昨日ご紹介した「逝きし世の面影(渡辺京二著)」には、「子どもの楽園」という章があります。
「逝きし世の面影」は日本近代史家の渡辺京二が幕末から明治年間に来日した数多くの外国人が残した膨大な記録を丹念に精査することによって、明治末期以前の文明の姿を追い求めた名著です。これを読むと、当時の日本を外国人がどのように見ていたのかが分かりますが、第十章「子どもの楽園」から少しだけ引用をしてみましょう。
ウィレム・ヨハン・コルネリス・リデル・ホイセン・ファン・カッテンディーケ(幕府が開いた長崎海軍伝習所教官、勝海舟や榎本武揚などの幕臣に近代海軍教育を行ったオランダの海軍軍人)「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高低を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている。」
ラザフォード・オールコック(イギリス人の医師、初代駐日総領事)「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕にだかれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物をだいて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる。」
エドワード・S・モース(大森貝塚を発見したアメリカ人の動植物学者)「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」
イザベラ・バード(維新後間もない東北・北海道を旅したイギリスの女流旅行作家)「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりに愛情と注意を注ぐ、父も母も、自分の子に誇りをもっている。」
十八世紀初頭から十九世紀にかけて存続した祖先の生活は確かに文明に値したと考えますが、渡辺京二が「逝きし世の面影」と題したということは、既にこの文明は滅亡していると言いたいのではないでしょうか。しかし、私たちのDNAに少しでも受けついでいるものがあるとすれば、それに一筋の光を見出したいですね。それはフリースペースたまりばが目指すものでもあると思います。