2/9(水) 今朝は牛小間炒めとなった。後は、野菜を茹でたものを添え、定番の卵焼きである。何時も同じようなもののオンパレードで面白くも無いが、致し方なし。弁当箱だけは、久々に「曲げワッパ」の登場。
野菜は、ピーマン・人参・インゲン・絹サヤと少々残っていたエリンギ・マイタケを軽く茹で、タマネギと一緒にオリーブオイルでさっと炒める。
牛小間は、三人分で約200gをニンニクのスライスを3欠片程熱して、これで炒める。味付けは塩・胡椒で仕上げに醤油をひと垂らしする。最後に卵焼きを作り、これで今日の弁当が仕上がった。
弁当箱が足りず、久々に自分用の曲げワッパの弁当箱を使う。弁当の中で赤いのはプチトマト、ご飯の上は佃煮。
明日は「サンドイッチ」の予定。
「 昨日・一昨日 」
月曜日、仕事をサボって昼前から会社のU老と二人で両国界隈を2時間程散策。きしくも江戸・東京の橋巡りの一端を担うこととなった。柳橋を見て両国橋を渡り、墨田川沿いの遊歩道に店展示されている、北斎の挿絵「大川沿いの風景」を見ながらの散策となった。
両国橋西詰
両国橋西詰は、江戸の時代一番の賑わいであったそうな、北斎が描いた挿絵からもその賑わいが見て取れる。
両国橋西の直ぐ傍に柳橋が架かっている。井の頭公園の池を水源に神田川となり大川に注ぐ手前の橋である。
江戸時代から昭和の半ばまで、柳橋の辺りは料亭が軒を並べていたようだが、今見えるのは船宿ばかり。私がサラリーマンになった頃、この橋の近くに会社のクラブがあり料亭の面影を残していたが・・・。
柳 橋
両国橋の上から上流を望むと、Docomoのタワーと東京スカイツリーがくっきりと浮んでいた。タワーのあった場所に、かって勤務したオフイスと体育館があった。その手前が「安田庭園」、前が昭和12年の大震災の「震災記念堂」。U老にそんな説明をしながら歩く。
両国橋の上から
川風は未だ冷たかったが、1800年頃の大川端の江戸の風物を偲び、最近よく読む時代物の小説と重ねながらの散歩となった。帰りは「言問橋」から蔵前、浅草橋と抜け、途中「ラーメン」を食べて帰社。結局この日の弁当「トンカツ&エビフライ」は、夜の部の居酒屋で食すこととなった。
月曜日の弁当
夜の部は、昼間一緒に散策したU老人ともう一人、弊社の平均年齢向上委員の一員、Yであった。何時ものチャリン・チャリンと呼ぶ「ちょっぷく」(酒も肴も何でも300円のチケットを自販機で買う、チケットがチャリンと落ちてくるところに由来)に参集した。
私は、1月から2月初旬にかけて連日連夜、公式戦のグランド(酒場)に登板していた。久し振りに練習(社内飲み会)と云う場面であった。軽く上げるつもりが、グラスが空く度に次が来る。話も盛り上がり、最後は最近富に客足が悪い「ちょっぷく」の挽回策にまで至った。
店長のYamakage氏を捕まえ、U老が長広舌を開陳。他人の店のことより、我が社の体たらくを考えて貰いたいところだが・・・。すっかり出来上がり店仕舞いの時刻まで長居した。
お互い、若くはないんだから練習も程ほどにせんと・・・。
案の定、昨日の朝は前夜の練習疲れで不調。早くから出かけると云う家人の弁当が間に合わず「オムスビ」でお茶を濁す始末となった。そんな訳で、昨日の弁当は「オムスビ」。家人とK君用にメンタイコと梅干、シラスのオムスビ、計5個でお終い。
Kのオムスビ
自分は、昼前から午後・夕方にかけて外出予定が有り弁当は持参しない。この日は結局、立ち食いソバで済ます結果となったが・・・。
この日の「あ・り・さ・ん・歩」。昼前、人形町から有楽町一丁目駅まで歩く。そして、最後の訪問先「板橋日大病院」から池袋駅まで、四駅相当を歩いた。