オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当オヤジ失格!

2012-01-13 | Weblog

1/13(金) 昨夜も遅かった所為か、はたまた深酒の所為か、今朝の寝起きが最悪。おまけに二度寝をして起床は7時過ぎという体たらくであった。

そんなだらしないことから、今朝の弁当は二人分しか作れなかった。残り飯で「オムライス」でもと思ったのだが、残り飯は少なくおまけにケチャップまで在庫切れ。家人に近所のコンビニまで走って貰った。

長女は、毎朝7時30分過ぎに弁当を取りに立ち寄る。この時間までにオムライス用の具は仕上がったが、ご飯が未だであった。結局、長女の弁当は間に合わず・・・。家人とK用のオム弁をしょぼしょぼと作ったのであった。

                     

オム弁の具は、鶏肉とシメジ・パプリカ・人参・タマネギである。後は、柔らかめのプレーンオムレツを載せて完成である。K用には昨日炊き込んだ、あの硬い軍鶏を入れたが・・・。

                          

 「16年前は新人・・・」

昨夕、Kaikoh君(以下、K氏と呼ぶ)が来てくれた。或るシステム案件で知恵を借りようとお出ましを願ったのだ。担当してるAokiとの打ち合わせが終り、私との雑談になった。テーブルの端に正月明けに飲み残した壷入り焼酎が乗っていた。折角だからこれでも飲めよ・・・となった。

K氏は、昨年に会社を変っていた。「給料は上がったか?」と訊くと『転職するなら、給料はアップしなきゃ駄目だぞ、と言われてましたから・・・』。そうか、以前にそんなことを云ったのだった。

K氏は、16年前に私が、25年ぶりの現場勤務となった時の新入社員であった。通信機器の販売担当としてスタートし、毎年優秀な成果を積上げていたが、6年で見切りをつけて転職した。

私がいた当時、何かの件で私のところに直訴にきたことがあった。「そんなことは、自分の結果(成果)を出してから言え」と、一蹴した。泪を零しながらも、訴えたかったことがあったようだ・・・自分自身のことでなく、新入仲間を助ける為の件と記憶するが。

その辺りの事情も状況も十分承知していた私だが、敢えて優しい言葉や物分りのよさは見せなかった。会社・社会の仕組み、厳しさを知ってほしかった。それだけK氏には期待をしていた・・・。

私は2年しか居なかったが、折に触れて彼等との交流は続いていた。私が会社を辞める同じ頃か、K氏は見切りをつけて辞め、転職した。優秀な営業マンに成長した彼を、その職場では手放さなかっただけでなく、彼のステップアップの進路を描き、示さなかったことに起因するだろう。

成長を願う人にとっては、先行きの見えない航路に居ることは耐えられないだろう。我が社でも然り、胆に命じなくてはならぬ・・・。

何年ぶりかでK氏とU老・Bin・Aoki・Akagiも交えて柿の種を齧りながら焼酎を飲む、昔のように罵詈雑言を吐きながら。場所を隣の高松へ移して更に、最後はK氏の知っているという店に二人で流れ、終電となった。

その後、K氏について何度か階段を昇るチャンスを用意したが、現場は出さなかった。Kのような男が、あの会社にとってどれだけ必要な人材であるかが分かっていない。と、思う。

 

 

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二日酔い?

2012-01-12 | Weblog

1/12(木) 昨夕から急に冷え込んできた。寒い、寒いのだ。オーバーコートを先日から探しているのだが、出てこない。替りに見慣れぬコートが、洗濯カバーが掛かったままに在った・・・。

ひょっとして、クリーニング屋が間違えたのか?と疑っている。何しろ一年近くも前となるので判然としないが、自分の高品質(?)のオーバが行方知れずで、色は似ているがデザインも素材も異なる物があれば、どうして?となる・・・。

これじゃ寒い今年の冬を乗りきれない。正月から大事にしている風邪も一向に抜けない道理だ。俺のコート、戻ってこ~い!

そんな冷え込む中を、昨夜は両国で一献となった。郷里の高校の同窓生の思し召しによる。その彼女が勤務している会社の方々であった。

「とっても愉しい人たちで、異業種交流にもなるでしょう」との誘いに乗ったが、考えれば俺も物好きだな~と云う思念もチラリと掠めた。処が、面白かった、愉しかったのだ。

難点は、やたらに強い焼酎割だったと云うことだが。M乳業の部長とかで、中々の硬骨漢で話術も巧みであった。組織や評価。人材育成と話題が及び、久々にサラリーマン時代を思い出していた。総勢五人での愉しく、かつ面白い飲み会となった。

北海道出身で北大出、島流しに遭い札幌勤務を15年もやらされたと云うH氏は、薄野の事情通でもあった。取って置きの店を教えて貰い、電話番号も登録した。店の名は此処では明らかにしないが、今度札幌に行ったら立寄ろう。その時は、地元のT女史にはこっそりと教えようか・・・。

二軒目の店でサイコロ遊びをやりながらハイボールを飲んでいると携帯が鳴った。旧友のImai氏が日本橋界隈に居るとのことである。初対面の方々との懇談も潮時と切り上げて、会社の隣「高松」にて落ち合うこととした。

22時過ぎ、店を閉めた高松にて一杯だけ飲み、カラオケのある「seiju」へと向かった。今夜の客は、我々の二人だけとのこと。Imai氏の唄声を久々に聴きながらハイボールを飲む。

冷たい風に吹かれて肩をすぼめて零時過ぎのご帰還となった。寒かった、寒かったのだ・・・。そんな訳で今朝は、二日酔い?

 

さて、今日の弁当だが「ホタテのフライ」それにエビフライもと思っていたが、何とエビが在庫切れだった。豚小間肉でエノキやシメジを巻いたバター焼きも予定していたが、何と豚肉も無かった。今朝は、思惑外れとなった。

                   

「ホタテフライとタマネギフライ」それに小松菜・パプリカとベーコンの炒め物、人参とポテトの温サラダとなった。ホタテは美味そうに揚ったが試食なし。長女と家人、Kの弁当用で終わった。今日の私は弁当なし。

                        

Kのご飯の上に「チリメンジャコ」を載せた。このジャコが旨いのだ、抜群に美味い。土佐は安芸の浜で採れたてを天日干しした物。飯が何杯でも喰いたくなるのが難点だが・・・。

                         

今朝の料理がこれで終わった分けではない。これから『軍鶏』を煮ることとした。昨夜、宅急便にて届いたのを取敢えず炊くこととした。煮ると炊く、どう違うんだ?よう判らんが、我が田舎では「軍鶏」は炊くと表現する。

この軍鶏はオスの成鳥とのこと、肉が硬い。従ってよく炊き込んだ方がいいとのこと。今夜食すには、朝から炊いたほうが宜しい、との判断。それに、冷凍だったのが解けていた所為もある。

                          

灰汁を取り、酒・砂糖・醤油で味付け、大根と千切り蒟蒻を入れて煮込む。そんなことをしていたら、何時の間にやら出勤時間を過ぎてしまった。(こんなこと、スタッフには云えんな・・・)

 

 

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焼肉丼弁当

2012-01-11 | Weblog

1/11(水) 五日ぶりの弁当は、こってりとした「焼肉」がメイン。先週末に日山にて購い、冷凍庫で出番待ちをしていた代物である。

こいつをプルコギのタレで、タマネギやエノキ・ネギ・チンゲン菜などと一緒に炒めるだけだが、すこぶる旨いのだ。肉の旨味と野菜がハーモニーしたコッテリとした味が何とも云えぬ・・・。

                         

これを、長女とK君には焼肉丼弁当にして供する。私も余りの旨そうな匂いに釣られて、弁当持参となった。家人は、丼風の野蛮な弁当を好まないので、菜にして入れるだけ。

                     

他には、これも定番となった鶏肉と根菜(大根・人参)に薄揚げと芽キャベツの炊き合わせ、小松菜の胡麻和え、卵焼きを用意した。生野菜系を、と思ったが「電子レンジにかけるから、生系は×」と言う、我侭長女の言を思い出して留まった。

                        

かくして、超~旨(眉唾か?)の四人前の弁当が完成となった・・・。

 

 『田舎にて・・・』

                       

さて、連休中の我が田舎暮らしだが、今の時期は畑仕事も少ない。ノンビリと焚き火をしながら、ミカンの消毒(といっても、機械油の希釈で農薬の範疇外である)と、上に伸びすぎた枇杷の幹を剪定切りする。後は、絹サヤや空豆の畝の草取りだったが、肝心の豆類の生育が見えないのだ。一月も雨が降っていない所為か、種まきが遅かったのか?

                     

そして残してあった「土佐文旦」を収穫、ついでに繁リ過ぎた枝を適当に剪定した。文旦は、籾殻を入れた箱などに保管して熟成を待つ。とか何とか言ってはみたが、内の文旦が美味かろうはずもなしだが・・・。

                         

畑仕事よりも焚き火をしながら、焼き芋や餅を焼いて遊んでいる時間が長い。焚き火が長いのも、実は理由がある。言い訳になるが、これまでの何年分もの、栗や梅・柿・プラムの幹や枝が堆く積まれていた。これを焼却して畑を綺麗にしているのだ・・・。

                         

少し稔らせた、幼木の甘夏や八朔(のはずだが)の実が色付いてきた。古くからある小夏も、鶯色や薄黄色となっている。どんな味がするのやら、熟す時期を待つしかないが・・・。

                    

実家に帰って他にやる事といえば、飯作りである。が、両親もすっかり食が細くなり、作った私が大半を食べることとなるのだ。

今回は、何と三日間も猪鍋とブリ大根を食すこととなった。冷凍の猪肉もタップリとあり、ブリは丸太で冷凍のまま。解凍した上は、料理をするしかないのだ。有り余る食材にも困りものである。

そんな四日間を過して、ブリや猪のように丸々となったのでありました・・・。

 

 

 

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唐揚&ホタテバター焼

2012-01-06 | Weblog

1/6(金) 年始の休暇が終り、漸く仕事モードになったと思った途端に三連休とは。未達成の売上のことが脳裡を過るのは零細会社の宿命か・・・。

とか何とかいいながら、Oyajiは明朝より土佐へ行くのだ。かの地で、蜜柑畑と飯作りが待っている。と、云いながらも農事は採り残してある文旦の収穫と剪定があるぐらいか。帰京は10日(火)、午後の予定。

新年三回目となる今朝の弁当は、「ホタテのバター焼に付け合せの野菜炒め」「鶏肉の唐揚」と焼鮭、卵焼きとなった。

ホタテに塩胡椒と酒を振ってバター炒めに。野菜は、セロリ・ピーマン・エノキ・人参をオリーブオイルで炒める。唐揚は、生姜・ニンニクの微塵切りに酒・醤油・塩胡椒と一緒に鶏肉を揉み込んで、揚げるだけのこと。

                    

一方で、時鮭のカマの部分を焼く。卵三個を割、醤油味の卵焼きを作る・・・、何時もの手順である。

                        

今日も自分の弁当を用意した。Kと長女の弁当には、家人が煮込んであったポトフの具を入れる。鮭の身を、炊きたてご飯の上に散して完成となった。

                    

同じようなことを毎朝やっている自分が、段々とバカになっていくのが判る。バカなOyajiである・・・。(バカは死ななきゃ直らないと、居直る)

然し、中々旨そうな弁当である・・・。

 

 

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久々にmy弁当・・・

2012-01-05 | Weblog

1/5(木) 今日は久々に自分の弁当も持参することとした。都合四人分の弁当を用意することとなる。が、何時も菜は余っているので大したことではない。

ご飯を仕掛けた後は、先ずは煮物からスタートした。冷凍の鶏肉ボールと大根・人参・蒟蒻・油揚げの煮付け。

                           

次いで、豚バラ肉とチンゲン菜・シメジ・タマネギの炒め物、中華スープの元で味付けする。そして、三番手を揚物にするかヘールーシー系で行くか迷う・・・。結構、真剣に迷った。

                           

結果、ヘルシーで進めることとなった。何のことはない、ペンネと茹で人参・ポテト・芽キャベツをオリーブオイル・塩胡椒で温サラダにする。

                           

最後は、定番卵焼きとなるが、今朝は茹でて味付けをした小松菜を巻いた。何となく野菜系で、と云う塩梅である。ご飯が炊きあがる頃に、卵焼きも仕上がり時間どおりの完成となった。

                      

仕上げに、弁当ご飯の上に辛子味噌をのっけて四人分が出来上がった。

今日久々のmy弁当持参は、昨年末の誕生日に「おりたたみ箸」を頂戴したが、弁当から遠ざかっていたので出番がなかった。新春でもあり、頂いた方に敬意を表する意味合いがあった。

なかなか、お洒落な「箸」である・・・。繊細にして堅牢、優美な姿をしており箸袋のデザイン・色調も落ち着きがあって好もしい。(写真は繋いだのと、分割と。バックは箸袋)

                           

 

 それにしても、昨夜の新年『山賊と乞食の酒盛り』は、このネーミングどおりとなった。酒・焼酎・ワイン・ビールと飲み物は定番品だが、結構に皆飲んでいた・・・。結果、今朝時点で判明したのは記憶喪失数名、名誉の負傷一名であった・・・。

えっ!お前はどうなんだって?当然、記憶喪失程度に止まっていますョ・・・。

 

 

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弁当初め・・・

2012-01-04 | Weblog

1/4(水) 今日から仕事始め、と云うことは弁当初めでもある。深夜に咳き込み体調不良なれど、初仕事を休む分けには参らぬ、と遅めのスタートながら弁当事初めとなった。

年末始と、過食続きで飯ごとには食傷気味。そんな訳で、初荷弁当と云えども凝ったことはする気もない。今日のメニューはシンプルに、「鶏肉と根菜の炊合せ」「豚薄肉と葉野菜の炒め物」「一口ハンバーグ」「時鮭焼」「卵焼き」とした。

                        

このうち、ハンバーグは作り置きの冷凍物。ソースを作り、一緒に煮込み風にした。定番の卵焼きは、エノキを入れたチョッと甘めの作り。後は、何時も通りの調理であるが、味付けは日によって少し変えているが・・・。

鶏肉煮は、大根・人参・椎茸にインゲンも参入。豚肉炒めの方は、残り物野菜(昨夜の湯豆腐&豚シャブ)の白菜・エノキ・ホーレン草・長ネギなどである。

                        

以上で、三人前の初荷弁当が完成となった。Kには、鮭オムスビを一つおまけで用意した。何しろ、昨日も寒い中をブラインド磨きで頑張ったのだ・・・。

                          

今夕は、新年の祝賀会を社内でやる。オメデタイ日なのでスタートは17時から、平常の勤務時間は19時までであるが今日は特別なのだ。何時もどおりの山賊の酒盛り、否乞食の宴会であるが・・・。

私の今夕の出し物は、「甘露煮鮎の昆布巻き」である。年末に煮た鮎が、年を明けて昆布巻きに変身した次第。

「 年賀状・・・ 」

正月、先輩・後輩諸氏から頂戴した「年賀状」を拝読。一枚一枚と捲りながら、お名前を確認してその方の顔を思い描く・・・。

一週間前、一月前・半年前・一年前に会った顔、・・・十年前・二十年前・・・。大学を卒業以来と云うことは四十年余となるが、その当時の顔しか思い描けない賀状もある。卒業以来、賀状のやり取りだけで繋がっているのもある。

そんな中で、結婚したとか、子供が生まれたとか・・・妻を亡くしたとか、退職したとか、短歌を始めたようだとか、孫が生まれたとかetc・・・様々を知る。

そんな中で、徳島在住の先輩Oさんからの賀状に「ちかくにくることがあれば、およりください」と記されていた。Oさんと知り合ったのは、三十年近い前である。

私たちがいた課に、四国から係長として着任したのがOさんであった。寒い時期であったが、汗を掻き掻き、昼休中の職場に現れた時のことを覚えている。四国にいる剣道部の先輩から、Oさんのことは聞かされていた。当時の私は、庶務担当も兼ねる企画担当の三席か次席だった。

私も四国出身でもあり、Oさんとはすっかり仲良くなった。お酒・カラオケ、単身赴任のOさんの休日はゴルフ練習とよく一緒に遊んだ。三年後、Oさんは高知の会計課長として四国に凱旋した。

その後、四国内を転戦して郷里の徳島で再就職された。何年か前、脳梗塞に襲われて、賀状は奥様の代筆が続いていた。リハビリが続き、昨年からOさんが添え書きできるようになった。

夏、暑中見舞いを頂戴した。「お会いできるようでしたら、いつでも伺います」と返書した。そして、今年の年賀状に『おたちよりください』とあり、徳島~高知間の高速バス時間表が添付され、下車駅に丸印が付いていた・・・。

漸く会えるようになった、人と会おうと云う気になったのだと、感慨もひとしおであった。

随分と会ってない友人達、両親の喪中と云う知らせなど・・・。義理を欠いていることに忸怩たる思いが重なるのもこの季節である。

 

 

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正月・・・

2012-01-03 | Weblog

2012年1月3日 遅ればせながら、「新年おめでとうございます。本年も宜しくお願い致します」。

今年が明けて、三日目である。元旦は雑煮と日本酒などで午前を過し、午後に近場の初詣スポットとなる碑文谷八幡宮へ行った。処が、初詣の人が4~5百mも列を作っていた・・・。

とても並ぶ気にはなれず、自宅傍まで戻って碑文谷公園の中に在る小さな社「厳島神社」に初詣となった。この神社のご神体は弁財天とか、江戸の頃にこの辺りを支配していた旗本・神谷氏の寄進とある。

夕方から義妹夫妻とその息子達、長女の一家に襲撃されて俄然賑やかになった。例年どおりの「すき焼き」がメイン、後は刺身と御節のささやかな正月料理。

二日目の昨日は、朝から体調不良、咳と喉の調子が良くない。良くないが、ビールと雑煮。箱根駅伝を見ていると、次女が来た。一緒に目黒不動まで歩いて初詣散歩。一時間半程の散歩兼用のお参りとなった。目黒不動の人出は、思ったより少なかった。

                     

夜になって本格的に不調、飲み過ぎの不調ならいざ知らず、風邪で不調とは是如何にである。夜中には本格的な咳き込みとなった。

そして今朝、相変わらずの不調ではあるが、TVに映る学生ランナー達を見ていて、「彼等の姿を目の当りすると、何かいい知恵が湧くのでは?」などと思った。

明日から仕事始め、会社にはちょっと顔を出したいと思っていた。駅伝のルートは、日本橋を抜けて三越の脇を通り、常盤橋を越えて大手町・読売前である。日本橋は会社かも近い、日本橋辺りで駅伝を見てから会社に向かうこととした。

行ってみると、日本橋~三越前~常盤橋と人の波。これほど人出が多いとは・・・驚き。ぐるぐると移動して、見易い処を探すがない。そうこうする内にトップの東洋大が来たが、見えやしない・・・。

三十分ほど、三越界隈をウロウロとする。それにしてもゴール間近ながら学生達の足取りの確かさ、力強さには脱帽!駅の階段でフラフラと転ぶオヤジからすれば驚天動地のパワーであった。

ランナーの写真が撮れないので、せめて日本橋・三越界隈の人波(ヒトゴミ)を紹介しよう。

                     

                 日本橋東詰から        日本橋西詰から

駅伝ランナーからのパワー吸引を諦め、会社へと向かった。誰か来ているが、姿が見えない。しかし、正月の三日に居る者は決まっている・・・。

それでも、余りにも姿を見せないので、四階を覗いた。すると、KがYシャツ一枚で窓のブラインドを拭いていた。窓もドアも開けっ放しで、労働に勤しんでいた。Kは何時でも、暖房は点けないで、窓を開けている。

Kという男、不死身・不思議・不可思議な存在である。私が知っているのは、一日の生命維持にかけるエネルギーコストを100円以下で暮らす人。その暮らしが不満でも不便でもないと思っている「宇宙的人」か、「脱地球人」である。少なくとも、日本人にはいないだろう・・・。

私が居る六階でも、ドア・窓は直ぐに開けられるし、暖房などは何時行っても入ってない。その所為か、風邪引いたのは?

 

明日から、今年の仕事始め。すっきりとした気分で出社しよう!(風邪よ、飛んでヶ~)

 

 

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