NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

逝きし世の面影(2)

2022年01月16日 | NPO
昨日ご紹介した「逝きし世の面影(渡辺京二著)」には、「子どもの楽園」という章があります。
 
「逝きし世の面影」は日本近代史家の渡辺京二が幕末から明治年間に来日した数多くの外国人が残した膨大な記録を丹念に精査することによって、明治末期以前の文明の姿を追い求めた名著です。これを読むと、当時の日本を外国人がどのように見ていたのかが分かりますが、第十章「子どもの楽園」から少しだけ引用をしてみましょう。
 
ウィレム・ヨハン・コルネリス・リデル・ホイセン・ファン・カッテンディーケ(幕府が開いた長崎海軍伝習所教官、勝海舟や榎本武揚などの幕臣に近代海軍教育を行ったオランダの海軍軍人)「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高低を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている。」
 
ラザフォード・オールコック(イギリス人の医師、初代駐日総領事)「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕にだかれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物をだいて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる。」
 
エドワード・S・モース(大森貝塚を発見したアメリカ人の動植物学者)「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」
 
イザベラ・バード(維新後間もない東北・北海道を旅したイギリスの女流旅行作家)「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりに愛情と注意を注ぐ、父も母も、自分の子に誇りをもっている。」
 
十八世紀初頭から十九世紀にかけて存続した祖先の生活は確かに文明に値したと考えますが、渡辺京二が「逝きし世の面影」と題したということは、既にこの文明は滅亡していると言いたいのではないでしょうか。しかし、私たちのDNAに少しでも受けついでいるものがあるとすれば、それに一筋の光を見出したいですね。それはフリースペースたまりばが目指すものでもあると思います。

 

 


逝きし世の面影(1)

2022年01月15日 | NPO

昨日開催された認定NPO法人フリースペースたまりばの30周年記念シンポジウムは素晴らしかったですね。シンポジストは東京大学の熊谷晋一郎さん、世界ゆるスポーツ協会の澤田智洋さん、浦河ベテルの家の向谷地生良さん、コーディネーターはたまりばの西野博之さんという布陣だから当然といえば当然ですが。

その中で某が「おや?」と思ったのは、向谷地さんの最後のコメントに渡辺京二の著書「逝きし世の面影」を引用し、江戸時代に来日した欧米人が「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言っているというくだりでした。ピンとこなくてスルーした方も多かったのではないかと思いますので、少しだけおさらいをしてみますね。

「逝きし世の面影」は、日本近代史家の渡辺京二が幕末から明治年間に来日した数多くの外国人が残した膨大な記録を丹念に精査することによって、明治末期以前の文明の姿を追い求めたものであり、以後はこれ以上の成果を得ることは不可能だとして同様の研究を行う者が出てこないというほどの名著です。

向谷地さんが紹介したのは、1873年(明治6年)にお雇い外国人として来日し海軍兵学寮で英語を教えたイギリスの日本研究家バジル・ホール・チェンバレンが書いた「日本事物誌1」の「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が社会の隅々まで浸透しているのである。」という一節です。

因みに、初代英国総領事として下田に来航したタウンゼント・ハリスは、「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。」とまで述べています。

彼らの脳裏には、産業革命以降の欧米での悲惨な貧困の現状が浮かんだものと考えます。

「逝きし世の面影」には「子どもの楽園」という章もありますが、長くなるので明日ご紹介したいと思います。

 


たまりば30周年記念シンポジウム

2022年01月14日 | NPO

認定NPO法人フリースペースたまりばの30周年記念シンポジウムにオンラインで参加しています。

シンポジストは東京大学の熊谷晋一郎さん、世界ゆるスポーツ協会の澤田智洋さん、浦河ベテルの家の向谷地生良さん、コーディネーターはたまりばの西野博之さん。

いやー、面白いね!!!


にゃんこトラとなる

2022年01月12日 | 日記

房総でトラに因んだものはないかと思ったのですが、残念ながら出会う叶いませんでした。

そう言えば昭和50年代に、君津市鹿野山の神野寺で飼っていた2頭のトラが逃げ出したという事件がありましたね。

そんなことを思い出しながら、東京湾フェリーに乗ろうと金谷港に行ったら「かなにゃん神社」なるものがありました!

俳句では七十二候のひとつの「雀蛤となる」を季語として使っているので、にゃんこがトラになっても不思議はないと拝んできました(^^♪

 


大豆ミートのハンバーグ

2022年01月12日 | 日記

いま大豆ミートが話題になっていますが、ドトールコーヒーに大豆ミートを使ったハンバーガーがあったので注文してみました。

某は基本的に肉を食べないので「これもアリだな」と思いますが、肉好きの方は「これは肉とは別物だ」と割り切って食べたほうが良いかも知れませんね。


成人式はカオス!

2022年01月11日 | 日記

昨日は成人式の本番です。

「華やかに祝いました」と新聞記事のように書きたいのですが、会場周辺はカオス状態でした。

周辺の道路には違法駐車の車が並び、パトカーの警告も何のその。お陰で大渋滞が発生。

歩道はというとメインストリート以外は、すべて通行禁止。何でだろうか?

市長を批判する街宣車が大音響で居座り、それに金切り声をあげて抗議し警察官に止められる母親!!

派手なコーンロウのお姉さんや赤い着物でのぼり旗を持つお兄さんは可愛いく見えますね(^^♪

でもご本人達は、会場は友達との集合場所と考えているようなので、まぁ良いか😢

写真は会場から離れた場所でないと落ち着いて撮れませんが、マスク星人てどうなのかな???

 

 


今日は成人式

2022年01月10日 | 日記

今日は、孫娘のような子の成人式です。

天気は曇り、このまま雨が降らないと良いのですがね。

これから呉服屋さんから会場の横浜アリーナまで、アッシーくんを務めます。

アッシーって懐かしいね。

アッシー、メッシー、ジモティー、コジャレタ、コバラが減ったなどは、知人のマーケティングコンサルタントの西川りゅうじんさんの造語なんですよね。

 

 


感の入り

2022年01月06日 | 日記

今日は寒い! 

そりゃそうだ、昨日は寒の入り、一年でもっとも寒くなる時期だもん。

立春が待ち遠しいね。

きびきびと万物寒に入りにけり  富安風生

来し方を樹々の閉ざして寒の入 鷹羽狩行

月、天上天下寒に入る 荻原井泉水


たまりば30周年記念シンポジウム

2022年01月05日 | NPO

日頃からお付き合いのある認定NPO法人フリースペースたまりばが、設立30周年を記念してシンポジウムを開催します。

会場とオンラインのハイブリットで開催しますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。

日時
 2022年1月14日(金)14:00-17:00(開場13:30)
●開催方式
 対面とオンライン配信のハイブリット(当日いらっしゃれなかった方のために見逃し配信もいたします)
※会場入場券、オンライン配信、いずれにお申し込みいただいた場合でも、感染状況やご体調を見ながらご判断いただけるように、オンライン配信URL及び見逃し配信URLを全ての方にお知らせします。
●パネリスト
・熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター准教授・小児科医)
・澤田智洋(コピーライター・世界ゆるスポーツ協会代表理事)
・向谷地生良(ソーシャルワーカー・浦河べてるの家理事長)
●コーディネーター
 
西野博之(認定NPO法人フリースペースたまりば理事長)

 

 

 


伴走

2022年01月03日 | 日記

小田原の国道1号線沿いで育った某にとって、お正月と箱根駅伝はイコールでした。

家の前で、東京農大の応援団が大根を持って踊り出すのですからね。

ところで、NPO関係者はよく伴走支援と言いますが、本当の伴走を見た方は少ないのではないでしょうか。

運動中は水を飲んではいけないと指導されていた時代ですから、中継地点の5㌔ほど前になると選手は脱水症状でフラフラになります。

すると監督の指示で、控え選手がその選手を励ましながら隣を走り出すのです。

ジープのオープンカーに乗っていた早稲田の中村監督が、メガホンを持ち「都の西北」を大声で歌い出すのですから、何とも良い時代でしたよね。