オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当不要なれど・・・

2011-05-27 | Weblog

5/27(金) 今日は自分の弁当は要らない。昼にK氏と会いランチをご一緒する予定。その後、氏の紹介で某社に取材依頼の訪問と云うスケジュール。

されど、我が家族の分は何時もどうり。というより、次女が今朝工房から徹夜作業明けで帰ってきた。彼女用のオムスビが追加となった。

今朝のメニューだが、五時前から布団の中であれこれ考えていた。だがいっこうに纏まらない、どうしても纏まらなかった。台所に立ってから決めることとなった。

冷凍庫の中を漁り、食材を検討する。「ホタテ」「豚肩肉スライス」「豚カツ用肉」以上をスターティングメンバーとして登録。脇を固めるメンバーは、野菜室から選択する。「絹サヤ」「アスパラ」「シメジ」「タマネギ」「ピーマン」が勢ぞろいした。

生姜を摩り下ろし、豚肩肉の生姜焼の準備。日本酒・醤油のタレに暫く漬け込むのだ。
併せて冷凍食肉の解凍、米を洗い、ご飯を炊く。

ホタテは、オリーブオイルと白ワイン・塩胡椒・バター味で焼く。これには、シメジとピーマンがお供。

次いで、生姜焼きとなる。残り汁でタマネギを炒めて添える。絹さやとアスパラは茹でるだけ。

                       

仕上げが「トンカツ」となった。メリケン粉・溶き卵・パン粉をまぶして揚げる。朝から揚物をする、暇オヤジたぁ俺のこったい!何て、下らないことをホザキながら。残った粉関係者に最後のお勤め「お好み焼」に変身願う。ここで、刻みキャベツが登場となった。

                       

お菜が仕上がり、丁度ご飯が炊きあがる。今朝は中々の手順であったか・・・。そぷだ!次女のオムスビが未だだ。大急ぎで梅干とオカカのオムスビを用意してお終いとなった。

                  

真中の弁当がK君用。飯の量が多いのが特徴だが、お菜のスペ―スが小さくなるので丼風弁当になりやすい。今日の弁当箱は中サイズ。左が家人用だが、この量でも飯が多過ぎると言う。右は「ポポポ~ンかあさん」こと、長女の二段弁当箱。オムスビ二個は次女である。

我が弁当箱が登場しないのが残念な朝である。

 ー 母校は如何に -

 昨夜は、全国高校校長会に上京中の母校の校長先々と会った。何しろ小生が、柄にもなく在京OB会の代表と云うことにされている。そんな行きがかりから、恒例の会議に出席する先生と懇親の場をもった。

小生が育った所は、田舎の田舎。海岸の町にある高校までは自転車で通っていた。高2・3年の頃はバイクだったか。未だその頃は舗装はじゃり道。冬場、トラックや車が通ると学生服は砂埃で真っ白になった。そんな時代であった。が、生徒数は多かった、団塊の世代。

最近は地域に子供が少ない、街の学校へ行く。そんなことから母校は、衰退の一途とか。私が在籍した剣道部も既になかった。
校長さんからは「帰省の折には、是非学校に寄って頂き、生徒に話をしてください」などと云われる・・・。

 酒の席とは云え、紅顔の美少年であったあの頃とは違い(?)この不良オヤジがそんなことをすれば世も末。そんなことを云われ、一瞬酔いが引いたのであった。(ご一緒した弁護士稼業の先輩などは別格であろうが)

 先生、上京前に学校に保存されている古いアルバムから私の写真を見てきたと云う。まさか、成績表までチェックしてないだろうな?否、チェック済みか・・・ヤバ。

 久し振りに母校の様子など聞けた、いい夜であった。

 

コメント
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