謎を追う」の中で、著者の米田氏は、米軍が救難部隊を引き返させたのは「政治的判断」の可能性があると指摘しています。どんな判断かといえば
 1.救難活動で先を越されて面子にこだっていた日本側の気持ちを察した
 2.自衛隊の立場を鑑みた事情の反映
 (同書、「在日米軍の『政治判断』」p120 より)
という、何ともありがたい、米軍の優しい心遣いが背景にあると推察しているのですから、おめでたいものです。

1.については、米空軍が現地上空を管制しているのですから、先を越すのは当たり前でしょう。人命がかかっているのですから、救難機を真っ先に飛ばし救助 に当たるのは、同盟国軍としては当然なのではないでしょうか?2.のように自衛隊の立場を考えてくれているなら、後で救難行為の実行者を自衛隊だと発表す ればすむことなのではないでしょうか?

もう一つ、どうしても言わなければならないのは、この本の著者、米田氏の主張は、米軍を追求する段になると、不思議なことに急速にトーンダウンするので す。アントヌッチ氏の証言についても、同氏が現場上空で確認した(証言[12])という日本側の飛行機の同定について、数ページにわたり極めて精密な分析 を行っているのに対し、救難部隊を引き返させた米空軍への疑惑については、わずかに上記の点を述べるに留まっています。

米田氏が並の記者なら、私も気には留めないのですが、氏が日米安保条約の廃止を唱える日本共産党の機関紙「赤旗」に所属し、また極めて明晰な頭脳を有する 記者であるからこそ、この点が非常に解せないのです。氏はおそらく、党の諜報活動から在日米軍に関して私たちが知りえない多くの情報を得ていることでしょ う。それなのに、私にはまるで、米田氏が疑惑の焦点を、意図的に自衛隊と日本政府に誘導しているようにしか見えないのです。これについては、ぜひ米田氏か ら反論をいただきたいと思っています。

■事実誤認にも意図はある?

米田氏も事実誤認としている証言[19](空自F4Eの有無)、私も数字の間違いではないかと指摘させてもらった[20](上野村42マイル)、この両方 についてB氏に尋ねたところ、「輸送部隊とはいえ、在日米空軍中尉の航空機関士をやってる軍人が、日本で飛ばしている戦闘機のことを知らず、また何10マ イルも距離計測を間違っていたら、商売になりませんよ」との返事をいただきました。

私も、これは偽証の可能性が高いと思っています。情報工作の常套手段として、わざと誤情報を紛れ込ます、それも、誰もが簡単に気が付くものを織り交ぜるこ とにより、そこに注目させ、同時に情報全体の信用力を低下させるという方法があります。全体の信用力が下がるということは、事実を述べている部分ですら疑 われてしまう、まともに相手にされなくなることを意味します。

アントヌッチ証言の場合、軍事にちょっと関心がある人なら誰でも知っている空自F4機の存在、関東近県にすむ人ならすぐにわかる距離感、これらをわざと間 違うことによって、アントヌッチ氏および、氏の発言の信用度を貶める効果を狙っていると考えられます。これを逆手にとれば、事実もまた含まれているとも判 断できます。事実が全く欠けた証言は真実味そのものが失われ、情報工作としての意味がなくなります。ですから偽情報とは常に虚実一体とならざるを得ませ ん。

その意味で、救難部隊の引き返し命令、関係者への緘口令の発令などはおそらく事実の部分でしょう。読み手が疑う部分を敢えて残すことにより、証言はより真実味を増すことになるのです。

* S氏の指摘によると、42マイル先は埼玉の上尾(アゲオ)市、これを上尾(ウエオ)と読めば、米国人なら上野(ウエノ)と区別がつかなくなる。上尾には民 間の本田飛行場があり、救難ヘリの発着場としては充分。アントヌッチ氏はここを指していたのではないかとのこと。調べる価値はありそうです。

■アントヌッチ証言、掲載の理由

事故から10年を経て、何故アントヌッチ証言なのか?この答えは、この証言その中に述べられています。証言[16][17]に、事故の生存者、落合由美さんの発言が引用されています。生存者の数ある発言の中から、この部分が引用されたのは、何としても「聞かれてしまったヘリコプターの音」 を説明しなければ、ならなくなったからでしょう。アントヌッチ証言の約1年半前(1993年12月)に、角田四郎氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事 故」が発刊されました。同書の指摘により、本事故に対する(特に自衛隊に対する)疑惑の声が一段と高まってきたまさにその時に、救助に向かい、自衛隊に花 を持たせた在日米軍の美談が必要となったのです。

また、アントヌッチ証言は、それまで公式発表された以外の、別の航空機が現地を飛んでいたことも示唆しています(証言[12])。それもそのはずです。当 夜現地を訪れたM氏によると「戦闘機が轟音を立てて一晩中ぐるぐる旋回していた」とのことですから、住人や現場近くに集まったマスコミ関係者、公務関係 者、その他大勢によって、現場上空を飛んでいた複数の航空機のエンジン音をバッチリ聴かれてしまっているのです。そんな多くの証言者が口にする疑惑の声に 対しても、何かしら説明が必要となったのでしょう。

   *   *   *

さて次回は、いよいよM氏の現場証言を掲載します。今までマスコミに出たことがない貴重な証言です。闇に包まれた御巣鷹の尾根、そこでいったいM氏は何を見たのでしょうか?予めお断りしておきますが、真実はとても残酷です・・・

ANIMAM TUAM PRO ME PONIS AMEN AMEN DICO TIBI NON CANTABIT GALLUS DONEC ME TER NEGES【転載終了】