オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

サンドイッチ

2012-01-17 | Weblog

1/17(火) 今朝も早くから目覚めたので、弁当を作ることとした。今日は「サンドイッチ」である。一昨日にパンを買っておいた、万端である。

後は、サンドの具を何にするかである・・・。ちょっとだけ何時もとパターンを変更してみた。野菜系は、ピーマンとパプリカ・トマトにゆで卵を刻み、塩胡椒に酢とマヨネネ-ズで和えた代物。肉系は、豚小間とシメジ炒めとなった。

以上に、キャベツ・レタス・タマネギ・パスタを組み合わせて仕上がりとなる。八枚きり食パンと大きなバケットパンをカットした四枚が、今日の作品?となった。

                          

四人分がたっぷりと有ることになるが、何と今朝は三鷹の某社を訪問の為に直出であった。そんなことはすっかり忘れて弁当を用意していたのだ。知人の紹介で初めて挨拶に伺うのに、弁当袋持参では格好がつかない。Kの弁当は、諦めて貰うしかない、徳用のラーメンでも買って行くか・・・。

                          

となれば、弁当は二人前で済む。こんなに作ったのに・・・。

 

 「臭い話・・・」

風邪なのか、咳・痰が止まず。問題は、煙草が吸えないことだ。口さがない社内の連中は「この際、煙草止めたら」と軽軽しく言ってくれるが、そうはいかんのよ!

タバコを美味しく吸えるかどうか、が健康管理のバロメータなんです。とは云ってみても、ここ数年はタバコが美味くない・・・と、云うことは?

昨夜も安焼酎を啜りながらの酒席での話だが、U老が戦中の疎開先での思い出を語った・・・・。


「岐阜の母方の実家に、母・兄弟姉妹で疎開してたんだけど。ある晩、空襲警報が鳴ってね。皆で神社の森へ避難する途中の出来事よ」

「荷車を真中にして、夜道をすぐ上の姉が左側、俺は右側を歩いていたんだけど、途中で姉が居なくなったのに母が気付いたのよ。そしたら・・・」

「何しろ戦中時代の田舎道のことだから、途中に肥溜があって、姉は其処に落ちて胸まで浸かっていたんだ」。

「すぐ傍に水路が流れていたんで、そこで洗ってもらっていたのを思い出すよ。親戚の人からは『お前は美人になるぞ』と云われてたよ・・・」。「馬糞を踏むと美人なる、と云う迷信があったらしい。肥溜めに嵌ったんだから効果絶大という訳さ・・・」と、大笑いした。

何故、こんな話になったかと云うと、私が最近雨が降らないので播いた野菜種が伸びない。畑の脇に水が流れているんだから、水撒きしてやればよかった。と、田舎の畑を知っているU老に、溝・水路の話をしたのが発端である。

私も肥溜めではないが、ボットん便所にまつわる或る逸話を披露した。それは昔々、私の田舎での出来事である。

今は50歳にもなろうかという大人になったKatuoが子供の頃のことだが・・・(親戚の子だ)。当時、田舎の家というのは、風呂場や便所は母屋とは別に建っているのが一般的であった。

Katuoが便所に行って暫くしてから、便所の方で“ボッチャン”と、音がしたそうだ。丁度居合わせた父親は、子供が便所に落ちたと飛んで行った・・・。そして、便坪の中に潜って子供を捜した、そうだ。

ボッチャンの音は、Katuoが便坪に石を投げ込んだ音であったと分かったのは、潜った後のこと。しかし、笑うに笑えない、臭いばかりの父親の愛情の深さではないか・・・。(川が直ぐ傍なので、川で体を洗ったんだろうね、きっと。)

田舎に帰ると、この親子とはしょっちゅう顔を合わす。その父もすっかり老いたが、親子の姿を見ると、このことを思い出す・・・。

 

 

コメント
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