あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その11
言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。
翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。
訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、
敢えて転載する理由は、
一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。
それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。
そして、
共感する拙ブログの願いでもあるからだ。
既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、
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魂の法則 |
ヴィセント・ギリェム |
ナチュラルスピリット |
是非とも、手に取ってお読み頂きたい
尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。
でも、
一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、
座右の一冊となるだろう・・・。
<ヨッキーくんより>
今回は、連載記事に関連して・・・!
愛について、
多くの解説が語られているが、
恋愛について、
この「愛の法則」ほど、露骨の語られているケースはない。
大いに参考になるだろう・・・。
考えてみれば、
パートナーとの愛の法則ほど、身近な愛の法則はないだろう。
何故、語られていないのであろう。
特に、
宗教という宗教は、
これをタブーにして、綺麗ごとに終始している傾向が見受けられる。
その傍ら、
裏では、何が行われているか知れないのである。
この「愛の法則」を賢明に理解すれば、
ほとんど全ての人々にとって、
おおらかな魂の発露に今すぐにでも役立つ知恵が満載であると、
痛感させたれるだろう・・・。
最も大事なことは、
霊的に見て何が正義であるかを知ることが、
混迷から脱却できる福音(良い報せ)であると痛感させられる。
【転載開始】
パートナーとの関係におけるエゴ的感情
*自分の双子の魂に出会っていながら、それを大切にできず、他の人たちと性関係を持ちたいと思ったり実際に不義を働いてしまう場合もあるでしょうか?
その通り。確固たる愛がなかったり、それを慈しみ育む努力を怠ったり、エゴ的な感情を介在させてしまった場合に、そういうことがありがちだ。 愛にあまり敏感でない魂たちは、未発達の愛の感情よりも生物的な性本能の方が強いので、魂の幸せよりも肉体を満足させることに熱心だ。この段階において は、性欲は基本的に、肉体的な魅力と目新しさに対して芽生える。そして肉体が充足すると、その関係に対して興味を失い、新たな関係を追い求める。この時期 においては、特定の人をえり好みすることがない。 魂が愛の感情を発達させていくにつれて、性欲が満たされても心の虚しさを感じるので、ただの性的な関係には飽き、それ以上のもの、つまり愛し愛される関係 を求める。そして、ここで問題となってくるのが、魂の類似性だ。と言うのも、それがなければ、内面の充足感は得られないからだ。そうして、愛の感情のた め、パートナーとの関係で幸せになるために奮闘し始める。 魂はこの道程において、無数の恋愛関係を経験し、すべて―本能、愛情、エゴ的感情―を味わい、体験の幸・不幸の度合いに応じて、少しずつ自分の感受性と愛 する能力を磨き上げていく。こうして、エゴ的感情を排除していき、愛の感情を育んでいく。回を追うごとに、自分の感情がより明確になり、気持ちに従って生 きる場合に、自信を持つことができるようになる。また、他者の感情における自由に対しても、段々と尊重できるようになる。
*パートナーとの愛情を邪魔してしまうエゴ的感情の代表的なものは何ですか?
いろいろなものがある。執着心が主なものだが、そこから独占欲、犠牲者意識、嫉妬心、恨みと悔しさ、恋愛感情の強迫観念、恋愛における罪悪感、愛することへの怖れ、感情的混乱などの他のエゴ的感情が派生する。
*これらのエゴ的感情がそれぞれどういうものなのか説明してくださいますか?
もちろんだ。執着心から始めよう。これについては以前に説明しているが、ここではもっと深く見てみよう。
―執着心について
執着心は、一般的には「所有的な愛」として知られる。執着に苦しむ者は、カップルの関係であれば、パートナーから意志や自由の一部を譲るよう強要されても当然だと考えており、同時に、自分も相手の意志や自由に関する権利を得ていると思っている。 執着心の二つの側面を、能動的な執着心と、受動的な執着心とに区別してみよう。 能動的な執着心は、愛する者は自分に所属しているので、自分がその人に関する特定の権利を持つと考える人に見られる。それは、他者の意志を所有したいとい う欲望となって顕れ、自分が望むことをさせるためにその人の人生をコントロールしたがる。一言で言えば、能動的な執着心がある人は、パートナーの意志に自 分の意志を強要する権利があると思っている。自分の望みを叶えて悦ばしてくれる人といたがり、そうするのがパートナーの義務の一部であるので、相手に要求 する権利があると思い込んでいる。 受動的な執着心は、カップルの関係ではそうすべきだと思い、自分の自由や意志を相手に侵害されることを許容してしまう人につきものである。受動的な執着を患う者は、自分自身の自由や意志を放棄して、パートナーの満足と悦びに身を捧げる傾向がある。 伝統的な男尊女卑的教育は、男性の能動的な執着心を承認し、女性に受動的な執着心に馴染んで生きるように教えているので、執着心を二つの側面から増長させている。 男尊女卑の夫婦関係では、夫は妻を支配する権利があると思い込んでいるので、能動的な執着心から行動し、自らの意志を強要して妻の自由を制限する。一方、妻は義務として、自分の意志と自由の一部を夫に譲り渡してしまうので、受動的な執着心で行動する。
*一般的には、男性が能動的な執着心から行動し、女性が受動的な執着心から行動する、ということでしょうか?
そうではなく、その反対のケースも多い。同じ人に能動的・受動的な執着があることもあるし、同時に二人共に、その両方があることもある。能動的・受動的な執着心があるかどうかは、各魂の進化レベルと関係している。 能動的な執着心は、愛をあまり知らず、愛するより望んだり必要とすることの多い、虚栄心の段階でより顕著に見られる。パートナーとの関係でも、相手が自分 の願望や欲求を満たしてくれることを求める。そういう虚栄心の段階の魂が男性に転生すると、男尊女卑の教育を利用して自分の高圧的な行動を正当化し、女性 になった場合には、別の強みを使って支配的になる。 受動的な執着心は、通常は、愛される必要性があり、より愛する能力の高い、自尊心の段階で見られることが多い。相手を悦ばせば愛してもらえると思い、愛する能力が大きいためにその関係に尽くしてしまい、極端な場合は、自己の自由と意志まで放棄してしまう。
*執着心は、どうやって克服するのですか?
能動的な執着心は、愛することと所有することは別物であると気づけた時に乗り越えられる。本当に人を愛するのであれば、人生のどんな場面においても、その人の意志と自由を大事にすることから手がけねばならない。自分自身の自由や意志を尊重してほしいと望むようにだ。
受動的な執着心は、人を愛しても、自分自身の自由や意志を断念することには繫がらず、相手に好きになってもらうために、それらを放棄することは意味がない と理解した時に越えられる。本当に愛してくれる人なら、自由や意志の放棄を引き換え条件とはしないからだ。愛する見返りとして君に犠牲を強いる人は、君を 愛してはいないし、今後も愛してはくれないだろう。本物の愛の感情というものは自然に湧き起こるもので、君がすることに条件付けられるわけではないから だ。
―独占欲と犠牲者意識について
自分の願望や欲求を満足させるために他者の気を引こうする欲望を、独占欲と呼ぶ。独占欲に支配されている人は、いつも自分のことだけを考え、他の人たちを 強要したり義務付けて関心を引く。このような人たちはパートナーとの関係では、愛情の絆がある伴侶から目にかけてもらうのは当然の権利だと主張して、ほぼ 独占的な奉仕を要求するので、しばしば相手の自由や意志を侵害する。そして、気にいるほどの関心を引き付けられないと、犠牲者のふりをして気を引こうとす る。 犠牲者意識は、憐憫の情を引き出しながら相手の関心を自分に向けようとする人に特有のエゴ的感情で、同情してもらうことによって、相手を思い通りにした り、利用しようとしている。犠牲者意識は、相手の自由意志にはお構いなくその気を引こうと強いるので、一般的に独占的であり、独占欲との関係が深い。自己 成長しようと努力せず、他者に自分の試練や責任を果たしてもらおうとするので、臆病者でもある。 これは大変巧妙な人心操作の手口で、コントロールされる側は、往々にして気づかずに意のままになってしまう。犠牲者意識は罪悪感を弄ぶ場合が多く、要求を満たそうとしてくれない場合に、相手が罪の意識を持つように仕向けるのだ。 たとえば、他者の注意を集めようとして、自分の病気を逆手にとることがある。痛みを偽ったり大げさにしたりして、責任を逃れたり、他の人に代りにやってもらうおうとする。 当人の不快感の主な原因でもないのに、自分が鬱的なのは幼児期に愛されなかったせいだとするのも、同情を引いて独占欲を正当化するのによく利用される口実だ。 パートナーとの関係では、いつも望みを叶えてくれるサービス精神旺盛な人を相手に選びやすい。いつも肉体的あるいは精神的に具合が悪いふりをして、自ら パートナーに依存することで、常時世話をしてもらって、全責任を押しつけようとする。だがこのような態度は、しまいにはパートナーの息を詰まらせ、疲弊さ せてしまう。ニセ犠牲者に独りではやっていけないと思い込まされて、詳細に至るまで相手を満足させて悦ばせることに追われるパートナーには、事実上独自の 生活がないからである。 犠牲者のふりをする人たちは、彼ら自身で不快感を募らせ、改善する気がない。それを、注目を集めるための武器として利用するからだ。
*独占欲と犠牲者意識はどのように克服すればいいですか?
他者の人生をコントロールするのをやめ、その自由意志を尊重することだ。誰に対しても何も要求したり押しつける権利がないこと、ましてや相手との愛情の絆 をその口実にしてはならないのだと気づくことである。同時に、いつもよその人に解決してもらおうとしないで、臆病、怠け癖、安楽さを克服して、自分で課題 に立ち向かう必要がある。
―嫉妬心について 嫉妬心は、自分のものだと見なす人を失う怖れから怯えることだと定義できる。カップルにおける嫉妬心は、相手を所有物と見なして自分にだけ注目するよう強 いる、能動的な執着心を抱いた、所有欲が強い独占的な人に特有だ。そのため、パートナーが他の人たちに関心や愛情を示したりすると、激怒する。 嫉妬心は、パートナーへの恒常的な不信感や、自分に不実かもしれないという強迫観念として顕れることが多い。この強迫観念から、浮気の可能性を回避するの を口実に、相手の人生を徹底的にコントロールしようとする。自分の伴侶と交友する人たち、特にパートナーとしてライバルになる可能性があると見なした人た ちを目の敵にする。 また嫉妬心は、攻撃欲、独占欲、犠牲者意識、恨みなどの他のエゴ的感情も増長させて、パートナーの人生を操るためにも使われる。交際中に嫉妬深かった人は、関係が破綻すると、恨みがましいことが多い。 嫉妬深いのは、愛の感情が貧弱であることの反映である。第一に、相手の幸せに関心を持たないからだ。パートナーを大いに傷つけることなど構わず、自分の支 配欲を満たすことだけを考えている。第二に、二人の関係を保つには愛情の絆だけで充分だと信じていない。そのために無理強いしたり脅したりする。本当の愛 があれば、愛の感情を信頼し、第三者の介在を怖れたりはしない。三角関係になるとすれば、それは両者の愛が乏しかったか、存在していなかったことの顕れ だ。
*嫉妬心はどう克服するのでしょうか?
嫉妬というのは、愛の感情が存在せず、能動的な執着心しかないことを表している。嫉妬心は、愛の感情がないことを認識し、自分の能動的な執着心を認めることで、克服する。乗り越えるには、相手を所有したいという欲求を放棄し、その人の感情面の自由を尊重せねばならない。
真の愛は自由であり、強要できず、自然に湧き起こるものである。二人の結びつきは、関係を維持するための義務や努力を必要とすることなく、この自発的で自由な相互愛の感情に基づいていなければならないのだ。