ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

常磐道四倉IC周辺の渋滞

2016-03-16 09:41:06 | エッセイ
ラジオを聞いていると、常磐道四倉IC、大久トンネル、広野周辺の渋滞が報道されている。新聞報道では2020年までに4車線化というが・・・。写真は3/12?福島民報より。

また、4車線の6号線四倉から2車線になる江之網からの渋滞も同様で、6:15ころから渋滞のため、我が家の前を通り志津街道を通過して久之浜で同流する。私も久之浜のハマエンドウなど撮影にはこの道を通る。

6号線江之網からバイパスになる工事が震災前から行われているが、その入り口の日東の山の工事が大変遅れていた。そろそろ完成と思われるが・・・が、バイパスが通れるようになれば渋滞も緩和されると思う。

しかし、震災の復興は急がないと帰還がますます遅れ、今の避難場所へ永住となってしまう。川内で昨日、食事もできるスーパーが完成したニュースを見て喜んだ。四倉の仮設にいる川内の方も帰還したくなるであろうと。

いつも、ラジオから流れる渋滞のニュース、我が家の前の6時半前後の渋滞を見るたびに、震災原発関連のお仕事へと感謝している。せめて、無事に仕事場に着けるようにと祈っている。

きずな診療所で歌うさだまさし

2016-03-15 08:32:37 | エッセイ
12日会津若松風雅堂での明日へのコンサートで、南相馬市きずな診療所から生中継した、家族に乾杯のテーマソング「バースデイー」を歌うさだまさしさんに感動した。今年4月から帰還へ向けて動く、おそらく小高からであろうと思うが・・・・。

今年の4月で64才になるシンガーソングライター(小説家、タレント、映画監督)さださんは、3才からバイオリンを始めた長崎市生まれ、中1で上京、中3から叔父の家の市川で20年も、肝炎で長崎へ、作曲してもヒットせず、1975年有線で精霊流しが大ヒットした。

が、肝炎が再発、無理せず1976年グループからソロへ、雨やどり、雨昴(谷村新司)、秋桜、案山子、関白宣言、親父の一番長い日(娘を思う父)、道化師のソネット、防人の詩等順次発表した。

私の持っている3枚の一つ心の時代等のCD、2枚目となりの芝生のMASASHI SADA、3枚目の風に立つライオンの入ったさだまさしベストが一番多く聞いている。桜のきれいな日本を捨てたわけではないナイロビで医療に従事する医師のことば、病気の患者の心は僕よりきれいだ・・・。言葉の少ない北の国から(遥かなる大地より)、そして息子を思う父の案山子は涙が出る。どうして、さださんの歌は人の心を刺激し、心の中まで沁み込んでくるのだろうと。

心に響く歌などソロになって40年、日本人が持つ季節を思いださせ、ぬくもりのある風景を綴っているからであろう。

自分を客観的に見ることも大切、だが、嫌な自分を気にしすぎてもダメ、また、好きな自分に酔ってもダメと、軽妙なユーモアあふれる言葉に体温を載せて世事やモラルなどへ率直な意見を語っている。人と共感できる生活感があるからであろうと思う。病と闘いながら活動するさださんに乾杯。

童謡汽車の広野町からのど自慢

2016-03-14 09:47:51 | エッセイ
昨年から待ちに待った広野町からNHKのど自慢が、昨日13日広野中央体育館で開かれた。

いわきを中心に浜街道は3月に入ってから寒くなる。小田切千司会は無理してミカンの北限と温かさを強調していたが・・・。防寒スタイルでも大変寒く感じたと。

広野町町制施行75周年記念事業、1:30までの拡大版で、25組熱唱でした。香取慎吾さんが特別MC、前川清さん、八代亜紀さん、それに綾瀬はるかさんがゲストで出演した。小田切さんはJヴィレッジを紹介していたが、トンボのめがねのほかに、今は山中今は浜・・・の汽車、万葉集「沼二つ通は鳥が巣吾が心二行くなもとなよもはりそめ」と詠まれた、二ツ沼があり、その南の岡に双葉伝習農場が以前にあり、ここにミカン畑ができた。北限は木戸で龍田以北では見かけない。

10組の合格者が出たが、一昨年私も観覧した郡山市民文化センターではいわき出身の会津磐梯山を歌い見事高校生がチャンピオンに、今回は郡山中心になか通りの方が合格していたようだと。さすが中1の女生徒(未来へ)は声が通っていたと、参加した娘から聞いた。

700人の観覧者は5.7倍の競争から当選したとか、指定席は丁度中央の通路で前から11列目であったと。1番に唄った3人組鐘が一つの応援団の隣だったとか。

漢字入りノーマルクロス解答と金スマの金沢翔子さん

2016-03-13 09:29:34 | エッセイ
漢字入りノーマルクロスの答えはハナイカダです。

一昨日11日夜いつも寝ておりテレビを見ない人がなんとなく金スマを見ると、台湾とかかわりのある一青窈さんゲスト、震災に対する考え方や行為についてしんみりと中居正広が支援のありかたを語っていた。

1985年東京目黒区に生まれた金沢翔子さんは新生児で敗血症にかかり、ダウン症と診断、知った書家の母泰子さんはともに死のうと考えたが、夫や育つ子を見て思いとどまったという。

そんな翔子さんは母と南三陸町などを視察した。中国の地震でもそうだが、台湾の地震での日本の救援隊の仕事ぶりや義援金に感謝し、3.11震災で被災地、松島の橋の復興や、南三陸町の病院建設などに20億円もの義援金を支援した台湾から来日した高校生が、松島の橋を見て日本との懸け橋と、南三陸町の病院を見て、その被災地の民泊で食事や震災時の話を聞いていた。

台湾の高校生の前で、小欄の号を持つ翔子さんは「久遠」(くおん)を大きな紙に揮ごうした。力強い落款を翔子の下に押したものが、学校に表具され飾られていた。こんな力強い書を見たのは初めてという高校生、台湾と日本の永遠の絆となるであろうと。

震災5年追悼復興記念式

2016-03-12 09:45:12 | エッセイ
5年目の昨日11日わが町のサイレンが午後2:46に1分間鳴り、北を向いて黙とうした。各地ではその追悼式が行われた。

原発事故で、いつ帰還できるかわからない双葉大熊含めて10万人が、県内外に避難生活を続けている。福島県主催の記念式は県文化センターで「花は咲く」を歌う写真が福島民報のトップ記事に載っている。

追悼詩いわき短大1年加藤洋子さん、月日は刻々と流れる 季節は静かに巡る 心にあいた隙間を埋めていく 郭公山 天神岬 木戸川 白鳥池・・・

桜が丘高3年桑原真子さん、家も制服も友達も何もかもが変わった あの日から5年不安な私をたくさんの人が助けてくれた愛してくれた・・・

福島高2年北村華帆さん、私たちが当たり前と感じるものはたくさんの誰かの苦労で成り立っている 電気も水道もガスも建物も たくさんの手で…ありがとう・・・

読み上げたメッセージ、自分の夢や目標に向かって挑戦・・・と内堀知事、写真に載っている杉良太郎さんが朗読、福島出身バイオリン奏者吉田友美さんが慰霊の音楽を奏でた。式後杉さんは伍代夏子さんとともに、震災直後の4月南相馬、川俣、飯館など避難者を慰問、炊き出しや救援物資の配布に取り組んだことを思い出したと・・・。

オーストラリアのシドニーのセントマシュー教会の震災追悼式で、広野出身の木村元哉さんがスピーチしたと海外でも式典が行われていた。