昨夜は、日本NPOセンターの初代代表理事で、現在は顧問である星野昌子さんの叙勲を祝う会が早稲田のアバコ・ヴィラ・フェリーチェで開かれました。
星野さんは、1965年に初代の青年海外協力隊員としてラオスに赴任して以来、一貫して日本のNGO・NPOの旗手として活躍されてきた方です。
星野さんが、1981年に日本国際ボランティアセンターをバンコクで設立されて事務局長に就任された頃は、日本政府と日本社会全体が敵に感じたこともあったようですが、筆舌に尽くしがたい困難を乗り越えて、今や外務省の推薦で勲章を受けられるようになられたことには、さぞや複雑で感慨深いものがあると同時に、ご自身だけでなく日本のNGO・NPO全体が評価を受けたのだという思いがあったようです。
それは、JVCの中心となって活躍され、星野さんの目の前で凶弾に倒れた西崎憲司さんの遺品を携えて挨拶に立たれたことからも伺い知ることができます。
私は星野さんが1991年に神奈川県立かながわ女性センターの館長になられた頃からお付き合いをいただいていますが、御年81歳とは思えない立居振舞、これからも当分はご指導を仰ぐことになりそうです。
星野さんは、1965年に初代の青年海外協力隊員としてラオスに赴任して以来、一貫して日本のNGO・NPOの旗手として活躍されてきた方です。
星野さんが、1981年に日本国際ボランティアセンターをバンコクで設立されて事務局長に就任された頃は、日本政府と日本社会全体が敵に感じたこともあったようですが、筆舌に尽くしがたい困難を乗り越えて、今や外務省の推薦で勲章を受けられるようになられたことには、さぞや複雑で感慨深いものがあると同時に、ご自身だけでなく日本のNGO・NPO全体が評価を受けたのだという思いがあったようです。
それは、JVCの中心となって活躍され、星野さんの目の前で凶弾に倒れた西崎憲司さんの遺品を携えて挨拶に立たれたことからも伺い知ることができます。
私は星野さんが1991年に神奈川県立かながわ女性センターの館長になられた頃からお付き合いをいただいていますが、御年81歳とは思えない立居振舞、これからも当分はご指導を仰ぐことになりそうです。