カラマゾフについて書くとくどくなるので
時々記事に書いているが
ちょっとみなに知ってもらいたい
(知ってるか!)話だからこっちに書く
グルーシェンカ (カラマゾフの父息子は この女性を巡って争う)
↓の マリア・シェルが演じた女の人
ユル・ブリンナーはドミトリーを演じた
このグル―シェンカが一本の葱の話をする
「昔むかしあるところに、それはそれは意地の悪いひとりのお婆さんがいて死んだの。そのお婆さんは生きているうちにひとつもいいことをしなかったので、悪魔たちに捕まって、火の海へ投げ込まれたの。お婆さんの守護天使は、何か神様に申し上げるような良い行いが思い出せないものかと、じっと立って考えているうちに、ふと思い出して、そのお婆さんが野菜畑からねぎを一本抜いて乞食にやったことがあるのを神様に申し上げたの。すると神様はこうお答えになった。それではその一本のねぎを取って来て、火の海にいるお婆さんに差し伸べてやり、それにつかまらせてたぐり寄せるがいい。もし火の海から引きあげることができたら、天国に行かせよう。でも途中で千切れたら、お婆さんは今いる場所にとどまるのだと。天使はお婆さんのところに走って行ってねぎを差し伸べ、さあお婆さん、これにつかまってあがって来なさい、こう言って、そろそろと引きあげにかかったの。すると、もうひと息で引きあげられるという時に、火の海にいた他の罪人たちが、お婆さんが引きあげられているのを見て、一緒に引きあげてもらおうと、我も我もとお婆さんにつかまりだしたの。お婆さんはそれはそれは意地悪だったので、みんなを足で蹴散らしながら、《引きあげてもらっているのはあたしで、お前さんたちじゃないよ、あたしのねぎで、お前さんたちのねぎじゃないよ》と言ったの。お婆さんはこう言うやいなや、ねぎはぷつりと千切れてしまい、お婆さんは火の海に落ちて、今だにずっと燃えているの。天使は泣く泣く帰って行った」(池田健太郎訳)
私が読んでるのはこの訳じゃないけど
これ蜘蛛の糸そっくりでしょう?
ドストエフスキーはロシアの民話から
芥川龍之介は今昔物語から
ソースを取ったというけれど
そうではなく ポール・ケーラスという東洋学者の書いたものを鈴木大拙が訳した
「因果の小車」という本が元らしい
今昔物語だとすると
何でこんなに似た話がロシアと日本にあるいはインドにあるのか
と思うけれどポール・ケーラスと言う人が
ロシアの民話を知っていて
説話集に取り入れたとも考えられるけれど
ともかく 面白い!
この一本の葱と雲の糸の類似についてはいろいろな人が書いているけれど
キリスト教の人は
キリスト教を主張する
私は ドストエフスキーを 仏教的に 東洋思想的に読めるのでは?
と思い
そういうところに普遍性を感じるんだけれど