飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

『老老介護』の介護に、帰ってきた!!

2009-12-01 10:14:14 | エッセイ風

『老老介護』は、至極一般的
投稿者のケースも例に漏れない.....。


 携帯電話が鳴った。母からだ。母82才、父92才。日常茶飯事のよくあることだ。

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<目隠しのブサイクな写真で申し訳ない:一応プライバシーなので.....m(_ _)m>


 父の具合が、急激に衰えているという。自らの体を支えきれない状態で、寝所に誘導するのもままならない。助けてほしいと嘆願。即、帰ることにした。


 投稿者は、カシオワールドオープンの最終18番ホールのギャラリーの中にいた。折からわき起こる歓声に消されて、うまく聞き取れない。折しも宮里優作のアルバトロスの瞬間だった。折角のカップインを電話に気を取られて、目の当たりに出来なかった。一瞬視線を外したためだ。無念。

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 そんなことは言ってられない。


 一応、最終組を見納めて、渋滞をやきもきしながら、帰途を急いだ。自宅でなく、山間部の実家にである。こんな事は数年以来続いている。しかし、今回は別だ。父の寿命は幾ばくもない。それは解っており、覚悟も出来ている。


 父は、典型的な戦中派である。シベリヤに抑留され、昭和23年舞鶴に帰還した生き残りだ。その後、投稿者は生まれた。竹下総理の慰労の銀杯もある。だがそれだけだ。平成元年、行方不明の未帰還孤児である腹違いの姉が還った。未だに、日本語が充分でない。日本語の達者になった、甥・姪達が4名が日本で暮らしている。


 例に漏れず、何とか老後を自立してやってきた。現在、老介護認定、父2級、母4級。父だけがデイサービス週2回受けている。ホーム入りは、頑なに拒んできた。一番生活に慣れた実家に住むのを常としてきた。お陰で惚けもせず、ごく最近まで、近くの配達所の新聞受けに新聞を自力で取りに行くのを日課にしていた。ほとんど読めもしないのにである。


 典型的な『老老介護』である。それもこれで、終わりであろう。もう、母の力では及ばなくなった。自らの体を支えきれなくなった人間を介護するのは、健常な普通の大人でも難しい。


 急遽、入院の手続きを完了し、母の介護に徹した。母は人口股関節置換施術を受けていて、歩くのに不自由だが、何とか日常生活はこなす。しかし、心労は一方ならぬものが見受けられる。炊事を肩代わりし、せめて肩をもみ、話し相手になる。それ位しかできない。


 郵政民営化は、こういう家庭に目に見えた変化を兆している。郵政四事業分社化は、郵便とは配達のみになった。以前は貯金・振込あるいは簡易保険のあれこれが、配達員の世話掛かりで結構こなせた。今は、それが出来ない。おまけに二人とも自動車運転免許は返納している。車はあるが、単なる物置だ。

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 支給されるハイヤー割引券と数少ない路線バスがある。ハイヤー割引券は別にして、足の悪い老人にはバスは至難の業の一つになる。ハイヤーは経済上、何度も使う訳にはいかない。畢竟、『老老介護』の介護が是非とも必要になる。


 年に数度の実家見舞いが、月一となり、月二となり、これからは週一になるかも知れない。それでも、最優先事項である。仕事がなんだかんだと言ってはおられない。現在あるのはこの世に生を与えた親である。やがて、誰もが通る途であり、最低限の使命であると淡々と熟す日々が誰にでもある。