雨模様の今日
ようやく全員暇になったので
叔母さんをお出かけに連れ出せた。
筑波山には雲
田んぼは田植えが済んでます
ね
高速を使うところは
勿論行きたくなく
種がほしいので
ハーブ・ハーモニーガーデンへ
ああああ
もう
二度と行きたくない
どこか
もっと
行きがいのある
ハーブガーデンを探そう!
ハーブガーデンでは写真を撮る気にもならなかった
これは我が家のばら
あれれ
アブラムシだよ
ラベンダーのアイスなどを食べたらおなかもいっぱいになってしまったので
そこから牛久に
足を伸ばした
牛久シャトーカミヤという
オーバーな名前の施設へ
前にスケッチに行ったところ
叔母さんも武蔵も行った事ないと言うので
私がご案内
富貴堂という
これまた
オーバーな名前のお食事場でお昼を頂き
構内をお散歩
ここは
ワインだの
ビールだのの場所ですが
飲まない私たちには
何の関心もなく
前に来たときは
ウサギのレバーを食べたンだった
おばさんは
思い出の中の牛久と
変貌してしまった牛久を見て
面白く
連れまわした甲斐がありました
ここらで咲いてるジャーマンアイリス
一番多いのはこの色です
私の母は71歳で亡くなったので
まだ若かったので
週三回透析器に縛られる病人だったとはいえ
亡くなるまでせっせと出歩いていました。
従姉妹たちとは頻繁に会っていたのです
富山にも良く行ったし。
富山の伯母さんとはとても仲がよかった。
遠藤の叔母さんというのが
従妹たちの母の呼び名です。
これが私の知ってるつもりの母と違うので
面白い。
従妹から見ると
伯母さんの妹的存在。
そこで
かなり自由奔放な母の姿が浮き彫りになります。
あまり周りの思惑は気にせず
例えば姪たちの前で姉妹げんかを始める。
この姉妹というのは母と母の妹(千葉の叔母さん)
喧嘩の内容は分かります
母の考え方はわかるので
ただ
姪の目の前でもヅカツカ言いたいことを言う
姪たちの少し困惑
そして母が亡くなったときの
千葉の叔母さんが受けた衝撃
と聞くと
私の知らなかった母が立ち現れてくるのです。
富山の伯母さんから見ると
東京にお嫁に行った自分の娘三人を
いつも気にかけていてそう即座に会いには行かれない
とりわけ母と同じ腎臓病をわずらってる長女が心配。
それで
せっせと姪を見て歩いていたと思ってました。
実際具合の悪くなった従姉の様子を見に行ってきて!
と
電話があったことも何回かありました。
私の従妹達からは
それは見えてない
自分の母親は商売が忙しくて
子供のことはそうは構っちゃいられなかった
という印象が強いのです
好きなように姪を訪問し
私を助けるために家事をやってくれ
孫の面倒も見ている
遠藤の叔母さん
だったのです。
なるほど
従妹から見ると
則子ちゃん(わたしのこと)
一人っ子でサア
ああいう叔母さんがいてサア
あなたって人に面倒見てもらえる星の下に生まれてきたの!
―そうは言わなかったけれど
そういうふうに
従妹からは見えてる
なるほど