飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

確かに、大いに変化の兆しがある・・・!

2015-02-26 14:04:01 | ベンジャミン・フルフォード

"国家非常事態対策委員会 2015 0219"である!
何とも目まぐるしい変化の兆し・・・
CIAもそうだが、
国土安全保安省(米国)の資金凍結など、
一体、何が起こっているのか?

 

確定的なものは、何も得られていないが、

情報だけは仕入れている。

その意味するところは想像するしかないが、

矢継ぎ早のテロ警告や、災害の予兆などは、警告する側の焦りとみられる。

 

自信ある態度ではない。

言ってみれば、脅迫、強要の意図がある者の態度である。

受けて立つ側からすれば、

やるなら黙って実行すれば良いものをと感じてしまう。

そこまでの確定的効果は未知数なのであるから、

やるぞやるぞと吹聴しているものと考えてよさそうである。

 

確かにHAARPや気象兵器は、多用されているようである。

そうとしか考えられないような気象改変がある。

とはいえ、限定的だ。

 

アメリカ東部の大寒波は例年だが、カルフォルニア沖の寒気団は、異常であるし、

寒気団の中の温暖気はまことに不思議だ。

それと同じようなことが、日本でも引き起こされるだろうと予感される。

これからそのイベントが始まりそうである。

 

 

この表紙の画像なども、意味深だが、

イルミナティーのいつものこけおどしの手口だろう。

アリスが突っ立っているところなど、恰も、洗脳図であるところの不思議の国そのものだ。

 

はっきり言えることは、

こうしてオンパレードしている面々は、

俺達(NWO)のコントロール下にあると言いたいのだろうが、

世界の混沌(カオス)を演じている首謀者たることを自白している。

 

 

自白して自己顕示する図である。

一種のパラノイア(偏執狂)の自画自賛であると観た方が良い。

そんなことで、宇宙の運行を一厘だに変更できる力はない。

 

 

まあ、これまで通りのブラフ(脅し)である。

 

【NET TV ニュース.報道】"国家非常事態対策委員会 2015 0219"

 

あのCIA本部のある同じバージニア州での、

派手な列車爆発である。

何が爆発したのか分からないが、

思わせぶりな爆発である。

 

West Virginia Train Explosion Derailment Causes Massive Fire (VIDEO)

 

【転載開始】

ベンジャミン・フルフォードニュース 2015年2月 24日                                                           

http://benjaminfulford.net/

Benjamin Fulford: February 24, 2015

CIA put under lockdown by Pentagon to stop nuclear terror but, cabal resistance pockets still remain

Posted by benjamin

 

午年は先週のかつて見られたことがないバージニア州ラングレーにあるCIA本部のペンタゴンによる閉鎖という大事件と共に過ぎ去った。CIAに 対する奇襲は”何よりもまず”シオナチによる悪の三個の核爆弾のウクライナへの配備を防止するものだとはペンタゴンのソースの言うことである。さらに、ス ターリングラード(現在のヴォルゴグラード)に向けられた核兵器は、ロシア軍によって押収されたと、このソースが言っている。

 

CIAの西バージニア本部近くの空港そばで先週爆発があった。USのメディアニュースではこの爆発は”列車の脱線事故”によるものとのことだが、この地方の住民が言うにはこれは核爆発だとのことである。詳細は下記。

http://www.cnn.com/videos/us/2015/02/16/tsr-west-virginia-train-derailment-explosion.cnn

 

これについては、CIAでの奇襲から逃れようとした誰かが悲惨な死に至ったと推測するしかない。

 

CIAでのこの奇襲はアシュトン・カーターが新しい米国の国防省としての宣誓の直後に起きた。カーターはバラク・オバマではなく副大統領のジョー・バイデンの立ち会いで宣誓したとはまだ誰も知らない。

 

このペンタゴンのCIAに対する奇襲は2月17日の支払い期限後でも破産を回避して政府をワシントンD.C.で維持するための条件だった、とは中国とヨーロッパのソースからの情報である。テロリストブッシュ/ナチのCIA分派に対するペンタゴンの動きに対応して、米国西海岸の船積み、運送機能の停止も今終了するに至った、とこのソースは言っている。

 

ヨーロッパと中国のソースは又200か国が新金融システムと世界平和に関する合意に至ったと言っている。ドイツとフランスは自分たちの連合と一緒になってBRICS連合に参加した、とこれら両国のソースは言っている。

 

ギリシャとドイツは暫定的に未払い債務の戦いを延長し、アンジャラ・メルケルは3月始めに予定されていた日本への訪問を延期した。彼女はメシェル・オバマと同時に日本に来る予定だった。

 

ヨーロッパと中国のソースによると、世界平和と繁栄に対する今の障害は、米国東海岸のシオナチ及びロンドンとヴァチカンの分派である。

 

イタリアに於ける世界平和への反対勢力はシオナチISISイタリア派と共に協力しているンドランゲタ・マフィオシからなる古いグラディオネットワークに依拠している、とイタリアのP2フリーメーソン分派のMI5ソースは言う。

 

英国では、問題 はエヴェリン・ド・ロスチャイルドとジェレミー・ヘイウッド、デーヴィッド・キャメロン、及びトニー・ブレアのような彼の召使いだ、とはMI5のソースの 言うことである。英国内部では、この分派に反対する動きがある。(下院の情報サービスを管理している強力な委員会である)国防及び安全保障委員会議長の サー・マルコム・リックカインドMP(前外相)は、彼のサービスと引き替えに現金を手渡すというデイリー・テレグラフによるおとり捜査で逮捕された。リフ キンはロシアに対して戦争のドラムを鳴らし続けてきたシオナチの英国分派の一部である。

http://www.telegraph.co.uk/news/politics/11429144/Cash-for-access-scandal-the-reaction.-Live.html?frame=3208834

 

米国では、シオナチ支配の部門である国内安全保障省は2月以降、資金の目処が立っていない。そこで、今回はソマリアのテロリストによる米国とカナダのショッピングモールに対する脅威のテロ攻撃である。

 

この作戦は前英国首相のトニーブレアが指揮したものだとはMI5のソースが言って いることである。”最近の印では、トニー・ブレア(現在セルビアのベルグラードにいる)が通常の容疑者を使ってのロンドン攻撃の背後にいる。”グノーシス 派のイルミナティのグランドマスターである、アレクサンダー・ロマノフが嵌められ、或いは少なくとも巻き込まれている。”

 

アレクサンダー・ロマノフは先週当記者の家に現れ、そこ いら中を打ち壊し、傷つけた。彼が言うには、彼を逮捕し、精神病院に送り込もうとした20人以上の警察官から逃れるために一晩以上を費やしたと。彼は今安 全だが、コンピューターは破壊され、しばらくの間は身を低くしているだろう。

 

ロマノフによると、ロシア大統領のウラジミル・プーチンが日本に対する311の核 と津波のテロ攻撃の背後にいる真の親分である、と。しかし、プーチンのこれに対する動機を見付けるのは難しく、我々自身の調査結果では直接トニー・ブレ ア、ブッシュ、ロスチャイルド、及び他のカバールファミリーがやったことである。

 

日本に311どころではないもっと大きいテロ攻撃を仕掛けるという脅威もあった。最近私の講演会に来た人達が言うには、雑誌”エコノミスト”の新年のオカルト的表紙は日本に対する脅しだったとのことである。

 

その疑わしい者、私にいわせるとロスチャイルドのエージェントが言うには、この表紙の下部右側には数字115と113が書かれていて、これは新たな日本に対する攻撃が5月11日に行われるということを意味する、とのことである。この表紙は、下記のサイトに見られる。

http://vigilantcitizen.com/vigilantreport/economist-2015-cover-filled-cryptic-symbols-dire-predictions/

 

この同じエージェントは又、日本の地図から近畿地方を除 去すると日本のフリーメースン本部が示されると言った。雑誌エコノミストはキャドベリー、ロスチャイルド、シュローダー、アグネリ、及びその他のカバール ファミリーが所有している。彼らはあらゆる新しい暴虐を起こすのである。

 

マイケル・ヴァン・デ・メア、すなわちマイケル・メリン グは当記者に2万人の無垢の人達を殺害した日本に対する311の津波と核テロ攻撃はロスチャイルドが新しいアジア金融本部を設置しようとしていた北朝鮮に 東京の人口の内4千万人を強制的に移住させるのが目的だった、と言った。これは失敗に終わり、今ではどのファミリーがこの事件その他の恐ろしいテロ攻撃の 背後にいるかが分かっている。彼らには大阪攻撃は許されない。

 

日本に対する311攻撃を支援した北朝鮮分派は既にパー ジされた。カバールの日本に於ける影響は今では非常に小さくなっているので、カバールの手先である、腐敗したサイモン・ウイーゼンタールセンターのラビ・ アブラハム・クーパーは、当記者のところにモサドのエージェントを送り込んできて、ラビが多くのリストの内、”唯一の捨てられた者”なのだから、投獄され ないようにして欲しいと言ってきた。事実はクーパーは贈賄をし、殺人を犯し、(少なくとも)ブラックメールを送りつけてきたので、多くの仲間と共に監獄送りされるのが当然なのだ。

 

中国ではカバールとの繋がりがある大金持ちをこの世界か ら排除しようとの活発な作戦が行われていることに注目すべきである。中国日報によると、最近、76人の中国の大金持ちが不自然な死を遂げた。これらの内、 17名は自殺し、16人は殺害され、8名は事故死し、16名は処刑され、19名は病死(平均年齢48歳で)した。残る大金持ちは152名である。

 

中国政府のソースが言うには、これは毛派のパージの一部 である。毛総統は中国に於ける主要なカバールのエージェントだった。シオナチブッシュ及びその他のシオナチ分派ファミリーとの繋がりがある全ての中国の影 響ある者たちは、このパージの目標になっている、とこのソースは言っている。この理由から、シオナチカバールはアジアでは真に目の覚めるようなテロ攻撃を 仕掛ける事は出来そうにない。

 

彼らはナイロビのウエストフィールドショッピングセン ターでの最近のテロ攻撃を起こした、テログループ、”アル・シャバーブ”を使って西側のショッピングモールに脅威を与えるだけの規模に縮小している。この ウエストフィールドショッピングセンターはワールドトレードセンターの911で有名なラリー・シルバースタインと緊密な関係にあるオーストラリアユダヤで あるフランク・ロウイーが所有している。シルバースタインとロウイーは911とウエストフィールド事件後の”テロリスト保険”で財をなした。

 

今はこのアル・”シャム”バーブはこれもロウイーが所有するロンドンのウエストフィールドショッピングセンターを狙っている。彼らが脅しているその他のモールはイランユダヤのカナダに於けるゲルメツィアンファミリーが所有するモールオブアメリカである。

http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/terrorism-in-the-uk/11428309/Al-Shabaab-calls-for-attacks-on-Oxford-Street-and-Westfield-centres-in-new-terror-threat.html

 

言うまでもないことだが、ショッピングモールは経済不況からとオンライン販売化からの競争激化で所有者の観点からは”テロリスト”保険詐欺の大きいチャンスなのだ。

 

そしてもちろん、新たなテロ攻撃は国内安全保障省のシオナチ部門への資金投与継続の良い言い訳になるのだ。

 

多いずれにしても、アジアの多くの部分では今週は休みなので、今のところイベントはあまり起こりそうには無い。

 

三月にはカバールの背骨を一気に断ち切る作戦が進行中であり、それが実現する公算が強い。羊年は資金取りもどしの時、羊たちに対する正義の時なのだ。【転載終了】


27 愛の法則から見た十戒 9

2015-02-26 12:31:07 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その27


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>


現代の経済社会の淵源に潜む問題点を鋭く指摘!

資本主義に巧妙に仕組まれた、

貨幣経済システムの罠を見抜いている。


資本主義であれ、

社会主義であれ、

搾取が巧妙に仕組まれているなら、

それは戒律を大きく逸脱する。


それは貨幣を造幣する権利が、

権力者に委ねられているからだ。

無からマネーが作り出され、

実体経済に貸し付けられ、生産が行われる。

それは良いが、

やがて操作され、

いきなりマネーが止められ、金利が上昇する。


貸付金の回収と称して、

多くの生産富が収奪されるのである。

これは巧妙に仕組まれた、『盗み』だという。

全く同感である。


【転載開始】

27 愛の法則から見た十戒 9

 
*次の戒律は、「盗んではならない」です。

  そう、人は通常、盗むということを、誰かからその人に属する物的な所有物を無断で取り上げる行為である、窃盗のことだと考える。そのため、スリや、銀行や宝石店などの店舗を襲う強盗などのことを泥棒だと見なしている。
  しかし、ペテン、詐欺、恐喝などで、労働者からその報酬に見合う賃金を取り上げて私腹を肥やす者や、人の損害、苦しみ、欠乏などの犠牲の上に権力や富を貯える者は、司法によってその罪が暴かれることがなくても、実は最たる泥棒なのだと言っておこう。
  したがって、「盗んではならない」という第7戒律は、「偽りの証言をしたり嘘をついてはならない」という第8戒と「人の財産を欲してはならない」という第 10戒と共にまとめられる。このどれもに、自己のエゴを満たすために人に損害を与えるという意図があるからだ。そう考えてみると、これらの三つの戒律を一 本化して、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という助言にすることができる。

 最 も物的なエゴの形態は、強欲、貪欲、野心である。これらのエゴは、他の人に及ぼす弊害には目もくれずに、自己の富と権力の貯財に夢中にならせる主犯であ る。だが、人間関係のテーマで扱った、執着、嫉妬心、憎悪、憤怒、独占欲、恨み、無念などのエゴ的感情のように、物質主義的ではない他のエゴの形態も、他 者を傷つけるものだ。

*他の人に損害を与えずにお金持ちになった場合でも、霊的な負債を背負ったり、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という最大律を侵してしまうことになりますか?
 掟を破ってはいないが、進化した魂ならば、富を欲することもないし、金持ちになろうと時間や労力を無駄遣いすることもないので、大きな進歩を遂げてもいない。進化した魂は、そのような状況には全く惹かれないのだ。
  人に直接的な損害を与えなくても、自由になる物的な富と権力を隣人の支援に使わずに、自分の物欲を満たすためだけに使うなら、成せたであろう多くの善を施 さなかったことになるので、他者を助ける好機を無駄にして、自分自身も愛において進歩するチャンスを逃したことになる。ある魂が、公益に役立てるように物 的な富を望みながら転生しても、生まれた後でそれを自分のエゴのために使ってしまえば、そのミッションは失敗なのだ。
  いずれにせよ、君たちの世界では、財産を相続するとか宝くじに当たるとかでもしない限り、誰にも損害を与えずに金持ちになることは難しい。君たちの経済や 商業のやり方は、最も強い者の理論に支配されているので、そのような好戦的なシステムにおいては、それに毒されずに、善人が成功するのは至難の業だ。


明確に言うと、どういうことでしょうか?

  君たちが資本主義と呼ぶ、地上に君臨する経済システムは、人間のエゴから生まれた制度であり、この戒律とは始終一貫して矛盾しているということだ。なぜな ら、それは人間の権利を全く考慮することなく、止めの効かない法外な富の蓄積を追い求め、それを認めているからである。

* 僕は経済のことはよくわかりませんが、マクロ経済の指標が多過ぎて、国際経済を推進しているものを理解することは、とても困難な気がします。多くの格差や 不正、貧困が蔓延していて、それが益々ひどくなっているように見えますし、今日のような経済危機の時代にはそれが悪化しています。この現状では、人類のよ り良い未来を垣間見ることは難しく思えますが、どうしたらいいのかもわかりません。
  本当は見かけよりもシンプルだ。全体がとても複雑で、物事がそうなっているのは誰のせいでもないと思わせているのは、君たちに解決策がわからないようにして、責任者を追及できないようにするためだ。
 
  現在の世界の経済システムは、ピラミッド型組織の大企業のようだ。そ れは、利子が増大してゆく巧妙な貸付制度に基づいており、利潤を得る仲買人の手を得るたびに利子が増える仕組みになっている。そして、一番最後に貸付をせ ずにお金を借りるだけの者は、借金とその利子とを自分自身の仕事と生産品で返さねばならないので、押しつぶされることになる。このような人が、ピラミッド の底辺にいる大多数なのだが、このシステムは彼らの労力で維持されている。
  残りの者は、何であろうと安く買って高く売ることで儲ける投機市場を創り上げ、高利貸しと投機で生きている。ここで売買される商品の中には、農産物、畜産 物、海産物、鉱物や工業製品のような現物もあるが、他のものは株式、証券、投資信託など、「金融商品」と呼ばれる架空の産物である。
  実際には、現状の物事はごく単純である。少数の者が貨幣を造幣する権利を独占してしまっているのだ。つまり、お金を造る機械を持っている、ということだ。 ただ同然でお金を生み出すことができ、他の人たちにはそれに利子をつけて貸し出しているので、皆が彼らに借金を負ってしまう。彼らは、安く買い占めて高く 売りさばく特権的な情報を常に持っているので、自分たちが創り上げた市場を操作して、皆を思惑通りに動かすことが、このシステムでは可能なのだ。

*このことは、経済危機と関係しますか?
  その通り。経済危機というものは、偶然に起こるものではなく、ピラミッドの頂点から誘発されるものだ。手始めに、多くの人の借金が増えるように、低利子で お金を貸してあげるのだ。ピラミッドの下層にいる人たちには、数段階の仲買人を経た後に、より高利でこの貸付金が回ってくるが、このお金を使って商売をし たり財産を購入したりするので、経済が活性化して消費が増える。
  これがいわゆる好景気に当たる。この時期は、表面的には裕福であるが、すべてが借金で成り立っていて、それに利子をつけて返済しなければならないので、上辺だけのことである。
  上層部の漁師たちは、沢山の魚が餌に食らいついた―つまり、多くの人が借金を背負った―のを見届けると、釣り糸を引き上げて、獲物を収穫する。これは、あ る時期に財布のひもを締めて、貸付金の流れを止めてしまうという意味だ。すると、資金が不足する。借り入れをするためには、ずっと高い利子を支払わねばな らなくなり、それまでに許与されていた貸付金の利子も高額になる。
  何もかもが、経済活動の妨げとなる。負債者は借金を返済できなくなり、財産を没収されてしまう。国民の生活レベルは顕著に悪化するが、一方で、それまでに 貯えられた富はこのシステムを牛耳る者たちの手に渡る。こうして金持ちは益々金持ちになり、貧乏人はより貧乏になる。経済危機はこのようにして起こるので ある。

*これには一体、どういう解決策があるのでしょう?
  解決策は簡単なものだ。各人が自分の置かれた立場で、エゴを、つまり貪欲と強欲とを放棄し、分かち合うように努めるのだ。他者を自分自身のように見て、そ の人の幸福も自分のもののように気にかけてあげることだ。皆がこの一歩を踏み出すならば、世界は瞬く間に変わるだろう。
  現状の経済システムが保たれているのは、人間の強欲や貪欲、野心がふんだんで、愛や寛容が乏しいからだ。ほとんどの人が分かち合おうとしない。多くを所有 する者は、自分が持っているもので満足しない。自分の豊かさを持たざる者と分かち合おうとはせず、他の人びとを犠牲にしてでも、それ以上のお金と権力と を、さらに手に入れることを目指す。また、大勢の持たざる者たちも、上層階級の者のように、成功して金持ちや権力者になりたいと望むので、彼らが持てる者 の立場になれたとしても、同じことしてしまう。
  それゆえ、上部の者たちを入れ替えるだけでは、不充分である。我々全員が本当は霊的な存在で、同じ霊的進化の道を歩む仲間であり、愛を体得して幸せになる という目標を共有し、そのために互いを必要とし合っていると認識できるような、人類全体に及ぶ集合的な意識改革が起こらなければならない。
  富を溜め込んでも幸福になる役には立たないが、生きるために必要なものがなければ苦しむことになる、と気づくことが肝心だ。こうして、豊かにある物を分け 合えば誰も損はしないし、皆が恩恵を受け取ることになる。だが繰り返しになるが、そのためには富の蓄積を放棄し、分かち合おうとしなければならない。


*素晴らしい展望ですが、まるで夢物語です。もっと具体的な対策があるべきだと思います。

  対策の処方箋を望んでいるとしても、そんなものは存在しない。エゴを放棄して分かち合いで兄弟愛に努めようとする、人間の意志と善意次第だからだ。そうい う協力精神がない限り、すべての努力は水の泡だ。愛に基づく社会変革を実現したいと大多数の人たちが願い、それが根付くように精力的に協力してくれねばな らない。強制によってや、全般的な協調がないならば、何も成し得ないからだ。
  指導者には、霊的に高度の許容力を持つ人たちを選ぶ必要がある。愛に満ち、謙虚で、寛大で、貪欲・強欲・野心を一切持たず、状況を把握していて、公共の 益・社会の正義・富の公平分配を促進する方策を採る用意がある人たちだ。そういう人たちならば、その場その場で、するべきことがわかるであろう。
  大至急すべきことの一つに、高利貸しと投機で成り立つこの経済システムを解体し、利己的な手口が世界に再臨しないように見張って防いでくれる、正義感のある公平な法を制定することがある。したがって、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という戒律は、「公共の益・社会の正義・富の公平分配を促進せよ」で補完されることになる。

 


26 愛の法則から見た十戒 8

2015-02-26 11:32:44 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その26


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>

 

 

戒律について、

これ程現状に照らして、

解説した情報はこれまでにないだろう。

言わば、真理のディスクロージャーだ・・・。


全て真理は、適材適所に下される。

それは魂の進化を育むための愛の法則だ。

杓子定規に解釈して、

自らを縛ったりしてはならないものだ。


ましてや、

時の権力の知と意により、

大きく曲げられたという事実には驚かされる。

又、

時の流れは、

魂の進化の足跡でもある。

まだまだ、道半ば、端緒に就いたばかりかもしれないが、

確実に歩んでいるのである。


旧来の陋習に捉われず、目を見開き、

新たな眼差しが常に必要とされる。


【転載開始】

26 愛の法則から見た十戒 8

 
*第六番目の戒律は、「不純な行為をしてはならない」です。

 これも、時代と共に変化してきた戒律だ。カトリックやキリスト教の申命記の訳では、「姦淫してはならない」とある。

*どちらが正しいものなのですか?
 どちらも正しくはない。申命記に記載されているヘブライ語の十戒を見てみれば、この戒の最初の訳は「姦淫してはならない」ではなく、「売春してはならない」であると気づくだろうが、それは「望まない性行為を誰にも強いてはならない」というに等しい。
 取り決めによる結婚も、この戒律の及ぶ範囲だ。伴侶の一方に―通常は女性になるが―望まない性関係を持つことを義務付けるからだ。つまりこの戒は、婚姻関係があろうがなかろうが人に望まない性行為を強いてはならない、という意味である。
 この時代の女性や子どもの権利(特に子どもの)は無に等しく、彼らは、家畜に毛が生えたも同然の扱いを受けていた。
  女性は、特に最下層に属していれば、いたいけな幼少期から商品とされ、奴隷や娼婦として売買されて、お金を払うことができた者たちの低俗な本能をみたす道 具とされた。女性が誘拐されたり強姦されることなど、日常茶飯事だった。戦時には、たびたび戦利品とされて、兵士に強姦されたあげく、娼婦や奴隷にさせら れた。
  取り決め婚も日常的で、家族でさえも自分たちの娘をお金や権力がある人と結婚させることができると、いい取引をしたと思っていた。親の利益のために、少女 が大人や老人と結婚させられたり、男児と女児同士の結婚も頻繁であった。子どもたちがまだ小さい頃や生まれる以前に、親同士の決断で婚姻が取り決められて いたので、結婚の90%以上には、弱い方の伴侶の意志が反映されていなかったと言える。
 権力者や野心家は、より一層の富や権力を貯えるためや領地拡大の手段として、あるいは単なる気紛れから好き勝手な人を性的に所有できるように、婚姻を利用した。一夫多妻は普通のことで、富と権力の象徴であり、良いことと思われていた。
  これほどまでの搾取と屈辱を忍従させられていた、女性や少女たちの苦しみを想像してみてほしい。この戒律は、そのような搾取のすべてに歯止めをかけようと したものだ。それなのに、ここでもまた人間のエゴが、犠牲者を刑吏に、刑吏を犠牲者にすり変えてしまった。なぜなら、すぐに罰せられるのは売春を強いられ た女性たちとなり、売春を担ってこの掟に背いた、娼婦斡旋者、レイプ犯、強引に夫となった者、あるいは娘を売って商売した親などは、お咎めなしとなったの だ。

*この戒律を変えようとした動機は何でしょう? つまり、いつ、どうして、「売春してはならない」が「姦淫してはならない」になったのでしょうか。

 権 力者が堂々とレイプや売春をしていれば、「売春してはならない」という戒律に違反していることが明白になる。政略結婚も一夫多妻制度も、代わりに妻や妾た ちを扶養しなければならなかったものの、権力者にだけ許される人目を欺く売春や強姦の一種であった。実際のところ、この慣習はモーゼが生まれるずっと以前 から、広く行き渡っていたのである。
  モーゼはそのような搾取の実態を知り、大変な憤りを覚えたので、聖なる助言を拠り所にして、その廃止を法令化しようとした。彼の生存中は、最も目にあまる 乱用行為を止めることができたが、彼の死後は、支配者たちが彼らの都合のいいように、この戒律を解釈し始めたのだ。だが、戒律自体を変えてしまう度胸はな かったので、元の意味が曖昧になる新たな法律を発案して、それを付け足した。
  始めに、政略結婚や一夫多妻制や妾を囲うことが神の意に叶うことだというイメージ作りをし、結婚はそれ自体が聖なる制度であるとした。次に、不用となった 妻たちの扶養義務から逃れるために離縁制度を考案し、この戒律自体の解釈を変え、売春していたのだと告発して、離婚を女性のせいにした。
 中には本当に、恋愛感情を抱く別の男性と性関係のある女性もいたが、それは、無理やり権力者の妻にされていたために、公にその人とつき合うことがならず、人目を忍ぶ恋をしていたからである。
 また他の女性たちは、離縁によって社会から完全に閉め出されてしまい、身売りをして生き延びるしか術がなく、虚偽の罪状を現実のものとして認める羽目になってしまったのだった。

 カトリック教会はさらに大胆で、最終的にこの戒律を改ざんしてしまい、配偶者を選ぶ自由は無視して、婚姻制度を最も重要なものとした。のちの時代の権力者たちも、エゴを満たす武器として政略結婚を利用し続けており、それを放棄する気がなかったからである。
  そのために不義密通という概念を導入し、掟の再定義に利用したので、この戒律は「姦淫してはならない」に変わり、婚外交渉を持つ配偶者を罰することが可能 になった。だが、カトリック教の社会もユダヤ教のように男尊女卑が根強いので、実際に姦淫罪で有罪とされたのは女性だけで、男性は咎められることなく依然 として二重生活を送っていた。


*お話にもかかわらず、最も信仰心の篤いとされる社会では、今でも取り決め婚は正常で神が喜ぶと見なされている、一般的な習慣です。これについて話されたいことはありますか?

  取り決め婚は、外見上「潔白」に見せかけているが、実は制度化された蹂躙形態である。この点に関して疑義が生じないように補足をすると、取り決め婚は、自 分が選んでもいない相手と暮らして性関係を持つことを強要されるので、霊的な観点からは、自由意志の甚だしい侵害であり、人の感情を極度に屈折させるもの である。
 しかも、言うことを聞かなければ神の計画に背く不純で汚い人だと思い込まされるなど、脅迫や恐喝の限りを尽くして隷従から逃れられないようにされるので、「神の名を、利己的な目的に使ってはならない」という掟にも違反することになる。

*それでは、不義密通は霊的に見て悪いことなのですか、どうなのですか?

 この件については、パートナーとの関係について話した時に幅広く扱ったが、霊的な次元では、自分の感情に誠実であるか否かが唯一の問題だと言った筈だ。それが、幸せへの鍵であるからだ。
 夫婦にお互いに男女の愛情があれば、自然に忠誠心が湧いてくるものであり、その無理強いはできない。
  世間のしきたりは、ここでは問題でないのだ。無理やり夫婦にされれば、強要された伴侶とセックスすることを嫌悪して、間違いなく大反発するだろうし、自分 で選んだ人と交際して性関係を持ちたいと願うに決まっている。また、自分で決めた関係であっても、愛情がなければ不満を覚え、性欲が減退しセックスを拒否 するかもしれず、別の関係で満たされない思いを埋めようとするだろう。
 このようなケースでは、不義または密通と呼ばれるものは、夫婦間に男女の愛がないことを反映している。そのような夫婦は、我慢しているか、愛のない関係を強いられているかで、家庭の中に見出せない愛を外に求めているのだ。
 ラテン語源学上では、「不義密通」という言葉[adulterio]は、物の品質や純正さを異物を混ぜて変化させてしまうことや、真実を偽ったり改ざんすることを指す「偽造する」という語[adulterar]から派生している。
  これらの意味を知ることで、不義密通という言葉の霊的な定義がわかりやすくなる。不純な関係とは、二人が外見的には愛情があるふりをして一緒になっておき ながら、本当はそうでない場合である。つまり、愛のないカップルの結びつきは、演出された偽りのものであり純粋ではない、ということだ。
 パートナーとの関係が相互の愛の感情と類似性に基づいていれば、霊的な定義においても現世的な意味においても、不義密通は存在しなくなる。愛する者と一緒にいれば、性関係も真に満たされたものとなるので、性欲を満たすために別の関係を求めようとしなくなるからだ。
 だが、これが実現するためには、感情においての自由がなければならない。よって、人間がこのことを理解できるまでに進歩した今日においては、この「売春してはならない」という戒律は、「感情の自由を尊重せよ」に 置き換えられると言っておきたい。別の言い方をすると、すべての人は、誰とカップルになりたいか、またはなりたくないかを、性的な関係を持つことも含め て、自由に選ぶ権利があり、何者もこの権利を侵してはならないということだ。それゆえ、誰も、望まない相手と一緒になることを強要されはしないし、嫌な関 係をずっと続けるように強いられることもない。

*教会で褒め称えられている婚姻非解消主義はどういう位置づけとなりますか?

 前にも言っただろうに。署名入りの結婚契約書の有無にかかわらず、確固とした愛情がある場合には、夫婦の関係は自然に続いていくのだ。継続を強制することは、自由意志の侵害になってしまうので、してはならない。
  婚姻の不解消は神聖な法律ではなく、人間が考案したもので、モーゼもイエスも関係ない。事実、これは、イエスが地上にやって来てから千年以上も経って、導 入された規則である。歴史を復習してみるがいい。キリスト教徒のローマ皇帝が支配していた間はずっと、離婚は合法であった。キリスト教徒の皇帝の時代の民 法では、離婚後に再婚することを認めていたのだ。ローマ帝国が解体して誕生した国家も全部が、離婚を有効としていた。
 キリスト教国家で婚姻非解消主義を推進したのは、法王グレゴリオ9世(在位: 1227‐1241)である。彼は、当時の皇帝や王族と敵対していたために、彼らが頻繁に妻を取り替えているのを見て、法令を出したのだ。

*それでは、離婚しても天の法則に違反することにならないのですか?
 
 もちろんだ。その反対に、自由意志の行使と感情における自由を選択できるので、良いことだ。先にも言ったが、望まない関係を続けるように強要される者は一人もいない。それに霊界は、人間の自由意志や感情の自由の妨害などしやしない。

*離婚が増えているのは、夫婦間の愛情が減ってきているからだと解釈する人がいますが、そうなのでしょうか?

 いや、そうではなく、もっと自由に関係を切れるようになったということで、満たされない関係を終わらせることに、心の咎めを感じなくなったことの反映である。
  以前の方が離婚が少なかったとしても、関係が良好であったからでも、もっと愛があったからでもない。そうではなく、法律で離婚が認められていなかったため か、合法であっても抑圧的な教育を受けたせいで、多くの人たちが、愛がなくてもその関係を継続させねばならないと感じていたからである。

*「売春してはいけない」という戒律の話のついでに、霊的な視点からは売春をどう見ているのか、ご意見いただけますか?

 売春は、感情の発達の成長が乏しいことを反映している。進化した魂ならば、愛のない性関係など理解できない。また、二人の合意がない場合は、なおのこと受け容れがたい。
 売春で性欲を満たそうとする者は、感情が貧しく、愛の感情や感受性よりも本能に支配されている。

*でも売春はどのように法令化すればいいのでしょうか? 合法化すべきでしょうか、禁止するべきでしょうか?
 
 未成年が関係するものは、全部禁止すべきである。斡旋業者も客も―このケースでは小児性愛者になるが―追及されるべきで、未成年者は二度とそのような搾取をされないように保護されなければならない。
  成人の売春に関しては、強制されたものを禁ずるべきである。つまり、売春をする者が、そうするように何らかの方法で、強要されたり圧力をかけられる場合で ある。これは自由意志の侵害となるので、司法は売春を強いた者を追及すべきであるが、強制的に身売りさせられていることを客が知っていた場合は、客も同様 に処罰されるべきである。そして、それ以上の痛手を受けないように、身売りさせられていた者を保護しなくてはならない。
 誰も経済的な理由から売春をせずに済むように、政府も、経済的な糧のない人たちを支えようとすべきである。他の選択肢がなくどうしようもないので、自分や家族の食い扶持を稼ぐための最終手段として売春に訴える者がいるが、そういう売春では、社会そのものが共犯者なのだ。
  しかし、家族を扶養する必要もなく、充分な自己決定能力がある人が、自発的に身体を売ることを自分自身で決意した場合には、それを禁ずることはできない。 このような決断自体が、当人の内面の乏しさを映し出しているとはいえ、その人は自分の意志でそうするのであり、客がそれを強要して犯罪に加担したわけでも ないので、この場合は自由意志の侵害の対象とはならない。
  また、売春を完全に禁止しても、かなり原始的な性本能を満たす需要が多く、自由意志を尊重できない君たちの世界の現状では、それを根絶することはできない とつけ加えておこう。むしろ、その結果、強姦や性的虐待のケースが増えて、売春も秘密裡に行われることだろう。よく考えてみれば、君たちの社会で自ら売春 に従事する人たちは、多くの強姦や性的虐待を防いでくれている。それがなければ力づくで性欲を満たそうとする、進化の遅れた大勢の魂の低級な本能を、自分 から進んで満たしてくれているからだ。
  それゆえ、君たちの世界では、強制的には売春を排除できないだろう。そうすることによってではなく、人類が感性を充分に発達させて、性欲が生物的な本能を 満たすものから、男女の愛の想いを表現するものに変わった時に、売春は自然となくなるだろう。そして、これを達成するためには、人間が感情と性的な面で、 自由を獲得していることが外せない。そうなれば、性的な関係も自然なものになり、それが商売や搾取の目的に使われることもなくなるのだ。

 

 


25 愛の法則から見た十戒 7

2015-02-26 07:33:07 | 魂の法則-愛の法則-

あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
遅ればせながら、転載を開始する・・・。その25


言うまでもなく、作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。

翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。

訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、

敢えて転載する理由は、

一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。

それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。


そして、

共感する拙ブログの願いでもあるからだ。

既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、

魂の法則
ヴィセント・ギリェム
ナチュラルスピリット

是非とも、手に取ってお読み頂きたい

尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。


でも、

一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、

座右の一冊となるだろう・・・。

 

<ヨッキーくんより>


戒律は、

時代の要請に与えられた合理的な、

言わば、

法的教えであると解することが出来る。


例えば、

イスラムで一夫多妻制は、

戦乱のうち続く中東の地で、

寡婦扶養制度と観ることも可能だ。


【転載開始】

25 愛の法則から見た十戒 7

 
*今度は、五番目の戒律である「汝、殺すなかれ」について話しましょう。

 これは、議論の余地がないほど明確だ。この掟は、霊的な世界から授かった時のままの形で保たれてきた。それゆえ、他の解釈はあり得ない。
 「殺すなかれ」は殺すなかれであり、命を奪ってはならないということだ。
  知っての通り、魂は不死なので、幸いなことに人間が何をしようとも、その不死性を絶やすことはできず、せいぜい肉体の生を中断させることができるだけだ。 だが、肉体での生命は、霊界が魂に授けてくれる贈り物の一つである。肉体を持って生きている期間は、霊的な世界で魂が学んだことを実践してみせる場であ り、身体の維持に空気が必要となるように、魂にとっては欠かせないものだ。そのため生き物には、自己の存在を認識できる前から、自分や同族の命を保つプロ グラムとなる、生存本能というものがある。
 命を奪うことは、その人の進化のチャンスを絶ってしまうことであり、霊的視点からは極めて否定的なことだ。それゆえ、この戒律のように簡潔だが基本的なルールを守れない限り、地球人類が心待ちにする、進化の飛躍を遂げる準備が整ったとは見なせない。


*世界のどこを見回しても、殺人を咎めない刑法というのはあり得ないと思いますけど。

 それはそうだが、人間は、死の中でも分け隔てをしているようだ。ある命は他の命よりも重要度が高いらしく、多くの場合において、殺人を合法化している。

*それは、どういう意味ですか?
 
  平和時にある男が何人もの人を殺すと、連続殺人者ということになり、必ず裁判で有罪とされるだろう。だが、同じ男が戦時に敵側の人たちを殺すと、戦争の英 雄となり、政府から勲章を貰うだろう。しかし、この男が敵兵を殺したくないがために軍を離反するとすると、お上に捕らえられて、反逆者の罪を着せられ、処 刑にされるかもしれない。
  ある指導者が、自国の軍隊に敵国を爆弾で攻撃することを命じたとして、それで何千人もの人が死んだとしても、それは職務を遂行したということになり、死者 が軍人であれば「損失」と呼ばれ、市民であれば「付随的損害」と呼ばれる。そして、その国が戦争に勝てば、その指導者は英雄として記憶され、歴史でも名誉 ある記録をされて、街路や学校の名前は、彼の名を戴くことになる。
 また世界の多くの国々には、刑法の中に死刑があり、罪次第では「正義を行う」ためにそれが執り行われている。
  以上の結論を言うと、君たちは「殺すなかれ」という戒律を、不当な契約書の末尾に小さい文字で書かれた「殺すに値しない者を殺すなかれ。しかし殺すに値す る者を殺せば、じょうできだ。」という補足と共に、適用していることになる。そうしておけば、殺されても当然だったという口実を後から探しさえすれば、済 むからだ。人殺しをしたりそれを命じる者は皆、そうしてもいい動機があると思い込んでいるものだ。

*戦争については、どうお考えですか?
  戦争と呼ばれる集団的な殺人や殺戮は、霊的な視点から見れば、最も重い罪の一つである。無数の命が奪われるという理由だけでなく、生き残る者に与える破壊 と苦悩には、計り知れないものがある。それゆえ、戦争を煽ってはならないことも、非常に大切な霊的な助言であると伝えておこう。戦争の最高責任者たちは、 彼らが与えた損害をすべて修復するまでは、永く辛い償いを耐えねばならない。

*でも、たいていの場合、戦争に赴く人は自分がひどいことをしているとは気づかずに、祖国のためとか、自分たちのイデオロギーや宗教的な信仰を守るためなど、いいことをしていると信じ切っていますよ。
 
 それは自分を欺いているか、騙されているのだ。殺人を正当化し得るほどの理念や信仰や祖国など、何一つないからだ。
 したがって、「聖戦」というものは存在しない。そんなものは、人間が作り出したものであり、富や権力への野望を正当化するために神を利用して、狂信によって、他の人たちに仲間を殺しをさせようとするものだ。
 ゆえに、戦争を先導してはならず、戦争に参加してもならない。それを正当化できるものは、何一つとしてないのである。


*死罪についてのご意見も聞いておきたいのですが、死刑は、世界の多くの国で、重い罪を裁く妥当な方法とだと考えられています。

 死刑は、どんな事情があるにせよ、またいかなる理由があろうとも、霊的な観点からは恥ずべきもので、残虐で恐ろしく、身の毛のよだつ、おぞましいものである。
 あろうことか、最も宗教心があり神の信徒だと自認する国々が、犯罪者への罰として死刑を適用するのに一番熱心である。それを我々が、どれほど深く嘆きながら見ていることか。
 裁きの代理人たちが、法に背いた者に死刑を課して、罪人と同じレベルになるならば、どの点で殺人者よりも優れていると言えるのだろうか?
 より残酷な国家では、軽犯罪に対しても死刑が適用される。中には、霊的に見れば罪に値しないものまでが含まれる。たとえば、そこでは愛してもいない男性との結婚を強いられる女性が大多数なのに、夫に不実であると処刑されてしまう。
  一神教を奉じる三大宗教、つまり多数の国の何十億人もの信者が、この「殺すなかれ」が織り込まれた十戒を聖なるものとしている。しかし実際には、どれほど の人たちがこの掟を尊重しているだろうか? 最も信心深いと言っている者が、この掟を一番守っていないように見えるではないか。
  よくあることだが、自分の宗教の儀式や規則をすべて守り、従わない人がいると目くじらを立てる、熱心な信者を自認する者が、実は最も感性に欠け、情け容赦 がないのだ。そういう者は、人の生命や苦悩には全くお構いなく、死刑を擁護したり、自国の子どもを軍役に就かせて戦争によって他国の兄弟たちを殺すように 煽るのだが、自分たちが神に祝福されていると強く確信している。
 神の真の信奉徒でありたい者は、正義の行為に見せかけたこのおぞましい犯罪に、真っ向から反対せねばならない。死刑が正当であると思わせているのは神ではなく、自身のエゴを神の似姿に仕立てあげたい者どもの狂信によって支えられていると知るべきだ。

*人殺しをしたり、誰かや大勢の死に対して責任のある人が死んだ後は、どういう運命が待ち受けるのでしょうか?

 通常、一部の霊たちの間で「奈落」と呼ばれる、下層アストラル次元の特定の場所に拘留される。そして、自分と同じような犯罪を犯した者たちと共に、犯した罪の大小に応じて、かなり長い間そこに留まることになる。
 そのような場所で、犯した犯罪の場面を何度となく再体験させられるが、今度は犠牲者の苦悩をあたかも自分のもののように感じるので、その苦しみは最たるものだ。このような者は、お互いに苦しめ合ったりもするが、復讐に執着する進化の乏しい犠牲者の魂にもさいなまれる。
  犯した罪を自覚し後悔する兆候が見えると、より進化した魂によって「奈落」から救い出されて、救助所に運ばれ、回復の手当てを受ける。その後、自分の罪の 更正のための準備に取りかかるが、それはまず霊界で始まる。一例を挙げると、自分と同じ状況にいる者たちの救出を手がけたりする。そして、機が熟して物理 的な次元に転生すると、罪の償いに捧げる人生を送りながら、それを継続していくのだ。

*自殺について話されることはありますか?

 自殺は自分自身を殺すことに等しく、霊的には魂の成長の機会を無駄にすることになるので、否定的なことだ。それはまた、試験を欠席してしまうのと同じであるが、今回中断してしまったことは、次の転生で、再び立ち向かわねばならなくなるのだ。

*自殺者は霊的な次元で、どういう運命を辿るのですか?

  一般的には、混乱した状態で、繰り返し自分が命を絶った瞬間を思い出し、近親者の悲しみを自分のことのように感じるものだ。再体験を繰り返すうちに、自分 の取った行動がいかに無意味なものであったかを意識するに至る。自覚して後悔し始めた兆しが見えると、彼らには新しい転生が準備される。それほど時間をお かないで生まれ変わることが多く、中断してしまった人生で越えなければならなかった試練と同じものに直面することになる。

*安楽死に関してはどうですか? 治癒の可能性のない病人や末期患者の場合のように、それを擁護できるケースがありますか?

 前にも言ったと思うが、生命とは神聖なもので、死が自然にもたらされる前に中断してはならないものだ。苦しみを避けてあげたいという善意からでも、命を打ち切るという行為は、霊的視点からは良くないことだ。
  苦境にいる人たちの命を全部終わらせてしまったら、誰もこの世にいなくなってしまう、と気づかないかね? 人が直面する状況はすべて、それが遺伝性の病気 であろうと、半身不随であろうと、どれも、その魂を成長させる意味があるのだ。それらは、魂が生まれる前に選んだ試練なのだよ。
 寿命の前に命を中断させても、その人は別の機会に戻ってやり残した課題を終わらせる羽目になるので、全く助けとならない。苦痛を味わっている魂は、時折おじけて、命を断って逃げ出したいと思うことがあるが、安楽死によっては、その状況から抜け出すことはできない。

*でも末期患者の場合なら、安楽死を正当化できませんか?

 死にかけているのなら、死を早めることにどういう意味があるのかい? 自然に死なせてあげなさい。

*おそらく、苦痛を短くしてあげるためでしょう。多くの末期患者が耐え難い痛みを抱えていますから。

 ならば、痛みを緩和してあげなさい。だが、命を途絶えさせてはならない。

*では、永く昏睡状態にある場合はどうですか? その場合には安楽死を弁明できますか?

  いや、その場合でも擁護できない。人が肉体生を終え、この世を去らなければならない時には、霊界から助けが来て、なるべく早く身体から離脱できるようにし てくれる。でも肉体にまだ生命が宿っているのなら、その人生にまだ意味がある、ということだ。なぜなら、寿命が来て魂が肉体を脱ぐ瞬間が訪れたら、君たち が何をしようとも、その人の旅立ちを避けることはできないからだ。

*中絶について話しておかれることはありますか?

  このことについては前作で深く取り上げているので、ここで繰り返すのはやめておこう。犠牲となる胎児の顔を見ることもなく、その苦しみがわからないとして も、妊娠中絶が殺人であることに変わりはない。空襲を命じる者たちは犠牲者の顔を知らないが、それでその罪が軽くなるわけでないのと同じことだ。
 胎児に宿った魂は、拷問されて殺される人と同じくらい苦しむのだ。そんな苦しみを与えずに済めば、自分自身の子どもの死刑執行人となって、苦悩することもない。
 生命を尊重するのだ。生命は、進化のために与えられた非常に貴い天の恵みである。殺人、戦争、死刑、自殺、安楽死、中絶といった、どのような形であろうと、またいかなる理由があろうと、絶対に命を絶ってはならない。そうすれば、自分自身のためにも、他の人のためにも、多くの苦痛を回避できる。