今朝ラジオ6時台、復興へのメッセージとして、矢吹町5代目大木代吉本店大木雄太さんの強いメッセージを聞いた。以前、テレビで女性の語り部として、福島の浜通りの津波災害、原発事故であまり知られていない矢吹町の震災の様子を報道するもので、特に勤めている酒造会社でも語り部と試飲の様子の映像を見ていた。
自宅で地震を経験した語り部は酒造会社に飛んでいくと、見るも無残にお店が崩れ落ちていた映像から始まっていたが、今朝は5代目大木さんのトークで、14ある蔵が全壊半壊で、仕込み蔵に搾りを待つ醪が床にこぼれもうダメと思った。が、わずかに残ったタンクの中からブツブツと醗酵の音が聞こえ復興への発奮となった。
若い杜氏と一緒に酒つくり終わってから改修工事と、いろんな酒蔵を回ったが、自分独自でやるしかないと甘酒を利用したりの蔵に入って酒つくりをした結果、沢山の方から支援も頂き、純米酒や吟醸生貯蔵酒など3年過ぎてようやくできた。
西の方は原発でもの造りはどうかという声があり、かす床の野菜はそこそこにあるが、魚はまだまだというところであり何とか操業149年の多く受賞している伝統、歴史に恥じない酒を造りたいと。
奥羽街道4号国道と矢吹駅の間に大木酒屋があり、料理酒、塩麹もあり、酒蔵見学も可能である。
自宅で地震を経験した語り部は酒造会社に飛んでいくと、見るも無残にお店が崩れ落ちていた映像から始まっていたが、今朝は5代目大木さんのトークで、14ある蔵が全壊半壊で、仕込み蔵に搾りを待つ醪が床にこぼれもうダメと思った。が、わずかに残ったタンクの中からブツブツと醗酵の音が聞こえ復興への発奮となった。
若い杜氏と一緒に酒つくり終わってから改修工事と、いろんな酒蔵を回ったが、自分独自でやるしかないと甘酒を利用したりの蔵に入って酒つくりをした結果、沢山の方から支援も頂き、純米酒や吟醸生貯蔵酒など3年過ぎてようやくできた。
西の方は原発でもの造りはどうかという声があり、かす床の野菜はそこそこにあるが、魚はまだまだというところであり何とか操業149年の多く受賞している伝統、歴史に恥じない酒を造りたいと。
奥羽街道4号国道と矢吹駅の間に大木酒屋があり、料理酒、塩麹もあり、酒蔵見学も可能である。