飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

お金の科学・・・! って、何か? その2

2015-02-14 17:44:50 | ビジネス

お金⇒富の科学!
と言い換えたほうが聞こえが良かもしれない・・・!
ジェームス・スキナー・・・
変な外国人?!
しかし、日本語は達者だ・・・!
大好きなコーチャーである・・・。
とにかく面白い!

⇒お金の科学・・・! って、何か? その1の続きです。


 

富とお金は違う!

お金は単なる富のあるひとつの情報に過ぎない。

一般的には、紙幣だが、今ではほとんど記録媒体に過ぎない。

こんなことを考えた人は、居るだろうか?

 

確かに、

ほとんどの銀行には、預金された額の現金はないし、

お金は、コンピューター上で二進法で記録されているだけである。

又、

紙幣は、単に印刷されているだけである。

何も裏付けがなくても、

現在は、容易に増刷できるのである・・・。


<画像をクリック!

 

そして、

ご存知のように、日本政府は、

日銀はというべきかもしれませんが、

紙幣を刷りまくっている状態です。

誰が豊かになりましたか?

 

真の富が増えないのに、紙幣を刷るだけでは誰も豊かになりません。

敢えて言えば、

それだけでは、富の格差が生じているだけです。

この理屈は、

ジェームス・スキナーの話を細かに聴けは分かります。

 

真の富は、無限であるということも納得します。

真の富は、真の価値が生まれることによって、

無限に供給される性質のものであり、

競争の結果生まれるのではないことが分かります。

 

競争による富の収奪は、

格差を生む以外にないということも分かります。

今の経済状態が、

思わしくないというのは、過度の競争が原因です。

 

競争するのではなく、

豊かになる途があります。

それが本当の豊かさへの途です。

 

 

<画像をクリック!

 

信じないかもしれませんが、

宇宙は無限です。

そして、

富は無限です。

エネルギーは無限なのです。

そして、

価値の創造は無限に存在するのです。

 

それを知れば、

誰でも豊かになれることが、分かります。

その事を、真に納得する必要があります。

納得していないので、豊かになれないのです。

 

お金は、単なる富の尺度であり、情報に過ぎません。

その尺度は、

人為的にコロコロ変わります。

取り分け、これからはますますその傾向が強まっています。

 

しかし、

真の富を得る努力に間違いはありません。

その事をジェームス・スキナーは語るのです。

 

是非、学んで下さい。

無料オファーです。


 

 どんな時代でもお金持ちになる「たった1つの思考法」

「もっとお金が欲しい」
「もう少しだけ自由なお金が欲しい」
「もっとお金持ちになりたい」


もしあなたがこんな風に思ったことがあるのなら、
これからお伝えする情報はとても特別なものになります。


なぜなら、これから
ゼロから億万長者になった人たちに共通する
「お金持ちになるための思考法」
を公開するからです。

しかもこの思考法は
「今しか使えない」
「流行り廃りのある」
表面的なテクニックではありません。

そうではなく、
この思考法をマスターすることで、
どんな世の中でも価値を生み出せる人間となり、
100年後でも変わらずにお金を作ることができるようになるのです。


そして

この特別な思考法を知ることで、
お金の悩みがなくなることはもちろん
あなたの収入にも限界もなくなることでしょう。

なぜなら、この思考法を実践した人たちは
過去に莫大な富を築いてきたからです。


逆に。

この思考法を知らないばかりに、
働いても働いても、お金持ちになれず
経済的に苦しんでいる人が後を絶ちません。


では、
ゼロからお金持ちになった人たちに共通する
「お金持ちになるための思考法」
とは一体どういうものでしょうか。



今回、その詳細を教えてくれるのは
世界的に有名な経営コンサルタントの
ジェームス・スキナーです。

彼は20年以上にわたって世界中の成功者を研究し、
お金持ちになるための「ある秘密」を発見したそうです。

それは全くのゼロから大金持ちになった人に共通する
「たった1つの思考法」というものです。


この考え方を知ることで、ジェームス自身も
無一文からわずか数年で億万長者に
なることができたと言います。


また、

ジェームスはこの「たった1つの思考法」
を知ることで、2年という短期間で
2000億円企業を作り出し、世界35カ国
に展開することにも成功しています。


それどころか、

ジェームスがこの思考法を伝えた人たちからは
何人もの億万長者が誕生しているのです。

この思考法を活用することで
ジェームス自身が億万長者になるだけではなく、
それを教えた人たちも次々と億万長者
になっているのです。


なぜなら、ジェームスいわく、

「この思考法は時代と場所を選ばず、
誰もがお金持ちになることができる
普通には語られない考え方」

だからだそうです。


では、その特別な思考法とはどんなものか。

ジェームスが24万8,000円で開催した、
特別なセミナーでのみ語られたこの特別な思考法が、
今回特別に23日までの期間限定で無料にて公開されています。

興味がある場合には、こちらから詳細をご覧ください。

https://www.truenorth.co.jp/sr/?s=s51oser&a=286


ここで公開されている秘密は
100年後も活用できる
「お金持ちになるための原理原則」
と言えるものです。

この秘密を知ることで、
あなたがお金持ちになるのは当然のこと、

あなたの周りの人も同じように豊かな
お金持ちになっていく、
そんな特別な秘密を公開しています。


23日までの期間限定での無料公開となりますので、
ぜひ早めに確認することをお勧めします。

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11 パートナーとの関係におけるエゴ的感情

2015-02-14 17:44:17 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その11


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>

 

今回は、連載記事に関連して・・・!

 

愛について、

 

多くの解説が語られているが、

 

恋愛について、

 

この「愛の法則」ほど、露骨の語られているケースはない。

 


 

大いに参考になるだろう・・・。

 

考えてみれば、

 

パートナーとの愛の法則ほど、身近な愛の法則はないだろう。

 

何故、語られていないのであろう。

 


 

特に、

 

宗教という宗教は、

 

これをタブーにして、綺麗ごとに終始している傾向が見受けられる。

 

その傍ら、

 

裏では、何が行われているか知れないのである。

 


 

この「愛の法則」を賢明に理解すれば、

 

ほとんど全ての人々にとって、

 

おおらかな魂の発露に今すぐにでも役立つ知恵が満載であると、

 

痛感させたれるだろう・・・。

 


 

最も大事なことは、

 

霊的に見て何が正義であるかを知ることが、

混迷から脱却できる福音(良い報せ)であると痛感させられる。

 

 

 

【転載開始】

11 パートナーとの関係におけるエゴ的感情

 

パートナーとの関係におけるエゴ的感情

*自分の双子の魂に出会っていながら、それを大切にできず、他の人たちと性関係を持ちたいと思ったり実際に不義を働いてしまう場合もあるでしょうか?

 その通り。確固たる愛がなかったり、それを慈しみ育む努力を怠ったり、エゴ的な感情を介在させてしまった場合に、そういうことがありがちだ。
  愛にあまり敏感でない魂たちは、未発達の愛の感情よりも生物的な性本能の方が強いので、魂の幸せよりも肉体を満足させることに熱心だ。この段階において は、性欲は基本的に、肉体的な魅力と目新しさに対して芽生える。そして肉体が充足すると、その関係に対して興味を失い、新たな関係を追い求める。この時期 においては、特定の人をえり好みすることがない。
  魂が愛の感情を発達させていくにつれて、性欲が満たされても心の虚しさを感じるので、ただの性的な関係には飽き、それ以上のもの、つまり愛し愛される関係 を求める。そして、ここで問題となってくるのが、魂の類似性だ。と言うのも、それがなければ、内面の充足感は得られないからだ。そうして、愛の感情のた め、パートナーとの関係で幸せになるために奮闘し始める。
  魂はこの道程において、無数の恋愛関係を経験し、すべて―本能、愛情、エゴ的感情―を味わい、体験の幸・不幸の度合いに応じて、少しずつ自分の感受性と愛 する能力を磨き上げていく。こうして、エゴ的感情を排除していき、愛の感情を育んでいく。回を追うごとに、自分の感情がより明確になり、気持ちに従って生 きる場合に、自信を持つことができるようになる。また、他者の感情における自由に対しても、段々と尊重できるようになる。

*パートナーとの愛情を邪魔してしまうエゴ的感情の代表的なものは何ですか?
 
 いろいろなものがある。執着心が主なものだが、そこから独占欲、犠牲者意識、嫉妬心、恨みと悔しさ、恋愛感情の強迫観念、恋愛における罪悪感、愛することへの怖れ、感情的混乱などの他のエゴ的感情が派生する。

*これらのエゴ的感情がそれぞれどういうものなのか説明してくださいますか?
 
 もちろんだ。執着心から始めよう。これについては以前に説明しているが、ここではもっと深く見てみよう。

 ―執着心について
 
 執着心は、一般的には「所有的な愛」として知られる。執着に苦しむ者は、カップルの関係であれば、パートナーから意志や自由の一部を譲るよう強要されても当然だと考えており、同時に、自分も相手の意志や自由に関する権利を得ていると思っている。
 執着心の二つの側面を、能動的な執着心と、受動的な執着心とに区別してみよう。

  能動的な執着心は、愛する者は自分に所属しているので、自分がその人に関する特定の権利を持つと考える人に見られる。それは、他者の意志を所有したいとい う欲望となって顕れ、自分が望むことをさせるためにその人の人生をコントロールしたがる。一言で言えば、能動的な執着心がある人は、パートナーの意志に自 分の意志を強要する権利があると思っている。自分の望みを叶えて悦ばしてくれる人といたがり、そうするのがパートナーの義務の一部であるので、相手に要求 する権利があると思い込んでいる。

 受動的な執着心は、カップルの関係ではそうすべきだと思い、自分の自由や意志を相手に侵害されることを許容してしまう人につきものである。受動的な執着を患う者は、自分自身の自由や意志を放棄して、パートナーの満足と悦びに身を捧げる傾向がある。

 伝統的な男尊女卑的教育は、男性の能動的な執着心を承認し、女性に受動的な執着心に馴染んで生きるように教えているので、執着心を二つの側面から増長させている。
 男尊女卑の夫婦関係では、夫は妻を支配する権利があると思い込んでいるので、能動的な執着心から行動し、自らの意志を強要して妻の自由を制限する。一方、妻は義務として、自分の意志と自由の一部を夫に譲り渡してしまうので、受動的な執着心で行動する。

*一般的には、男性が能動的な執着心から行動し、女性が受動的な執着心から行動する、ということでしょうか?
 
 そうではなく、その反対のケースも多い。同じ人に能動的・受動的な執着があることもあるし、同時に二人共に、その両方があることもある。能動的・受動的な執着心があるかどうかは、各魂の進化レベルと関係している。
  能動的な執着心は、愛をあまり知らず、愛するより望んだり必要とすることの多い、虚栄心の段階でより顕著に見られる。パートナーとの関係でも、相手が自分 の願望や欲求を満たしてくれることを求める。そういう虚栄心の段階の魂が男性に転生すると、男尊女卑の教育を利用して自分の高圧的な行動を正当化し、女性 になった場合には、別の強みを使って支配的になる。
 受動的な執着心は、通常は、愛される必要性があり、より愛する能力の高い、自尊心の段階で見られることが多い。相手を悦ばせば愛してもらえると思い、愛する能力が大きいためにその関係に尽くしてしまい、極端な場合は、自己の自由と意志まで放棄してしまう。

*執着心は、どうやって克服するのですか?

 能動的な執着心は、愛することと所有することは別物であると気づけた時に乗り越えられる。本当に人を愛するのであれば、人生のどんな場面においても、その人の意志と自由を大事にすることから手がけねばならない。自分自身の自由や意志を尊重してほしいと望むようにだ。
  受動的な執着心は、人を愛しても、自分自身の自由や意志を断念することには繫がらず、相手に好きになってもらうために、それらを放棄することは意味がない と理解した時に越えられる。本当に愛してくれる人なら、自由や意志の放棄を引き換え条件とはしないからだ。愛する見返りとして君に犠牲を強いる人は、君を 愛してはいないし、今後も愛してはくれないだろう。本物の愛の感情というものは自然に湧き起こるもので、君がすることに条件付けられるわけではないから だ。

―独占欲と犠牲者意識について
 
  自分の願望や欲求を満足させるために他者の気を引こうする欲望を、独占欲と呼ぶ。独占欲に支配されている人は、いつも自分のことだけを考え、他の人たちを 強要したり義務付けて関心を引く。このような人たちはパートナーとの関係では、愛情の絆がある伴侶から目にかけてもらうのは当然の権利だと主張して、ほぼ 独占的な奉仕を要求するので、しばしば相手の自由や意志を侵害する。そして、気にいるほどの関心を引き付けられないと、犠牲者のふりをして気を引こうとす る。
  犠牲者意識は、憐憫の情を引き出しながら相手の関心を自分に向けようとする人に特有のエゴ的感情で、同情してもらうことによって、相手を思い通りにした り、利用しようとしている。犠牲者意識は、相手の自由意志にはお構いなくその気を引こうと強いるので、一般的に独占的であり、独占欲との関係が深い。自己 成長しようと努力せず、他者に自分の試練や責任を果たしてもらおうとするので、臆病者でもある。
 これは大変巧妙な人心操作の手口で、コントロールされる側は、往々にして気づかずに意のままになってしまう。犠牲者意識は罪悪感を弄ぶ場合が多く、要求を満たそうとしてくれない場合に、相手が罪の意識を持つように仕向けるのだ。
 たとえば、他者の注意を集めようとして、自分の病気を逆手にとることがある。痛みを偽ったり大げさにしたりして、責任を逃れたり、他の人に代りにやってもらうおうとする。
 当人の不快感の主な原因でもないのに、自分が鬱的なのは幼児期に愛されなかったせいだとするのも、同情を引いて独占欲を正当化するのによく利用される口実だ。
  パートナーとの関係では、いつも望みを叶えてくれるサービス精神旺盛な人を相手に選びやすい。いつも肉体的あるいは精神的に具合が悪いふりをして、自ら パートナーに依存することで、常時世話をしてもらって、全責任を押しつけようとする。だがこのような態度は、しまいにはパートナーの息を詰まらせ、疲弊さ せてしまう。ニセ犠牲者に独りではやっていけないと思い込まされて、詳細に至るまで相手を満足させて悦ばせることに追われるパートナーには、事実上独自の 生活がないからである。
 犠牲者のふりをする人たちは、彼ら自身で不快感を募らせ、改善する気がない。それを、注目を集めるための武器として利用するからだ。

*独占欲と犠牲者意識はどのように克服すればいいですか?
 
  他者の人生をコントロールするのをやめ、その自由意志を尊重することだ。誰に対しても何も要求したり押しつける権利がないこと、ましてや相手との愛情の絆 をその口実にしてはならないのだと気づくことである。同時に、いつもよその人に解決してもらおうとしないで、臆病、怠け癖、安楽さを克服して、自分で課題 に立ち向かう必要がある。

―嫉妬心について

  嫉妬心は、自分のものだと見なす人を失う怖れから怯えることだと定義できる。カップルにおける嫉妬心は、相手を所有物と見なして自分にだけ注目するよう強 いる、能動的な執着心を抱いた、所有欲が強い独占的な人に特有だ。そのため、パートナーが他の人たちに関心や愛情を示したりすると、激怒する。
  嫉妬心は、パートナーへの恒常的な不信感や、自分に不実かもしれないという強迫観念として顕れることが多い。この強迫観念から、浮気の可能性を回避するの を口実に、相手の人生を徹底的にコントロールしようとする。自分の伴侶と交友する人たち、特にパートナーとしてライバルになる可能性があると見なした人た ちを目の敵にする。
 また嫉妬心は、攻撃欲、独占欲、犠牲者意識、恨みなどの他のエゴ的感情も増長させて、パートナーの人生を操るためにも使われる。交際中に嫉妬深かった人は、関係が破綻すると、恨みがましいことが多い。
  嫉妬深いのは、愛の感情が貧弱であることの反映である。第一に、相手の幸せに関心を持たないからだ。パートナーを大いに傷つけることなど構わず、自分の支 配欲を満たすことだけを考えている。第二に、二人の関係を保つには愛情の絆だけで充分だと信じていない。そのために無理強いしたり脅したりする。本当の愛 があれば、愛の感情を信頼し、第三者の介在を怖れたりはしない。三角関係になるとすれば、それは両者の愛が乏しかったか、存在していなかったことの顕れ だ。
*嫉妬心はどう克服するのでしょうか?
 嫉妬というのは、愛の感情が存在せず、能動的な執着心しかないことを表している。嫉妬心は、愛の感情がないことを認識し、自分の能動的な執着心を認めることで、克服する。乗り越えるには、相手を所有したいという欲求を放棄し、その人の感情面の自由を尊重せねばならない。
 真の愛は自由であり、強要できず、自然に湧き起こるものである。二人の結びつきは、関係を維持するための義務や努力を必要とすることなく、この自発的で自由な相互愛の感情に基づいていなければならないのだ。  

 

 


10 愛の法則から見たカップルにおける不実

2015-02-14 17:27:19 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その10


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>


エネルギーの無限性について・・・。

この物質次元においては、

エネルギー不滅の法則が成り立つ・・・。


この事は周知の事実だが、

元々、このエネルギーが何処から来るものか、

考えてみれば、明らかである。

電気が発見(発明ではない)される前、

電気が存在しなかった訳ではない。


稲妻は存在したし、

電気ウナギも存在した。

抑も、人体は電気信号で情報をやり取りしている。

生命エネルギーが機能している間は、

人体は複雑且つ、高度な生体コンピューターであることは間違いない。


それは今にして分かる話で、

電気は地球をも覆っている訳で、

プラズマ状態の電離層では、莫大な電気エネルギーが内蔵されている・・・。


それを石油を、石炭を奪い合うことで、

有限とされている洗脳が存在しているだけである。

石油も石炭も、その生成メカニズムに異論・各論があろうとしても、

元はといえば、太陽と宇宙の織り成す産物であることは間違いない。


今や、水をある特定の電磁波環境下において、

燃える水ブラウンガス(HH-O)ガスに転換できる時代である。

それは燃やすと水になる。

水そのものが無尽蔵だとしても、

さらに、水が生成され、且つ、熱エネルギーに変換するとしたら、

エネルギーは不滅の証明である。


且つ、石油も石炭も無尽蔵である。

あれほど枯渇が騒がれて、実際枯渇しないのが、その証拠であろう・・・。

 

 

【転載開始】

10 愛の法則から見たカップルにおける不実

 


愛の法則から見たカップルにおける不実

 
*カップルにおける忠実と不実についてはどうお考えですか?

 義務に対して忠実になることもできるし、愛情に対して忠実になることもできる。霊的には、愛情に対して誠実であることしか価値がない。


*それは、はっきり言うとどういうことですか? 

 パートナーとの関係で二人に愛情も類似性もない場合は、気持ちではなく、強制された約束のように、義務感から誠実であろうとする。だが、本当の愛があれば、忠実であろうとして努力しなくても、自然にそうなれるものだ。
  君たちは、司祭か判事の目前で署名をした結婚と呼ばれる契約は重視しているが、夫婦の間に愛が存在するかどうかは軽視している。だから、夫婦に愛がない場 合であっても、あらゆる婚外交渉を―そこに真の愛が存在しようとも―非難する。そして、夫婦関係における不義をとやかく言うが、霊的に存在する唯一の不実 は、感情における不実であると知らねばならない。
  別の人に恋愛感情を抱きながらもその気持ちを断念し、それが正しく善いことで天の掟と合致すると自分に言い聞かせるか、あるいは人から言いくるめられて、 生涯にわたって愛のない結婚生活を送る人もいる。そういう人は、司祭が結婚式の日に厳かに言った「神が結び合わせたものを引き離してはならない」という誓 いを守るために自己を犠牲にしたので、極めて不幸であるのだが、他人からは申し分のない道徳心とふんだんな徳を持った聖人のように見なされる。
  しかしながら霊的な視点では、愛の感情に対しての忠誠心しか霊的な価値がないので、違った見方をされる。そういった人たちは、彼らの社会規範や慣習上は、 非の打ちどころのないイメージであるが、自己の感情に対して不実であるため、霊的進化においては停滞してしまっている。そのため、霊界に戻れば無意味な自 己犠牲を払ったことに気づくだろうし、その次の転生では、今生勇気がなくてできなかったこと、つまり感情のために闘うべく、戻る必要があるのだ。
  一方、自己の感情をおざなりにし、自由に愛して幸せになろうとする人を非難することに悦びを覚え、強いられた結婚のしがらみに囚われて不幸になると満足す るような、他者の感情を抑え込んでしまう者たちは、以後の転生においては、彼ら自身が、同じように利己的な者たちの抑圧的な態度の犠牲者となろう。
  その一方で、自己の感情のために闘って愛する者のそばにいるために、無理解・屈辱・恐喝・肉体的または精神的な虐待を受け、所属する社会や共同体、そして 家族から不貞・不実・不道徳とされた人が、実は真に感情面で成長をしている人なのである。その人が、「魂の法則」の「愛の法則」と本当に調和している人で あり、物質界で苦労して獲得した真の幸福を、霊界で味わうことができる人なのである。霊界に行けば、もう何の障害もなく、感情を自由に表現できるからだ。


*まだ理解できません。例で示していただけると、よりはっきりすると思います。

 よかろう。愛していない男性と結婚しているある女性が、別の男性と愛し合っていて、その人と一緒になりたいと思っているとしてみよう。
  そして二人の男性が共に―この場合は夫と愛人ということになるが―、その女性に性関係を求めているとする。この場合、君たちの世界の貞操の観念では、愛人 と性関係を持つことは、夫に不貞を働くことになるので、悪いことだとされる。だが、夫とは性関係を持ち愛人とは持たないという反対の決断をすれば、彼女が 愛しているのは愛人であり夫ではないので、自分の感情に対して不実であることになってしまう。


*さっぱりわかりません。それなら、婚外関係を持つのはいいことなのですか?

  思っている以上にわかっている筈だ。だが、疑問が残らないように説明しておこう。霊的には、地上の契約には人間が付与する効力以上の拘束力はないのだ。つ まり、婚姻契約の履行のために―いかなる他の理由であろうと―誰かを愛するように強要されることも、その人への忠誠を強制されることもないのだ。
  実際には存在しない愛情があるふりをして、相手を騙すことが間違いなのだ。自分の気持ちに正直になって、その通りに行動するのが公正だろう。先の例におい ては、妻は夫を愛していないのだからそれを夫に説明して、隠すことなく愛する人と心の通う関係を築くために、愛のない関係に終止符を打つのが、理にかなっ ているだろう。
 一緒に婚姻届を出した相手やパートナーになる約束をした相手に恋愛感情がないことを知りつつ、便宜や必要上、または罪悪感や世間の反応を怖れるがために、関係を維持している人もいる。そのことについては、もう充分話したであろう。
  一方、誰を愛しているかを自覚しながらも、怖いのか楽だからか、愛する者と一緒になるために闘わず、苦しまずに済むようにその想いを抑圧して否定する方を 選び、現世的に快適な関係に甘んじている者もいる。だが、そうしても、類魂との相愛という本質的な要素が欠けているので、充足できないのである。世間体を 繕った生活をしているが、内面は虚しく、苦悩を押し殺している。
 自分の気持ちに正直になって、心の想いを反映させた人生を生きることだ。そうすれば、不毛な苦しみを避けることができる。愛の感情のために闘う勇気を持つのだ。それが唯一、努力し甲斐のあることだ。


*でも、自分の気持ちのために闘おうとしても、事情があってその目的を遂げることが不可能だということがありませんか? 先ほどの例だと、もし夫が別れることに承知しなくて、関係の維持を妻に強いたらどうなるのですか? 
 実際のところ、男性側が関係を断つことを認めないために、元夫や元パートナーに殺害されてしまう女性がいますよ。あるいは、自国の法律で離婚が禁じられていて、夫を捨てた妻に死罪が言い渡される場合などはどうしますか? そういう女性にはどんな選択肢があるのでしょう?

 確かに多くの困難に直面することだろう。それは、残念ながら君たちの世界では、特に弱者の感情面での自由が、全くと言っていいほど尊重されていないからである。
  だが過去の時代と比べれば、感情における自由はもっと大事にされるようになり、今では多くの国々の法律でも権利として採択されている。西洋諸国において は、離婚は権利として法律で認められており、性暴力から守ってくれる法規もある。それ以外の国々では、確かに我慢のならない状況で、まだまだ改善する余地 があるがね。
 しかし、全世界を敵に回そうとも、闘う価値はあると言っておこう。
 愛の感情のために奮闘することは、霊的進化と幸福の基盤となるので、そ れに勝る動機は存在しないのである。愛のために闘うことを決意した者は、愛する類魂に再会する時に、至福という一番大きな報酬を得て、思う存分、愛を感じ 味わうことができるのだ。人間の利己的な足かせのせいで、その試みにおいて肉体の命を失ってしまったとしても、またそのために物質界で成就できなかったと しても、今生で蒔いた種は霊界で褒美として刈り取ることができると確信すべきである。
 反対に、自分の感情を抑圧して否定して、そのための努力をせず、我慢して愛のない関係を保つことを自分に課した者は、勇気がなかったことですでに苦しんでいるが、今後の転生では、今生でペンディングとなった課題を克服しに戻らなければならない。