NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

泣いても、笑っても、年度末!

2010年03月31日 | 二宮町商工会の紹介
いよいよ、平成21年度も今日が最後となりました。二宮町商工会でも、年度末だということをひしひしと感じています。昨日は、お二人の県職員の方があいさつにお見えになりましたが、お一人は定年退職、もうお一人は人事異動とのことです。親しい方が遠のくことは辛いのですが、これも世の常、これからも活躍されることをお祈りします。

昨夜は、今年度最後の理事会を開催しました。今年度の収支決算見込と来年度の事業計画案・収支予算案が主な議案でしたが、来年度は行政からの補助金の削減幅が大きくて予算編成には大変苦労しました。商工会は公益法人のため収益の追求には制約がありますので、収入増をはかる道は限られています。

大幅な収入減に対応するためには、事業を減らすか経費を減らすかの選択になりますが、事業があっての人ですから先に事業予算を減らすわけにもいきません。先ずは、人件費と事務的経費のカットで対応せざるを得ないのです。その中で将来に向けて明るさ表現することはとても難しい作業でしたが、役職員の協力でなんとか予算編成ができたことに感謝しています。

ところで、3月が年度末だなんて誰が決めたのでしょうか。暦年はどこの国でも普通はグレゴリオ暦ですから1月1日から始まりますが、年度となるとまちまちです。中国・韓国・フランス・ロシアは1月、アメリカは10月ですから、日本が4月というのも決して多数派ではありません。日本で会計年度を4月から始めたのは明治19年からとのことですから、当時わが国に影響力のあったイギリスにあわせただけなのでしょうか。

企業の決算期はどうでしょうか。東京証券取引所の「上場会社連結決算短信集計」によると、2008年12月から2009年11月までに決算を迎えた企業数は、2143社。このうち3月決算は、1613社ですから7割5分が3月に集中していることが分かります。

3月に決算が多いのは、国や地方自治体の会計年度にあわせているためだと思われますが、近年は経済のグローバル化にあわせて暦年単位の決算に移行する企業も多くなっているようです。でも、商工会は行政と密接に連携しながら仕事をしていますので、これからも3月決算は変わらないのでしょうね。
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吾妻山・ 桜情報(3)

2010年03月30日 | 地域情報・まちづくり
今日は久しぶりの青空なので、昼休みに吾妻山に登ってきました。百数十メートル高いだけですが平地よりも桜の開花は遅く、今は三分咲きといったところでしょうか。この週末には見頃を迎えると思います。







ちょうど学校が春休みなので、家族連れの方々が真っ白な富士山を眺めながらお弁当を楽しんでいましたが、子供たちは林の中のアスレチックやローラーすべり台に夢中です。今週末は、桜と菜の花と富士山とアスレチックを楽しみに吾妻山にお越しください。









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二宮町商工会の桜

2010年03月29日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町商工会の桜が五分咲きになりました。神奈川県内には19の商工会がありますが、事務室の窓からお花見ができるなんて二宮町商工会だけでしょうね。









この数日間は冬に逆戻りしたような陽気でしたので桜の開花は少し遅れぎみで、今週末が見頃になると思います。二宮町建設工業会では、4月2日から4日までの3日間、葛川沿いの桜のライトアップをします。県道秦野二宮線のヤオハンさんの裏あたりですので、ぜひお越しください。
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江戸の自治(2)

2010年03月28日 | エコでボランタリーな江戸の町
昨日のブログで、江戸は私たちが想像するより遥かに犯罪が少なく安定した社会であったと思われると書きましたが、南北町奉行所に配置されている与力五十旗、同心二百四十人の役人だけでは百万都市の行政、司法、警察、消防、土木上水道のすべてを治めることなどできるはずはありません。幕府は命令を出したり負担をかけたりはするのですが、末端で政治を担っていたのは町方から選ばれた者で、町年寄、町名主、大家という階層的な自治制が施かれていました。

(町年寄)
その最上級は樽屋藤右衛門、奈良屋市右衛門、喜多村彦右衛門という三名の町年寄で、いずれも家康に従って三河から江戸に来た者たちが世襲で務めていました。身分は町人であり幕府からの手当ての支給はありませんでしたが、日本橋本町という一等地に役宅を与えられていましたので、道路に面した部分を賃借してその上がりで必要経費を賄っていました。町年寄の主な仕事は、町触の伝達、人別帳集計、紛争調停、行政や司法の補完などですが、町奉行所の与力などよりは格上であったようです。

(町名主)
三人の町年寄だけではとても間に合いませんので、その下に各町を管轄する町名主を置いていました。江戸の風俗や事物を広く集めて分類、説明した守貞謾稿(筆者は喜田川守貞)に、「江戸名主は三十五町一人置之。今生江戸町数一千六百四十一町。名主二百八十四にて掌之。」と記述されていますので、町名主は全部で二百八十四名いたようです。

(大家)
しかし、実際の町政を担っていたのは大家で、五人組を組織しその中から毎月交代で出す月行事(がちぎょうじ)が役人との連絡や町触れの伝達、町内の点検、争議の調停など幅広く携わっていました。江戸時代の大家とは、不動産の所有者ではなく貸家の差配をする者のことでマンションの管理人のような立場ですが、落語に出てくるように地域のまとめ役として忙しかったようです。江戸市内に二万百十七人(守貞謾稿)いたとされる大家さんが末端の行政実務を担っていたわけですが、彼らの手当を含めた町政の経費は町入用(ちょうにゅうよう)と呼ばれる共同会計から出されていました。

江戸は町方から見ると究極に小さな政府で運営されていたわけで、こうした自治の仕組みは自治会・町内会という形に変わりながら現在に引き継がれています。敗戦後、GHQが自治会・町内会は大政翼賛会の末端組織だとして廃止したにもかかわらず直ぐに復活したことを考えると、これからの地域社会のあり方を考える上でも江戸から学ぶべきことが少なからずあると思うのですが、いかがでしょうか。
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江戸の自治(1)

2010年03月27日 | エコでボランタリーな江戸の町
毎日、新聞やテレビでは事件や事故のニュースが多くてうんざりしますね。では、江戸時代はどうだったのでしょうか。私が学生の頃(昭和30~40年代)、封建制社会は士農工商という身分制度にしばられ、年貢の取り立てが厳しく、飢饉と一揆と打ち壊しに明け暮れていた悪い社会であるというようなトーンで教えられていました。加えて、テレビでは毎週決まって半七や伝七、銭形の親分が極悪人をこらしめていましたので、江戸時代は犯罪が多かったと刷り込まれていたように思います。

初めて全国規模の人口調査が行われた享保6年(1721年)の江戸では、町方人口は501,394人という数字が出ています。武士は国元との出入りが激しく統計もありませんが、町方と同程度の人数がいたと推定されますので、これ以降幕末まで100万人以上が江戸に住んでいたと思われます。

その町方を取り締まる町奉行所は南北に所在し、それぞれに与力25騎、同心120人が配置され、ひと月交代で業務を行っていました。その職掌は、江戸府内の武家・寺社を除いた市民の行政、司法、警察の事務のほか、消防、土木上水道までと範囲はかなり広かったようです。

一方、警視庁の統計によると平成20年の刑法犯の認知件数は、212,152件(うち凶悪犯は1,186件)です。平成21年12月1日現在の東京都の人口は、12,907,189人ですから、人口60人当たり約1件の犯罪が発生していることになります。

もし江戸時代に、現在と同じ率で犯罪が発生していたと仮定すると、その数は約100万人を60人で割った約16,666件となりますが、南北町奉行所を合わせて250人しかいなかった役人で年間1万6千件以上の犯罪に対応することなど不可能です。江戸時代は、私たちが想像するより遥かに犯罪が少なく安定した社会であったと思われます。また、そうした社会を支えるためには町方による自治の仕組みが出来ていたのですが、それは明日のブログで紹介したいと思います。

余談ですが、同心に従って歩く小者は非公認・半黙許の手先で、時代劇でおなじみの御用聞きは全くの非公認の手先で陰のものであり、誰が何という御用聞きをつかっているか御奉行様は御存じなかったようです。こうした小者は博徒などが兼ねていたこともあり二束の草鞋と言われる所以ですが、往々にして庶民に迷惑をかけていましたので、たびたび使用禁止令が出ています。

因みに、伝七親分が物語のラストで親指と人指し指で「よよよい よよよい よよよいよい」とやりますが、イスとテーブルが置かれた一杯飲み屋なんて江戸時代にあるわけがありませんので、時代劇はエンターテイメントとして楽しむだけにすべきでしょうね。
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不法投棄とマニフェスト

2010年03月26日 | 二宮町商工会の紹介
昨日の不法投棄つながりでマニフェスト制度について考えてみたいと思います。マニフェストと聞くと選挙の際に政党や候補者などが示す政策綱領のことを思い浮かべる方が多いと思いますが、こちらのスペルはmanifestoで、今日は廃棄物処理法に基づくmanifestについてです。

マニフェスト制度とは、事業者が産業廃棄物の処理を他人に委託する際に、産業廃棄物の種類、数量、形状、収集、運搬業者名、処分業者名、取り扱い上の注意事項等を「産業廃棄物管理票(マニフェスト)」に記載し、産業廃棄物の流れを自らが把握・管理すると共に、廃棄物の処理を確認することを義務付けている制度です。

産業廃棄物は、排出事業者 → 収集運搬業者 → 中間処理業者 → 収集運搬業者 → 最終処分業者という流れで処理されますが、その廃棄物とともにマニフェストを渡しながら処理の流れを確認するしくみです。

それぞれの処理後に、排出事業者が各業者から処理終了を記載したマニフェストを受け取ることで、委託内容どおりに廃棄物が最終処理されたことを確認し、不適正な処理による不法投棄や環境汚染などを防止しようとするものですが、これを作成・管理するためには一定のコストが必要となります。

そこで、国では事務処理の効率化、データの透明性、法令の遵守などを図るために、紙マニフェストから電子マニフェスト(電子情報化された産業廃棄物管理票)へ移行する取り組みを推進しています。二宮町商工会でも、2月24日に開催した建設業経営者を対象にしたセミナーで電子マニフェストについて紹介をさせていただきました。

環境問題は、どれか一つやればそれで良いというものではありません。家庭や事業者、各種団体や行政などが、それぞれの立場で出来る限りのことに取り組む必要があります。二宮町商工会でも、省エネ、ごみの減量、効率的な業務遂行などを徹底して、環境への負荷を減らす取り組みを心掛けたいと思います。
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不法投棄と割れ窓理論

2010年03月25日 | 二宮町商工会の紹介
とても残念なことですが、二宮町商工会館の敷地の片隅にゴミ袋が捨てられていました。周囲の敷地を見回すと、隣接する駐車場に沿って幾つかのゴミ袋やヘルメットが散乱しています。








これまでこのようなことは無かったので何故だろうと、職員で考えました。隣接する駐車場には大きな広告看板が設置されているのですが、今までは夜間になるとそれに照明が当たっていましたので、結構明るくなっていました。経費削減のためでしょうか、最近になって照明を取り外したので夜になると暗い場所ができるようになり、ゴミを捨てやすくなったのではないかという意見が大勢です。

不法投棄の処理については、①放置すると次のゴミが捨てやすくなる ②直ぐに片づけると処理してくれると考えてまた捨てられる、という二通りの考え方があるようです。

米国のジョージ・ケリング博士が提唱した割れ窓理論というのを御存知でしょうか? 空ビルなどの窓ガラスが割れたのを放置しておくと、住民がそうした状況に関心を示していないというサインとなり、やがて地域の秩序・治安が悪化し、犯罪が増えて町が崩壊に向かう、こうした悪循環を防ぐためには1枚目の窓ガラスが割れたときにそれを放置しないで対処する必要があるという考え方です。

この理論に対しては、統計的な根拠が明らかでないとの批判的な意見もあるようですが、ニューヨーク市での治安対策の事例はよく紹介されますし、日本でも駐車違反防止対策などに応用している地域が増えているようです。

これは、落書きやタバコのポイ捨て、万引きなど私たちの身近にある安心・安全の問題にも共通することですが、結論としては「悪い芽は早めに摘んで、次の芽が出ないように工夫する。」ことが必要だと思います。

今回は、捨てられたゴミは直ちに処理し、ゴミが捨て難くなるような環境づくりを考えることにしましたが、世の中って綺麗事だけでは済まないことがありますよね。
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日経新聞 電子版

2010年03月24日 | 経済情報
昨日(3月23日)から、「日経新聞 電子版(Web刊)」が創刊されました。商工会という仕事柄、日経新聞は時々チェックしますが、自席で新聞を広げているのもどうかと思いますので電子版の創刊は大歓迎です。

有難いのは、無料で読めるコンテンツが充実していることです。例えば、主要ジャンルの速報には「経済」「企業」「国際」「政治」「マーケット」などのニュースがリアルタイムで掲載されますので、一般的な情報としてはこれで十分です。

有料会員になれば、一部の寄稿記事を除いて日経新聞の朝刊・夕刊の記事を全部読むことができますし、登録したキーワードに基づく自動記事収集や記事保存、検索などの機能が使えます。それはそれで情報の整理などには便利なので、様子を見ながら検討したいと考えています。

しかし、無料でここまで読めるとなると、いよいよ新聞離れが進むような気がするのですがどうなんでしょうかね?
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吾妻山の桜情報(2)

2010年03月23日 | 地域情報・まちづくり
吾妻山のソメイヨシノが、ついに開花しました。ウェザーニュースでは、開花が3月22日、五分咲き3月26日、満開が3月30日と予想されていましたので、今週末から来週にかけてが見頃になると思います。







吾妻山では、まだ菜の花が頑張っていますが、他にもレンギョウやシャガなども楽しむことができます。今日は、うぐいすの鳴き声を聞くことができましたが、この時期はメジロやホオジロ、コジュケイ、コゲラ、ヤマガラなどの野鳥もにぎやかにしていますので、ぜひ会いに来てください。






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市民と行政の大作戦

2010年03月22日 | NPO
昨日は、朝方まで春の嵐で大変でしたね。午後から、座間市民活動サポートセンターで市民活動支援講座「市民と行政の大作戦」のお手伝いをする予定がありましたので心配しましたが、お昼頃には天気も回復して無事講座を開催することができました。

三連休の中日だというのに、会場には沢山の市民の方にお越しいただき、改めて市民と行政の協働に対する期待の大きさを実感したところです。参加者の皆さんは、何らかの形で市民活動に関わっているか、興味を持っている方ばかりなのですが、冒頭に「ボランティアと市民活動、NGO・NPOの違いが分かりますか?」と質問すると、あまり自信がないという方が大半でしたので、第1部は市民活動の概念整理を中心に解説し、第2部で市民活動と行政の協働の必要性、より良い協働に向けてのあり方、他の自治体の事例などをお話させていただきました。





明治以降、日本の社会は欧米に追い付け追い越せという目標のもとに、行政と企業が両輪になって牽引し、大きな成果をあげてきました。しかしながら、21世紀を迎えた今、これまでのように行政が一元的に公共や公益を管理提供していくことは不可能であり、これからは行政、企業、NPOなどが多元的に管理提供していくことが不可欠だという認識が広まりつつあります。このことは、政府が「新しい公共円卓会議」を主催して、国の統治の仕組みを協治に変えていこうとしていることからも明らかです。

私は、21世紀の国の姿としては、政府セクターとビジネスセクターに加えて、非営利セクターがバランスよく配置された社会構造が必要だと考えていますが、講座ではそうした想いを込めて話をさせていただきました。

それは、平成14年にNHKテレビで放送されたNHKスペシャル・変革の世紀、全7回シリーズの第5回「社会を変える新たな主役」という番組の最後で、NPO研究の第一人者である米国ジョンズホプキンズ大学のレスター・サラモン教授から寄せられた次のようなメッセージを聞いたときにに確信したことなのです。

「重要なのは公共の仕事はすべて政府でやってくれるという20世紀の常識を、一度疑ってみることではないでしょうか。これは、政府の責任を軽くしようというわけではありませんし、市民の力だけで公共を支えられるという意味でもありません。市民が主役となって政府や企業と新たな関係を構築していく姿こそが、健全な市民社会だと、私は考えています。」

今回の講座のちらしには、「1(市民)+1(行政)=3(座間)?」と書かれています。市民と行政の協働とは、お互いが強みを生かし合って、1+1を2プラスαにしていくという意味を込めたものですが、これからも健全な市民社会の発展のために微力を尽くそうと考えています。




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江戸っ子(2)

2010年03月21日 | エコでボランタリーな江戸の町
昨日のブログで、西山松之助著「江戸っ子」(吉川弘文館)を読んで、ようやく頭の整理ができたと述べましたが、著者の西山先生は日本文化史学の大御所で竹内誠江戸東京博物館館長の師匠に当たる方です。

著者は、これまでの様々な江戸っ子論は史料に即してはっきり見定めていないと批判し、当時の文献に「江戸っ子」という言葉と、その実体を広く探索するという、最も基礎的な作業を行い、膨大な史料の中から「江戸っ子」の用語例を年代順にならべ、「江戸っ子文献一覧」を作っています。

そして結論としては、「江戸っ子という人たちは、単純な階層による単純な構造をもつ特定の存在ではなく、二重構造をもっていると指摘し、「この二重構造という意味は、主として化政期以降に、「おらあ江戸っ子だ」と江戸っ子ぶる江戸っ子、私はこういうのを自称江戸っ子と呼ぶことにしているが、この自称江戸っ子と、そうではなくて、日本橋の魚河岸の大旦那たち、蔵前の札差、木場の材木商の旦那たち、霊岸島や新川界隈の酒問屋とか荷受商人というような、元禄以前ごろから江戸に住みついて、江戸で成長してきた大町人ならびに諸職人たち、こういう人たちは、自分で江戸っ子だと威張るようなことはしない。このような江戸を故郷墳墓の地として代々住み続けた江戸町人、こういう人たちが江戸っ子の主流だということが、文献でよくわかる。」と述べています。

これを桐山勝氏は、「人づくり江戸しぐさ おもしろ義塾」(MOKU出版)の中で、「江戸っ子には第一世代と第二世代があります。第一世代は元禄期直前までに江戸に来て三代続いて商売に成功した末裔です。「江戸っ子は金の魚虎をにらんで水道の水を産湯に浴びて、御膝元に生まれ出でては拝搗の米を喰て、乳母日傘にて長(ひととなり)・・・」と戯作者の山東京伝が『通言総籬(つうげんそうまがき)』(1787)に書いています。
 (中略)
第二世代の江戸っ子はその後、職人が中核をなすものです。「江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ」は、本来の江戸しぐさとはちょっと違います。しかし、陽気で即断即決、人情もろくてちょっと見栄っ張り-という特徴は愛すべきです。1800年代に入ると、落語の主人公になっていくのもうなずけます。」と解説しています。

このように江戸っ子が定義されたことで、私も江戸の人々の生活や考え方などを学ぶうえで、バランスのとれた見方ができるようになると思いますが、世の中の諸相を正確に把握するためには、常にその原点に立ち返って検討する必要があるということを改めて認識した次第です。
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江戸っ子(1)

2010年03月20日 | エコでボランタリーな江戸の町
以前(1月26日27日28日)、江戸は埋め立て地であることを紹介しましたが、では、その地に住む人、いわゆる江戸っ子とは誰のことを指すのでしょうか。

ウィキペディアでは、「江戸っ子(えどっこ、江戸っ児)とは、江戸で生まれ育った生粋の江戸の住民を指す呼称。主に町人を指すが、武士や借家人を含むこともあり、明治の東京改称以後も旧江戸町民の主たる居住区であった下町地域出身者を指して呼称される場合もある(明治以後の江戸っ子を「東京っ子(とうきょうっこ)」と呼称する場合がある)。」と説明しています。

しかしながら、「江戸で生まれ育った生粋の住民」といっても、天正十七年(1590年)に家康が入城した当時の江戸は、「其頃は、江戸は遠山居城にて、いかにも麁想、町屋なども茅ぶきの家百ばかりも有かなしの体、城もかたちばかりにて、城の様にもこれなく(聞見集)」と伝えられていますので、その地に住んでいた人は、数千人、多くても数万人ほどであったと思われます。その直系だけを江戸っ子と呼ぶには無理がありますよね。

また、「武士や借家人を含むこともあり」となると、江戸は諸国の大名を動員してつくられた政治都市で、参勤交代の折りに大名と共に多くの人々が入り込んだ「諸国入込みの地」であることを考えると、江戸っ子とは地方出身者のことも総称する言葉なのでしょうか。

江戸っ子と聞くと、「あんた江戸っ子だってね、喰いねぇ、寿司を喰いねぇ」という台詞が出てくる広沢虎造の石松三十石舟や、八っあんと熊さんがドタバタを繰り広げる柳屋小さんの長屋話などを思い浮かべる方が多いと思います。

一方で、NPO法人江戸しぐさの越川禮子理事長は、江戸しぐさは現代でいえば経団連のメンバーに匹敵する企業家たちの心構え、ノブレス・オブリージュ(高貴な身分に伴う社会的義務)だと説明します。

このギャップをどう解釈したらよいのでしょうか、最近、日本文化史学の大御所である西山松之助先生の著書「江戸っ子(吉川弘文館)」を読んで、ようやく頭の整理ができました。明日は、西山先生の江戸っ子論をご紹介したいと思います。
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吾妻山の桜情報(1)

2010年03月19日 | 地域情報・まちづくり
菜の花ウオッチングの期間中、吾妻山には大勢の方にお見えいただきましたが、その数は推計で14万人とのこと、驚くほどの数字です。2月中頃になると、各地から菜の花のたよりが聞こえてきましたので、最近は吾妻山に登る方も少なくなりました。

しかし、菜の花はもうしばらく楽しめそうですし、大根の花や寒緋桜、こぶしなども綺麗に花を咲かせていますので、今は静かに花を楽しむことができる穴場となっています。









実は、私が吾妻山で一番お薦めしたいのは桜です。あまり知られていませんが、吾妻山には280本の桜の木があり、今は蕾を一杯にふくらませています。お花見で有名な場所は、人で溢れており、お弁当を広げる場所を探すのも大変ですが、吾妻山の頂上は広々とした芝生広場になっていますので、ゆっくりと花見を楽しむことができると思います。







ウェザーニュースによると、吾妻山公園の桜の開花は3月22日、五分咲き3月26日、満開が3月30日と予想されています。混雑を避けて、お花見したいと思っていらっしゃる方は、ぜひお越しください。
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菜の花から桜へ

2010年03月18日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町商工会の隣地に咲いた菜の花は、荒れ地にも負けず立派に育って、2ケ月以上にわたり道行く人を楽しませてくれました。遠目には、まだ元気に見えますが、さすがに疲れてきたようで、そろそろ御役御免という時期にきているようです。





ご苦労様と思いながら上を見ると、商工会館沿いに植えられている2本の桜の木には、沢山の蕾がついていました。





改めて事務室の窓から見ると、手の届くところにある蕾は「もう待ちきれない!」と言っているようです。「そう、もう少しで貴方の出番ですね。」





こんな小さな敷地に四季の移ろいを感じとれるのは、ブログを始めたことによって、自然や世の中の動きに対して意識的に目を向けるようになったお陰だと思います。そんな私ごときの思いとは関わりなく、自然は粛々と季節を綴っているんですよね。すごいな~、明日は吾妻山の様子をリポートします。
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景気回復への期待

2010年03月17日 | 経済情報
内閣府は3月15日に月例経済報告を発表しましたが、経済の基調判断については「景気は、着実に持ち直している」との表現を盛り込み、8ケ月ぶりに上方修正しました。

その背景としては、「輸出は、緩やかに増加している。生産は、持ち直している。」「企業収益は、改善している。設備投資は、下げ止まりつつある。」「雇用情勢は、依然として厳しいものの、このところ持ち直しの動きがみられる。」「個人消費は、持ち直している。」ことなどが挙げられています。

デフレの影響など景気を下押しするリスクは存在するものの、「先行きについては、景気の持ち直し傾向が続くことが期待される。」としていますので、景気回復の兆しが見えてきたことは確かなようです。

また、神奈川県内の状況については、日本銀行横浜支店が2月分の県内金融経済概況を発表していますが、「県内景気は、持ち直しつつある。」「輸出は増加を続けており、個人消費や設備投資は下げ止まりつつある。」としていますので、県内でも明るさを取り戻しつつあるようです。

二宮町という地域では、まだ景気回復を十分に実感するまでには至っていませんが、希望を持って前向きに取り組む時期にきているのではないかと思います。二宮町商工会でも、新年度は経営革新に対する支援を強化するなど、前向きな取り組みを推進していきたいと考えています。

私は、世の中って、希望を持って前向きに取り組めば、必ず動き出すと思っています。だって、いま飛行機が空を飛んでいるのは、大空を飛びたいと考えて希望を持って前向きに取り組んだ先人がいたからですよね。
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