オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

 ? な・・・。 

2020-02-14 | 弁当

2/14(金)今日のテーマは?である。なにが?なのか・・・。バカバカしいかもしれないが暫し、暇なオヤジにお付き合いを。

昨日の木曜日、季節外れな陽気の中を高知市内まで出掛けた。その用件については後程にし、安田駅から皆が云う電車で高知駅まで行った次第。車の方が便利であるが、お酒を口にするので電車にした。

その電車の件が?なのだ。どう見ても電気で動いている節はない。多分ディーゼルエンジンで動いているはずなのに、何故に電車と呼ぶのか?。電気で動いてないのに。

そして疑問がもう一つ。駅の時刻表を見ると「列車時刻表」とある。列車と云うのは列をなしている故に列車でなかろうかと思うのだが、我が町を通る線路を走っているのは一両なのだ。列車じゃなかろうと我は思うのだが・・・。

この、ごめん~なはり線の「土佐くろしお鉄道」に何度乗車しても、どうでもいいことではあるが?と感じるのだ。

遥かな過去のこととなるが、森林鉄道が安田川沿いを走っていた。今はレールも撤去されて森林鉄道跡は狭い道路になり、よすがを偲び森林鉄道跡として日本遺産に登録されている。

その森林鉄道が運行されていた時代。名前の通りに木材運搬の鉄道あるが、客車も運行されていた。その車両のことを、地元の人たちは「ガソ」と呼んでいた。ガソリンで動く故に略して「ガソ」と呼ぶ。言い得て妙でないか。

翻って、ディゼール車を何故に電車と云うか、一両なのに何故に列車と云うか?。暇なオヤジはそんなこを思いながら、田園と山並みの彼方に広がる青空の下、ディーゼル車の人となった。午後の車内、乗客は五人だけであった。

        

安田駅からⅠ時間15分を要して、16:22高知駅着。駅前広場には、NHKの大河ドラマに便乗して建てられた幕末の三傑?、中に竜馬、向かって左が武市半平太、右は隣村の出身中岡慎太郎。こんな写真を撮った私は、一体何を言いたいのか?。

              

駅前から大手筋を経て「ひろめ市場」の様子を覗いてから、今日の目的地「三翠園」へと。ひろめ市場は心なし、観光客の姿が減っている様子。新型肺炎の所為か?。

三翠園で、昨年に県議に返り咲いたNISHIUCHI君の県政報告会があり、それに出席するためである。会は予想以上の参加者で、凡そ400名近く出席か。これだけの動員力があれば、継続できれば次の選挙は楽かもしれない?。

               

前・現の知事や議員仲間が数多出席し、盛会であった。NISHIUCHI君と話が出来たあと、お先に失礼して電車?列車?にて帰った。予定通り、22時前に帰宅できた。

台所に残った菜を見ると、老は大して食べてない。オデン・里芋煮っころがし、蕗味噌など用意してあったが・・・。

そんな次第で、今日の夕食にも残っている菜を出すことに。新たには、チンゲン菜と豚バラの炒め物、下ろし大根のジャコ掛け、メインとなったのは「トンシャブ風野菜鍋」である。

        

 

然し、あれのことをなんと呼べば、言えばいいんだ!。?マークが消えるのはいつの日か・・・。            

 

 

 

 

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フキノトウを採る

2020-02-12 | 弁当

2/12(水) 昨日までの天気とは変わり、今日は曇天の朝を迎えた。これから暫くは天気が悪いとの予報だ。数日は家の中で過ごすことになろうか・・・。

そんな予報が数日前から出ていたので、昨日は午後の半日を畑で遊んだ。穏やかな日差しの下で焚火をして焼芋などを楽しみ、剪定した枝を焚火用に切り揃えたりした。喉が渇けばミカンを二つ三っ食べ、小腹がすいたら焼芋を頂く。田舎ならではの過ごし方である。

           

川向こうに見えている三階建ては公営住宅だが、かつては私たちが通った学校跡にできたものだ。往時は学校下の川を飛び石伝いに川中島に行けた。そこに学校の小さな農園と家畜小屋があり羊を飼っていた。夏休みは当番で餌やりをしたのだ。

傑作は、ボットン便所の汲み取りが中学生になるとあったのだ。天秤棒の真ん中に肥桶を置いて前後ろで担ぎ、「揺らすなよ」と言いながら飛び石伝いに川を渡って農園まで運んで撒いたはずだが、撒いた記憶は定かでない。或いは肥溜めに入れたのか。

今は川の流れも変わり、川中島もなくなって孟宗竹の竹林が荒れたままに河原となって広がっている。

焚火も焼芋も一段落した三時頃に、老を誘ってフキノトウを採取すべく河原へ行った。石ころと孟宗竹の中を、斧を手に藪を掻き分けて進んだ。ヨタヨタと進む後から、老がそろりそろりと覚束なく付いてきた。蕗の群落が少なくて少しだけの採取だった。

引き上げる途中、川沿いに開いた田圃の土手に蕗の葉が少し出ていた。そこを探ると、なんとなんとフキノトウが沢山あったのだ。てんこ盛りに採取した次第。

               

これで今夜の夕食は「フキノトウの天婦羅&蕗味噌炒め」に決まった。妹に分けてやろうろと声を掛けたら「天婦羅はしないから要らない」と、連れない返事が。最近はこうした家庭が多いようだ。焼き魚すら嫌がるらしい。出来上がったものは食べるのに!。

食材が多いので、病院通いで忙しい従姉に電話して食事に来るように誘った。すると、従姉と帰省中の娘に、もう一人の従姉の三人が来ることになった。

そんなことで、フキノトウに椎茸・サツマイモ・タマネギを天婦羅にし。フキノトウの味噌炒め、間引きホウレン草の胡麻和え、味噌汁に作っておいた千枚漬けなどで賑やかな夕食となった。

入院中の従姉の旦那は小康状態が続いているとのことだが、毎日の病院通いで付き添い、草臥れている。お酒を少々飲むので、食事と燗酒で慰労である。

天婦羅と蕗味噌、千枚漬けが痛く気に入ったようだ。デザートで出した金柑の甘露煮も美味しいと喜んでくれた。

             

 

 

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「大心劇場」

2020-02-10 | 弁当

2/10(月) 今日は月曜日、と云うことは週に一度の掃除の日である。遅い朝食を終え、頂いていた金柑を砂糖煮にしながら掃除を始める。

金柑の砂糖煮は風邪ひきで喉の調子が悪い時の薬(?)になると云う思い込みからである。煮詰めて瓶にでも入れて保存するのだ。

掃除の途中、従姉と埼玉から爺さんの見舞いに来た孫が姿を見せたので暫しお茶を出して相手をした。従姉の旦那は一時容態が悪くかったが、今は小康状態が続いている。子供や孫たちが心配して遠方から駆けつけているのだ。

一時過ぎに掃除を終え、日課とも云える散歩に老と出ることにした。顔を見せた妹も一緒に行くと言う。三人で柚子ロード呼ぶ森林軌道跡の道を川沿いに下る。

               

少し風があり冷たい中、2Km程下流に在る「大心劇場」まで歩くことにした。この劇場は二代目となる周吉君が運営しており、彼のバンド名と同じ豆電球と云う喫茶を併設している。

昭和の香り一杯のレトロ満載な劇場であるが、劇場は高知県東部でここしかない。古い映画が専門で、明日まで「新宿の女」という藤圭子の歌と同名の映画がかかっている。

東京に居る時はついぞ映画などを見る機会がないが、今夜見に行こうと思ったこともあり、大心劇場まで散歩することにしたのだ。

夜の部の上映準備中の周吉君に声をかけ、隣の喫茶で暫し話を聞きながらコーヒーを飲む。これも地元の者だからであろう・・・。

              

彼の親父さんが映画館を始めたのは昭和三十年代の始めだろう。当時は我が家から直ぐで、川沿いの正弘橋の袂にあり「中山映劇」という名だったはず。ここで裕次郎の映画「錆びたナイフ」や「嵐を呼ぶ男」などを見た覚えがある。

            

            柚子畑になった中山映劇の名残

我が山里はかつて、中山村といった。戦前に安田町と合併後も、かつての地名から中山小・中学校があり、学校が無くなった今でも幾つかの集落を総称して今でも中山と呼ばれる。

 

余談が長くなったが、町内の何カ所かに出ていた周吉君手作りの看板を目にして「大心劇場」行こうと思った。思い返せば彼の親父さんも玄人はだしに手描きの看板を作つていた。

温めのコーヒーを飲みながら彼の映画への、劇場への思いを聞きながら親子二代にわたる心意気を感じるのであった。劇場の灯をともしつづける心意気と云うのであろうか・・・。観に行くことが応援でろう。

見知らぬオジサンが劇場の前をウロウロしていた・・・。なんと、兵庫県から「新宿の女」を見に来た客とのことだ。藤圭子のファンで、大心劇場で映画が上映されるとの情報を得て来たとのことだ。昼の部を見て、夜の部までの時間を持て余していたのか。明日の昼の部も見てから帰るとか。

初めて「大心劇場」を訪れる客は驚くだろう!そのロケーションに。三セクの鉄道・ごめん~なはり線の安田駅から3kmほど川沿いの森林軌道跡の道を上流に向かう。山迫る川沿いにポツンと一軒だけ建つ映画館なのだから。エッ!こんなところに在るのかと。

次回の上映はオール高知ロケの「カスリコ」という映画で、2/23~3/1までの一週間。高知を舞台にした賭場の小間使いになる若い衆が主人公とか。モノトーンの人情身のある映画だと聞いた。

     

さあ~今夜映画だ!。暖かい格好で行かなくちゃなるまい・・・。夕食は映画から戻ってからだ・・・。

 

 

 

 

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五時のサイレンで目覚め・・・

2020-02-07 | 弁当

2/7(金) 朝からの曇り空が午後になり、ポッリぽっり雨が落ちはじめた頃に野菜を植える予定の畝に肥料を撒き終え、夕食に使うホウレン草の間引きも済んだ。

今朝の目覚めは五時であったか。夢を見ていた、思うように行かない人生の続きのように夢の中でももどかしく、儚いことばかり。そんな夢のお仕舞いとサイレンの音が重なったかも。

こんな時間に起きても仕様がないので、一服してから暫く本を読んだ。微睡んでいたのだろう、次に目覚めた時は7:30であった。起床して神仏に供えてから朝食の用意をした。

何時もと変わらぬ朝。朝食後の洗い物を終えてから、夕食用の鯖味噌煮と白菜芯の中華風甘酢漬けを作った。それから曇天の下で肥料を畑に撒いた。

小雨が降り始めた中、鯖の粗を藻くずカニに与えるべく生簀へ。その帰りにミカン畑にて紙屑を焼いた。今日は焼芋はできないので早々に引き上げてきた。

小雨が降りつづくので部屋に籠り、夕食の準備に入るまで本を捲り過ごした。

夕食用に、隣り合わせで野菜を作っている従姉の畝から蕪を抜いてきた。葉は煮物と炒め物に、大きな玉は千枚漬けにする。一部を中華風の蕪のスープにした。

夕食は前記と、朝に用意した「鯖味噌煮」をメインにして、白菜芯の中華風甘酢。芯を使った白菜の葉の部分で「白菜の豚バラ挟み煮」と、野菜中心の夕食となった。

        

相変わらず小雨は降りつづいている。こんな寒い夜は燗酒と、土佐鶴の新酒をぬる燗にして頂き、今宵も帳が下りた・・・・。

 

 

 

 

 

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老、畑で焼芋を喰う図!

2020-02-06 | 弁当

2/6(木)今日は朝立てた予定通り、昼前から畑にて今年初の草刈りと有機肥料撒きをした。USUI老も一緒で、老の仕事は焚火の番人である。これ以上のことを求めるのは無理である。

畑に向かうまでは北風が少しあり肌寒かった。それでも畑で作業を始める頃には風も治まり、晴天の下で暖かくなった。

火を熾して枯れ枝を燃やし、徐々に火を強くした。灰が温まった頃合いにアルミを巻いた小さな芋を灰の中に埋める。後は老に委ねて、草刈を始める。二月の初旬で草も大したことはないが、ミカンの樹の下を中心に刈った。時折、火の様子を見ながら。

作業そのものは大したことはない。小休止をとり、成っているミカンを食べる。今日は「きよみ」と云う種を食べた。未だ酸味が少しあるが、美味しい!。焼き芋が仕上がるまで時間を要すのだ。

有機肥料の油粕を薄めに撒いた。次回は、木が活性化を始める三月に入ってから撒くことになる。

焼き芋の状態をチェックし、薪の枯れ枝を追加して火を強くする。連日の焚火で灰がいい状態になっている。頃合いを見て、芋を灰の中から出すと上手い具合に焼けて芋の匂いが香しい・・・。

                  

焼時間を短じかくしたいので小さな芋だが、アルミホイルを取ると蜜が滲んでいる。焼き芋を口に入れる老は満足げであった。

暇人二人の田舎暮らしは、かくもノンビリしたものである・・・。

畑から戻り、野菜用や花壇用の肥料を買うために隣町のホームセンターまで出掛けた。花の種も買いたかったが、適当なものが見当たらず。できれば明日、畑に肥料を入れたいものだが。

買い物から帰り、夕食の準備を始めた。地球市民の会SATO会長から電話が入り、松山に行く予定が出来たので高知まで足を延ばしたいがとのこと。何日で泊まって下さいと伝えるが、一泊だけとのことだ。一緒に飲めればいいと・・・。

訪問する松山のとある町の読みが分らないのでと、訊かれるも?。地元に聞けと、後輩のKATUTA君に電話をして判明した。そんなやりとりをして夕食の準備が遅れた。

夕餉のメニューは昨日の残り物、大根&蒟蒻煮と肉じゃがと、今日煮た「茄子とインゲンのピリ辛煮」と「鶏肉の土佐風スキ焼」になった。土佐風と云うのは、ニンニク葉を使うことである。独特の香りと味わいがある。

             

寒い日の飲み物は燗酒だ。土佐鶴の新酒を何時ものようにぬる燗にして頂いた。かくして今日も平穏に幕が降りる・・・。

 

 

 

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今日の日は・・・

2020-02-06 | 弁当

2/6(木) 今日もいい日和だ。こんな日は何をして過ごすべきか?と、目覚めた布団の中で考えた。その結果、ミカン畑に有機肥料の油粕を撒くことにした。明日は天気が崩れるとの予報なのでいい塩梅だ。

そんな呑気な我だが、昨夜の夕食中にあった電話では、従姉の勝っちゃんの旦那の容態が悪くなったとのこと。夕方から集中治療室に移され今夜が山と言われたそうだが、今朝の話では持ち応えたそうだ・・・、だが精々一週間ぐらいではなかろうかとのことだ。

そんな昨夜の夕食は、簡素に「肉じゃが」「大根と蒟蒻&厚揚げの煮物」「沖ウルメ焼き」に、定番にしている自家製の「千枚漬け&中華風の甘酢漬け」であった。これに、今時期しか飲めない日本酒の原酒を友にした。

              

良い日和の今朝、狭い中庭の豊後梅も咲きはじめ、青桐の樹の赤い実を啄みにヒヨドリがひっきりなしに訪れる。

         

畑の温州や紅ミカンもヒヨドリが啄んで、実をほじっている。鳥たちのためにお裾分けも致し方ない・・・。

さて、これから老の焚火番で畑に遊ぶことにしよう。焼き芋をしながら・・・!。今日も長閑な一日がはじまります。

 

 

 

 

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かくも賑やかな夕餉

2020-02-04 | 弁当

2/4(火) 冬らしい気温がつづく昨日は、朝餉の後に部屋の掃除を済ませた。どうやら月曜は掃除の日となりそうだ。

               

その後、従姉と娘で埼玉から父親の介護に帰省したYUKIE、買い物したいと云う老を乗せて隣町、田野町のまで外出。二人を病院前で下ろし、直ぐ向かいにあるスーパーで買い物をして帰宅。帰宅後は畑で短いながら焚火をした。老の焚き番スタイルが定着してきた。

               

この日は節分、我が両親の結婚記念日である。この夜は、従姉たちが夕食に来ることになった。町に住む従姉とその旦那HIROMICHIさん、斜向かいに住む従姉と娘夫妻、老に私と大人数になった。

従姉のサッチャンが恵方巻を作り猟師から鹿肉の背身と、従弟のISAOから猪肉を貰って来た。節分の宴にしては?だが、田舎の宴とはこんなものか?。

料理は私が担う。猪は鍋と汁にし、鹿の背身はニンニク・生姜下ろしで焼いた。人数が多いので、野菜鍋にウドン。これに、ウルメイワシの酢漬け、小イカとチンゲン菜のソテー、自家製の千枚漬けなどで夕餉となった。

何時もは大人しいHIROMICHIさんが、酒が進むうちに饒舌になり賑やかになる。楽しい酒である。HIROMICHIさんが作っている大根を毎日のように従姉が持ってくる。切干大根にでもするつもりだが、専ら煮物や大根下ろし、鍋に味噌汁の具と重宝している。

           

ビールに焼酎、燗酒とそれぞれに好みの酒をやり、最後に我が干し柿を味見し、コーヒーで締めとなった。

途中で従姉から渡された節分の豆を撒き、二時間に及ぶ縁者との夕餉は楽しく終へたが・・・。

サッチャんが「おばちゃんが居る時は一緒に恵方巻を食べながら”今日は結婚記念日ぜよ”言うて、ぎっちり言われよったがよ」と云う。さもありなんである。日頃から姪にあたるサッチャンが母の面倒を見ていたからネ。因みに「ぎっちり」とは土佐言葉で、何時もとかの意である。

 

 

 

 

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「ごとごと」へ久々に・・・

2020-02-01 | 弁当

2/1(土) 今日も青空が広がり、風は清くそして寒い。こんなにも青空の日は、車を走らせて何処かへ行こうと、出掛けることにした。

助手席には勿論、老が坐しているのだ!。何で老しかいないのか、どうせなら若い人の方がいいのに?。

行先は夜須町の小川の上流にある店「ごとごと」でした。「ごとごと」は土佐言葉でー ゆっくりゆっくり — の意です。

「ごとごと」は、Jターンで帰郷した女性が開いた店で、週二日だけ開いているカフェなのだ。オーナーはIGARASHIさんと云う方です。OB会事務局に勤務するご主人とは、サラリーマン時代に短い間ながらも職場を同じくしている。

OB会の会合で「妻が高知に帰って店を始めた」と聞き、店を訪ねたのが最初でした。一軒家とも思える山の中、鹿が現れるとか。以前、PR誌の取材でお世話になった店でもある。

落ち着いた雰囲気の中で淹れたてのコーヒーを頂きながら、最近の動向・様子など訊く。と、「来週に主人が来ます」とのこと。「一緒に遊びにおこし下さい」と伝えた。久々に訪れた「ごとごと」で美味しいコーヒーを頂きました。

帰宅して暫くすると珍しく家電が鳴った。出ると、中学の同級生で関東に居るOGAWA君から。家に居るかと思い電話したとのことである。近々に帰郷の予定が出来そうだとのことだが、兄の様態が悪くてのことだった。

 

今日の夕食に、従姉と従兄の家のご養子さんで無線LANの設定をしてくれたHIROSHI君が来てくれた。従姉が買ってきた鯖を塩焼きにし、白菜鍋に白菜の甘酢漬け、昨夜から煮込み続けている「牛筋煮」、作り置きの「豚煮のニラ醤油掛け」を摘みに一杯!。

            

酔うほどに、老と二人して養子の心得などをのたまわって会話を遊んだ。

地域の消防団にも加入して馴染んでいるHIROSHIは、好い男である。養子の鑑!いい男が来てくれたものである。

今夜も燗酒を飲み、愉しい会話で酔ってしまった!

 

 

 

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