ブログ仙岩

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松原泰道の般若心経と内田樹の日本辺境論

2013-09-13 10:30:06 | 日記
両者はササラ型の生い立ちで松原(1907年生)は早稲田文学部卒(住職)、内田(1950年生)は東大文学部卒(教師)である。

松原氏労作を石原慎太郎は「静けさや岩にしみいる蝉の声」と評し、知識と知恵、自我と自己との区別から、色即是空のこころ(純粋)を解いている。この世は自己、自我、空、明、錯綜、機物公害、精神公害で汚染された空気を吸いながら生きていかねばならない。
この世に生まれて必要なことは、目の前の事実や現象を明確に認識することで、主義主張にとらわれたり、概念や観念に縛られることのない自由な視点で見つめること。
欲求や不満は貧困だけで起こる現象ではなく、充足されても永久に解消されないもので「歓楽極まりて哀情多し」から楽しみがあっても、喜びがないものと善から見ている。

しかし、内田氏は丸山真男、沢庵、武士道、水戸黄門、養老孟司からヒントを得て自由に辺境の日本から日本文化論の視点で日本人を見直している。
非核三原則でも、「核兵器を製造せず、装備せず、持ち込ませず」を原則としても、核兵器を装備した米艦船を知っていても、知らないふりをしてる。曖昧にする日本人は、中華の弟朝鮮は小華、日本は辺境に曖昧さから華夷図式を反転させて、中心から皇化させて、三韓征伐や日華事変と攻略してきた。
それは、武道剣道書道というように、道を武士道や師弟関係で述べている。太公望と張良の「沓を履かせる」ことから、教育は内容コンテンツでなく、どのようにするかのマナーであると。