NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

スイカ割り禁止令

2011年07月31日 | 江戸
今年は、スイカが異常な高値となっています。

デパートでこの表示を見たときは、思考が一瞬停止してしまいました。





主要産地の山形県では残雪で種まきが遅れ、千葉県では梅雨入りが早く出荷できるレベルまで糖度が上がらないことなど幾つかの要因がるようですが、生産者の高齢化が進み重量のあるスイカ栽培が難しくなっているとの指摘もあります。

これでは、夏の風物詩となっている「スイカ割り」も儘なりません。

天保の改革を断行した水野忠邦であれば、さしずめ「スイカ割り禁止令」を出すところでしょうね。


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煎茶の冷茶

2011年07月10日 | 江戸
昨日は、目黒ダイナミックアート館で開かれた、「江戸しぐさ入門講座」に参加してきました。

入門講座もさることながら、休憩時間にいただいた煎茶が素晴らしかったですね。

目黒ダイナミック・アート館は、日本の宇宙工学のパイオニア糸川英夫博士の一番弟子である金澤磐夫さんが、科学を志す子供たちに夢を与えるとともに、心やさしい人々が集まるコミュニティセンターとして提供されている施設で、2階には、正座の習慣がない外国の方でも気軽に煎茶を楽しむことができるようにと造られた次世代の茶室「翠庵」があります。

そこで東阿部流の天内翠紫さんに煎茶、それも水出しの冷茶を淹れていただきました。







う~ん、玉露の深い味わい、黒糖とハイビスカス香のお菓子、まさに甘露、甘露でした。


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江戸商人の繁盛しぐさに学ぶ

2011年05月10日 | 江戸
昨日は、神奈川県商工会女性部連合会の総会の後にリーダー研修会があり、私が日ごろからお世話になっているNPO法人江戸しぐさの桐山勝副理事長に「江戸商人の繁盛しぐさに学ぶ 今の時代に求められるリーダーとは」と題する講演をしていただきいました。





最近の我が国のリーダー達がなぜダメなのか、
では江戸時代の大店の主はどのように振舞ったのか、
女性はどのような役割を果たしたのか、
大店の家訓、もしドラまでを折り込みながら話した後に、
現代における女性リーダーの重要性について訴える構成は流石です。

著書の即席サイン会も行われて、とても充実した講演会となりました。

持参された著書の「人づくりと江戸しぐさ おもしろ義塾(MOKU出版)」「豪商と江戸しぐさ 成功するリーダー列伝(MOKU出版)」は私も何度か読み返していますが、新刊の「万年筆国産化100年 セーラー万年筆とその仲間たち(三五館)」には驚かされました。

うーん、奥が深い・・・




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「よみがえれ!江戸しぐさ」教材DVD

2011年01月30日 | 江戸
私が所属するNPO法人江戸しぐさでは、独立行政法人国立青少年教育振興機構の平成22年度「子どもゆめ基金」の助成を得て、子どもたちへ「江戸しぐさ」を伝えるための教材DVDを作成しました。

この教材は「生活の中で自然に身につけて欲しい大切なこと」について、江戸しぐさの要点を「目付き表情」「身のこなし」「言葉づかい」「暮らし方」「子育てしぐさ」に分けて編集されています。

江戸しぐさの入門編としては最適な教材となっていますが、DVDと同じ内容のものを同法人のホームページでも公開していますので、ぜひご覧ください。

なお、学校関係者等でご入用の方は事務局までお問い合わせください。

NPO法人江戸しぐさ 事務局長 大岩由利
〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西2-2-10-301
TEL 03-5456-6493

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もしドラと江戸の商人(その6)

2011年01月03日 | 江戸
夏の東京都大会で初優勝を成し遂げた都立程久保高校野球部は、甲子園での開会式直前にテレビ局の取材を受けました。

取材インタビューを一手に引き受けていたのは、大会直前にキャプテンに任命された背番号10の二階正義です。

野球が一番下手で補欠選手だった正義は、マネジメントに参加するようになって以来、アイデアマンとしてさまざまなことを企画してきましたが、野球部が集中して練習に取り組めるようになったことやスタンドの盛り上がりを引き出した最高の功労者は、間違いなく正義でした。

みなみは、正義の取り組みに対し「人事」という形で応えたいと考え、たとえ下手でも大手を振ってベンチに入れるキャプテンにすることを思いついたのです。

キャプテンの正義は、インタビュアーの「甲子園では、どんな野球をしたいですか?」という質問に、しばらく考えた後、「あなたは、どんな野球をしてもらいたいですか?」と返しました。続けて、「ぼくたちは、顧客からスタートしたいのです。顧客が価値ありとし、必要とし、求めているものから、野球をしたいのです。」と答えました。

ドラッカーはマネジメントで、
真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち、現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである、」
と述べています。

江戸の商人の顧客志向の経営について高島屋を例にとると、初代飯田新七が創業に際し、経営の基本方針として3ケ条の掟を定めています。やがてそれは四つの綱領として成分化されて、店是として現代に至るまで受け継がれています。

3カ条の掟
一 正札
二 正道
三 平等の待遇

四つの綱領
第一義 確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし
第二義 正札掛値なし
第三義 商品の良否は、明らかにこれを顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず
第四義 顧客の待遇を平等にし、苟(いやしく)も貧富貴賎により差等を附すべからず


米国発の株主価値経営の真の意味は、短気利益を重視することではなく、顧客満足であることを「もしドラ」と「江戸の商人」は教えているのです。

(このテーマを終わります。)
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もしドラと江戸の商人(その5)

2011年01月02日 | 江戸
ノーバント・ノーボール作戦という新しい戦術を採用するのと時を同じくして、もしドラの主人公・みなみはもう一つの取り組みに着手しました。

それは「社会の問題についての貢献」でした。

ドラッカーのマネジメントには、
自らの組織をして社会に貢献させるうえで3つの役割がある。
①自らの組織に特有の使命を果たす。
②仕事を通じて働く人を生かす。
③自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する。

と書かれていました。

①については、甲子園に行くことで顧客に感動を与えることを使命を果たそうとしていますし、②については、夕紀のマーケティングを受けて各部員に責任を分け与えた結果、練習への出席率を上げることができましたが、③については、まだ手付かずでした。

みなみは社会とは何かを考え、野球部にとって学校が一番身近な社会だと結論づけました。そして、野球部の強みを生かしながら学校に貢献しようとしました。

やがて、陸上部、柔道部、家庭科部、吹奏楽部などに対してマネジメントのコンサルタントを行いながら、自分たちの成功体験を伝えることにより各部に良い影響をもたらしていったのです。

企業の社会的責任(CSR)という概念が日本に入ってきたときに、日本ではさほど違和感なく受け止められましたが、それは、江戸時代から商いは自分たちのためだけではなく、お客様のため、世の中のためといった考え方が根付いていたからにほかなりません。

その典型的な例が、近江商人の三方よしです。
近江商人とは、琵琶湖周辺地域の商人たちのことをいいます。

彼等は、特定の藩をバックにしない中で年月をかけながら自力でもって人々の信頼を築き全国に商売を拡大していきましたが、その過程で自分本位の商売は成り立たないことを身をもって体験し、利他の精神を身につけていきました。

三方よしとは、売り手よし、買い手よし、世間よしといわれますが、商売の相互を尊重するだけでなく、その地域の社会までも尊重の視野に入れているところが最大の特徴です。

三方よしとは後世の研究者の造語ですが、その原典となるのは江戸中期の近江商人だった中村治兵衛が孫に遺した書置です。

たとえ他国へ商内に参り候へても、この商内物、この国の人一切の人々、こころよく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さずとかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもうべき候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通りに心ざしをおこあし申さるべく候事、第一に候(宗次郎幼主書置)

このことを知ると、企業の社会的貢献(CSR)が決して外国からの受け売りでないことに気が付きますね。

(明日に続く。)
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もしドラと江戸の商人(その4)

2011年01月01日 | 江戸
もしドラの主人公・みなみは「野球部を甲子園に連れていく」と決めましたが、この野球部は東京都大会1回戦敗退という弱小チームで、当たり前のことをやっていたのでは不可能です。みなみは、その答えをマネジメントに求めました。

マネジメントには、
イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織のなかではなく、組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。
と述べられていました。

そこで、野球部の加地監督に相談したところ、加地は以前から「高校野球の常識を打ち破りたい、新しい野球を創造することによって、高校野球界の常識を変えていきたい」と考えていることを知りました。

加地の考えていた常識破りは、「ノーバント作戦」と「ノーボール作戦」です。

送りバントは、みすみすアウトを一つとられる割には効果が薄い、杓子定規に送りバントすることで創造性が失われのはいやだ。

また、ボールを打たせるという考え方は、球のキレや勢いがおそろかになるので投手の伸び悩みを招いている。

この二つの常識的な作戦は、いたずらにゲームを長引かせ、選手の考え方をせせこましくさせるし、野球をつまらなくさせる弊害もあると考えていたのです。

以来、加地はバントとボール球を投げることを禁止してしまいました。
ドラッカーのいう「昨日を捨てて、貴重な資源を新しいもののために解放する」ことを実践したのです。

では、江戸商人のイノベーションについて、三井家商売記を見てみたいと思います。

商いの道 何にても 新法工夫可致候(しんぽうくふうういたすべくそうろう)

商売をするなら、何にでも創意工夫しなさいとは、三井越後屋の初代三井八郎兵衛高利の言葉です。

高利は、江戸本町1丁目に呉服店を開店してから数年にして、越後屋を江戸屈指の大店に成長させましたが、その商法は「現銀掛け値なし」「店前(たなさき)現銀売り」という全く新しいやり方でした。

それまで呉服屋は、見世物商い(得意先に注文を取りにいく)か、屋敷売り(得意先に反物をかついでいって売る)というやり方でした。

こうした商法は、お武家さんや大商人を対象としたもので、庶民には縁遠いものでした。
また、掛け売りで代金回収は盆暮れの年2回のために、半年分の金利を上乗せした高い値付けになっていました。

今では当たり前に行われている「店頭正札販売」は、江戸時代においては革新的な商法であり、正にイノベーションそのものであったのです。

(明日に続く。)
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もしドラと江戸の商人(その3)

2010年12月31日 | 江戸
もしドラの主人公・みなみは、野球部を「感動を与えるための組織」と定義し、「甲子園に行く」ことを目標と決めましたが、次に取り組んだことはマーケティングでした。

ドラッカーのマネジメントには、
企業の目的は顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ、それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」

真のマーケティングは顧客からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う

と述べられていました。

みなみは、野球部の顧客である監督や部員が何を求めているかについてマーケティングすることにしました。

そこで重要な役割を果たしてくれたのは余命3ケ月と宣告され入院中だった宮田夕紀でした。夕紀は、順番に見舞にくる部員からそれぞれの想いを引き出していきました。

では、江戸の商人はマーケティングをどのように考えていたのでしょうか。
現在の三越、そして三井グループの前身である三井越後屋を例にとってご紹介しましょう。

三井越後屋の元祖は三井八郎兵衛高利ですが、その長男である三井宋竺(そうちく)が残した宋竺遺書には、次の言葉が記されています。

商いは的のごとし、手前よく調べるときは、当たらずということなし
(商いは矢の的のようなものだ。こちらがよく研究をしていれば必ず当たるものである。)

市場調査を徹底的にやり、お客様の欲しがっているものは何かをよくわきまえて準備すれば、必ず売れるという教えです。

江戸の商人は、ドラッカーに先駆けること二百数十年前からマーケティングというものを実践していたことがお分かりいただけるものと思います。

(明日に続く。)

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もしドラと江戸の商人(その2)

2010年12月30日 | 江戸
もしドラの主人公・川島みなみが読んだドラッカーのマメジメントには、「自社をいかに定義するか」ということに関して、

あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するためには、「われわれの事業は何か、何であるべきか」を定義することが不可欠である」

「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである」と述べられていました。

みなみは、東京都立程久保高校の野球部の顧客を「球場にくるお客さん」「野球部の活動に携わっている先生や学校そのもの」「野球部員」などとイメージし、顧客が野球部に求めているものは「感動」であると考え、

野球部を「顧客に感動を与えるための組織」であると定義をしました。
そのうえで、この定義に最も適う使命として「甲子園に行く」ことを設定したのです。

では、江戸の商人は自分たちの使命をどのように考えていたのでしょうか。

大丸を例にとると、大丸の店是には「義を先にして利を後にする者は栄える」(正義を優先し、利益を後回しにする者は栄える)」とあります。

大丸の業祖・下村彦右衛門正啓は、19歳で京都伏見に大文字屋を開き、その後大阪心斎橋、そして名古屋へと進出していきましたが、名古屋に出たのを機に大丸と屋号を変えています。

49歳のときに京都に大丸総本店を出店しましたが、そのときに店是として定めたのが「先義後利」です。

顧客に礼と義を尽くすことを使命とした大丸は、天保8年に起こった大塩平八郎の乱では豪商が次々に焼き討ちにあいましたが、平八郎が「大丸は義商なり、犯すなかれ」と命じて難を逃れたという噂が流れたそうです。

この店是は、松坂屋と統合し、J.フロントリテリングとなった現在もグループ理念として伝えられています。

(明日に続く)

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もしドラと江戸の商人(その1)

2010年12月29日 | 江戸
12月19日のブログ「もしドラと江戸の商人」について、年末年始の間、その内容をご紹介したいと思います。

江戸幕府は、家康が江戸に入府してから家光までの三代がかりでその礎を築き、江戸は世界でも有数の大都市となりました。

五代将軍綱吉の時代になると、土地開発や建築が一大ブームとなり経済は大きく成長していきました。

しかし、上野寛永寺の修造を請け負った紀伊国屋文左衛門や日光東照宮の修復工事を請け負った奈良屋茂左衛門などに代表される政商型商人は、短期的な利益の追求に奔走し経済のバブル現象を引き起こしました。

元禄バブル経済の崩壊とともに高度経済成長は終息し、同時に幕府の財政が逼迫するようになると、幕府は享保の改革や寛政の改革などを推し進めることにより体制の立て直しをはかりました。

商人たちは投機的な市場から撤退する中で、武士に武士道があるように商人にも商人道が必要であることを学びました。この時代に、三井越後屋、大丸、高島屋、松坂屋、近江商人などの経営者たちは、長期的な視点に立ち、地に足をつけた商売を行っていくことが大事であることを家訓や書置という形で後世に伝えています。

江戸の商人たちは、ドラッカーに先駆けること二百数十年前から「組織定義」「マーケティング」「イノベーション」「企業の社会的責任」などのマネジメントを実践したのですが、もしドラの主人公みなみの行動、ドラッカーのマネジメントと対比させながら江戸の大店の家訓をご紹介したいと思います。

(明日に続く)
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2011年版江戸しぐさカレンダー

2010年12月04日 | 江戸
私の所属するNPO法人江戸しぐさでは、「2011年版江戸しぐさカレンダー」の販売を開始しました。

粋なイラスト入りで、毎月1つずつ、江戸しぐさを紹介。しぐさの意味や由来、現代の暮らしにどう取り入れたらよいかなど、わかりやすく解説しています。





1月 時泥棒、2月 肩引き、3月 うかつあやまり、4月 三脱の教え、5月 仁王立ち、6月 傘かしげ、7月 傍を楽にする、8月 ロクが効く、9月 七三歩き、10月 済みません、11月 もったい大事、12月 あとひきしぐさ







ご購入希望の方は、事務局(電話:03-5456-6493)までお申し込みください。
価格 : 600円(税込)
サイズ : 130mm×130mm
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わたしの「平成しぐさ・ふるさとしぐさ」コンクール

2010年08月28日 | 江戸
私の所属するNPO法人江戸しぐさでは、現代に活かした「江戸しぐさ」をテーマに「江戸しぐさ」の体験記、ふるさとの方言に残る「ふるさとしぐさ」の紹介、そしてイラストの三部門についてコンクールを実施します。





[テ ー マ]現代に活かしたい「江戸しぐさ」
[募集内容]第1部門・第2部門:作文(エッセイ) 第3部門:イラスト(絵)
[募集期間]平成22年7月15日(木)から9月30日(木)
[募集単位]各個人

詳細については、NPO法人江戸しぐさのHPをご覧ください。
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成功するリーダー列伝

2010年06月27日 | 江戸
このところ、「江戸しぐさ」と「江戸商人」との関係を知りたくて、豪商の家訓などを扱った本を何冊か読んでいました。

先週、NPO法人江戸しぐさの総会で副理事長の桐山勝さんが、「成功するリーダー列伝という本を書いたよ。」と仰るので、7月2日発行予定の本を譲っていただきました。





国内水運事業の祖「角倉了以」、東・西回り航路を開発した「河村瑞賢」、革新的商法で顧客満足を追求した「三井高利」、生活産業を創出した「西川甚五郎」、ブランド戦略で成功した「細田安兵衛」、金融新時代を拓いた「安田善次郎」など15人の豪商のマネジメントについて、多くの古典と豊富な取材経験をもとに体系的に論じた素晴らしい内容です。

桐山さんは、あとがきで「天秤棒を担いだ行商から身を起こし、天下の豪商に成長を遂げた人々の足跡を通じて、経営者、政治家、ひいてはあらゆる分野のリーダーに不可欠なものの考え方や組織の運営の仕方、経営手法などを分析、整理、参考にしたかった。」「政治や経済が、人間を幸せにするための営みであるからこそ、時代を越えて、先人たちが編み出したフィロソフィー(哲学)やノウハウ(知識)、スキル(技術)から得るものが多いのではないか。」と述べています。

私が読みたかったのは、この本だったんですよね。ぜひ、お薦めします。
「豪商と江戸しぐさ 成功するリーダー列伝 桐山勝(MOKU出版)」
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江戸の段階的養育法 <理(ことわり)十五で末決まる>

2010年05月05日 | 江戸
今日は、子育てしぐさの「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」の最後で、「理(ことわり)十五で末決まる」についてです。

理(ことわり)とは、物事の正しい筋道のことであり、人として行うべき正しい道のことで、数え年の十五歳にもなると、森羅万象に対する理解が深まってきます。この年齢になると、子どもの将来性を見抜き、適材適所に振り分けていくのが、寺子屋の師匠や江戸講の講師の務めであったそうです。

「親は苦をする 子は楽をする 孫は乞食をする」という諺があります。初代は多くの苦労を積み重ねて商売を拡げるが、その子の代になると守りに入り、孫の代になると家業のやり方も知らずに、ついには家を潰してしまう例が多いという意味ですが、大店(おおだな)ともなればそんなことを言ってはいられません。

江戸の商家では、跡取りが決まってからも更に厳しく商人道を学ばせましたが、現在の三越・三井グループの前身である三井越後屋には、次のような後継者育成方法が家訓として遺されています。

「同族の小児は一定の年限内に於ては、他の店員と同一の生活待遇をなし、番頭、手代の下に労苦せしめて、決して主人たるの待遇をなさしめざるべし。」

「己れ其道に通ざれば他を率ゐる能はず、宜しく子弟をして小僧の執るべき事務を習熟せしめ、漸(ぜん)を追うて其奥に達する時は、支店に代勤して実地に当らしむ可(べ)し。」

一族の子どもは店に出して実務を覚えさせるという現場重視の考え方ですが、三井家では明治になるまでこれを守っていたそうです。現代にも通用するOJTによる人材育成プログラムが、すでに江戸時代に行われていたのですね。

*記述の一部は、NPO法人江戸しぐさ理事長越川禮子さんの著書を参照させていただきました。
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江戸の段階的教育法 <文(ふみ)十二>

2010年05月04日 | 江戸
今日は、子育てしぐさの「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」のうち、「文(ふみ)十二」についてです。

江戸時代の商家には、万一、主がなくなっても跡取りがすぐに代行できるという用意周到さが求められました。そのため、数え年の十二歳になる頃には主の代書ができるようにします。注文書や請求書はもとより、季節の挨拶状、苦情があったときの詫び状など、商売に必要なことは一通り書けるようにしたそうです。

しかしながら、商人は日々の商いがあるため、子どもに読み書き算盤などを教える暇がありませんでした。それを担っていたのは、民間による教育機関である寺子屋(手習い)です。数え年の七歳か八歳の初午に入門し、十二歳か十三歳で卒業しますが、その間に礼儀作法をはじめ、読み書き算盤などを学びます。

幕末の慶応年間には、全国で1万を超える寺子屋が授業をしており、江戸の市中だけでも1200~1300くらいの寺子屋があったといわれます。また、寺子屋用の教科書も信じられないほど種類が多く、商業用語を集めた「商売往来」、農業用語を教える「百姓往来」、地名や地理を教える「東海道往来」「国尽(くにづくし)」など実物が残っているだけでも、七千種類もあるそうです。

このように教育熱心であった江戸時代の日本では、庶民の就学率、識字率はともに世界最高水準に達しており、福沢諭吉が「通俗国権論(明治十一年)」の中で、「凡そ国の人口を平均して、字を知る者の多寡を西洋諸国に比較しなば、我日本を以て世界一等と称するも可なり」と書いているほどです。

(To Be Continued)

*記述の一部は、NPO法人江戸しぐさ理事長越川禮子さんの著書を参照させていただきました。
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