オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムスビ・とうふ・鶏肉

2011-02-15 | Weblog

2/15(火) 昨夕から降り出した雪、もう少し積もるかと思ったが朝を迎えると大したことはなかった。ひと安心とともに、一寸物足りない気分・・・。

とは云いながら、漸く雨漏りが止まっていた我が住家、雪の所為かまた雨漏りがあったそうな、とホホ・・・である。

さて、今朝の弁当だが、次女が昨夜きたことからオムスビとなった。超簡単、お手軽弁当。私は昼に会食の予定があり弁当は持参しない。家人・次女・K君の分を用意した。具材は最近鮭を切らしており、最後のメンタイコと自家製ジャコ佃煮、K用にチリメン混ぜオムスビ。

オムスビ7個と卵焼きを作ってお終い。

                         

 「芝 うかい」

今日の私の昼だが「芝 とうふ屋 うかい」にて、豆腐会席ぽっい料理であぅた。全7品にデザートの果物。飲物は、生ビールと白ワインを頂いた。

                      

店の雰囲気、料理、庭と全て良しのお店。純和風の建物(古民家を移築)と庭、雪吊を設えた松の風情といい、お客さんをもてなすにはベストか。東京タワーの真下にあり、元ボーリング場の跡を6年前に料亭にしたそうな。

                    

古くから高尾の山中にある料亭「うかい鳥山」の経営か。山の中と街中の違いはあれど、店の雰囲気は良く似ている。

食事を終え、外にてタバコに火を付けているとTVの撮影クルーが待機していた。訊くと、”出没アド街ック天国”(テレビ東京:土曜夜の番組)の取材と還ってきた。

さて昼食会のゲストだが、横須賀時代の上司・総研所長のKさんであった。会場の手配などは同僚ともいえるWさん(現在は某社の常務取締役)である。Wさんの配慮が行き届いた会場選定などに感謝であった。

 

 「昨日の弁当は」

昨日の月曜日は、鶏肉のオリーブオイル焼きとシメジ・マイタケ・タマネギの炒め物。ほうれん草・油菜・スナッピー茹、冷凍シューマイ、自家製佃煮を加えた弁当であった。

                         

鶏肉焼きは、フライパンにニンニクスライスを少々、後は塩・胡椒で味付け。仕上げに白ワインを垂らしてみた。茸などは、鶏肉とは別に炒めて味付け。油はオリーブオイルを使うよう心掛けている。

                         

                         何時ものように三人分の弁当

自分用は飯の量は少なめにしたが、何時もの如く一杯やり夜遅く駅に着いた。雪が降りしきる中、学芸大周辺で一番旨いと思っているラーメン店「モンゴメリ」に立ち寄り、ネギラーメン(800円)を食してしまった。

ラーメンパワーの成果か?雪降りしきる中、家の前の雪をチリトリにて雪掻きし、ご丁寧にホースで散水までして綺麗にしちまった。(嗚呼お疲れさん!)

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訃報ありて・・・

2011-02-14 | Weblog

2/14(月) 昨夜、郷里より先輩の訃報が届いた。先輩の名は「岡宗武弘」さんと云う。元高知新聞社の記者であったが、2月11日急逝されたのこと。

岡宗先輩との出会いは高校卒業を前にした2月頃であったろう。先輩は一学年上で、大学の三島校舎から東京へと移る時期で、大学で後輩となるであろう私、は三島校舎に行くこととなった

知人からの紹介で、大学での生活や下宿についてお聞きするため帰省中(室戸市羽根町)の先輩を訪ねたのが始まりであった。先輩の実家は医院で、先輩も当初医大を目指したが断念し、新聞学科に入ったなどの話もその時に聞いた。

講座の取り方、どの教授が面白いかなど新人にとって為になる話を聞かせてもらった。

先輩が住んでいた三島の下宿を紹介して貰い、その後に入った。そして一年後、私も東京に移り本格的に交流が始まった。とはいえ、大学の近辺で出会いお茶を飲んだり、たまにアパート・下宿を訪ねて酒を飲んだりマージャンに加わったりのことであったが。それぞれに遊び代稼ぎのアルバイトで忙しかった。

私が大学三年、先輩が四年生の時に学園紛争が本格化した。私の友人達の何人かは、その活動で積極的に動いていた。岡宗先輩もそのグループの中におり、校舎をロックアウト・バリケードを築いて熱い血を滾らしていた。

そんな最中、夏休みとなり田舎から「高知新聞社記者募集」の広告が送られてきた。記者志望の岡宗先輩に届けるのが私の役目であった。
バリケードの校舎で先輩を呼び出し、募集のことを伝えた。先輩は暫し瞑目、悩んでおられた。この時のことは、何時まで経っても二人で飲み潰れながら繰り返して出てきた。

新聞記者となった先輩とは、帰省のおりや先輩が上京した時と、年に一・二度は必ずお会いして酒を飲み、談論風発気侭に論議をしてきた。大酒飲みの先輩と小酒飲みの私であったが、量は違えど酔えば同じ。一時は私もジャーナリストの道を模索したし、アルバイトでは同じように酒場での経験もあった。

新聞社のメンバーが利用する酒場によく案内をしてもらった。居合わせた同僚や後輩と云わず、先輩であろうと最後には論議を吹っかけて相手を困らせていたのは枚挙が尽きない。酔っ払った私まで悪乗り、翌日赤面汗顔が何度かあった。随分と乱暴なことを言い、行動をしてきたが、悪意や嫌味は一つもない希なる先輩であった。

こうして思い起こすと、岡宗先輩には「公」の精神が横溢していたのではなかろうか。

その先輩が或る時から酒を控えざるを得なくなった。糖尿病となりドクターストップが掛った。

そんな状況に置かれながらも、帰郷して連絡をすると「あんまり飲れんがよ、けんど今日ばあわ、ちっと飲っても構わんろ」と云って何時もの店で付き合ってくれたものだった。
行き付けの店のオバさんから「岡宗さん、あんた飲れんがやろ」等と言われていたが、「ちっとよ」などと言っていた。

そんな先輩が逝ってしまい、淋しい限りである。最後の御礼の言葉を伝えたい。

「先輩、人生の深遠と酒を教えていただきありがとうございました。これまでのご指導とご厚誼に感謝します。ありがとうございました。
先輩が長い眠りにつかれようとも、私の胸の内に何時までも生き続けております。
また来世お目に掛かり、酒を酌み交わし一緒にやんちゃができる日まで、おやすみください」 合掌

 

 

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サンドイッチ

2011-02-10 | Weblog

2/10(木) 今日のメニューは予定どおりにサンドイッチ。カツサンド・牛小間サンド・ポテトサンド・野菜サンドの揃い踏み。関取が食べるくらいの量ができた。

                     

トンカツを揚げ、牛小間とシメジを炒める。卵三個とポテトを茹でる。続いて胡瓜・キャベツ・レタスをカット。フライ用に使った溶き卵が勿体無いので、タマネギの小さいいのをスライスして炒め、卵とじにした。

ポテトと茹で卵でポテトサラダにし、後は材料を組み合わせてお終い。パンは、麦芽パンの10枚切りとハンバーガー用パン五個を軽く焼き、バターとマヨネーズに塩・胡椒で味付け。

                      

弁当レギュラーメンバーの三人にしてはたっぷりすぎる量だ。誰が喰うんだ?

 

我が家の小さな「河津桜」が漸く一輪だけ咲いた。全部咲いても十輪ぐらいしかないが、取敢えず初咲きの写真を撮る。処が、今朝は風が強くて花びらが揺れ、上手く撮れなかった・・・。

                               ピンぼけの河津桜

昨日の「あ・リ・さ・ん・歩」は、目黒の会社を訪問し会社に戻る帰途となった。

夕闇が迫る頃に目黒駅前を出発。目黒通りを北上して白金台駅の先を「八方園」の方へと右折。坂を下り「明治学院大学」のある、桜田通に至った。ここまで25分ぐらい要したか。

桜田通を上ると白金高輪駅となるが、横切って品川方面に向かい「泉岳寺駅」を目指した。桜田通から暫く行くと「桂坂」とあった。元は、蔓に由来する坂道が、桂に転じたと由来書あり。

品川駅前の国道一号に突き当たり、左折し暫く歩くと「泉岳寺駅」に辿り着いた。所用時間は45分ぐらいか、想定どうりの散策であった。

一月の散歩駅通過数(見なし駅数を含む)を集計してみると76駅であった。距離に換算すると76kmとなる。一月60駅が目標なので、出だしとしては先ず先ずか・・・。

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牛小間炒め

2011-02-09 | Weblog

2/9(水) 今朝は牛小間炒めとなった。後は、野菜を茹でたものを添え、定番の卵焼きである。何時も同じようなもののオンパレードで面白くも無いが、致し方なし。弁当箱だけは、久々に「曲げワッパ」の登場。

野菜は、ピーマン・人参・インゲン・絹サヤと少々残っていたエリンギ・マイタケを軽く茹で、タマネギと一緒にオリーブオイルでさっと炒める。

                         

牛小間は、三人分で約200gをニンニクのスライスを3欠片程熱して、これで炒める。味付けは塩・胡椒で仕上げに醤油をひと垂らしする。最後に卵焼きを作り、これで今日の弁当が仕上がった。

                         

弁当箱が足りず、久々に自分用の曲げワッパの弁当箱を使う。弁当の中で赤いのはプチトマト、ご飯の上は佃煮。

明日は「サンドイッチ」の予定。

 

  「 昨日・一昨日 」

 月曜日、仕事をサボって昼前から会社のU老と二人で両国界隈を2時間程散策。きしくも江戸・東京の橋巡りの一端を担うこととなった。柳橋を見て両国橋を渡り、墨田川沿いの遊歩道に店展示されている、北斎の挿絵「大川沿いの風景」を見ながらの散策となった。

                         

                            両国橋西詰

両国橋西詰は、江戸の時代一番の賑わいであったそうな、北斎が描いた挿絵からもその賑わいが見て取れる。

 両国橋西の直ぐ傍に柳橋が架かっている。井の頭公園の池を水源に神田川となり大川に注ぐ手前の橋である。

江戸時代から昭和の半ばまで、柳橋の辺りは料亭が軒を並べていたようだが、今見えるのは船宿ばかり。私がサラリーマンになった頃、この橋の近くに会社のクラブがあり料亭の面影を残していたが・・・。

                          

                              柳 橋

両国橋の上から上流を望むと、Docomoのタワーと東京スカイツリーがくっきりと浮んでいた。タワーのあった場所に、かって勤務したオフイスと体育館があった。その手前が「安田庭園」、前が昭和12年の大震災の「震災記念堂」。U老にそんな説明をしながら歩く。 

                           

                             両国橋の上から

川風は未だ冷たかったが、1800年頃の大川端の江戸の風物を偲び、最近よく読む時代物の小説と重ねながらの散歩となった。帰りは「言問橋」から蔵前、浅草橋と抜け、途中「ラーメン」を食べて帰社。結局この日の弁当「トンカツ&エビフライ」は、夜の部の居酒屋で食すこととなった。

                           

                             月曜日の弁当

夜の部は、昼間一緒に散策したU老人ともう一人、弊社の平均年齢向上委員の一員、Yであった。何時ものチャリン・チャリンと呼ぶ「ちょっぷく」(酒も肴も何でも300円のチケットを自販機で買う、チケットがチャリンと落ちてくるところに由来)に参集した。

私は、1月から2月初旬にかけて連日連夜、公式戦のグランド(酒場)に登板していた。久し振りに練習(社内飲み会)と云う場面であった。軽く上げるつもりが、グラスが空く度に次が来る。話も盛り上がり、最後は最近富に客足が悪い「ちょっぷく」の挽回策にまで至った。

店長のYamakage氏を捕まえ、U老が長広舌を開陳。他人の店のことより、我が社の体たらくを考えて貰いたいところだが・・・。すっかり出来上がり店仕舞いの時刻まで長居した。
お互い、若くはないんだから練習も程ほどにせんと・・・。

案の定、昨日の朝は前夜の練習疲れで不調。早くから出かけると云う家人の弁当が間に合わず「オムスビ」でお茶を濁す始末となった。そんな訳で、昨日の弁当は「オムスビ」。家人とK君用にメンタイコと梅干、シラスのオムスビ、計5個でお終い。                        

                                  

                                      Kのオムスビ

自分は、昼前から午後・夕方にかけて外出予定が有り弁当は持参しない。この日は結局、立ち食いソバで済ます結果となったが・・・。

この日の「あ・り・さ・ん・歩」。昼前、人形町から有楽町一丁目駅まで歩く。そして、最後の訪問先「板橋日大病院」から池袋駅まで、四駅相当を歩いた。

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長閑な休日

2011-02-07 | Weblog

2/7(月) 昨日の日曜日はノンビリと過した。土曜日の午後会社に出たが、日曜日の停電に備えてサーバを落としてあったようで作業できず。日曜はビル停電の為、会社に出る予定なし。そんなこともあり、長閑な一日となった。残念ながら曇り空であった。

 あ・り・さ・ん・歩

日曜の午後、ご無沙汰をしている地元のYさんをお茶に誘い、最近の様子などを伺う。その後、散歩。ルートは、目黒駅前~目黒郵便局~武蔵小山駅である。

有名な武蔵小山商店街の入り口に、焼き鳥「鳥勇」があり。これがめっぽう旨い焼き鳥である。この焼き鳥をつまみながら生ビールを飲むのを楽しみに出掛けた。鶏と鰻串、生ビールは近頃はやりの発泡酒ではない(と、思う)。

                        

三本の予定が旨さに負けて一本追加し、都合四本の焼き鳥と生ビールは一杯だけの留めた。帰りの散歩があるので、アルコールは控え目に控え目に。いや~旨かった・・・。

帰りは、武蔵小山~西小山駅に向かい、立会川緑道を円融寺・碑文谷八幡方面に向かった。円融寺の山門から盛りの紅梅が見えた。紅梅に誘われて山門を潜り、低い階段を昇り仁王門に至った。振りむいて山門を眺めると、入ってきた景色とはまた風情が異なる。

               

         山門より仁王門を望              仁王門              仁王門から山門を望

緑道に戻り、碑文谷八幡前からサレジオ教会・ダイエー前を経由して帰宅。2時間程のノンビリとした、いい散策であった。そうそう、家族のお土産に「焼き鳥」を購ったのは勿論である。

                                               

                             碑文谷八幡                   緑道の桜並木

緑道の桜が満開となる頃、あらためて紹介したい。

 今日の弁当は

処で、今朝の弁当はフライである。トンカツとブラックタイガーを人数分(三人)フライにし、インゲン・ジャガイモ・ピーマンを素揚げにした。後は、小松菜のお浸し、オカカ掛け。もう一つ、次女が昨夜に来たので、彼女の弁当用にオムスビを二個。具は、メンタイコとオカカ。

                        

以上、簡単な弁当である。オムスビ用の残りメンタイコを弁当に載せ、プチトマトで彩りを添えて完成となった。

                   

弁当箱が小さいので、お菜は数を作れば量が減る。数で勝負するのは止めにして、味で勝負と行きたいところだが・・・・さて、どうなるやら。

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阿波踊りな夜

2011-02-05 | Weblog

2/5(土) 昨夜、以前に勤務した横須賀で単身赴任者用の寮にいたメンバーとの懇親会が銀座の阿波料理店であった。

寮の隣でお世話になっていた「寿し兼飲み屋」の『埼玉屋』のご夫妻を囲む趣旨でもあったが、ご夫妻の都合が付かず(と言うよりは、遠方でもあり)近場に居るメンバーだけでささやかに一杯となった。

店の名前は「阿波おどり」である。徳島の産品を供し、二回の阿波踊りのショーがある。安い店なので大した料理が出るわけではないが「阿波踊り」が目玉。踊り子達は、東京では歴史と伝統を誇る高円寺の連が日替わりで出演しているとのこと。

                        

出演者は鳴り物や踊り手で総勢10名ぐらいか。ショータイムになると賑やかに狭い通路や、宴席の間を練り歩く。そして、客の飛び入りを誘う。同行の一人は徳島出身で踊り名人、出演者とは旧知とのことである。我々のメンバーも、何人かが誘いに乗って踊った。

                       

残念ながら私の趣味とは合わないので、見物だけ。違うアワ踊りなら、関心がないわけでもないが等と、居座っているMと囁きあう始末。不謹慎な見物者であった。

飲み放題&料理セットの料金なので、別料理を頼まなければ懐が傷む程の額ではない。大きな店だが、金曜夜は、予約を入れておかないと入れないとか。阿波踊り好きは、試しに覗いて見るのも一興かも・・・。

 

 雛人形

土曜日の午前は「お雛様」の飾り付けに駆りだされた。先日帰省した折、長女からの依頼で彼女の為に家人が作った(一部であるが)雛人形を田舎から送った。

凡そ30年前となるか、長女の初節句のために雛人形を用意し、私の実家に飾った。その雛人形を、今度は自分に娘が生まれたことから飾ると云う。田舎の押し入れに仕舞ってあった人形が、三十年振りに東京で陽の目をみることとなった。

                         

ひと騒動しながら飾り付けを終たお雛様を見ながら、長女に云ったのは「この子が大きくなって、女の子が生まれたら又このお雛様を飾るといいね」であった。

七段飾りの木目込み人形。顔は米州作、ボディは木目込み人形の教室に通っていた家人が、先生に応援して貰いながら作った労作である。

                    

大事に扱えば100年ぐらいは持つだろうが・・・とは云いながら、昨秋生まれたこの子に子供が生まれる頃は、こっちが存在していなかろう・・・。

 

さて、用も終わったし、今夜は昨日K大兄から届いた泡盛の古酒「百浦添」でも飲みながら、野菜鍋をつつくか・・・。

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要らぬはずの弁当を・・・

2011-02-04 | Weblog

2/4(金) 春分の日となる、一番寒い季節ながら今日は矢鱈と暖かい。名のみならぬ、本当に春が来たような陽気。

さて今日の弁当だが、私は昼に知人と会いランチをご一緒する約束がる。そんなこともあり、今朝はオムスビでも用意して済まそうかと思っていた。処が、台所に立つと弁当作りを始めていた。

条件反射で餌を欲する「パブロフの犬」のようなもので、台所に立つと弁当を作りをする習慣が身についたか?家人とK君の二つでいいものを、物足りなくて三個も作ってしまい自分も持参した。

メニューは、酵素豚肉の肩ロースと卵焼き、ニロギの南蛮漬け、煮卵、スナッピーとインゲンである。

豚肉は醤油・酒とニンニクの小片・小口切りネギに漬けて焼いた。付け合せにエリンギのバター焼き。卵焼きは、珍しく茹でほうれん草を巻いた。豆類は茹でてからバター味に少々絡ませてみた。ニロギの南蛮漬けと煮卵は昨日の作り置きである。

                      

煮卵の漬け汁に使った昆布、勿体無いので刻んで味付け昆布にし私とKのご飯の上に載せた。

                         

                             赤いのはイチゴ

風邪の方はだいぶ良くなってきた。とは云いながらも、夜中にかなり咳こんだが。新型花粉症由致し方なしか?

己が食す予定のない弁当と、Kの弁当を携えて出勤。途中駅まで歩こうかと思ったが、昼前に外出予定あり。その時に歩けると真っ直ぐに出社した。

この日のMy弁当、結局スタッフのYoshioの腹に納まった。

  あ・り・さ・ん・歩

10時半過ぎ、スタッフのTokioとドトールにてカフェ&打合せをしてから外出。行き先は有楽町電気ビルにある「外人記者クラブ」。ここでU氏と12時の待ち合わせ。その前に、ご一緒するK氏と11:30ビックカメラ前で落ち合い事前の打合せ予定。

ドトールを出たのが11時に10分前。待ち合わせ時間までに余裕がないので、直近のルートを進む。寄り道・道草なし、急いだ効果ありで5分前に着く。

外人記者クラブの「すしBAR」にてビール&白ワインと刺身・にぎりのコースを食す。(このワインが良かった。カリフォルニアの「ガロ」の味のようだが、オーストラリアかニュージランド産とか)

意見交換の後、K氏とカフェにてコーヒータイム、先ほどの話の集約をする。その後、徒歩(散歩しながら)にて会社に戻る。

帰りは裏道を歩いた。普段通らない道を歩く、何か発見がないかと歩く。東京証券取引所(元・総理の麻生さん流だと株屋の元締めか)の脇から突き当たり正面に、クラシックな建物が目に入った。昭和初期化、大正時代の建物の雰囲気。アーチ型の入り口や、窓がやわらかだ。ビルには「公証役場」の看板が掛っていたが、建物の由来は不明。

ここから、右手に向かった。すると「鎧の渡し」跡の表示あり。橋は鎧橋とある。この渡し、時代物の本には結構出てくる。この辺り、江戸から明治にかけては賑やかな場所であったろう。

                    

「鎧の渡し」の由来。源義家が奥州討伐に向かう途中、この日本橋川が荒れて渡れず、鎧を沈めたところ治まった。ことからこの名が付いたとか。現在、橋の上は高速道路、川面は暗く水音なし、古を偲ぶものなし。

有楽町への往復で1時間、4km程の距離換算となるか。鎧の渡しを歩きながら、ふと思いついたのは『江戸・東京橋巡り散歩』をテーマにするか?であった。

江戸は、運河の街。コンクリートばかりになっても、橋の名残はある・・・。

 

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煮物&フライ

2011-02-03 | Weblog

2/3(木) 今日は、お節句。確か私の両親の結婚記念日のはずである。節句が記念日とは分かり易くていい。後ほど、病に苦しんでいる田舎の母に激励の電話でもしてみよう。

節句とは云いながら、それに相応しい弁当にまで気がまわらなかった。煮物とフライそれにほうれん草のお浸し、家人が作ってあった煮卵。以上が今日の菜である。

一昨日から風邪気味(風邪か)で咳と鼻水が止まらない。体調不良ではあるが、弁当作りと夜の席だけは余程のことがない限り登板することにしている。さりとて、咳をしている人間を相手の酒、ましてや飯作りを見るのは気分が悪いだろう。そこで一寸したジョークをかまして煙に巻く。

「漸く現代人の仲間入りで、つい最近花粉症になっちゃいまして・・・鼻水・咳と参りました・・・」などと、いい加減なことを云っている。

さて、本題の弁当だが煮物は「インゲン・大根・人参に残り物の豚バラと油揚げ」。フライは豚バラのブロックとインゲン。油を使ったついでで「ニロギ」を素揚げにし、南蛮漬けを作った。

酢と水・酒・味醂を沸かし、赤トンボを三本ほど放り込んだ。酢揚げしたニロギとスライスしたタマネギに甘酢を掛けまわし2・3日すれば食べ頃のはずだが・・・。(ニロギはヒイラギの葉に似ていることから柊魚或は魚偏に柊か)

朝からこんなことをやっていて、いいのかな?と我乍ら自問するのであった。

ほうれん草の皿の中の赤は、ミニトマト。昨夜、渋谷「奈加野」のオヤジが高知産とかでPR用に貰ったものを少しばかりお裾分けの品である。昔のトマトの味がして美味い。昔のトマトの味ってどんな味だ?と云われそうだが、こんな味だ!としか云えない。

かくして今朝も三人前の弁当の完成となった。体調不良につき、弁当も今ひとつ冴えない・・・気がする。(煮物の味はベスト)

 

 「あ・り・さ・ん・歩」

土曜日から昨日の水曜日まで、五日間散歩せず。旅先や帰省で歩く機会がなかった。おまけにストレッチもやらず・・・こんなことだから風邪引いたか?

今朝は、渋谷の某社に10時訪問となっていた。9時頃には家を出て渋谷まで歩くつもりでいた。が、出たのが9:12分となった。

久し振りに歩く・歩く所存だが、リズムに乗りきれない。途中の中目黒駅に着くと、早や9:45分。とても約束の時間に着けないと、中目黒駅から電車に乗らざるを得なかった。

今日は暖かい所為もあるが、汗をかいた。訪問先では汗が冷え咳がでる始末。始末に終えんとはこのことか・・・。

 おまんらぁ、歩かにゃいかんぜよ!

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生姜焼き

2011-02-02 | Weblog

2/2(水) 先週土曜日から日曜日は佐賀市へと出掛けた。目的は、我々が参画するNPO活動「地球市民の会」と表裏一体にある「古賀英語・空手道場」の創立30周年の記念シンポジュウム&祝賀会への出席。

そして帰路、故郷の高知に立ち寄った。病気の母を見舞い、今後の生活についてどうすべきか、考えを伝える為であった。昨夕、高知から戻った。そんな次第で土曜日から昨日までは弁当もお休み、従ってblogもお休みとなった。

今朝は、五日ぶりに弁当を作る。トンカツにするか迷った末、手早い生姜焼きとなった。それに、シメジ・ピーマン・人参のオリーブ油炒め、定番の卵焼きである。私とK君には土佐ウルメ干しを一本追加した。 

生姜焼きの豚肉は「佐賀産の酵素豚」である。臭みが無く、脂身があっさりとしている上質の豚肉で、知人のSさんの手配により毎月届く代物。醤油2:酒1の割合に生姜とリンゴをすりおろして15分ほど漬けて焼いた。

今日も三人分の弁当である。

 

 「佐賀にて」

「古賀英語道場・空手道場」は、地球市民の会:前会長の故古賀武夫さんが30年前に始めた。古賀さんは、佐賀の出身で東京外大フランス語科を卒業。学生時代に空手を始め、フランス留学時代は、その空手が留学生活を助けたと云われる。

佐賀に戻り、高校の英語教師となるが、生きた英語を学ぶことを痛切、職を辞してカナダに留学すると云う経歴を持つ。文武両道に秀で、ウィットに富んだ(と云うよりは駄洒落大好きな)才人であった。その古賀さんが、佐賀に帰り「佐賀日仏会」を作り国際交流を始めたのが、認定NPO法人となった「地球市民の会」の始まりである。

古賀さんが、志し半ばにて病に倒れ逝ったのが三年前、早咲きの桜の頃。来月「武桜忌」を迎えることとなる。

古賀さん亡き後、道場で育った若者が意思を継ぎ、今回30周年の節目を迎えることとなった。これまでに巣立って行った道場生は、2000名なると云われる。

記念シンポジュウム「グローバル人材の育成」では、その中から3人の若者が道場で育った意義や思い出を語った。基調講演では、佐賀県古川知事が佐賀の国際人育成や国際交流について講演。更に各界で活躍する著名人・OBのパネルディスカッションと大いに盛り上がった。

                    

                   古川知事            道場OB

夕刻、会場を移して記念祝賀会が盛況に催された。道場生の英語劇、空手の型の披露からチビッコ達の「よさこい踊り」と賑やかであった。ここで、佐賀酵素豚肉を送って頂いているSさんや旧知のメンバーとも歓談。二次会には二十数名も流れ、小さな店内では若者はスタンディングとなった。

飲みながら私が呟いたのは「古賀さんは、キリストや仏陀のようになるかもしれないね・・・、何十年後、数百年後かもしれんが」であった。さしずめ「地球共生教」か・・・。

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