オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

あ・り・さ・ん・歩

2011-05-09 | Weblog

5/9(月) 久し振りに弁当を作る。とは云いながらも休みの間には、結構家で飯作りを楽しんでいた。変り映えのしない物ばかりではあるが・・・。

今朝の弁当は「豆ご飯」であった。従兄弟から貰ってきたグリーンピースを連休明けの弁当用に残しておいたのだ、偉い!

豆ご飯を炊き、炊き上がる間にお菜を作る。先ずは、山のように持ち帰った自家製の「絹ザヤ・スナックエンドウの卵とじ煮」「豚小間&タマネギ炒め」「小イカの煮付け」、定番卵焼きと茹アスパラとなった。さらに、自家製ジャコ佃煮と独活味噌を少々入れる。

                         

四人前の弁当を準備した。長女は、とうとう自分の弁当箱を置っぱなし、今朝も出勤途上の7時半に取りに寄ったのだ。(私のお弁当、できてる?だって)

                    


私はこの休みの間や、取材旅行で食べ過ぎの感あり。腹がもたれてきた・・・マジ、ヤバイぜ。

  「あ・り・さ・ん・歩」

四月の散歩駅数は「75駅」であった。目標数60駅は十分にクリアできたこととなる。
連休中や田舎に居る間は散歩の距離が伸びない。この間で歩いたのは5日、6日。それに昨日の日曜日であった。

5日は、昼の便に搭乗するため朝に余裕があった。8時ごろから9時半まで、都立大~呑川緑道~駒沢公園と歩いてから空港へと出向いた。

6日は隠岐・中ノ島は菱浦港(湾)を6時半頃から一時間程散歩。夕刻、取材を終えた先から40分程掛けてホテルまで歩いた。初めての土地・場所なので新鮮な気分であったことは云うまでもない。

この湾(菱浦)を一周したのは朝日が昇ってからであった。湾の端まで行き、体操をすると汗ばんできた。左の白いヨットが在る辺り、道路脇に「小泉八雲」の碑がある。

明治26年だったか、夏の何日かを此処で過し、この湾と島々の美しさに魅入られたそうな。そして、この湾のことを「鏡浦」と呼んだと云う。鏡のように澄み、穏かな湾ということからのようだ。

その言葉に因んだであろう、湾に注ぐ小さな橋に「鏡浦橋」と記されていた訳を、モニュメントままで歩き、知った。

 「地元を歩く・・・」

 自宅にて、昨日は7時半から歩き始めた。5時半頃から愚図愚図としていたが、漸くスタートしたのはこの時間となっていた。どのルートを行こうかと悩んでいた。結局は一番長いルートを逆に辿ることとなった。

碑文谷公園から駒沢通を横切り学芸大学付属高校、世田谷観音から明薬通りを辿り246号線(玉川通り)に至った。其処かしこの垣根や塀に五月のバラが咲きみだれ、初夏の陽光映えて美しい。一年中で一番の季節が、今時分ではないか・・・。

                        

246号を下向し、環七を渡り駒沢駅を横目に環八の手前を左折、呑川親水緑道沿いに歩く。この緑道は、小川を挟み左右が桜並木。小さな流れの中にはアヤメの紫や黄色が映えていた。

                        

1km程も歩くと流れは暗渠となり、緑道の散歩道だけとなる。この緑動が延々と都立大学まで続く。ただひたすら歩く、歩く・・・。

それにしても、流れが、水があるだけでこれほど潤いを、やすらぎを与えてくれるものなのか・・・。全ての生命体には水がある、必要と云うことか・・・。

漸う帰宅すると、二時間を経過していた。疲れました・・・。

コメント
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