5/24(火) 今日の主食材は豚肉となった。結果からみるとそう云うことになっていた。先ずは「豚肉の牛蒡巻き」「豚挽きのハンバーグ&ピーマン詰め」「アスパラの生ハム巻き」である。
付け合せの人参・タマネギ・スナックエンドウ、ほうれん草とベーコンの炒め物が本日のメニューとなった。簡単手早く仕上がるはずが意外と手間取る。豚挽きとタマネギ・茸を刻みハンバーグにして焼く、牛蒡の皮を剥き茹煮したりに手間を取られた。
本日の弁当も四人分。ご飯が炊きあがる前にお菜が仕上がる予定だったが間に合わず。長女が弁当を取りに現れ、大急ぎで弁当箱に詰める仕儀となった。
- 昔の俺のように・・・ -
昨夜、後輩のUやOkadaが人形町へと見えた。四国からのU氏が遅くなり、Okadaが早く着いた。二人でグラスを傾けながら最近の状況を訊ねる。
「大腸のポリープを20個程取り、医者から物持ちだと言われた」とか、「来春には転勤になりそうだが、東京を離れたくない」なんてことを聞いていた。挙句、「東京を離れるのなら会社を辞めたい」なんて言葉を聞くと、知らず知らずに説教調になっていた。
其々幸せの尺度、価値観は異なるが若いうちなら兎も角、ましてや自分のやりたいことが明確になっていない限り、無茶はいかんぜよ・・・。そんなことを云った。
思い起こせば二十年近く前になるか、Okadaと一緒に仕事をしていた頃のことだ。グループ会社に三年勤務した私は本社へと転勤になった。その前後、私は本気で会社を辞めようと思っていた。それは、会社人でなく職業人になろうとしていた道から引き戻されたことに拠る。
勇気もなく、プロとして生きて行く自信もなかった由、結局辞めることができなかった。暫くは荒んだ日々が続いた。(それを、静に受け止めてくれていたのが相棒のHiroさんだった)
年齢的には、今のOkadaよりは、ず~っと若かったが・・・。
そんなことが俺にもあったと、Okadaと別れた電車の中、朦朧としながら思い出していた。
何事であれ自分で選択するしかないが、ベストな選択であるかどうか、それすらも自らの判断による。客観的な判断力、総合的な判断が必要だろう。
ただ、今のOkadaに私が云ってやれるのは「辞めない方がいい、絶対にいい」と、いう言葉。