飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

衝撃が走るウィキリークスの機密暴露!!

2010-12-10 19:37:20 | ブログ

誰が衝撃を受けているか考えると分かる!!
簡単な脳力開発の問題だ。
現今の最大権力が衝撃を受けている。
故に、ウィキリークスは、
少なくとも、権力構造を変容する爆弾である.......。


 善し悪しの問題は、横に置いておこう。それを論議しても、時間の無駄使いだ。ウィキリークスが権力構造に衝撃を与えたことは事実である。それ故、多くのサービス企業が、ウィキリークスとの取引を停止した。

Wantted


 そして、代表者アサンジを逮捕した。


 これを観れば、直ぐに分かる。権力による弾圧である。その権力が、今、世界を席巻している。戦争も軍事対峙も権力の意向を汲んでのシフトであろうことは間違いない。奇しくもゲーツ長官が表明しているように、外交とは、好きか嫌いかではなく、必要かどうかによって決められる、と言うことだ。


 それは、いみじくも暴露によって露呈した。


 必要ならば、弾圧も辞さないと言うことだ。プーチンは言った。アメリカはロシアよりも民主的であるというの幻想である、と。同じ事は中国も言うだろう。

 

【転載開始】ロ首相、創設者逮捕で欧米を批判 「民主主義といえるか

(12/10 09:18)

            

 【モスクワ共同】ロシアのプーチン首相は9日、内部告発ウェブサイト「ウィキリークス20件」の創設者アサンジ容疑者の逮捕について「これで民主主義といえるのか」と述べ、ロシアを非民主的だと批判する欧米側に対し「人のことを言えた立場か」と反撃した。

 プーチン氏は訪ロしたフィヨン・フランス首相との共同記者会見で、暴露された米外交公電がロシアの民主主義の現状を批判していることについて聞かれ「米国の外交当局がまったく清潔な情報源だと思うか」と反問。

 「本当の民主主義なら、アサンジ氏はなぜ投獄されなければならないのか」と述べ、ロシアでは言論の自由が欠如していると批判する欧米側を痛烈に皮肉った。【転載終了】


 民主主義というものは、素晴らしいからとか、好きだからと言うことでアメリカは維持しているのではない。必要であるからだろう。そして、必要であれば、自ら、それをも放棄する。これが、ウィキリークスによって露呈した現実である。


「衝撃だが、影響はそこそこ」 ゲーツ長官が流出で苦しい弁明
http://www.youtube.com/watch?v=5qXDx_df13w&feature=player_embedded
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 まさに、いまやサイバー戦争の状況を呈しているようだ。


【転載開始】 

WikileaksめぐりDoS攻撃の応酬 PayPalなども標的に
「アンチ・アンチWikileaks」を唱えるグループが、Wikileaksの口座を閉鎖した金融機関を攻撃しているが、このグループもDDoS攻撃を受けている。
2010年12月07日 16時27分 ITmediaNews
 内部告発サイトWikileaksをめぐり、各所でDDoS(サービス拒否)攻撃が発生している。セキュリティ企業Panda Securityが報告している

 Wikileaksは先週、大規模なDDoS攻撃を受けて一時アクセスできない状態になった。Wikileaksはサイトを移転したが攻撃は続き、攻撃を理由にドメインを停止された。現在、同サイトはスイスのサーバで稼働している。

  その一方で、「アンチ・アンチWikileaks」を唱えるハッカーグループが、Wikileaksの口座を凍結したPayPalにDDoS攻撃を仕掛 け、PayPalの公式ブログがおよそ8時間ダウンしたという。このグループは、同じくWikileaks創設者ジュリアン・アサーンジ氏の口座を閉鎖し たスイスの銀行PostFinanceも攻撃した。現在同行のサイトはアクセスできない状態になっている。

 しかし、このグループのWebサイトもDDoS攻撃を受けて一時ダウンした。現在サイトには「大規模なDDoS攻撃を受けている。できるだけすぐにサイトを復旧する」とのメッセージが表示されている。

 DDoS攻撃とは別の形でWikileaksを支援する人も多数おり、同サイトのミラーサイトは現在700を超えているという。【転載終了】


 さて、この戦争、どちらに軍配が上がるだろうか? 投稿者の察するところ、多勢に無勢である。アリは巨像を倒す。これは間違いない。巨像は、幾万のアリを踏みつぶすことが出来ようが、全滅させることは不可能である。


 ウィキリークスは潰れないであろう。仮に、潰れたかのように見えても、第二、第三のウィキリークスは世に登場する。そして、一端、世に出た情報は、元のように隠すことは絶対に出来ない。


 まさに現代の情報に於ける『覆水、盆に還らず』である。


不思議な少年!! その92

2010-12-10 18:47:54 | 物語

エルサレムの祭典でのイエス。人はすべて神の子なることを示す!! 


 人は、全て神の子である。イエスは神の子であるとして、反感を買った。ましてや、人皆神の子と言うならば、総反感を買うところであろう。

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記事に無関係>  


 しかし、クリスチャンの一部では、イエスは神の御子という言葉の意味には、イエスこそ唯一人の神の御子というニュアンスが含まれている。そんなはずはない。それには、この章が明快である。


 すごすごと退席した祭司のようにならないために、無知は啓かなければならない。。 


 これは、寓話であるが、ある時、無知な人間と、そうではない人間が居た。二人は罪を犯した。果たして、どちらの罪は深いか? との問いに対して、どう応えるか?


 無知な人間は、無知故に罪を犯したのだ。そうでない人間は、罪と知っていながら、犯したのである。何れが深刻かという問題である。投稿者は前者と応える。しかし、多くは無知な人間に同情するであろう。知らないから、仕方なかったと言うだろう。


 そして、知って犯した罪はより深い、と言うであろう。法律用語の悪意(知っていること)の罪という奴である。しかし、実際は逆だ。


 知って犯す罪は、改めることが出来る。知らずに犯す罪は、何度でも繰り返す。故に、無知による罪は、改まることがないから、より深刻である。


 これを無明の罪という。人間は無明から抜け出さなければならない。。


  エルサレムの祭典でのイエス。虚弱者をいやす。治療の実地教訓。人はすべて神の子なることを示す。


 祭日が来たのでイエスと十二弟子はエルサレムに行った。安息日の前日、彼らはオリーブ山に達し、北方にオリーブ山を仰ぐ一軒の宿屋にとまった。


 安息日朝早く彼らは羊の門からエルサレムに行った。


 門の近くにあるベテスダの霊泉は病気の人で一杯であった。それは一定の時刻が来れば天使が来て池に治療の霊験あるものを注ぐから、一番先きに入って洗った者がいやされると信じていた。


 イエスと十二弟子は池の近くに立っていた。


 そしてイエスは、そばに一人の男がいるのを見た。彼は三十八年もの間病んでいた。他人の手がなければ、彼は動くことができなかった。

 

 イエスは彼に言った、「わが兄弟よ、男よ、治りたいか。」

 その男は答えた、「何とかして治りたいのです。しかし私は、体が自由がききません。そして主の使いがやってきて、池に治癒力をふり注ぐとき、もう一人の歩ける男が、先きにその泉の中に入り、私は治らぬままになっています。」


 イエスは言った、「僅かの人しか治癒に恵まれないようなこの池に主の使いを遣わしたのは誰か。わたしは知っている。それは神ではない。彼はすべての人に対して平等に扱うからだ。天国の病の治る泉では、一人が他の人より機会に恵まれているということはない。

 健康の泉は、あなたの魂の中にある。そこには、しっかり錠のかけられた扉がある。鍵は信仰である。そしてすべての人は、この鍵をもつことができる。そこでその扉の錠を外し、病の治る泉にとびこみ、健全になることができるのだ。」


 するとその人は希望満々たる気分になり目を挙げて言った、「どうかこの信仰の鍵を与えて下さい。」


 イエス、「わたしの言ったことを信ずれば、あなたの信仰通りになる。起きて床をとりあげて歩め!」


 その人はすぐ立ちあがって去っていった。ただ神に感謝しますと言ったきりであった。


 そして人々が誰にいやされたかと聞けば、彼は答えた、「誰か知りません、池で見知らぬ人の一言でわたしはよくなりました。」


 イエスがこの人をいやした時これを見ない人が多かった。そして彼は十二弟子と共に宮の庭に行った。


 宮でイエスはその人を見て言った、「見よ、あなたはよくなった。これからのち生命を大切にするのだ。行ってこれからのち罪を犯してはならない。そうしないともっと悪いことが起るよ。」


 その人は今やっと自分をなおしてくれた人の誰かということが分かった。


 彼は祭司たちにこの話をしたが、彼らは大変怒って言った、「律法は安息日にいやすことを禁じている。」


 しかしイエスは言った、「わが父は安息日でも外の日と同様に働く。神はその雨、その日光、その露を送り、草を生えさせ、花を咲かせ、収穫を促すことは安息日もほかの日も同じだ。

 もし安息日に草が生え、花が咲くことが正しいなら、確かに悩める人を救うことは悪しくはない。」


 すると祭司たちはますます怒った、彼が神の子であると公言したからである。


 主立った祭司アビフは言った、「この奴はわが国民と律法に対して危険人物だ、自分を神の子と言う、生かしておけない。」


 しかしイエスは言った、「アビフよ、あなたは学者だ。生命の律法(おきて)を知っている筈だ。神の息子が人の娘を娶(めと)ったと創世記に書いてあるその神の子とは誰であったか。

 それはわれらの父アダムだ。彼はどんな人であったか、父があったか、或は星のように天から降って来たか。神から来たとモーセは言っているのをわれわれは読んでいる。もしアダムが神から来たなら、彼は誰かの子孫であったか、息子であったか、どうか。

 われらはこの神の子の子供である。それで尋ねる、博学な祭司よ、もし神の子でなければ、われらは誰の子か。」


 祭司は急用があるとて行ってしまった。


 イエスは言う、「人はすべて神の子である。人々が神聖な生活を送れば、いつも神とくつろぐ。人々は神のみわざを見てこれが分かる。そしてその聖名(みな)によってこのようなわざを行うことが出来る。

 雷電暴風は、日光や雨露と同様に、神の使者である。

 もろもろの天の美徳は神の聖手(みて)にある。すべての忠誠な子らは、このような美徳とこのような力を用いることが出来る。人間は地上に神の意志を行うための神の使者である。そして人間は病人をいやし天の霊をつかさどり、死人を生かすことが出来る。

 わたしにこのような力があると言っても、何の不思議もない。人間は誰でもこのようなことを行う力がある。しかし先ず低い自我のすべての情欲を克服しなければならない。これをやろうと思えば克服することが出来る。

 それであるから、人間は地上の神である。そして神をあがめる者は、人間をあがめなければならない。それは神と人間とは、父と子とが一体であるように、一体であるから。

 見よ、わたしは言う、時が来た、死者は人の声を聞いて生きる。それは人の子は神の子であるから。あなたがたイスラエルの人々よ、聞け、あなたがたは生きながら死んでいる、墓の中に閉じこめられている。


 (無知と不信よりも深い死はない。)


 しかし、すべての人間はいつかは人間の声によって明らかにされた神の声を聞いて生きるだろう。あなたがたはみな神の子であることを知り、聖なる言葉によって、神の聖業を行うだろう。あなたがたが生命に来る、即ち神の子なることを認めるなら、正しき生活をした人間で、生命の野にあって目を開く。

 しかし、罪の道を愛する者は、この復活にあって法廷の前に立ち、人々と自分自身に負う負債を払えと宣告されよう。何事であれ、誤った行為は再三再四繰り返して行わねばならないが、いつかは完全な人間の姿になる。


 時が来れば、最低のものと最高のものとが、共に立ち上がって光に歩む。


 わたしはあなたがたが神に告訴しようか。否、あなたがたの預言者モーセは既にそれをやった。そして若しあなたがたがモーセの言葉を聞かなければ、わたしの言うことも聴かぬだろう。モーセはわたしのことについて書いているからである。」


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            

第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 

 
第九十一章 エルサレムの祭典でのイエス。虚弱者をいやす。治療の実地教訓。人はすべて神の子なることを示す。


1)祭日が来たのでイエスと十二弟子はエルサレムに行った。

2)安息日の前日、彼らはオリーブ山に達し、北方にオリーブ山を仰ぐ一軒の宿屋にとまった。

3)安息日朝早く彼らは羊の門からエルサレムに行った。

4)門の近くにあるベテスダの霊泉は病気の人で一杯であった。

5)それは一定の時刻が来れば天使が来て池に治療の霊験あるものを注ぐから、一番先きに入って洗った者がいやされると信じていた。

6)イエスと十二弟子は池の近くに立っていた。

7)そしてイエスは、そばに一人の男がいるのを見た。彼は三十八年もの間病んでいた。他人の手がなければ、彼は動くことができなかった。

8)イエスは彼に言った、「わが兄弟よ、男よ、治りたいか。」

9)その男は答えた、「何とかして治りたいのです。しかし私は、体が自由がききません。そして主の使いがやってきて、池に治癒力をふり注ぐとき、

10)もう一人の歩ける男が、先きにその泉の中に入り、私は治らぬままになっています。」

11)イエスは言った、「僅かの人しか治癒に恵まれないようなこの池に主の使いを遣わしたのは誰か。

12)わたしは知っている。それは神ではない。彼はすべての人に対して平等に扱うからだ。

13)天国の病の治る泉では、一人が他の人より機会に恵まれているということはない。

14)健康の泉は、あなたの魂の中にある。そこには、しっかり錠のかけられた扉がある。鍵は信仰である。

15)そしてすべての人は、この鍵をもつことができる。そこでその扉の錠を外し、病の治る泉にとびこみ、健全になることができるのだ。」

16)するとその人は希望満々たる気分になり目を挙げて言った、「どうかこの信仰の鍵を与えて下さい。」

17)イエス、「わたしの言ったことを信ずれば、あなたの信仰通りになる。起きて床をとりあげて歩め!」

18)その人はすぐ立ちあがって去っていった。ただ神に感謝しますと言ったきりであった。

19)そして人々が誰にいやされたかと聞けば、彼は答えた、「誰か知りません、池で見知らぬ人の一言でわたしはよくなりました。」

20)イエスがこの人をいやした時これを見ない人が多かった。そして彼は十二弟子と共に宮の庭に行った。

21)宮でイエスはその人を見て言った、「見よ、あなたはよくなった。これからのち生命を大切にするのだ。

22)行ってこれからのち罪を犯してはならない。そうしないともっと悪いことが起るよ。」

23)その人は今やっと自分をなおしてくれた人の誰かということが分かった。

24)彼は祭司たちにこの話をしたが、彼らは大変怒って言った、「律法は安息日にいやすことを禁じている。」

25)しかしイエスは言った、「わが父は安息日でも外の日と同様に働く。

26)神はその雨、その日光、その露を送り、草を生えさせ、花を咲かせ、収穫を促すことは安息日もほかの日も同じだ。

27)もし安息日に草が生え、花が咲くことが正しいなら、確かに悩める人を救うことは悪しくはない。」

28)すると祭司たちはますます怒った、彼が神の子であると公言したからである。

29)主立った祭司アビフは言った、「この奴はわが国民と律法に対して危険人物だ、自分を神の子と言う、生かしておけない。」

30)しかしイエスは言った、「アビフよ、あなたは学者だ。生命の律法(おきて)を知っている筈だ。神の息子が人の娘を娶(めと)ったと創世記に書いてあるその神の子とは誰であったか。

31)それはわれらの父アダムだ。彼はどんな人であったか、父があったか、或は星のように天から降って来たか。

32)神から来たとモーセは言っているのをわれわれは読んでいる。もしアダムが神から来たなら、彼は誰かの子孫であったか、息子であったか、どうか。

33)われらはこの神の子の子供である。それで尋ねる、博学な祭司よ、もし神の子でなければ、われらは誰の子か。」

34)祭司は急用があるとて行ってしまった。

35)イエスは言う、「人はすべて神の子である。人々が神聖な生活を送れば、いつも神とくつろぐ。

36)人々は神のみわざを見てこれが分かる。そしてその聖名(みな)によってこのようなわざを行うことが出来る。

37)雷電暴風は、日光や雨露と同様に、神の使者である。

38)もろもろの天の美徳は神の聖手(みて)にある。すべての忠誠な子らは、このような美徳とこのような力を用いることが出来る。

39)人間は地上に神の意志を行うための神の使者である。そして人間は病人をいやし天の霊をつかさどり、死人を生かすことが出来る。

40)わたしにこのような力があると言っても、何の不思議もない。人間は誰でもこのようなことを行う力がある。しかし先ず低い自我のすべての情欲を克服しなければならない。これをやろうと思えば克服することが出来る。

41)それであるから、人間は地上の神である。そして神をあがめる者は、人間をあがめなければならない。それは神と人間とは、父と子とが一体であるように、一体であるから。

42)見よ、わたしは言う、時が来た、死者は人の声を聞いて生きる。それは人の子は神の子であるから。

43)あなたがたイスラエルの人々よ、聞け、あなたがたは生きながら死んでいる、墓の中に閉じこめられている。

44)(無知と不信よりも深い死はない。)

45)しかし、すべての人間はいつかは人間の声によって明らかにされた神の声を聞いて生きるだろう。あなたがたはみな神の子であることを知り、聖なる言葉によって、神の聖業を行うだろう。

46)あなたがたが生命に来る、即ち神の子なることを認めるなら、正しき生活をした人間で、生命の野にあって目を開く。

47)しかし、罪の道を愛する者は、この復活にあって法廷の前に立ち、人々と自分自身に負う負債を払えと宣告されよう。

48)何事であれ、誤った行為は再三再四繰り返して行わねばならないが、いつかは完全な人間の姿になる。

49)時が来れば、最低のものと最高のものとが、共に立ち上がって光に歩む。

50)わたしはあなたがたが神に告訴しようか。否、あなたがたの預言者モーセは既にそれをやった。そして若しあなたがたがモーセの言葉を聞かなければ、わたしの言うことも聴かぬだろう。モーセはわたしのことについて書いているからである。


【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 91

Jesus at the feast in Jerusalem. Heals an impotent man.
Gives a practical lesson in healing. Affirms that all men are the sons of God.

THE feast time came and Jesus and the twelve went to Jerusalem.
2) Upon the day before the Sabbath day they reached Mount Olives and they tarried at an inn before Mount Olives on the north.
3) And in the early morning of the Sabbath day they went in through the sheep gate to Jerusalem.
4) The healing fountain of Bethesda, near the gate, was thronged about with people who were sick;
5) For they believed that at a certain time an angel came and poured a healing virtue in the pool, and those who entered first and bathed, would be made whole.
6) And Jesus and the twelve were standing near the pool.
7) And Jesus saw a man near by who had been stricken eight and thirty years; without a hand to help he could not move.
8) And Jesus said to him,
My brother, man, would you be healed?
9) The man replied,
I earnestly desire to be healed; but I am helpless and when the angel comes and pours the healing virtues in the pool,
10) Another who can walk, steps in the fountain first and I am left unhealed.
11) And Jesus said,
Who sends an angel here to potentise this pool for just a favored few?
12) I know it is not God, for he deals just the same with every one.
13) One has no better chance in heaven's healing fountain than another one.
14) The fount of health is in your soul; it has a door locked fast; the key is faith;
15) And every one can have this key and may unlock the door and plunge into the healing fount and be made whole.
16) And then the man looked up in hopeful mood and said,
Give me this key of faith.
17) And Jesus said,
Do you believe what I have said? According to your faith it shall be done. Arise, take up your bed and walk.
18) The man at once arose and walked away; he only said,
Praise God.
19) And when the people asked,
Who made you whole? the man replied,
I do not know. A stranger at the pool just spoke a word and I was well.
20) The many did not see when Jesus healed the man, and with the twelve he went his way up to the temple courts.
21) And in the temple Jesus saw the man and said to him,
Behold you are made whole; from henceforth guard your life aright;
22) Go on your way and sin no more, or something worse may fall on you.
23) And now the man knew who it was who made him whole.
24) He told the story to the priests and they were much enraged; they said,
The law forbids a man to heal upon the Sabbath day.
25) But Jesus said,
My Father works on sabbath days and may not I?
26) He sends his rain, his sunshine and his dew; he makes his grass to grow, his flowers to bloom; he speeds the harvests just the same on Sabbath days as on the other days.
27) If it is lawful for the grass to grow and flowers to bloom on Sabbath days it surely is not wrong to succour stricken men.
28) And then the priests were angered more and more because he claimed to be a son of God.
29) A leading priest, Abihu, said,
This fellow is a menace to our nation and our laws; he makes himself to be a son of God; it is not meet that he should live.
30) But Jesus said,
Abihu, Sir, you are a learned man; you surely know the law of life. Pray tell who were the sons of God we read about in Genesis, who took to wife the daughters of the sons of men?
31) Our father Adam; who was he? From whence came he? Had he a father? or did he fall from heaven as a star?
32) We read that Moses said, He came from God. If Adam came from God pray, was he offspring, was he son?
33) We are the children of this son of God; then tell me, learned priest, Who are we if not sons of God?
34) The priest had urgent business and he went his way.
35) And Jesus said,
All men are sons of God and if they live a holy life they always are at home with God.
36) They see and understand the works of God, and in his sacred name they can perform these works.
37) The lightnings and the storms are messengers of God as well as the sunshine, rain and dew.
38) The virtues of the heavens are in God's hands, and every loyal son may use these virtues and these powers.
39) Man is the delegate of God to do his will on earth, and man can heal the sick, control the spirits of the air, and raise the dead.
40) Because I have the power to do these things is nothing strange. All men may gain the power to do these things; but they must conquer all the passions of the lower self; and they can conquer if they will.
41) So man is God on earth, and he who honors God must honor man; for God and man are one, as father and the child are one.
42) Behold, I say, The hour has come; the dead will hear the voice of man, and live, because the son of man is son of God.
43) You men of Israel, hear! you live in death; you are locked up within the tomb.
44) (There is no deeper death than ignorance and unbelief.)
45) But all will some day hear the voice of God made plain by voice of man, and live. You all will know that you are sons of God, and by the sacred Word, may do the works of God.
46) When you have come to life, that is, have come to realize that you are sons of God, you who have lived the life of right, will open up your eyes on fields of life.
47) But you who love the ways of sin will, in this resurrection, stand before a judgment bar, and be condemned to
pay the debts you owe to men and to yourselves.
48) For whatsoever you have done amiss must be performed again, and yet again, until you reach the stature of the perfect man.
49) But in due time the lowest and the highest will arise to walk in light.
50) Shall I accuse you unto God? No, for your prophet, Moses, has done that; and if you hear not Moses' words you will not hearken unto me, for Moses wrote of me.

 【続く】