オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

喪中の便り

2008-12-17 | Weblog

k係長

生意気盛りの25~6歳、僕は、K係長の下にいた。両国にある〇〇公社の現場管理機関が職場、係長と僕の二人だけの係。仕事は、職員の訓練・研修担当である。上部機関からの研修計画に基づく、研修派遣者の調整、研修案内通知等のルーチンワークの他、管内の新任管理職・監督者研修の計画・実施等。比較的に暇な日常。

 

K係長は当時、43~4歳。お酒が好きだった。当時の僕は余り飲めない。それでも、一緒に酒場の暖簾を潜る回数は多かった。Kさんは、飲めば飲む程、飲む。当然、酔う。それでも飲む。(飲み方が、相棒のヒロさんに似ているかもしれない)

 

〇〇公社は、給料が安かった。当然飲みに行く店は、大衆酒場、居酒屋。(立ち飲みはなかった)何時も何時も、大衆酒場。ばあさんか、じいさんがやっている店である。

時々、僕は言う「係長、たまには若い娘がいる店に連れって下さいよ」。そんな時、たま~に(10回に1回ぐらい)連れて行ってくれるのが、「民謡酒場」であった。確かに、此処には若い娘もいた。民謡唄っている、店の歌い手。唄っていないときは、酒や料理を運んでいる。

若い娘と云っても民謡を唄う歌い手さん、K係長にとっては若いが、僕からすればチットモ若くなかったが・・・。

 

「係長、若い娘がいる所」と言うと、民謡酒場。錦糸町や亀戸の裏通り、吉原、よくこんな場所を知っているなと思うぐらいに知っていた。そのはず、Kさんは、声に艶・張りがあり唄が上手だった。唄は、民謡。僕も教わった、「ぼ~しゅう白浜、あの磯伝い・・・」あの時の白浜音頭が懐かしい。

飲んで、飲んで、飲んで、酔っ払て、唄って。また飲んで、更に酔っ払うぐらいにお酒が好きな人だった。でも、いい酒飲みだった。愛すべき酒飲みだった。

お酒と唄の他に、釣りが好きだった。休みには、房総の海にいつも出かけて釣り三昧。初めて、海釣りに連れて行って貰うことになり、両国の駅前で安い道具を仕入れ、夕方から、職場の前にある震災祈念堂の広場で、竿の持ち方、リールの巻き方から錘を付けての投げ方、仕掛けの作り方ときめ細かに気永に教えて貰った。

 

怒らない、叱らない、人だった。優しい人だった。逆らわない人だった。大人だった。

僕は転勤し、その後、結婚。結婚式に出て頂いた。それ以来、お会いしていない。

毎年、年賀状を頂いた。僕の子供達の名前を全部書いて、「〇〇チャンは元気でいますか」等と気遣ってくれる方だった。

 

来年から、あの年賀状を見ることはない。読むこともない。

 

あれから、36年が経つ。僕はあの時の係長のような大人に未だ、なれない。なっていない。

 

 

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トンカツ

2008-12-17 | Weblog
12月17日(水)朝から雨。若かった頃、値の張る傘を買ったことがあった。雨が降る日が愉しかった。今、高い傘を買ってもそんなことは思わないだろう。自転車で廻る仕事が中心の妻達の苦労を偲ぶ。

今日の弁当は、トンカツ。これにホタテと小松菜の煮物。定番、卵焼き。

朝の準備が遅れ、大急ぎで米を磨ぐ。煮物用の鍋をガス台に架け、豚肉の下味を付ける。
卵3個を溶かし、醤油で味付け。炊き立ての飯で、大き目のおにぎりを一つ。
45分で、4人分が完成。娘から、油物が多いと忠告を受ける。ご批判は真摯に受け止めなくてはいけない。稚拙な僕の弁当を食べて頂くのだから。
「弁当とおかず」なんて言うレシピ集を探して、勉強に励むか・・・。

昨夜遅い時間となったが、弊社の顧問でもあるW氏と久々にお会いした。Wさんの知人が盛岡から進出、銀座で冷麺の店を出しているとのこと。有楽町マリオンで待ち会わせ、その店「ぴょんぴょん亭」へ。電通通りに面したビルの11階。綺麗なつくりで大きく広い、銀座らしいお洒落なお店である。何組かテーブルが空くのを待っている。
冷麺を売りにした焼肉店のようだ。コース料理には全て仕上に冷麺が付いている。初めて食した冷麺は、米の麺とかでこれまで食べてきたものとは違った。絶品とはこのこと、固くもなく、柔らかでもなくそれでいて腰のある麺。太さは、パスタぐらい。美味かった。

Wさんは、元大手電機メーカの幹部。香港や米国の現地法人の社長を勤められ、米国での体験が氏をフィランソローピーに目覚めさせたと云う。日本における、その分野の草分けである。15年も前になるが、私も前職においてご指導を頂いた。
企業人のボランティア活動から福祉、高齢者社会への取組、地域社会活性化等をテーマに企画提言、仕組み作り、講演と幅広くご活躍されている。70歳を過ぎられてなお、活動範囲を広げておられる。(若さの秘訣かな・・・)

私の相棒のT氏(これからは、ヒロさんと呼ぶ)とも旧知の間柄である。そんな縁もあって、顧問をお願いしている。


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