1/13(金) 昨夜も遅かった所為か、はたまた深酒の所為か、今朝の寝起きが最悪。おまけに二度寝をして起床は7時過ぎという体たらくであった。
そんなだらしないことから、今朝の弁当は二人分しか作れなかった。残り飯で「オムライス」でもと思ったのだが、残り飯は少なくおまけにケチャップまで在庫切れ。家人に近所のコンビニまで走って貰った。
長女は、毎朝7時30分過ぎに弁当を取りに立ち寄る。この時間までにオムライス用の具は仕上がったが、ご飯が未だであった。結局、長女の弁当は間に合わず・・・。家人とK用のオム弁をしょぼしょぼと作ったのであった。
オム弁の具は、鶏肉とシメジ・パプリカ・人参・タマネギである。後は、柔らかめのプレーンオムレツを載せて完成である。K用には昨日炊き込んだ、あの硬い軍鶏を入れたが・・・。
「16年前は新人・・・」
昨夕、Kaikoh君(以下、K氏と呼ぶ)が来てくれた。或るシステム案件で知恵を借りようとお出ましを願ったのだ。担当してるAokiとの打ち合わせが終り、私との雑談になった。テーブルの端に正月明けに飲み残した壷入り焼酎が乗っていた。折角だからこれでも飲めよ・・・となった。
K氏は、昨年に会社を変っていた。「給料は上がったか?」と訊くと『転職するなら、給料はアップしなきゃ駄目だぞ、と言われてましたから・・・』。そうか、以前にそんなことを云ったのだった。
K氏は、16年前に私が、25年ぶりの現場勤務となった時の新入社員であった。通信機器の販売担当としてスタートし、毎年優秀な成果を積上げていたが、6年で見切りをつけて転職した。
私がいた当時、何かの件で私のところに直訴にきたことがあった。「そんなことは、自分の結果(成果)を出してから言え」と、一蹴した。泪を零しながらも、訴えたかったことがあったようだ・・・自分自身のことでなく、新入仲間を助ける為の件と記憶するが。
その辺りの事情も状況も十分承知していた私だが、敢えて優しい言葉や物分りのよさは見せなかった。会社・社会の仕組み、厳しさを知ってほしかった。それだけK氏には期待をしていた・・・。
私は2年しか居なかったが、折に触れて彼等との交流は続いていた。私が会社を辞める同じ頃か、K氏は見切りをつけて辞め、転職した。優秀な営業マンに成長した彼を、その職場では手放さなかっただけでなく、彼のステップアップの進路を描き、示さなかったことに起因するだろう。
成長を願う人にとっては、先行きの見えない航路に居ることは耐えられないだろう。我が社でも然り、胆に命じなくてはならぬ・・・。
何年ぶりかでK氏とU老・Bin・Aoki・Akagiも交えて柿の種を齧りながら焼酎を飲む、昔のように罵詈雑言を吐きながら。場所を隣の高松へ移して更に、最後はK氏の知っているという店に二人で流れ、終電となった。
その後、K氏について何度か階段を昇るチャンスを用意したが、現場は出さなかった。Kのような男が、あの会社にとってどれだけ必要な人材であるかが分かっていない。と、思う。