昨日のブログで、江戸しぐさとは何かということについて書きましたが、では江戸しぐさは、いつ頃生まれたのでしょうか。江戸しぐさは、口伝であり文献資料がありませんので成立時期は明確ではありませんが、どのような背景から生まれたのかを考えてみると幾つかのヒントが見えてきます。
家康が江戸幕府を樹立してから、家光まで3代がかりで幕府の礎を築き、世界でも有数の大都市となり、元禄年間に経済が急成長するまでの間を幕府確立の時代と位置付けてみます。
そして、元禄バブルがはじけた後、八代吉宗が享保の改革により体制の立て直しをはかってから、寛政の改革を経て、町人文化が発展した文化文政年間までを改革の時代と考えてみると、江戸しぐさは、主としてこの時代に深められたのではないかと思われます。
八代吉宗が享保の改革を推し進めた頃、商人たちも投機的な市場から撤退する中で、武士に武士道があるように商人にも商人道が必要であることを学んだようです。この時代に、豪商といわれた商人たちは、長期的な視点に立ち、地に足をつけた商売を行っていくことが大事であることを家訓という形で後世に伝えています。
例えば、現在の三越・三井グループの前身である三井越後屋の元祖・三井八郎兵衛高利の母・三井殊法(しゅほう)は、「売り手悦び、買いて悦ぶ」という言葉を残していますし、高利も商売記の中で、「商いの道 何にても 新法工夫可到候(しんぽうくふういたすべくそうろう)-商売するのであれば、何においても創意工夫をしなさい。」と記しています。
また、大丸の業祖・下村彦右衛門正啓は、「先義而後利者栄-義を先にして利を後にする者は栄える」という言葉を座右の銘にしていたそうです。
商人たちは、金儲けばかりしていてはいけない、武士や社会との関係をうまくやらなければ商売を繁盛させることができないし、お互いが気持よく楽しくくらすことができないと考えて、江戸講という場に集まり切磋琢磨する中で、次第に繁盛しぐさ、商人しぐさというセンスが養われていったのではないでしょうか。
(To Be Continued)
家康が江戸幕府を樹立してから、家光まで3代がかりで幕府の礎を築き、世界でも有数の大都市となり、元禄年間に経済が急成長するまでの間を幕府確立の時代と位置付けてみます。
そして、元禄バブルがはじけた後、八代吉宗が享保の改革により体制の立て直しをはかってから、寛政の改革を経て、町人文化が発展した文化文政年間までを改革の時代と考えてみると、江戸しぐさは、主としてこの時代に深められたのではないかと思われます。
八代吉宗が享保の改革を推し進めた頃、商人たちも投機的な市場から撤退する中で、武士に武士道があるように商人にも商人道が必要であることを学んだようです。この時代に、豪商といわれた商人たちは、長期的な視点に立ち、地に足をつけた商売を行っていくことが大事であることを家訓という形で後世に伝えています。
例えば、現在の三越・三井グループの前身である三井越後屋の元祖・三井八郎兵衛高利の母・三井殊法(しゅほう)は、「売り手悦び、買いて悦ぶ」という言葉を残していますし、高利も商売記の中で、「商いの道 何にても 新法工夫可到候(しんぽうくふういたすべくそうろう)-商売するのであれば、何においても創意工夫をしなさい。」と記しています。
また、大丸の業祖・下村彦右衛門正啓は、「先義而後利者栄-義を先にして利を後にする者は栄える」という言葉を座右の銘にしていたそうです。
商人たちは、金儲けばかりしていてはいけない、武士や社会との関係をうまくやらなければ商売を繁盛させることができないし、お互いが気持よく楽しくくらすことができないと考えて、江戸講という場に集まり切磋琢磨する中で、次第に繁盛しぐさ、商人しぐさというセンスが養われていったのではないでしょうか。
(To Be Continued)