光宗の時代に の開放というのがあったらしい
奴婢按検法(956年) ってので 三国統一時の
敗戦国の民がになったのを開放するというもの
当時国民の多くがはだったみたいだ
そこで坊さんたちの会話が出てくるけれど
それまで禅宗が主だった仏教界に念仏宗を取り入れようと
坊さんたちを中国に勉強させに行く話が出てくる
・
日本でも 民衆の間に仏教が広められていく中で念仏宗?
法然とか親鸞とかも それまでの貴族仏教をさらに一切衆生
に広げたんではないか?と
思って
なんかそのころ中国朝鮮日本と
仏教界につながりがあったのかしら?
と気になりだした
念仏といえば↑の 空也上人を思い出す
時代は?972年に六波羅蜜寺で亡くなってる
上の空也証人の像は六波羅蜜寺にある
運慶の子の康勝の作だ
この口から出てくる六体の阿弥陀像が南無阿弥陀仏
を表してるのだよね
六字名号 というのだそうだ
これらは みな10世紀半ばの話だ
つながりはわからなかったけれど
同じような時期に同じようなことが起きてくる
こういうのも歴史の必然って やつかな